※この作品はR-18です。

一人称が「俺様」の褐色爆乳美女は好きですか?   作:ビジュゲイト推し

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今は今のこと

市場へ出たのは、特に用事があったからではなかった。研究用の紙と、ミクリオが切らしかけていたインク。それから自分用に、何か甘いものでも買おうかと思っただけだ。最近は一人で出歩くことにも慣れてきた。財布を持って、好きな店を見て、欲しいものがあれば買う。誰かに許可を取る必要はないし、帰る時間も自分で決められる。

 

そういうことを、一つずつ覚えている途中だった。

「……ん?」

菓子屋の前で立ち止まった時、聞き覚えのある声がした。

「やっぱザビーダじゃん」

振り向く。

 

男が一人、こちらへ歩いてくる。顔を見て、少しだけ考えた。

 

「あー……」

「忘れた?」

「いや、見覚えはある」

「ひでえな」

男は笑った。

 

昔の客だった。名前までは覚えていない。何度来たかも、いつ頃だったかも曖昧だ。ただ、顔を見れば「あの店に来ていた人間だ」ということだけは分かる。嫌な相手だった記憶もない。むしろ、あの頃の基準なら扱いやすい方だった気がする。

 

「まだミクリオ特等のところ?」

「ああ」

「へえ。長いな」

「そう?」

「お前、あちこち移ってたじゃん」

言われてみればそうだった。

所有者が変わったことも、置かれる場所が変わったことも、一々数えていない。どれも似たようなものだったから、男はザビーダの顔を見て、少し笑った。

「前より顔色いいな」

「そうか?」

「店いた頃、もっと眠そうだっただろ」

「覚えてねえ」

「お前いっつもそう言うな」

悪意のない笑い方だった。

だからザビーダも普通に笑った。

「まあ、元気ならいいけどさ」

「おう」

そこで別れれば、それで終わるはずだった。

けれど男は何かを思い出したように振り返った。

「そうだ、ちょっとこっち来いよ」

言いながら、ザビーダの手首を掴んだ。

 

昔なら。多分、そのままついていった。どこへ行くのか聞くことすらしなかったかもしれない。掴まれること自体、珍しくもなかった。だから、ザビーダ自身にも、何が起きたのか分からなかった。

 

「――触んな」

腕が動いた。

 

考えるより先に強く振り払う。ぱし、と乾いた音がして、男の手が離れた。二人とも止まった。

 

「……え?」

男が目を丸くする。

 

ザビーダも自分の手を見た。心臓が妙に速い。掴まれていた手首が、まだそこだけ熱いような気がする。

 

「何だよ」

男が困ったように笑った。

「前は平気だったじゃん」

その言葉に、胸の奥がざわついた。

 

平気。また、その言葉だ。

 

「……知らねえ」

「何が?」

「今の」

ザビーダは手首を押さえた。

 

嫌だった。そう思う。でも、いつから?昔から?それとも今だけ?分からない。だから、分からないまま言った。

 

「今のは、嫌だった」

男の顔から笑いが消えた。

「……ああ、そう」

少し気まずそうに手を上げる。

「悪かった」

「ん」

「連れてこうとしただけなんだけど」

「分かってる」

「そういうつもりじゃなくて」

「それも分かってる」

男は少しだけ困った顔をしたあと、素直に一歩下がった。

「じゃあ、もう触らない」

「……おう」

「悪かったな」

もう一度そう言って、今度こそ男は去っていった。

 

ザビーダはしばらく、その場に立ったままだった。手首を見る。何も残っていない。痛くもない。けれど。

 

「……嫌だったんだな」

小さく呟く。

 

自分で言った言葉なのに、妙に重かった。昔なら、掴まれても平気だった。少なくとも、そういうことにしていた。今は、違った。

 

***

 

帰宅すると、ミクリオは書斎にいた。最近ずっとそうだ。机の上には研究資料が積み上がり、その横にはザビーダが贈った筆がある。

 

「ただいま」

「おかえり」

ミクリオは書類から顔を上げる。

「買えた?」

「紙とインク。あと菓子」

「菓子?」

「俺様の」

「そうか」

「お前にも一個やる」

「ありがとう」

ザビーダは買ったものを机に置いたあと、そのまま椅子へ座った。

ミクリオが少し首を傾げる。

「何かあった?」

「何で分かんの」

「顔」

「俺様そんな分かりやすい?」

「最近は」

「前は?」

「全部笑っていたから分かりにくかった」

ザビーダは少し黙った。

「……そっか」

それから、自分の手首を見た。

「今日さ」

「うん」

「昔の客に会った」

ミクリオの表情が僅かに固くなる。

「何をされた?」

「いや、そんな怖い顔すんなって。別に大したことじゃねえよ」

言って、止まった。

「……別に、じゃねえな」

ミクリオは何も言わない。

 

