一人称が「俺様」の褐色爆乳美女は好きですか? 作:ビジュゲイト推し
恋人になって数日後、ザビーダの術式訓練は、思っていたよりずっと順調に進み始めた。最初の変化は、あまりにも呆気なかった。
「じゃあ、今日はここまでに――」
「待て、ミク坊」
訓練場の中央で、ザビーダが自分の左手を見ていた。
聖寮の研究区画に併設された、小規模な術式試験場。周囲には防護術式が張られ、少々強い風を起こしても外へ影響が出ないようになっている。ミクリオは測定器から顔を上げた。
「どうした?」
「もう一回やっていい?」
「疲れてない?」
「まだいける。つーか今、何か分かりそう」
以前なら「平気」と答えていたところだ。
最近のザビーダは少し考えてから答えるようになった。ミクリオもそれを指摘しない。ただ測定結果を確認してから頷く。
「分かった。でも次で一度休憩する」
「はいはい」
ザビーダは前を向いた。
試験用に置かれた木製の標的まで、およそ十歩。手を伸ばし、呼吸を整える。霊力はある。それはもう分かっている。身体の中には、自分が千年間ほとんど忘れていたほど大量の力が残っている。以前は、その力を術式へ流そうとすると途中で経路が閉じた。けれど最近。少しずつ閉じなくなってきた。
「――ウィンドランス」
風が集まった。
長い銀髪が後ろへ靡き、緑がかった毛先が鋭く跳ねる。豊満な胸へ巻いたサラシも、放たれた風を受けて強く鳴った。
一瞬だった。圧縮された風が一本の槍のように形を取り、伸ばした褐色の腕の先から真正面へ走る。木製の標的が大きく揺れた。ザビーダは琥珀色の目を見開く。
「……え」
ミクリオも測定器を見たまま固まっていた。
「ミク坊」
「待って」
「出たよな?」
「待ってくれ」
「いや出たって!」
「分かっている!」
ミクリオが測定結果へ顔を近づける。
ザビーダは自分の手を見る。残っている。まだ、指先に風の感触がある。弱々しく空気を動かすだけではない。術だった。自分が狙って、組んで、放った。
「……俺様」
思わず笑いが漏れる。
「使えたじゃん」
ミクリオがようやく顔を上げた。
「ああ」
その表情がザビーダ以上に嬉しそうだった。
「完全に成立している。途中の閉塞もない」
「マジ?」
「ああ。霊力消費も問題ない。むしろ余裕がある」
「もう一回」
「休憩」
「今ので疲れてねえよ」
「そういう問題じゃない」
「ミク坊!」
「さっき自分で次で休むと言っただろう」
「言ったのお前じゃん!」
「君も返事をした!」
渋々、ザビーダは訓練場の端へ戻った。
けれど顔はどうしても緩む。椅子へ座ると、ミクリオが水を渡してきた。
「そんな嬉しい?」
聞かれて、ザビーダは少し考える。
「ああ」
今度は迷わなかった。
「嬉しい」
水を一口飲んで、もう一度自分の手を見る。
「ずっとさ。もう使えねえもんだと思ってたから」
「うん」
「役に立たなくなったから、あそこに回されたんだって思ってた」
供用聖隷。
戦闘にも作業にも向かないから、別の用途へそう記録されていた。
「でも違ったんだな」
「少なくとも、力そのものを失ったわけではなかった」
「うん」
ザビーダは指先へほんの少し風を集めた。
小さな渦。今度は簡単にできる。
「まだあったんだ」
その言葉に、ミクリオは静かに頷いた。
***
そこからの回復は、驚くほど早かった。翌週にはディバイドヒートが成立した。ザビーダを中心として、前後へ鋭い熱を帯びた風が走る。術式が消えたあと、ザビーダは髪を掻き上げながら笑った。
「これもいけた」
「待って。今記録してる」
「研究者サマ、最近そればっか」
「君が次々成功させるからだろう」
「褒めろよ」
「褒めてる!」
「記録しか見てねえじゃん」
ミクリオはようやく紙から顔を上げた。
「……すごいと思っている」
「もっと」
「調子に乗るな」
「恋人なんだからサービスしろよ」
「恋人であることと研究評価は別だ!」
ザビーダが笑う。
