一人称が「俺様」の褐色爆乳美女は好きですか? 作:ビジュゲイト推し
ビジュゲイトの訓練を、ミクリオはしばらく再開しなかった。ザビーダも最初の数日は何も言わなかった。ウィンドランスもディバイドヒートも使えるし、ホライゾンストームまで安定してきている。任務に同行しても、以前のように「術が使えないから守られるだけ」ということはもうない。
それでも、訓練記録の一番下には、ずっと同じ文字が残っていた。
《ビジュゲイト:完成直前に経路閉塞》
見るたびに、少し腹が立つ。だからある日、ザビーダは書斎で研究記録を整理していたミクリオの机を指で叩いた。
「なあ、ミク坊」
「何だ」
「次、いつやる?」
ミクリオの筆が止まる。
「何を?」
「分かってんだろ。ビジュゲイト」
少しの沈黙。
ミクリオは筆を置いて、椅子ごとザビーダの方へ向き直った。
「当面やらない」
「……は?」
「ビジュゲイトの再現訓練は中止する」
ザビーダは思わず眉を寄せた。
「何で」
「必要性がないから」
「必要性って」
「今の君は戦闘に必要な風術を複数使える。日常的な風の操作にも問題はない。霊力総量も十分で、他の高出力術式も成立している。ビジュゲイトを使えなければ生活や任務に支障が出る、という状態ではもうない」
あまりにも事務的に言われて、ザビーダは一瞬言葉に詰まった。
「いや、そうだけど」
「なら、無理にやる理由はない」
「原因調べてたんじゃねえの?」
「調べることと、君に何度も発動を試させることは別だ」
ミクリオは机の上の記録を一枚取った。
「僕たちはもう、ビジュゲイトに限って強い閉塞が起きることを確認した。アイゼンの記録との関連も、少なくとも疑うだけの材料はある。これ以上、君が怖がる状態で同じ刺激を繰り返しても、情報が増える保証はない」
「でも、そのうち慣れるかもしんねえだろ」
言った瞬間、ザビーダ自身が少し嫌な顔をした。
ミクリオも気づく。
「……今のは」
「うん。俺様も言ってから嫌だった」
慣れる。
ずっと使ってきた言葉。痛くても、嫌でも、怖くても、繰り返せばそのうち何も感じなくなる。それを自分に求めるのは、今は少し違う気がした。
「じゃあ、何て言えばいいかな」
「慣れる必要がある?」
ザビーダは黙った。
ミクリオは続ける。
「君はビジュゲイトを使いたい?」
「……使えるようにはなりたい」
「なぜ?」
「何でって」
答えようとして、止まる。
使えるようになったら嬉しい。それは本当。でも、なぜ嬉しい?昔の自分に戻れる気がするから、一個だけ使えないのが悔しいから、自分がまだ壊れている証拠みたいで嫌だから、そこまで考えて、ザビーダは顔をしかめた。
「……意地かも」
「うん」
「他が戻ってんのに、これだけ駄目ってのが気に食わねえ」
「それは分かる」
「あと」
少し迷う。
「使えたら、全部戻ったって言える気がする」
ミクリオはすぐには答えなかった。
「全部戻る必要がある?」
「……」
「昔の君と完全に同じにならなければ駄目?」
その言い方に、ザビーダは目を細める。
「別に、そういうわけじゃ」
「なら」
ミクリオは穏やかに言った。
「使えなくてもいいんじゃないか」
あまりにも簡単に言われた。
ザビーダは少し呆然とする。
「……いいの?」
「何が」
「ビジュゲイト、一生使えなくても」
「君が困らないなら」
「本当に?」
「僕がなぜ困るんだ」
「研究してたじゃん」
「研究対象を治すために研究しているわけじゃない」
「じゃあ何のためだよ」
ミクリオは少し考えた。
「君が知りたいと言ったから」
それだけだった。
ザビーダは黙る。
「君が、自分の身体に何が起きているのか知りたいと言った。それで調べた。途中から僕自身も興味を持ったのは事実だけど、だからといって君を実験のために使うつもりはない」
「……研究者サマのくせに」
「研究者だからだ」
「そこ威張る?」
「大事だろう」
ザビーダは小さく笑った。
けれど、胸の奥はまだざわついている。
「じゃあさ」
「うん」
「俺様がもう二度とビジュゲイト使わなくても」
「うん」
「それでもいい?」
「ああ」
「昔の俺様より弱くても?」
「その比較に意味がある?」
「あるかもしれねえじゃん」
「僕は今の君が好きなんだ」
あまりにも自然に返されて、ザビーダは止まった。
「……ミク坊」
「何だ」
「そういうの急に入れんなよ」
「聞かれたから答えただけだ!」
「俺様、今ちょっと真面目に落ち込んでたんだけど」
「だから真面目に答えた」
「余計効くんだよ!」
ミクリオは少し困った顔をした。
ザビーダはその顔を見ているうちに、結局笑ってしまう。
「……ずるいなあ」
「何が」
「俺様が使える術の数と、お前が俺様好きなの関係ねえって?」
「当たり前だろう」
「即答だもんな」
「そんなことで迷う理由がない」
そういう男だった。
最初から、術が使えなかった自分を、使い道がないとは思わなかった。むしろ、自分が何もできない頃から「ここにいていい」と言っていた。だったら今さら、ビジュゲイト一つが使えるかどうかで、何が変わる。
