一人称が「俺様」の褐色爆乳美女は好きですか? 作:ビジュゲイト推し
正式契約を結んでから、ミクリオはザビーダの霊力経路を以前より深く調べられるようになった。異常を見つけたのは、三度目の検査だった。
「……ザビーダ」
測定術式を見たまま、ミクリオが動かなくなる。
「何。また変なの出た?」
「変というか……ここだ」
薄い光で描き出された霊力経路を指す。本来なら風属性の霊力が滑らかに流れるはずの場所へ、ザビーダ自身のものとは構造の違う術式痕が絡みついていた。
「誰かに何かされた?」
「その可能性が高い」
「いつ頃?」
「そこまでは――」
答えかけたミクリオの手が止まった。術式の形式に見覚えがある。以前、霊峰の旧聖寮施設で書き写した記録を資料棚から取り出し、見比べた。
「同じだ」
「何が?」
「前にエドナと行った、あの施設で使われていたものと同系統だ」
ザビーダの顔から軽さが消えた。
「……あそこ?」
「ああ」
あの時、裏返した金属板があった。《地属性聖隷》の下に刻まれていた、読みかけの名前。
「確認する必要があるかもしれない」
「……」
「ただし、読むかどうかは君が決めていい」
ザビーダはすぐには答えなかった。やがて自分の手を強く握り、乾いた声で言う。
「読む。俺様が知りたい」
***
数日後、二人はもう一度、霊峰の旧施設を訪れた。今回はザビーダの希望で、エドナを呼んでいない。記録室には、以前裏返した金属板がそのまま残っていた。
「読むぞ」
「ああ」
「止めたければ、いつでも言ってくれ」
「分かってる」
ミクリオは板を表へ返した。
《収容対象:アイゼン》
《地属性》
《拘束継続》
《抵抗傾向:強》
《風属性聖隷ザビーダとの既知関係を確認》
ザビーダの肩が僅かに揺れる。
「……知り合いって書いてある?」
「ああ」
「続けて」
次の記録には、ザビーダから取引を申し出たとあった。自分が指定された供用要求へ従う。その代わりに、アイゼンの拘束を解除し、解放すること。聖寮側は、その条件を受諾していた。
《ザビーダ提示条件》
《地属性聖隷アイゼンの拘束解除》
《同対象の解放》
「俺様から言ってんじゃん」
額へ手を当てたザビーダの声が掠れる。
「拘束を解け。自由にしろって」
「……ああ」
記録は、嫌になるほど事務的だった。ザビーダの口腔、性器、肛門を使用したこと。複数人による利用にも抵抗せず、泣き叫びながらも命令へ従ったこと。そして、その間ずっと「アイゼンが助かるなら何でもいい」と繰り返していたこと。
「……問題なし」
ザビーダが小さく繰り返す。
「もう止めるか」
「続けて」
「でも」
「頼む」
怖がっている。それでも読んでほしいと言っている。ミクリオは次の板へ手を伸ばした。
《条件履行》
《アイゼンの拘束解除を実施》
《同対象の解放を確認》
その一文を聞いた瞬間、ザビーダの表情がほんの少し明るくなる。記憶より先に、身体が安堵したようだった。
「……解放した?」
「ああ。拘束も契約も解除されている」
ザビーダが息を吐く。
「じゃあ――」
《拘束解除直後、対象アイゼンが風属性術式を行使》
《術式:ビジュゲイト》
ザビーダの身体が跳ねた。
「……逃げろ」
記録ではない言葉が、その口から落ちる。
「俺はいい。お前は逃げろ」
ミクリオは続きを追った。
《対象アイゼン、ザビーダの施設外退避を企図》
《反抗行為と認定》
《即時制圧》
《処刑》
《斬首により即死》
《なお、拘束解除後の反抗行為に対する別件処分であり、事前提示条件への違反なし》
長い沈黙が落ちた。
「……違反なし?」
「そう書いてある」
「約束は、守ったって?」
ミクリオは答えられなかった。
ミクリオはしばらく記録から目を上げられなかった。紙面には、ひどく整った文字が並んでいる。ザビーダから提示された条件。アイゼンの拘束解除。解放の確認。そして、その後に起きたこと。