こういうやり取りができることも、今は楽しかった。訓練そのものも、以前なら、誰かに「術を出せ」と言われれば試しただけだった。今は違う。今日はどこまでやりたいか。次の術を試したいか。疲れているか。怖いか。一つずつ聞かれる。そして自分も一つずつ答える。やりたい。今日はここまで、もう一回。
今のは少し怖い。それで訓練の内容が変わる。自分の身体なのだから、本来は当たり前のことだったのかもしれない。けれどザビーダには、その当たり前が妙に新鮮だった。
***
「ホライゾンストーム?」
次の候補を聞いた時だけは、ザビーダも少し眉を上げた。
「一段上げすぎじゃね?」
「僕もそう思う」
ミクリオは研究記録を見せる。
「ただ、今の閉塞が単純に出力依存なのか確認したい。無理に成功させる必要はない。形成途中で違和感があれば中止」
「なるほどねえ」
ザビーダは紙を覗き込んだ。
「これ成功したら?」
「かなり大きい」
「俺様すげえ?」
「元々すごい霊力だとは言っている」
「そういう意味じゃなくてさ」
「……成功したら、今日は君の好きな店で夕食を奢る」
「よし、やる」
「報酬で術を使うな!」
「俺様がやりたいっつってんだからいいだろ?」
それを言われると、ミクリオは弱い。
「……無理はしないこと」
「分かってる」
試験場へ立つ。
今までより広く防護術式を張り直してある。ザビーダは一度深く息を吸った。霊力を集める。大量に以前なら、ここで経路が狭くなった。でも、流れる。身体の奥から力が上がってくる。風になる。術式へ入る。怖くない。
「――ホライゾンストーム!」
風が爆ぜた。
渦巻く風が訓練場を横切り、複数の標的を巻き込む。防護術式が低く唸った。ザビーダ自身も、思わず一歩下がるほどの風圧だった。そして、静かになる。
「……」
「……」
ザビーダが先にミクリオを見た。
ミクリオもこちらを見ている。
「ミク坊」
「……成功」
「だよな?」
「ああ」
ザビーダは両手を上げた。
「っしゃ!」
声が訓練場へ響く。
ミクリオが笑った。
「本当に君、嬉しそうだな」
「そりゃ嬉しいだろ!」
ザビーダはそのままミクリオのところまで歩いていき、勢いのまま抱きついた。
「おい、飯な!」
「分かってる!」
「高い肉!」
「好きな店と言っただけだ!」
「そこ高い肉あるから!」
「最初から狙ってたな!?」
笑いながらも、ミクリオは腕を回してくれる。
ザビーダはその肩へ顔を押しつけた。術が使えたことが嬉しい。それを一緒に喜んでくれる人がいることも、嬉しい。
「……ミク坊」
「何だ」
「俺様、結構戻ってきた?」
「かなり」
「そっか」
その言葉を聞きたかった。
ザビーダはもう一度、少しだけ強く抱きしめた。
***
数日後。エドナにも、訓練結果を見せることになった。
「ホライゾンストームまで?」
記録を見たエドナが珍しく素直に驚いた。
「おう」
ザビーダは得意げに胸を張る。
「どうよ、エドナちゃん」
「ちゃん付けしないで」
「相変わらずだねえ」
「アンタもね」
エドナはもう一度記録を読む。
以前とは違って、ミクリオへの警戒もかなり薄くなっている。なくなったわけではない。ただ、ミクリオが何をする人間なのか、少しずつ見てきた結果らしい。
「……まあ」
エドナが紙を戻す。
「そこまで使えるなら、大分戻ったんじゃない?」
「昔の俺様もこのくらい?」
「もっと無茶してた気もするけど」
「褒めてる?」
「褒めてない」
ザビーダは笑った。
「でも」
エドナが続ける。
「ビジュゲイトは?」
笑いが止まった。
ほんの少しミクリオがこちらを見る。ザビーダはそれに気づいて、自分の中を確認した。怖い。名前を聞いただけなら、以前ほどではない。でも、術式を自分で組むことを想像すると、胸の奥が固くなる。
「……まだ」
答える。
「そう」
エドナはそれだけだった。
「何だよ。『昔のアンタならその程度』とか言わねえの?」
「言ってほしい?」
「いや」
「じゃあ言わない」
「そっか」
エドナは少しだけ目を細めた。
