一人称が「俺様」の褐色爆乳美女は好きですか? 作:ビジュゲイト推し
それから数か月が経った。世界は、驚くほど何も変わらなかった。中央聖寮は今日も人と聖隷を管理し、契約書には所有者と所有聖隷の欄がある。戦闘に適さない聖隷は別の用途へ回されるし、誰もそれを特別おかしいとは思わない。千年前から続いてきた仕組みが、ミクリオとザビーダが恋人になったくらいで変わるはずもなかった。
ミクリオも少なくとも今は、変えようとはしなかった。ザビーダもそれを求めなかった。ただ、以前と同じ言葉で書かれている書類を見ても、その意味が少しだけ違って見えるようになった。
***
「はい。こちらに所有聖隷のお名前を」
中央聖寮の受付で差し出された書類を見て、ザビーダは何となく覗き込んだ。
ミクリオが筆を取る。
《所有者 ミクリオ》
その下。
《所有聖隷 ザビーダ》
見慣れた文字だった。
「真名の記載もお願いします」
「本人の同意があります」
ミクリオが一度こちらを見る。
ザビーダは頷いた。
「いいぜ」
それを確認してから、ミクリオが続ける。
《フィルクー=ザデヤ》
約束のザビーダ。あの名前も、今ではずいぶん馴染んだ。
「ありがとうございます」
受付の対魔士が書類を確認する。
「それでは、ミクリオ特等の所有聖隷として今回の調査任務への同行を許可します」
「了解しました」
ミクリオが書類を受け取る。
ザビーダも横で聞いていた。所有聖隷。昔なら、それで全部だった。誰のものか。何に使うか。どんな価値があるか。それだけで自分を説明できると思っていた。けれど、今は違う。
「行こう、ザビーダ」
「おう」
別に腹も立たなかった。
好きではない。でも、あの紙一枚に、自分の全部を決められている気もしなかった。
***
廊下へ出ると、向こうから若い対魔士が歩いてきた。ミクリオを見るなり、慌てて頭を下げる。
「ミクリオ様、お疲れさまです」
「お疲れさまです」
その視線がザビーダへ移った。
「ああ。こちらが例の所有聖隷ですか」
「例の?」
ザビーダが聞く。
「最近、風術がかなり回復したと伺っています。貴重な個体ですね」
昔なら。
貴重。その言葉も悪くなかったかもしれない。価値がある。捨てられない。使い道がある。それは生き残るために重要だった。でも今は、何となく少し違う。
「まあね」
ザビーダは軽く返す。
若い対魔士は悪意なく笑った。
「ミクリオ様ほどの方なら、もっと状態の良い聖隷を新しく調達することもできるでしょうに。随分お気に入りなんですね」
ミクリオの眉が動く。
ザビーダはその横顔を見て、先に笑った。
「お気に入りだってよ、ミク坊」
「君は面白がるな」
「だって間違ってねえじゃん」
「そういう問題じゃない」
若い対魔士は少し困惑している。
「……ミク坊?」
「呼び名」
ザビーダが答える。
「恋人だから」
「……恋人?」
予想通り。
理解できない顔。
「はい?」
「俺様とこいつ、付き合ってんの」
「ええと」
視線がミクリオへ移る。
「所有聖隷を、恋人として扱っていらっしゃるという意味でしょうか」
ザビーダは少し考えた。
前なら。その言い方を笑って流していたかもしれない。今は。
「逆」
「逆?」
「俺様がこいつと付き合ってんの」
若い対魔士はますます分からない顔をした。
ミクリオが横で小さく息を吐く。
「彼女の言った通りです」
「はあ……」
理解はされていない。
多分、それでも構わなかった。
「じゃ、行こうぜミク坊」
「ああ」
二人でその場を離れた。
***
建物を出たところで、ミクリオが口を開いた。
「ザビーダ」
「ん?」
「さっきの」
「ああ」
「嫌ではなかった?」
ザビーダは少し考えた。
「所有聖隷ってやつ?」
「うん」
「好きじゃねえよ」
即答だった。
ミクリオの表情が少し曇る。
「でも」
ザビーダは続ける。
「前ほど腹も立たねえ」
「なぜ?」
「さあ」
少し歩く。
昼の街は人が多い。人間。聖隷、所有者の後ろを歩く者、荷物を運ぶ者、武器として連れられている者。千年前から続く景色。ザビーダはそれを眺めながら言った。
「俺様が何なのか、もう俺様が知ってるからじゃね?」
ミクリオがこちらを見る。
「……どういう意味?」
「書類じゃ、お前の所有聖隷」
「うん」
「聖寮から見てもそう」
「ああ」
「そこ歩いてる連中から見ても、多分そう」
ザビーダは自分を指さす。
「でも俺様はそれだけじゃねえ」
「……うん」
「研究協力者」
「そうだな」
「風術使い」
「ああ」
「肉好き」
「それは必要?」
「重要」
ミクリオが笑った。
「あと」
ザビーダは手を差し出す。
ミクリオが自然に取った。
