一人称が「俺様」の褐色爆乳美女は好きですか? 作:ビジュゲイト推し
翌朝、中央聖寮への返答書はまだ机の上にあった。昨夜から一文字も増えていない。朝食を終えて書斎へ入ったミクリオはまずその紙を見る。
《中央研究区画への移管提案》
その下の返答欄は、空白のままだった。昨日、ザビーダに好きだと言った。そして、その直後にはここにいてほしいとも言った。だから今日、ザビーダがどんな答えを出しても、そこには自分の言葉が少なからず混ざってしまうのではないか。それが少し怖かった。
「ミクリオ」
扉の向こうから声がして、ミクリオは顔を上げる。
「入っていい?」
「ああ」
扉が開いた。寝起きというわけでもないらしく、ザビーダの髪は一応整っている。その手には、昨日の書類があった。
「それ」
「借りた」
「僕の机から?」
「置いてあったから」
「一言言え」
「今言った」
「事後報告を一言とは言わない」
ザビーダは笑って、机の前の椅子へ腰を下ろした。
「決めた」
その一言で、ミクリオの背筋が僅かに伸びる。
「……そうか」
「うん」
「聞いていい?」
「聞かなきゃ返事できねえだろ」
「それもそうだな」
ザビーダは書類を机に置き、指先で《移管》の文字を軽く叩いた。
「行かねえ」
胸が強く鳴った。
「……そうか」
「うん」
その答えだけで安心してしまったことを悟られたくなくて、ミクリオは少しだけ視線を落とす。
「理由を、聞いても?」
「聞きたい?」
「……聞きたい」
ザビーダが少し目を細めた。
「昨日あんなこと言ったから?」
先に聞かれてしまう前に、ミクリオが口を開く。
「僕が行ってほしくないと言ったからか」
「違う」
即答だった。
思わず顔を上げる。
「本当に?」
「そこ疑う?」
「疑っているわけじゃない。確認している」
「はいはい」
ザビーダは肩を竦めた。
「昨日のお前の告白」
「……ああ」
「それ聞いたから気ぃ遣って残るとかじゃねえよ。好きって言われたから、ご褒美にそばにいてやるとかでもねえ」
「それは嫌だな」
「俺様も嫌」
一度言葉を切ってから、ザビーダは書類へ視線を落とした。
「中央の設備、魅力はある」
「ああ」
「専門家も多いし、研究費も向こう持ち」
「そうだな」
「正直、研究だけ考えたらあっちの方がいいんじゃね?」
ミクリオは否定しなかった。
「その可能性は高い」
「だよな」
「だから余計に聞きたい。なぜ残る?」
ザビーダはすぐには答えなかった。
机、椅子、本棚、窓。いつの間にか見慣れた部屋を、ゆっくりと見回す。
「ここ、結構好きなんだよな」
ミクリオは黙って続きを待った。
「飯うめえし」
「母さんが聞いたら喜ぶ」
「昼寝してても怒られねえし」
「僕は少し怒る」
「何でだよ」
「君が僕の本を枕にするからだ」
「硬くてちょうどいいんだよ」
「本を枕にするな」
ザビーダが声を上げて笑う。
その笑いが落ち着いてから、何でもないことのように付け足した。
「あと、お前いるし」
ミクリオの思考が止まった。
「……」
「何その顔」
「いや」
「また何でもない?」
「……今回は、何でもなくはない」
「へえ」
妙に楽しそうにこちらを見るザビーダから目を逸らしそうになって、ミクリオは踏みとどまる。
「今のは、どういう意味だ」
「どういうって?」
「僕がいるから残る?」
「そう」
「それは……昨日の告白と関係があるのか」
ザビーダはしばらくミクリオの顔を見ていたが、やがて素直に首を傾げた。
「分かんねえ」
「分かった」
即座に返すと、ザビーダが吹き出す。
「便利だな、それ」
「便利だからな」