急かさない。ザビーダは続けた。

 

「手、掴まれた」

「手首?」

「ああ。ちょっとこっち来いって」

「それで?」

「振り払った」

ミクリオが少し目を見開く。

「君が?」

「俺様が」

「……そうか」

「自分でもびっくりした」

ザビーダは笑おうとしたが、あまりうまくいかなかった。

「考える前に身体動いたんだよ。触んな、って」

ミクリオは静かに聞いた。

「嫌だった?」

ザビーダはすぐには答えなかった。

 

少しだけ自分の中を確かめる。さっきの感覚。掴まれた瞬間のざわつき。離れたいと思ったこと。

 

「……ああ」

今度は、はっきり言えた。

「嫌だった」

「そうか」

「前は平気だったのにな」

「前も本当に平気だったかは、今の僕には分からない」

「俺様にも分かんねえ」

「なら、今は今のことだけでいいんじゃないか」

ザビーダが顔を上げる。

「今?」

「今日、触られて嫌だった。それは分かったんだろう」

「ああ」

「なら、それで十分だ」

ザビーダは少し笑った。

「お前、最近『十分』ってよく言うな」

「君が何でも全部分かろうとするからだ」

「研究者サマに言われたくねえ」

「僕は分からないものを分からないと記録している」

「そこ自慢するとこ?」

「大事だ」

ザビーダは笑った。

 

少しだけ胸のざわつきが軽くなる。それから、ふとミクリオの手を見た。机の上。筆を持っていた手。ザビーダは少し迷ってから、その手に自分の指を触れさせた。ミクリオが止まる。

 

「……ザビーダ?」

「ん」

そのまま、手を取る。

 

今回は、迷わない。掌を重ねて、自分から握った。ミクリオはすぐには握り返さなかった。いつものように待っている。

 

「握っていい」

「……本当に?」

「いいって」

ようやく指が閉じる。

 

ミクリオの手が自分の手を包む。さっき。あの男に掴まれた時は、身体が勝手に拒んだ。でも、今は、むしろ落ち着く。ザビーダは繋いだ手を見ながら、少し考えた。

 

「これ」

「何だ」

「これは平気」

言った瞬間、違うと思った。

「あー……いや」

「何?」

「また平気って言った」

ミクリオが少しだけ笑う。

「言ったな」

「違うんだよな」

「何が」

ザビーダはミクリオの手を、少し強く握った。

「平気だから触ってるんじゃねえ」

「……」

「俺様が触りたい」

ミクリオの顔が、分かりやすく赤くなる。

 

「ミク坊」

「何だ」

「また固まってる」

「君がそういうことを急に言うからだ!」

「だって事実じゃん」

「僕が君を好きだと知っているだろう!」

「知ってるよ」

ザビーダは少し笑った。

「でも、今のはお前を喜ばせようと思って言ったんじゃねえぞ」

「……分かってる」

「俺様がそう思ったから言った」

ミクリオは何も言わなくなった。

 

その代わり、繋いだ手に少しだけ力が入る。ザビーダも離さない。

 

「何かさ」

「うん」

「他の奴に触られんのは嫌だったのに、お前には触りてえんだよな」

「……」

「変じゃね?」

ミクリオは少し考えたあと、首を振った。

「変ではないと思う」

「そう?」

「誰に触れられても同じでなければならない理由がない」

「まあ、それはそうか」

「君が決めていい」

「またそれ」

「大事だからな」

ザビーダは笑って、少しだけ椅子を近づけた。

 

肩が触れる。今度はミクリオも離れなかった。

 

「なあ、ミク坊」

「何だ」

「俺様、ちょっとずつ面倒になってね?」

「何が?」

「誰でもいい、何でもいい、平気、別に。そういうので済まなくなってきた」

ミクリオは一瞬だけ黙って、それから言った。

「僕はその方がいいと思う」

「何で」

「君が君のことを決めているから」

ザビーダはその言葉をしばらく聞いていた。

「……そっか」

昔は、誰に触れられても同じだった。

 

正確には、同じことにしていた。嫌かどうかを考えない。相手を選ばない。自分の身体を、自分のものとして扱わない。そうすれば楽だった。今は違う。触られたくない人がいる。触れてほしい人がいる。自分から触れたい人もいる。面倒だった。でも。

 

「……悪くねえな」

「何が」

ザビーダはミクリオの肩へ寄りかかった。

「こういう面倒」

ミクリオが少し笑う。

「ああ」

「ミク坊は?」

「僕も悪くない」

「そっか」

そのまま、しばらく手を繋いでいた。

 

今度は、平気だからではなく、そうしたかったから。

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