「別に、一個使えないくらいでアンタじゃなくなるわけじゃないでしょ」
ザビーダは少し黙った。
「……エドナちゃん、たまに優しいな」
「うるさい」
「痛っ!」
脛を蹴られた。
ミクリオが横で小さく笑った。
***
それでも、ザビーダ自身が、試してみたいと言った。
「本当に?」
訓練場でミクリオが確認する。
「ああ」
「エドナに言われたから?」
「違う」
「他の術が成功したから、これも成功させなければと思っている?」
「それも違う」
ザビーダは少し考えた。
「……今なら、どこまで行けるか知りたい」
ミクリオはしばらくこちらを見てから頷く。
「分かった」
防護術式。
測定器。いつも通り。なのに、ザビーダには、訓練場が少し狭くなったように感じた。
目を閉じる。霊力を集める。ここまでは平気。術式を組む。
「幻影、双霊――」
風が集まる。大丈夫。次。形が見える。二つ。風。何か。交差する。その瞬間。
『逃げろ』
息が止まった。
視界の端に赤。落ちるもの。風。誰かの背中。
「……っ」
霊力経路が閉じた。
集めた力が一気に散る。術式は完成しない。風だけが、力なく床を撫でた。
「ザビーダ」
ミクリオの声。
現在。訓練場。ミクリオ。生きている。ザビーダは一度大きく息を吸った。
「……失敗」
「うん」
「もう一回」
「今はやめよう」
「まだいける」
「ザビーダ」
声は強くない。
ただ、まっすぐだった。
「今、怖かった?」
ザビーダは黙る。
昔なら、平気と言った。今は。
「……怖かった」
「なら今日は終わり」
「でも」
「ビジュゲイトを今日使えるようにする必要はない」
ザビーダは唇を噛んだ。
悔しい。それは本当だった。ホライゾンストームまで使えた。霊力だって足りている。なのに、これだけ。
「難しい術だからじゃねえよな」
「違うと思う」
ミクリオは測定結果を見る。
「術式形成自体は正常だった。霊力も十分。閉塞が起きたのは……以前とほぼ同じ場所」
「完成直前」
「ああ」
「……分かりやす」
ザビーダは苦笑した。
ビジュゲイトだけ、身体が拒んでいる。
***
その日の帰り道。二人は手を繋いで歩いた。ザビーダの方から取った。ミクリオも何も言わず握り返す。
「ミク坊」
「何だ」
「俺様、結構強かったんだな」
「ああ」
「ホライゾンストーム出せたし」
「かなり強いと思う」
「ビジュゲイトは出ねえけど」
ミクリオは少しだけ考えてから言った。
「それと君が強いことは、別の話だろう」
ザビーダが横を見る。
「そう?」
「ああ」
「でもさ」
繋いだ手を見る。
「一個だけ使えねえって、なんか悔しいじゃん」
「悔しいのは止めない」
「止めねえんだ」
「感情まで僕が決めるのか?」
「そりゃそうだ」
「ただ」
ミクリオは前を向いたまま続ける。
「使えない自分は駄目だ、とは思わないでほしい」
ザビーダは少し笑った。
「注文多いな、恋人」
「希望だ」
「強い?」
「かなり」
「はいはい」
少し歩く。
風が吹いた。ザビーダは空いている方の手を上げ、指先へ風を集めてみる。簡単に応える。昔のようにいや。昔そのものではない。今の自分の風。
「なあ」
「うん」
「今日、肉だよな」
「ホライゾンストーム成功祝いはもうしただろう!」
「ビジュゲイト失敗慰め会」
「そんなものはない」
「恋人なんだから慰めろよ」
「それなら」
ミクリオが繋いだ手を少し持ち上げる。
「帰ったら、君がしたいだけ一緒にいる」
ザビーダは一瞬黙った。
「……それ」
「何?」
「肉よりいいかも」
「本当に?」
「いや、肉も食う」
「結局食べるのか!」
笑いながら、ザビーダは手を離さなかった。
ビジュゲイトは使えない。それでも、ウィンドランスが使える。ディバイドヒートも、ホライゾンストームも、自分の中には、まだこんなに風がある。一つ使えない術があるからといって、自分の全部が失われているわけではない。そのことをようやく、少しずつ信じられるようになっていた。