《解放対象アイゼン、拘束解除後、施設職員への敵対行動を開始》
《目的、拘束中の聖隷ザビーダの奪還と推定》
《制止命令に従わず》
《処分》
その下には、さらに短い一文があった。
《事前提示条件への違反なし》
ミクリオはそこを何度も読んだ。読み間違えているのではないかと思ったわけではない。ただ、意味を理解するたびに、その意味を拒みたくなった。
「……君が選んだことは、分かった」
ようやくそう言うと、ザビーダがゆっくり顔を上げた。
「アイゼンを助けるために、君自身が条件を呑んだ。それを、君が選んだことまで僕が否定するつもりはない」
「……うん」
「そして」
ミクリオは記録へ視線を戻した。
「ここに書かれていることが事実なら、聖寮は約束した通り、アイゼンの拘束を解いた」
ザビーダの瞼がわずかに震えた。
「そうだよ」
思っていたより、はっきりした声だった。
ミクリオが見る。ザビーダは泣いていなかった。まだ。
「約束は守られたんだ」
「ザビーダ」
「俺様が頼んだのは、アイゼンを自由にすることだった。だから、あいつらはちゃんと外した。拘束も、術式も」
乾いた笑いが漏れる。
「俺様さ、その時、本当に嬉しかったんだぜ」
ミクリオは何も言えなかった。
ザビーダの視線がどこか遠くへ向く。
「よかったな、アイゼン。お前は帰れるぜ、って」
それだけは、覚えていた。
傷ついた身体もどんな顔をしていたのかも曖昧なのに、その瞬間に胸へ広がった安堵だけは、妙に鮮明だった。これでいいと思った。これで耐えた意味があった。自分がどうなろうと、少なくともアイゼンは生きて帰れる。
「……でも」
ザビーダの声が少し掠れた。
「俺様の拘束は、そのままだった」
ミクリオの手が記録の端を強く押さえる。
「それは、条件には入っていなかった」
「うん」
「だからアイゼンは――」
「戻った」
即答だった。
ザビーダの口元に、ひどく弱い笑みが浮かぶ。
「自由になったくせにな」
それを責める響きは、どこにもなかった。
むしろ逆だった。
「『お前は自由だ』って言われてさ。あいつ、確かめたんだよ」
記憶の中の声を探すように、ザビーダは目を閉じた。
「俺は自由なんだな、って」
ミクリオは黙って聞いている。
「そうだって言われて……それで」
一度、息が詰まった。
「なら、俺が何をするかも俺の自由だ、って」
ザビーダは笑おうとした。
うまくいかなかった。
「馬鹿だろ」
「……」
「そのまま帰りゃよかったのに」
声が震える。
「俺様のことなんか置いてさ。せっかく助かったのに」
ミクリオは首を振らなかった。
肯定もしなかった。ただ、静かに尋ねる。
「君は、そうしてほしかった?」
「してほしかったよ」
今度は迷わなかった。
「頼むから帰ってくれって思ってた。俺様が何のためにここまでやったと思ってんだ、って」
「……うん」
「でも」
ザビーダの指が自分の膝を掴んだ。
「帰らねえだろうなってことも、分かってた」
目の端から、一筋だけ涙が落ちる。
「だって俺様だって、同じことしたから」
アイゼンがビジュゲイトを放ち、自分だけを逃がそうとしたあの日。
逃げろと言われた。一度は逃げた。それでも、戻った。だから分かっていた。自由になったアイゼンが拘束された恋人を残して一人で帰れるはずがないことを。
「……あいつは、自分で選んだ」
ザビーダが呟く。
「俺様を助けるって」
ミクリオはそこで初めて口を開いた。
「なら、それはアイゼンの選択だ」
ザビーダが見る。
「君の責任じゃない」
「でも俺様が――」
「君が戻ったことも、アイゼンが戻ったことも、それぞれが自分で選んだことだろう」
ミクリオの声は静かだったが、握られた拳には力が入っていた。
「それを利用できる状況を作った側の責任まで、君たちの選択に押しつけるのは違う」
「……」
「約束そのものは、守られたのかもしれない」