「……そっか」
ようやく少しだけ肩の力が抜けた。
***
その日の午後、ザビーダは訓練場にいた。ただしビジュゲイトの訓練ではない。ホライゾンストームの安定化と、ウィンドランスの発動速度を確認するための軽い調整だった。
「ウィンドランス!」
風の槍が標的へ突き刺さる。
以前より速い。ザビーダ自身も分かる。
「どう?」
「形成速度、前回より上がってる」
「俺様やっぱ才能ある?」
「元から使えていた術だろう」
「昔の記憶ほとんどねえ俺様からしたら、ほぼ新規習得だよ」
「それは確かに」
「じゃあ褒めろ」
「すごい」
「素直でよろしい」
笑いながら次の標的を見る。
今度はディバイドヒート。問題ない。風が動く。身体が応える。怖くない。術を使える。その事実だけで、もう十分なのかもしれない。休憩に入り、ザビーダは床へ座った。ミクリオが隣に来て水を渡す。
「ビジュゲイト」
ザビーダが言う。
ミクリオがこちらを見る。
「うん」
「今日はやんねえんだな」
「やりたい?」
少し考える。
以前なら、意地で「やる」と言ったかもしれない。今は。
「……やりたくねえ」
ちゃんと言えた。
「分かった」
それだけ、拍子抜けするほど簡単だった。
「ミク坊」
「何だ」
「俺様がやりたくねえって言ったら、本当にやらねえんだな」
「なぜやらせると思った?」
「いや」
昔。
嫌だと言っても、意味がないことが多かったから、もっと昔には、そもそも嫌だと認識することすらやめていた。
「確認しただけ」
「そう」
ザビーダは水を飲んだ。
「……楽だな」
「何が?」
「使わなくていいって」
「うん」
「使えないからじゃなくて」
少し考えて。
「使わなくてもいい、っての」
ミクリオが静かに頷く。
「同じように見えて、違う?」
「全然違う」
使えない。
だから価値がない。だから別の用途に回される。そうやって自分の身体はずっと誰かに評価されてきた。でも、使えるようにしなくてもいい。選ばなくてもいい。放っておいてもいい。そんな扱い方もあるらしい。
「……ミク坊」
「何だ」
「ありがとな」
「何に?」
「分かんね」
ミクリオが少し笑った。
「分からないならそれでいい」
「便利だな、それ」
「便利だからな」
二人で笑った。
***
帰宅した夜、ザビーダは自室の机で研究記録を眺めていた。
《ウィンドランス:成立》
《ディバイドヒート:成立》
《ホライゾンストーム:成立》
その下には、もう一つだけ記録が続いていた。
《ビジュゲイト:完成直前に経路閉塞》
その下。ミクリオの字で、新しく追記されている。
《再現訓練:本人希望により当面実施せず》
ザビーダはその一文をしばらく眺めた。
《不能》でも《失敗》でもない。本人希望により、実施せず。ザビーダは少し笑う。
「……俺様が決めたことになってんじゃん」
当然といえば当然。
でも、記録にそう書かれているのが、妙に嬉しかった。ザビーダは指先へ小さな風を集めた。風は素直に応える。
「ビジュゲイト」
試すつもりはない。
ただ名前を口にしてみる。胸の奥が少し縮む。怖い。まだそれでいい。
「……使わなくていい」
自分で言う。
少し変な感じがする。もう一度。
「使わなくていい」
今度は少し楽になった。
その時、扉が軽く叩かれた。
「ザビーダ」
ミクリオの声。
「起きてる?」
「ああ。入っていいぜ」
扉が開く。
「何してた?」
「自分の記録見てた」
ミクリオが机を見る。
「それ」
「ああ」
ザビーダは例の追記を指で叩いた。
「これ好き」
「どこが?」
「本人希望により、ってとこ」
「事実だろう」
「うん」
「変?」
「いや」
ザビーダは少し笑う。
「今まで俺様の記録ってさ、全部誰かが俺様のこと決めた文章だったから」
戦闘不適。
作業不適。供用。譲渡。用途変更。所有。
「これ、俺様が決めたって書いてある」
ミクリオは一瞬黙り、それから言った。
「これから増やせばいい」
「何を?」
「君が決めた記録」
ザビーダはミクリオを見る。
「例えば?」
「行きたい任務」
「うん」
「やりたい研究」
「うん」
「嫌だったこと」
「うん」
「好きなもの」
「それ研究記録に書く?」
「書く必要はないな」
「だろ?」
二人とも笑う。
ザビーダは立ち上がって、ミクリオのところまで行った。
「あと」
「何だ」
「これ」
自分から腕を回す。
ミクリオも抱きしめ返した。
「これは記録しなくていい?」
「絶対すんな」
「分かった」
「ミク坊と抱き合った回数とか数え始めたら別れるからな」
「そこまでしない!」
「研究者サマならやりかねねえ」
「僕を何だと思っている!」
笑いながら、ザビーダはもう少し身体を預けた。
風術は戻ってきた。まだ使えない術もある。怖い記憶も、なくなったわけではない。でも、全部を取り戻さなくてもいい。全部を克服しなくてもいい。今はそう思える。そしてその夜、ザビーダは初めて、ビジュゲイトを使えないことについて、一度も悔しいと思わなかった。