一人称が「俺様」の褐色爆乳美女は好きですか? 作:ビジュゲイト推し
風が集まった。最初はいつもと同じだった。霊力を引き上げ、術式へ流す。そこまでは何度やってもできた。問題はその先で、形が完成しかけるたびに身体の奥で何かが閉じ、行き場を失った力が崩れて戻ってくる。今回も、そこまで来た。ザビーダには分かった。あと一つ。ここを越えれば術になる。
そして同時に、身体の奥から別のものが這い上がってきた。風。怒鳴り声。拘束の外れた音。目の前に立つ背中。赤。落ちるもの。
『逃げろ』
指が震える。
喉が締まる。風が散りかけた。
「……っ」
駄目だ。
また閉じる。そう思った。別に、それでもいいはずだった。使わなくていい。一生使えなくてもいい。そう言ったのはミクリオだ。使えない自分でも、何も変わらないと。だから、これは克服しなければならない試練ではない。成功しないと価値がないわけでもない。誰にも求められていない。
それなのに怪物の腕がミクリオへ向かって落ちてくる。左脇を庇いながら、それでもミクリオは立とうとしている。自分を逃がすために、また、好きな男が自分を残して前に出ようとしている。
「……ふざけんなよ」
風が震えた。
誰に言ったのか、自分でも分からない。怪物か。昔の聖寮か。あの時のアイゼンか。それとも、今のミクリオか。
「俺様だけ逃がして、勝手に格好つけんな」
「ザビーダ!」
ミクリオが叫ぶ。
「下がれ!」
「嫌だ!」
即答だった。
怖い。それでも、嫌だ。今度はここにいる。
「俺様も――」
風を掴む。
閉じようとする経路へ、無理やり力を押し込むのではない。ただ、自分がしたいことだけを、強く思った。
「お前を護りてえんだよ!」
術式が、閉じなかった。
ザビーダ自身が、一番驚いた。身体の中で、ずっと通らなかった場所を風が抜ける。一気に視界が開けるような感覚。二つの風が走った。交差する。
長い銀髪が暴風に持ち上がり、緑がかった毛先が宙へ散る。見開いた琥珀色の瞳に、交差する風の光が映った。
「――ビジュゲイト!」
風が爆ぜた。
鋭い斬撃となった風が怪物とミクリオの間へ割って入る。振り下ろされかけていた腕が大きく弾かれた。一撃。二撃。風の刃が交差し、そのまま怪物の身体を深く抉る。中央核が露出した。
「……」
ザビーダは数瞬、動けなかった。
出た。今、確かに術が出た。
「ミクリオ!」
我に返る。
「核!」
ミクリオも呆然としていたが、すぐに顔を上げる。
「分かった!」
壁を蹴る。
痛みで顔を歪めながら、それでも一気に踏み込んだ。
「無茶すんなよ!」
「今だけは許せ!」
「後で説教だからな!」
「君もだ!」
ミクリオの一撃が、露出した核へ突き刺さる。
ひび。黒い光。怪物が絶叫する。それでもまだ砕けない。
「ザビーダ!」
「分かってる!」
もう一度今度は、術式の名前を思い浮かべても、身体は止まらなかった。
怖くないわけではない。胸の奥には、まだ赤い記憶がある。アイゼンの声も消えていない。それでも、今は、目の前にいる男を見る。
「幻影、双霊、蹂躙――踊ろうか! ビジュゲイト!」
二度目の風。
交差する刃が核を捉える。ミクリオの一撃と重なる。音がした。硬いものが砕ける音。怪物の胸部に走った亀裂が、一気に全身へ広がっていく。黒い身体が崩れた。今度こそ。終わった。
***
静かになった。あれほど濃かった霊力反応が、急速に消えていく。ザビーダはその場に立ったまま、自分の手を見ていた。指先には、まだ風が残っている。
「……出た」
声が自分でも間抜けなくらい小さかった。
「ザビーダ」
ミクリオの声。
振り向く。
「……俺様」
言葉がうまく出ない。
「今、使った?」
「ああ」
「ビジュゲイト」
「ああ」
「二回?」
「二回」
ザビーダは瞬きをした。
「……マジか」
「マジだ」
「ミク坊」
「何だ」
「俺様、使った?」
「今三回目だぞ!」
「いや、だって」
笑いそうになる。
でも、次の瞬間、ミクリオの身体が傾いた。
「おい!」
ザビーダが駆け寄る。
間に合った。腕を掴み、そのまま身体を支える。
「ミクリオ!」
またミク坊ではなかった。
「大丈夫」
「平気って言うな!」
「言ってない!」
「同じ意味だろ!」
「……痛い」
「どこ!」
「左の脇腹」
「他!」
「背中も少し」
「頭打った?」
「多分」
「多分じゃ分かんねえ!」
「今すぐ確認できないだろう!」
言い返せる。
意識はある。息もしている。ザビーダはそれでも手を離さなかった。
「歩ける?」
「ゆっくりなら」
「俺様に掴まれ」
「君も消耗してるだろう」
「今お前よりマシ!」
「でも――」
「ミクリオ」
名前を呼ぶ。
ミクリオが黙った。ザビーダはその顔を見た。
「今は、俺様に護らせろ」
数秒。
ミクリオは何も言わなかった。それから、少し笑う。