言葉を選ぶように、ゆっくり続ける。
「少なくとも、文面通りには」
ミクリオは《条件違反なし》の文字を見る。
「でも、君がその約束で守ろうとしたものは、アイゼンが生きて帰ることだった」
ザビーダの呼吸が止まる。
「拘束を外すこと自体が目的だったわけじゃない」
「……そうだな」
「そしてアイゼンにとっては、君を拘束したまま自分だけ自由になることが、君との約束を果たしたことには見えなかったんだろう」
ザビーダは俯いた。
長い沈黙のあと、ぽつりと言う。
「約束は守られた」
「うん」
「俺様が頼んだ通り、アイゼンは自由になった」
「うん」
「なのに」
そこで初めて、声が崩れた。
「何も守れなかった」
ミクリオは返事をしなかった。
できなかった。ザビーダが自分の胸元へ指を当てる。そこには、新しく選んだ真名がある。フィルクー=ザデヤ。
《約束のザビーダ》。
「……笑えるな」
「何が」
「俺様の名前」
涙が頬を伝っているのに、ザビーダは笑った。
「約束のザビーダ、だぜ」
一度、息を吸う。
「約束はちゃんと守られたのに」
笑い声が途中で震えた。
「何一つ守れなかった奴が、そんな名前なんだ」
「違う」
ミクリオの返事は早かった。
ザビーダが顔を上げる。
「何が違うんだよ」
「その名前を君が選んだ理由を、僕たちはまだ全部知らない」
「……」
「それに」
ミクリオは真っ直ぐザビーダを見た。
「一つの約束でアイゼンを救えなかったことと、君の名前の意味は同じじゃない」
ザビーダの目が揺れる。
「今日見つけた記録だけに、君の名前の意味を決めさせるな」
「……ミクリオ」
「あいつらが書いた《条件違反なし》なんて一文に、君が自分で選んだ名前まで渡す必要はない」
ザビーダはしばらく何も言わなかった。
それから唇を噛み、顔を伏せた。泣き声はほとんど出なかった。ただ、止めようともせずに涙を落とした。
***
施設を出た頃には、山の向こうへ日が傾き始めていた。冷たい風が吹き抜け、ザビーダの長い髪を揺らす。その瞬間、身体がわずかに強張った。けれど、すぐに分かる。ビジュゲイトではない。ただの山風だ。
「ミクリオ」
「何だ」
「俺様が術を使えなくなった理由」
ミクリオは持ち帰りを許可された記録へ目を落とした。
アイゼンの死後、ザビーダに対して行われた処置が残されている。
《高出力風術使用抑制》
《逃亡防止》
さらに古い記録を辿れば、それ以前のザビーダが高出力の風術を問題なく扱っていたことも確認できた。ビジュゲイトも、その一つだった。千年前には、使えていた。
「外部から君の霊力経路へ抑制を掛けられたこと自体は間違いない」
「じゃあ、それ取れば治る?」
「……それだけなら、もっと簡単だった」
ザビーダが横を見る。
「どういう意味?」
「抑制術式は、もうほとんど残っていない。千年も経っているから当然と言えば当然だけど」
「じゃあ、今閉じてんのは」
「分からない」
ミクリオは即座にそう答えた。
「外部術式が原因ではない可能性が高い。でも、それ以上はまだ推測だ」
ザビーダは自分の手を見つめる。
風が吹く。アイゼンの背中。逃げろ、という声。ビジュゲイト。戻った自分。自由になったアイゼン。赤。そして、重い音。
「身体が」
ザビーダが小さく言った。
「覚えちまったのかな」
ミクリオは少し考えたあと、首を振った。
「そうかもしれない。でも、まだ分からない」
「ほんと、お前そういうとこ頑固だな」
「分からないものを勝手に分かったことにはできない」
ザビーダがほんの少しだけ笑った。
「お前らしい」
「何が」
「そういうとこ」
ミクリオは答えず、記録を閉じた。
「調べよう」
「……うん」
「ただし、今日はもう終わりだ」
「まだいけるぜ?」
「君がいけるかどうかと、今日続けるべきかどうかは別の話だ」
「出たよ」
今度は、もう少しだけまともに笑えた。
