一人称が「俺様」の褐色爆乳美女は好きですか? 作:ビジュゲイト推し
追加検査の申請は、思ったより早く。壁にぶつかった。
「……契約が必要?」
ザビーダが机の向こうから、露骨に嫌そうな顔をした。
「ああ」
ミクリオは中央支部から持ち帰った書類を机へ置く。
「通常の霊力測定なら、今まで通りでいい。だが、霊力経路の深部まで調べるには、術者側から君の霊力へ干渉する必要がある」
「それで?」
「無契約の聖隷に対して行うには危険が大きい。正式契約による経路固定が必要だそうだ」
「ふうん」
ザビーダは書類を引き寄せる。
読む。
《契約対象真名》
その欄だけ、白い。
「じゃ」
何でもないことのように言う。
「あれで契約しちまえば?」
ミクリオが顔をしかめた。
「嫌だ」
「早えな」
「何度聞かれても嫌だ」
「俺様も今は嫌だけどさ」
ザビーダは頬杖をつく。
「研究進まねえじゃん」
「なら止める」
「は?」
「君を女性器の俗称で呼んで契約するくらいなら、追加検査は止める」
ザビーダが何とも言えない顔になった。
「……そこまで?」
「そこまでだ」
「名前なんて登録記号みてえなもんだろ」
「君は今、自分であの名前が嫌だと言ったんだぞ」
「言ったけど」
「なら使わない」
「頑固」
「君の名前の話だ」
「だから俺様がいいって言ったら?」
ミクリオは少し黙った。
「本当にいいのか」
「……」
「研究を進めたいから仕方なく、ではなく」
「またそれ?」
「まただ」
ザビーダは申請書を見る。
あの真名。思い出す。自分を何に使うものか。分かりやすくするための。名前、以前なら。本当に何でもよかった。でも、今は。
「……やっぱ嫌だわ」
「そうだろう」
「何でちょっと嬉しそうなの」
「気のせいだ」
「嘘くせえ」
ミクリオは書類を畳む。
「なら、今はここまでだ」
「検査も?」
「ああ」
「もったいねえ」
「名前を急いで決める理由にはならない」
「遺跡も行けねえ。検査もできねえ。契約ってめんどくせえな」
「僕もそう思う」
「お前、対魔士だろ?」
「対魔士でも面倒なものは面倒だ」
ザビーダが少し笑った。
***
それから、数日。真名は、決まらなかった。ザビーダは時々。紙へ思いついた単語を書く。
《風》
違う。
《旅》
悪くない。でも、何か。違う。
《自由》
格好つけすぎ。
《酒》
ない。
《肉》
もっとない。ミクリオは一切。口を出さなかった。それがザビーダには、ありがたくもあり。腹立たしくもあった。
「一個くらい候補出せよ」
「嫌だ」
「何で」
「君の名前だからだ」
「毎回それ!」
「毎回答えが同じなんだから仕方ないだろう」
そんな日々。
***
その日は、特別なことをする予定ではなかった。前回の検査結果について、自宅でも確認できる。簡単な霊力経路だけ、もう一度見てみよう。それだけだった。
「手」
ミクリオが言う。
ザビーダが左手を差し出す。
「はいよ」
ミクリオはその手首へ指を添えた。
触れた肌は、明るい褐色だった。ザビーダが身を乗り出すと、無造作な銀髪が肩から滑り、緑がかった毛先が二人の手元へ落ちる。琥珀色の瞳は、いつもの軽口とは違う真剣さでミクリオの指先を見ていた。
「痛かったら言え」
「はいはい」
「違和感も」
「はいはい」
「返事が雑だな」
「お前が毎回同じこと言うからだよ」
「必要な確認だ」
「分かってるって」
ミクリオが自分の霊力をごく薄く。
ザビーダへ流す。契約はしていない。だから、深くは入れない。ただ、表層。霊力の流れを触れるだけ。
「ここは?」
「平気」
少し指をずらす。
「ここ」
「……くすぐってえ」
「真面目に答えろ」
「真面目だよ!」
「では、ここは」
「何ともねえ」
ミクリオは集中する。
ザビーダの中には、確かに強い風の霊力がある。広い。深い。なのに、術式へ流そうとすると途中で、閉じる。何度見ても、妙だった。
「もう少しだけ」
「おう」
触れる。
ほんの少し深く。ザビーダの霊力とミクリオの霊力が、重なる。その瞬間だった。
――フィルクー=ザデヤ。
ミクリオの手が止まった。
「……」
