一人称が「俺様」の褐色爆乳美女は好きですか? 作:ビジュゲイト推し
その夜、ザビーダはまたミクリオの書斎にいた。特に用事はない。研究の話をするでもなく、資料を読むでもなく、長椅子に座ってミクリオが仕事をしているのを眺めているだけだった。少し前までなら、そんな時間に意味を求めていた気がする。何か手伝うことはあるか。自分にできることはあるか。ここにいて役に立つのか。
今はもう、何もしなくてもいいらしいと知っている。
「ミク坊」
「何だ」
「まだ終わんねえの?」
「あと少し」
「それ信用ねえって言ったよな」
「今日は本当だ」
「毎回言ってんなあ」
ザビーダは笑いながら立ち上がり、机の横まで歩いていった。
ミクリオの手元を覗き込む。
「何書いてんの?」
「次の検査項目。高出力術式を使う必要はないが、どこまで霊力を流すと閉塞が起きるかはもう少し細かく見たい」
「ふうん」
「興味なさそうだな」
「俺様のことだから興味はあるけど、字が多い」
「君も読め」
「やだ」そう言いながら、ザビーダはミクリオの肩へ軽く寄りかかった。
もう、これくらいならいちいち考えなくなってきた。
ミクリオも最初ほど固まらなくなった。少しだけ姿勢を調整して、ザビーダが寄りかかりやすいようにしてくれる。それが妙に嬉しい。
「慣れたな」
ザビーダが言うと、ミクリオが怪訝そうに顔を上げた。
「何が」
「俺様がくっついてても固まんなくなった」
「毎回固まっていたら仕事にならない」
「好きな女がくっついてんのに?」
「……今それを言う必要があるか?」
「顔赤い」
「うるさい」
ザビーダは肩を揺らして笑った。
そのまま、机の上に置かれていたミクリオの左手へ目が止まる。少し考えてから、自分の指を重ねた。ミクリオがこちらを見る。
「何だ」
「別に」
言ってから、ザビーダはすぐ笑った。
「……いや。触りたくなった」
「そうか」
最近のミクリオはこういう時に余計なことを聞かなくなった。
それでも手は勝手に握り返してこない。ザビーダが指を絡めると、そこで初めて少し力が返ってくる。
「ミク坊の手、冷てえな」
「君の方が温かいだけだ」
「そう?」
何となくその手を両手で包んだ。
指先を弄る。節をなぞる。掌を重ねて、大きさを比べる。
「やっぱ俺様よりでけえな」
「僕の方が手は大きいだろう」
「まあな」
何気ない会話だった。
ただ、それだけのはずだった。なのに、ふと同じような感触を、知っている気がした。
「……」
ザビーダの指が止まる。
ミクリオがすぐ気づいた。
「どうした?」
返事をしようとして、できなかった。
今、何か。非常に遠いところから、一瞬だけ浮かんだ。大きな手。自分より少し骨張っていて、傷があって、その手を自分が掴んでいる。
『お前、手ぇでけえな』
自分の声。
もっと昔の自分が笑っている。
『今さら何だ』
低い声が返ってくる。
『いや、改めて見るとでけえなって』
『お前が小さいんだろ』
『俺様のどこが小せえって?』
『……そういう言い方をするな』
呆れた声。
でも、嫌そうではない。むしろ、少し笑っている。
「……あ」
ザビーダの口から声が漏れた。
現在へ戻る。ミクリオの手を、まだ握っている。
「ザビーダ?」
「……何か」
「思い出した?」
問いかけは静かだった。
ザビーダはすぐに答えず、もう一度自分の中を探した。声。手。笑い。それ以上は、出てこない。でも、誰だったかは、分かった。
「……アイゼン」
ミクリオの表情が少し変わる。
けれど何も言わず、続きを待つ。
「昔さ」
ザビーダは繋いだ手を見たまま言った。
「俺様、あいつの手もこうやって弄ってたみたいだ」
「そうか」
「何か、急に出てきた」
「他には?」
「んー……」
少し考える。
「俺様が手でけえなって言ってた」
「うん」
「アイゼンが俺様の手が小さいだけだって」
ザビーダは小さく笑った。
「それで俺様が下ネタに持ってって、あいつが呆れてた」
ミクリオも僅かに笑う。
「君らしいな」
「だろ?」
笑えた。