「ほんと覚えた言葉使い倒すよな」
「君が覚えた言葉だろう」
「お前も気に入ってんじゃん」
少し笑ったあと、ザビーダは自分の胸元へ手を置いた。
「恋愛かって聞かれたら、まだ分かんねえ」
「うん」
「お前に好きって言われて……嫌じゃなかった」
ミクリオは黙って待つ。
「むしろ、嬉しかった」
「……そうか」
「お前が俺様にいてほしいって言ったのも、嬉しかった」
昨日も似たことは聞いた。けれど今日は、その先があるらしい。
「で、今日起きてさ。中央行くとこ想像してみた」
「うん」
「設備のいい部屋で、知らねえ術師に毎日調べられて……多分、平気だと思う」
その言葉で、二人とも少し止まった。
平気。昨日、ザビーダがうまく言えなくなった言葉だ。本人も気づいたらしく、「あ」と小さく声を漏らす。それから少し考えて、言い直した。
「……できるとは思う。検査も受けられるし、知らねえ奴と話すのもできる。多分、向こうでも生活はできる」
「うん」
「でも、行きたいかって言われたら」
ザビーダが顔を上げる。
「行きたくねえ」
今度は迷いがなかった。
「俺様、ここにいたい」
胸の奥が熱くなる。
「ここに?」
「ああ」
「この家に?」
「うん」
「研究のためではなく?」
「それもあるけど」
「安全だから?」
「それもあるけど」
ミクリオは慎重に聞いた。
「なら、一番は?」
ザビーダが眉を上げる。
「聞くねえ」
「聞きたい」
「嫌なら答えなくていい、って言うんだろ」
「言おうと思っていた」
「そういう保険かけんのずるくね?」
「何が」
「答えたくなるじゃん」
「それは僕の責任か?」
「半分」
「また半分か」
少しだけ笑ってから、ザビーダは今度こそ視線を逸らさなかった。
「お前のそばにいたい」
静かな声だった。
たったそれだけなのに、ミクリオには昨日、自分がザビーダを好きだと認めた時よりもずっと大きく響いた。
「……そうか」
「それしか言えねえの?」
「今、かなり嬉しい」
ザビーダがにやりと笑う。
「顔に出てる」
「……そうか」
「めちゃくちゃ」
「なら仕方ない」
「諦めた?」
「ああ」
ミクリオも少し笑った。
***
返答書は、ザビーダ自身が書くことになった。
《移管提案を辞退》
その下の理由欄を前に、ザビーダは筆を持ったまま唸る。
「何て書く?」
ミクリオは答えなかった。
「お前なら何て書く?」
「僕に聞くな」
「そこも?」
「君の辞退理由だろう」
「ほんっと、全部自分で決めさせるなあ」
「嫌か?」
ザビーダは少し考えてから笑った。
「前よりは嫌じゃねえ。でもめんどい」
「それは否定しない」
「だろ」
ようやく筆を紙へ下ろす。
《現所有者の居所において研究継続を希望するため》
そこまで書いたところで、ザビーダの手が止まった。
「……これ」
「うん」
「所有者って書き方、ムカつくな」
「僕も嫌だ」
「でも正式書類だからな」
「ああ」
「じゃ、仕方ねえか」
少し考えて、その下にもう一行。
《本人希望による》
最後の文字を、少しだけ大きく書いた。
「よし」
ミクリオが覗き込む。
「いいと思う」
「そ?」
「ああ。君が決めたことだと分かる」
「ならいい」
ザビーダは満足そうに筆を置いた。
***
書類を提出しに行く途中、ミクリオはいつもより僅かにザビーダとの距離を空けて歩いていた。気づいたのはザビーダの方だった。
「なあ」
「何だ」
「お前、昨日からちょっと離れて歩いてね?」
ミクリオは一瞬言葉に詰まる。
「……気のせいだ」
「嘘つけ」
「……」
「何」
「別に」
「今それ、俺様でもあんま使わねえぞ」