ザビーダがこちらを見る。
「何?」
返事がない。
「ミクリオ?」
「……今」
「うん」
ミクリオは眉を寄せる。
何だ、今の。考えたわけではない。思いついた、とも違う。重なった霊力の奥から、そこにずっと残っていた古い響きを拾い上げたような。
「名前が」
「名前?」
「浮かんだ」
ザビーダが目を瞬く。
「何それ」
「僕にも分からない」
「どんな?」
ミクリオは言うか。
一瞬、迷った。けれど、これは、ザビーダ自身のことだ。
「……フィルクー=ザデヤ」
空気が止まった。
ザビーダの顔から、笑みが消える。
「……」
「ザビーダ?」
「今の」
「うん」
「もう一回」
ミクリオはゆっくり繰り返した。
「フィルクー=ザデヤ」
ザビーダが息を止めた。
記憶にはなかった。その言葉を聞いたことなどない。多分。けれど、胸の奥、霊力のさらに深いところには、古い真名の響きが残っていた。呼び起こされたそれが、確かに震えている。痛いわけではない。怖いとも少し違う。懐かしいというのも違った。
「……何だよ、それ」
「分からない」
「お前が考えた?」
「違う」
即答。
「少なくとも、今考えたわけじゃない」
「じゃあ何で知ってんの」
「僕が聞きたい」
「俺様に聞くなよ」
二人とも、黙る。
ミクリオはまだザビーダの手首へ触れている。気づいて、手を離そうとした。ザビーダが反射的にその手を掴んだ。
「待って」
ミクリオが見る。
ザビーダ自身も、自分が何をしたのか少し驚く。でも、離さない。
「もう一回」
「名前を?」
「ああ」
「……フィルクー=ザデヤ」
また胸がざわつく。
「……」
嫌ではない。
それだけは分かる。あの真名を聞いた時とはまるで違う。あの名前は、自分の身体へ外から札を貼られたようだった。これは逆だ。自分の奥から何かが浮かび上がってくる。そんな感じがした。
「……変なの」
ザビーダがぽつりと言った。
「意味は、《約束のザビーダ》」
「……」
ザビーダは何も、言わなかった。
***
約束。その言葉だけが、妙に残る。何か。知っている。ような。知らない。ような。
「……俺様」
ザビーダが自分の胸元へ手を置く。
「約束なんて好きだったっけ」
「僕に聞くな」
「だよな」
「何か思い出す?」
「いや」
即答。
「何にも」
少し間。
「でも」
「うん」
「嫌じゃねえ」
ミクリオは黙る。
ザビーダが言葉を確かめるように。
「フィルクー=ザデヤ」
自分で呼ぶ。
一度、もう一度、自分の名を呼ぶ。
「フィルクー=ザデヤ」
不思議だ。
知らない名前なのに口に馴染む。ずっと昔から、自分の中にあったような。
「……これ」
ザビーダが少し笑う。
「俺様の気がする」
ミクリオはそれでも、すぐには、頷かなかった。
「ザビーダ」
「何」
「僕が今、そういう言葉を感じ取った」
「ああ」
「それだけだ」
「……うん」
「これが本当に君の真名なのかは分からない」
「でも意味まで」
「偶然かもしれない」
「お前さあ」
「だから」
ミクリオは真っ直ぐ。
見る。
「僕が『これが君の真名だ』と決めるつもりはない」
ザビーダが目を細める。
「……またそれ?」
「ああ」
「めんどくせえ」
「君の名前だからな」
「知ってる」
以前なら。
そこで、笑って、終わった。でも、今は、違う。ザビーダはもう一度名前を見る。
《約束のザビーダ》
何の約束。誰との約束。何を約束した。分からない。胸の奥が、少し痛いような気もする。でも、逃げたいとは、思わない。
「……使う」
「何?」
「この名前」
ミクリオが少し目を見開いた。
「本当に?」
「ああ」
「研究を進めたいからじゃなく?」
ザビーダが笑う。
「違う」
「契約が必要だから仕方なくでも?」
「違うって」
「僕が言ったから――」
「うるせえ!」
ザビーダが声を上げる。
「俺様がこれがいいって言ってんの!」
ミクリオが口を閉じる。
「……そうか」
「そうだよ」
少し息を吐く。
「俺様が」
自分の胸を指す。
「これ、俺様の名前にしたい」
ミクリオの表情が少しだけ柔らかくなる。
「分かった」
「やっと納得した?」