二人で山を下りた。
***
その夜、ザビーダはなかなか眠れなかった。横になって目を閉じるたび、記録の文字よりも、そこには書かれていなかったものばかりが浮かんでくる。拘束の外れた音。立ち上がるアイゼン。あの時、自分が感じた安堵。――よかったな、アイゼン。お前は帰れるぜ。あの瞬間だけは、本当にそう思っていた。
だから余計に眠れなかった。しばらくして寝台を抜け出し、ミクリオの部屋の前まで行く。ノックをするまでにも少し時間がかかった。
「起きてる?」
「起きている」
「……入っていい?」
「ああ」
扉を開けると、ミクリオは読んでいた本を閉じた。
ザビーダは長椅子へ腰を下ろしたものの、何を言えばいいのか分からず、しばらく黙っていた。ミクリオも急かさない。やがてザビーダが小さく口を開いた。
「……なあ」
「うん」
「俺様さ」
言葉を探す。
「平気じゃなかったのかも」
ミクリオは何も言わなかった。
「何百年もさ。別に、とか、慣れてる、とか言ってたけど」
「うん」
「最初は」
ザビーダは膝を抱えた。
「耐えれば、アイゼンが助かると思ってたんだよな」
声が震え始める。
「嫌でも、終わるまで耐えりゃいいって。そうすりゃ、あいつは自由になれるって」
「……うん」
「実際、自由にはなった」
そこが、何より苦しかった。
「ちゃんと約束は守られたんだ」
ミクリオは黙っている。
「だから……俺様、覚えちまったのかな」
「何を?」
「耐えること」
ザビーダは自分の腕を抱いた。
「嫌でも、痛くても、考えなきゃいい。そのうち終わる。言われた通りにしてりゃいい」
一度、それで大切な誰かを助けられると信じた。
結果は違った。それでも、耐える方法だけは身体に残った。
「それで千年」
掠れた声で笑う。
「上手くなっちまったのかな」
「……慣れなくていい」
ザビーダが顔を上げた。
ミクリオは静かにこちらを見ていた。
「何?」
「君はもう、慣れなくていい」
「今さら?」
「今さらでも」
迷いのない返事だった。
「嫌なら嫌だと言っていい。触れられたくないなら、そう言えばいい。分からないなら、分からないと言えばいい」
ザビーダの目が揺れる。
「何かを耐えた先に、僕が助かる必要もない」
その言葉に、ザビーダの呼吸が止まった。
ミクリオは続ける。
「僕は君に、僕のために耐えてほしいとは思わない」
涙がまた落ちた。
「……そんなこと言われても」
「すぐできなくてもいい」
「俺様、もう千年やってんだぜ」
「なら、千年で覚えたものを一晩で捨てる必要もない」
ザビーダはしばらくミクリオを見ていた。
それから、鼻をすすり、小さく笑った。
「ほんっと、面倒くせえ男」
「知っている」
「そこ否定しろよ」
少しだけいつもの調子が戻った。
そのまましばらく黙ってから、ザビーダは長椅子へ身体を横たえた。
「……今日も」
「うん」
「寝るまで、いてくれねえ?」
「分かった」
ミクリオは何も尋ねなかった。
触れもしない。本を開き直し、ただ同じ部屋にいる。窓の外で、風が鳴った。ザビーダの身体が僅かに強張る。それでも、目を開けて逃げることはなかった。あの日、自分は何も感じなかったわけではない。平気だったわけでもない。耐えれば、大切な誰かが生きて帰れると信じていた。だから耐えた。
約束は守られた。アイゼンは本当に自由になった。そして自由になったアイゼンはその自由でザビーダを助けることを選んだ。それを止められなかった。責めることもできなかった。ただ、何も守れなかったという結果だけが残った。その後の千年、自分は「耐えること」に意味を求めるのをやめた。
終わるまで待てばいい。平気だと言えばいい。慣れていることにすればいい。そうやって生きてきた。ザビーダは目を閉じた。アイゼンの首が落ちた、あの重い音だけが、千年経った今も、どうしてか、まだ鮮明に残っていた。