「……分かった」
「最初からそう言え」
「君もな」
「今それ言う?」
「言う」
ザビーダも少しだけ笑った。
***
施設を出るまで、かなり時間がかかった。怪物が暴れたせいで通路の一部が崩れ、来た道をそのまま戻れない。ザビーダが風で瓦礫を動かし、ミクリオが残った術式を確認しながら別経路を探した。途中、ミクリオが一度足を止めた。
「休む?」
「少し」
ザビーダはすぐに壁際へ座らせる。
自分も隣へ座った。
「痛む?」
「動くと少し」
「左脇腹だな」
「ああ」
「帰ったら絶対診てもらうぞ」
「ああ」
「嫌だっつっても連れてく」
「そこは命令?」
「……」
ザビーダは一瞬止まった。
ミクリオが少し笑う。
「冗談だ」
「今それやる?」
「君なら絶対引っかかると思った」
「怪我人のくせに余裕あるじゃん」
「少しは」
その笑顔を見て、ようやく。
ザビーダの中で張り詰めていたものが、切れた。
「……馬鹿」
「何が」
「お前」
「僕?」
「そう」
ザビーダは俯く。
「マジで」
声が震えた。
ミクリオが気づく。
「ザビーダ」
「死んだかと思った」
自分でも驚くほど、素直に出た。
「壁に飛ばされて、動かなくなった時」
「……うん」
「またかと思った」
ミクリオは何も言わない。
ザビーダは膝の上で拳を握った。
「また俺様だけ残るのかと思った」
「……ザビーダ」
「嫌だった」
「うん」
「怖かった」
「うん」
「ビジュゲイトも」
「うん」
「全部」
ようやく顔を上げる。
ミクリオはちゃんといる。怪我はしている。顔色も悪い。でも、生きている。
「……ミクリオ」
また名前。
「何?」
ザビーダは手を伸ばした。
頬へ触れる。温かい。
「いる?」
ミクリオは少しだけ目を細めた。
「ああ」
「ちゃんと?」
「ああ」
「触ってていい?」
「もちろん」
ザビーダはそのまま、ゆっくり額を寄せた。
「……知ってる」
「何が?」
「いるの、見りゃ分かる」
「うん」
「でも」
目を閉じる。
「触らせろ」
「分かった」
しばらく、二人とも何も言わなかった。
***
休憩を終え、再び出口へ向かう。ミクリオの腕を肩へ回し、ザビーダが体重を支える。途中で、小さな瓦礫が進路を塞いでいた。
「どける」
ザビーダが手を上げる。
風を起こす。普通の。小さな風。瓦礫が端へ転がる。
「……」
ミクリオが横を見る。
「何」
「いや」
「言えよ」
「ビジュゲイトの後でも、他の風術に問題ないな」
「研究者サマ」
「気になるだろう」
「今!?」
「今だから」
「怪我人は大人しくしてろ」
「はい」
「素直でよろしい」
少し歩く。
そして、ザビーダはふと気づいた。
「……なあ」
「うん」
「俺様さ」
「何?」
「ビジュゲイト使った時」
「うん」
「アイゼンのこと、思い出してた」
ミクリオは静かに聞いている。
「消えなかった」
「うん」
「怖かったし」
「ああ」
「でも使えた」
「……うん」
「何でだろ」
ミクリオは少し考えた。
「僕には分からない」
「研究者なのに?」
「分からないものは分からない」
「そっか」
少し残念。
でも、それでいい。ミクリオは続けた。
「ただ」
「うん」
「君は、怖くなくなったから使ったわけではなかった」
ザビーダが横を見る。
「……そうだな」
「使わなくてもいいと分かった上で、それでも使った」
「うん」
「僕を護るために」
「……うん」
言われると少し恥ずかしい。
「お前が死ぬ方が嫌だったから」
「ありがとう」
「礼言うなよ」
「なぜ」
「恥ずい」
「僕は嬉しい」
「そういうの今いいから!」
ミクリオが少し笑う。
ザビーダも結局、笑った。
***
施設の外へ出た時には、もう日が傾いていた。外の風が吹く。山の。冷たい風。ザビーダは立ち止まった。髪が揺れる。昔なら。風と一緒に、赤い記憶が来た。今も、来る。でも、それだけではない。ついさっき。自分が起こした風もある。ミクリオを護った風。
「ザビーダ?」
「ん」
「どうした?」
「いや」
少し笑う。
「風、気持ちいいなって」
ミクリオも空を見る。
「ああ」
ザビーダはその横顔を見てから。
「ミク坊」
今度は自然に戻っていた。
ミクリオが少しだけ目を見開く。
「何だ」
「帰ろうぜ」
「……ああ」
「ちゃんと診てもらって」
「うん」
「飯食って」
「食べられれば」
「食え」
「努力する」
「あと今日は絶対一人で寝かせねえ」
ミクリオが僅かに固まる。
ザビーダはそれに気づいて笑った。
「寝るだけだよ」
「分かってる!」
「何想像した?」
「何も!」
「ほんとかねえ」
「君は!」
笑い声が山道へ響く。
風が吹く。今度は逃げるための風ではなかった。誰かに使われるための力でもない。護りたい人を護るために自分で選んで使った風だった。