「ああ」
「長え」
「大事なことだ」
「はいはい」
でも、ザビーダも少し嬉しそうだった。
***
翌日、契約登録の書類が、もう一度机へ置かれた。
《同行聖隷》
《真名》
ザビーダは自分で書く。少し古い文字。手が止まりかける。でも、最後まで、書いた。
《フィルクー=ザデヤ》
「字、汚いな」
ミクリオが言う。
「第一声それ?」
「読めるから問題ない」
「褒めろよ」
「自分の名前を書いただけだろう」
「大事なんじゃなかったの?」
「大事だ」
「なら褒めろ」
ミクリオは少しだけ考える。
「……よく決めたな」
「子供扱い?」
「褒めろと言ったのは君だろう!」
ザビーダが声を上げて笑った。
***
契約そのものは、静かなものだった。中央支部の。小さな契約室。立会人は、必要最低限。ミクリオ。ザビーダ。担当術師。それだけ、術式陣の中。向かい合う。担当術師が、確認する。
「双方、契約内容に同意されていますか」
ミクリオが頷く。
「はい」
ザビーダも。
「ああ」
それだけ、でも、ミクリオはザビーダを見る。
「本当にいいんだな」
「ここまで来てまだ聞く?」
「最後の確認だ」
ザビーダは少し呆れた顔をして、でも、笑う。
「いいよ」
「……」
「俺様がお前と契約したい」
ミクリオが一瞬。
黙った。
「そうか」
「何だその顔」
「何でもない」
「絶対何かある」
担当術師が、咳払いする。
二人とも、少しだけ居住まいを正す。
「では、真名を」
ミクリオが息を吸う。
以前、最初の契約室で、あの下品な真名を呼ぶことを拒んだ。誰かが、ザビーダを何に使うか。それだけを表した名前、今は、違う。自分が付けたのではない。ザビーダが自分で選んだ。この名前をミクリオはゆっくり呼んだ。
「フィルクー=ザデヤ」
風が動いた。
強くはない。けれど、確かに二人の間を通り抜ける。ザビーダが僅かに息を止めた。胸の奥。何か。ずっと深いところ。触れられたような。でも、怖くない。
「……」
ミクリオが少し心配そうに見る。
「大丈夫か」
「ああ」
ザビーダは笑う。
「もう一回呼んで」
「今?」
「ああ」
「契約はもう――」
「いいから」
ミクリオは少しだけ戸惑ってから、その名を呼んだ。
「フィルクー=ザデヤ」
ザビーダは目を閉じた。
「……うん」
「何だ」
「いや」
少し笑う。
「お前に呼ばれんの」
目を開ける。
「悪くねえな」
ミクリオが一瞬。
言葉を失った。
「……そうか」
それだけ、でも、ザビーダには、十分だった。
***
帰宅後、ミクリオは契約書を机へ置く。ザビーダはその横から、自分の名前を見る。
《フィルクー=ザデヤ》
何度見ても、妙な感じ。でも、嫌ではない。約束。その意味だけ、まだ分からない。なぜ。自分の奥から、そんな名前が、出てきたのか。なぜ。ミクリオに触れられた時だったのか。何も、分からない。
「なあ」
「何だ」
「約束って」
ミクリオが顔を上げる。
「うん」
「何の約束だと思う?」
ミクリオは少し考える。
「分からない」
「またそれ?」
「ああ」
「推測は?」
「できる」
「聞かせて」
ミクリオは首を振った。
「今はやめておく」
「何で」
「君の記憶を、僕の想像で埋めたくない」
ザビーダは少しだけ笑った。
「ほんっと変わんねえな」
「悪いか」
「いや」
紙の上。
自分の名前、指で、なぞる。
「そのうち」
「うん」
「思い出すかもな」
「そうかもしれない」
「思い出さないかも」
「それでもいい」
ザビーダがミクリオを見る。
「いいの?」
「ああ」
ミクリオは当たり前のように答える。
「今、その名前を君が選んだことは変わらない」
ザビーダは少しだけ目を細めた。
「そっか」
それで、いい。
誰かが、用途を示すために貼り付けた名前ではない。誰かが、所有するために決めた名前でもない。理由すらまだ分からない。それでも、霊力の奥に残っていた古い名を、今の自分がこれでいいと選び直した。フィルクー=ザデヤ。約束のザビーダ。その約束が、何だったのか。今はまだ知らない。けれど、知らないままでも、自分の名前だとそう思えた。