ミクリオは観念したように息を吐いた。
「意識しているだけだ」
「何を?」
「君との距離を」
「何で」
声を少し落とす。
「僕が君を好きだと、自覚したから」
ザビーダが目を瞬いた。
「自覚したら離れんの?」
「僕が近づくことで、君に何か答えを求めているように思われたくない」
ザビーダは数秒黙ったあと、呆れたように言った。
「……お前、めんどくせえな」
「昨日も聞いた」
「今日も言う」
二人はまた歩き出す。
少し離れた距離を、ザビーダは横目で見た。昔なら、どうでもよかった。人が近いか遠いか、触るか触らないか。そんなものは相手が決めることで、自分が気にすることではなかった。けれど今は、その距離が少し気になる。
「ミクリオ」
「何だ」
ザビーダは手を差し出した。
ミクリオが足を止めて、その手を見る。
「……何だ?」
「手」
「見れば分かる」
「貸せよ」
「なぜ」
「理由いる?」
ミクリオは少し考え、それから首を振った。
「……いらない」
差し出された手を、ザビーダが取る。
指先が触れ、掌が重なった。ミクリオの手は思っていたより少し冷たかった。ザビーダが軽く握る。けれどミクリオはすぐには握り返してこない。
「お前」
「何」
「俺様が握ってんだから」
「うん」
「握り返していいぜ」
ミクリオは一瞬ためらった。
「……確認していい?」
「何」
「本当に?」
ザビーダが顔をしかめる。
「そこで聞く?」
「大事だ」
「いいよ」
ようやくミクリオの指が閉じて、掌を包む。
握られた感触を確かめながら、ザビーダは妙な気分になった。何百年、人に触られてきたか分からない。手も腕も身体も数えきれないほど、それなのに今、自分から触れて、触れ返してほしいと言った。ただそれだけのことが、どうしてこんなに違うのだろう。
「嫌か?」
ミクリオが聞く。
ザビーダは少しだけ自分の中を確かめた。
「いや」
「うん」
「もうちょい」
「何?」
「このまま」
ミクリオの表情が僅かに柔らかくなる。
「ああ」
二人はまた歩き出した。
今度は、離れない。
「これ」
ザビーダが前を向いたまま言う。
「恋人みてえだな」
ミクリオの足が僅かに乱れた。
「急に言うな!」
「何だよ」
「僕はまだ返事を求めていない!」
「分かってるって」
ザビーダは笑う。
「恋人になったとは言ってねえだろ。ただ……こういうの」
繋いだ手を、少しだけ強く握る。
ミクリオが横を見ると、ザビーダは僅かに照れたような顔で笑っていた。
「嫌じゃねえなって」
ミクリオはそれ以上何も聞かなかった。
ただ、握った手を離さなかった。
***
帰宅すると、ミューズが二人を見て「あら」と言った。それだけだった。けれどミクリオは反射的に手を離しかける。ザビーダが離さなかった。
「何」
小声で聞くと、ザビーダは一度「別に」と言いかけて止まった。
それから少し笑う。
「……いや。俺様がまだ繋いでたい」
ミクリオの耳が赤くなる。
「……そうか」
「うん」
ミューズは何も言わず台所へ戻っていった。
奥からミケルの声がする。
「何かあった?」
「何も」
「本当に?」
「本当に」
それだけのやり取りを聞いて、ザビーダが小さく笑った。
「何だよ」
「いや」
「また?」
「これは……」
少し考えて、今度はちゃんと言う。
「嬉しい」
ミクリオも笑った。
「僕もだ」
返事は、まだ分からない。
これが恋なのかも、まだ分からない。けれど中央へは行かない。ここにいる。ミクリオのそばにいたいと思う。手を繋ぎたいとも思う。今分かるのは、それだけだった。そして今のザビーダには、それで十分だった。