それが少し嬉しかった。アイゼンを思い出すことが、全部痛いわけではない。あの日の記録を読んでから、名前を思い出すだけで胸が締めつけられることもあった。首を落とされた、という断片が一緒に浮かぶこともある。でも今戻ってきたのは、それとは違う。ただ手を触って、くだらないことを言って、一緒に笑っていた記憶。
「……俺様」
ザビーダが呟く。
「何?」
「昔も、こうしてたんだな」
「こうして?」
ザビーダはミクリオの手を少し持ち上げた。
「好きな奴の手、勝手に触って」
ミクリオが固まった。
今度は分かりやすく。
「……」
「何」
「いや」
「何だよ」
「今、かなり重要なことを言わなかったか?」
「何が?」
「好きな人にもこうしていた、と」
「言ったけど」
ミクリオは黙る。
ザビーダはそこでようやく、自分の言葉を少し考え直した。好きだった。アイゼンをそれはもう、ほとんど疑っていない。あの男を助けるために、自分の身体を差し出すことを選んだ。その選択が正しかったとか、愚かだったとか、そういうことではなく、助けたかった。生きていてほしかった。
その理由は。
「……好きだったんだろうな」
ザビーダがぽつりと言う。
ミクリオは何も挟まない。
「アイゼンのこと」
「ああ」
「まだ全部思い出したわけじゃねえけど」
指先で、ミクリオの掌をなぞる。
「こういうの、してた」
触りたいと思った。
触れ返してほしいと思った。自分から隣に行った。それが客といる時の記憶とは、明らかに違う。
「俺様」
少し笑う。
「ちゃんと知ってたんだな」
「何を?」
「好きな奴に、自分から触りてえって思うの」
言ってから、ザビーダは止まった。
ミクリオも止まる。二人の間に、妙な沈黙が落ちた。
「……」
「……」
ザビーダがゆっくり顔を上げる。
ミクリオと目が合う。
「ミク坊」
「何だ」
「今の」
「うん」
「何か」
言葉を探す。
ものすごく。嫌な予感がする。いや、嫌ではない。むしろ、答えが見えそうで、怖い。
「……いや」
ザビーダは逃げるように笑った。
「今日は考えんのやめる」
ミクリオが少しだけ眉を下げる。
「そうか」
「追及しねえの?」
「君が今は考えたくないと言ったからな」
「そういうとこほんとミク坊だよな」
「どういう意味だ」
「褒めてる」
「本当に?」
「多分」
ザビーダは笑って、また肩へ頭を預けた。
手は離さない。ミクリオも握ったままにしている。少ししてから、ミクリオが言った。
「思い出せてよかったな」
ザビーダはしばらく黙っていた。
それから、小さく答える。
「ああ」
本当にそう思った。
アイゼンとの記憶は、死んだ瞬間だけではなかった。助けられなかった記憶だけでもない。笑ったことがある。触れたことがある。好きだった。自分から近づいた。そんな自分が確かにいた。
「なあ、ミク坊」
「何だ」
「アイゼンのこと思い出してんの、嫌?」
ミクリオが少し驚いたように見る。
「なぜ?」
「お前、俺様のこと好きなんだろ」
「ああ」
即答だった。
「だから、元の男の話とか」
「……嫉妬しないと言えば嘘になる」
ザビーダが目を丸くする。
「するんだ?」
「する」
「へえ」
「そんなに嬉しそうにするな」
「いや、ミク坊も普通の男だなって」
「どういう意味だ!」
ザビーダは笑った。
ミクリオも少し不満そうにしながら、それでも手を離さない。
「でも」
少しして、ミクリオは続けた。
「君が幸せだった記憶まで、僕が嫌がる理由はない」
ザビーダの笑いが止まる。
「……」
「それは君のものだろう」
またそういうことを何でもないように言う。ザビーダは少しだけ目を伏せた。
「そっか」
「ああ」
「じゃあ」
繋いだ手を、もう少しだけ強く握る。
「思い出したら、また話すかも」
「聞かせたいなら」
「うん」
「聞く」
ザビーダは少し笑った。
昔、好きだった人にもこうしていた。そして今、また自分から誰かの手を握っている。それが何を意味するのか。まだ、答えにはしなかった。ただ、もう答えの輪郭くらいは、見え始めていた。