「お前の恋人」
「ああ」
「俺様がお前を選んでる」
「うん」
「だから」
繋いだ手を少し振る。
「紙が何て言ってても、そこまでは変わんねえなって」
ミクリオはしばらく何も言わなかった。
「……僕は」
「ん?」
「それでも、君を所有しているという表現は嫌いだ」
「知ってる」
「いつか」
言いかけた。
ザビーダは横を見る。ミクリオもそこで止まった。制度を変える。社会を変える。そんな話ではない。少なくとも今、二人がしなければならないことではない。
「……いや」
ミクリオが首を振る。
「何?」
「何でもない」
ザビーダは少し笑った。
「ミク坊」
「何だ」
「お前さ」
「うん」
「もし明日、聖寮から『もう所有権なくなりました』って言われたらどうする?」
ミクリオは間を置かなかった。
「何も変わらない」
「即答?」
「君がここにいる理由は、もうそれじゃないだろう」
「……」
ザビーダの口元が緩む。
「そうだな」
「君は?」
「俺様?」
「ああ。所有関係がなくなったら」
ザビーダは少しだけ考えるふりをした。
「どうしよっかなあ」
ミクリオの顔が固まる。
「え」
「もっと条件いい男探すかも」
「ザビーダ」
「冗談だよ」
「君は!」
笑う。
繋いだ手を、少し強く握る。
「変わんねえよ」
「……本当?」
「おう」
「なぜ」
ザビーダは笑った。
「好きだから」
ミクリオが黙る。
「まだそれ効く?」
「効く」
「何回言ってんだよ」
「何回でも嬉しい」
「そっか」
「うん」
なら。
何回でも言ってやってもいい。
***
その日の調査任務は、拍子抜けするほど簡単に終わった。旧施設の風経路が一部破損していただけで、業魔も危険な実験体も出なかった。ザビーダが術式を確認し、風を流す。
「こっちだな」
「分かる?」
「ああ。ここ切れてる」
「直せそう?」
「ちょっと待て」
指先へ霊力を集める。
小さな風。それで十分。無理に大きな術を使う必要はない。
「……よし」
風が通る。
遠くで装置が動き始める音がした。ミクリオが測定器を確認する。
「正常」
「終わり?」
「終わり」
「早っ」
「何も起きない方がいいだろう」
「それはそう」
二人で笑う。
ビジュゲイトを使う必要もなかった。あの日以来、ザビーダは何度か試している。使える時もある。途中で怖くなって止める時もある。それでいい。使えるようになったからといって、毎回使う義務が生まれたわけではない。今の自分には、他にも風がある。必要なら。あの術もある。それだけで十分だった。
***
帰り道。
「肉」
ザビーダが言った。
「突然だな」
「今日早く終わったし、食って帰ろうぜ」
「いいけど」
「奢り?」
「なぜ僕が」
「所有者サマ」
ミクリオの顔が露骨に嫌そうになる。
ザビーダは吹き出した。
「その顔好き」
「その呼び方をやめろ!」
「ははっ」
「自分の金あるだろう!」
「あるよ。じゃあ俺様が奢る」
「本当に?」
「研究協力者サマ、最近稼いでるんでね」
「なら半分ずつ」
「恋人なんだから奢らせろよ」
「恋人だから片方だけが払う理由にはならないだろう」
「細けえなあ」
「大事だ」
「出た」
最初からずっとこの男は細かかった。
使う。所有する。従う。嫌ではない。平気。そんな曖昧なところを、一つずつ引っかけて、それは本当に同じ意味なのかと聞いてきた。面倒な男、真面目な男、自分が好きになった男。
「じゃ、半分な」
「ああ」
「その代わり多く食う」
「それは好きにしろ」
「そこは俺様の自由?」
「最初から」
「そっか」
笑いながら歩く。
夕暮れの風が、ザビーダの長い銀髪を後ろへ流した。緑がかった毛先も、明るい褐色の肌も、豊満な胸へ巻いたサラシも、身体の線を拾う黒いロングパンツも、出会った日と変わらない。それでも、その姿でミクリオの隣を歩く理由だけは、もうまったく違っていた。
***
家へ戻る頃には、すっかり暗くなっていた。
「ただいま」
ザビーダが先に言う。
奥からミューズの声がした。
「おかえりなさい」
ミケルも顔を出す。
「早かったね」
「何も起きなかった」
ミクリオが答える。
「いい任務だったよ」
「そうだな」
ザビーダも頷いた。
本当に何も起きなかった。世界は救われない。聖寮も滅びない。歴史もひっくり返らない。ただ、二人で出かけて、二人で仕事をして、飯を食って、帰ってきた。それだけ。
***
夜、ミクリオの書斎。いつもの場所。ミクリオは机に向かって今日の報告書を書いている。ザビーダは長椅子に寝転がり、買ってきた本を適当にめくっていた。
「ザビーダ」
「んー?」
「今日の術式補修、調査協力者として記載していい?」
「いいよ」
「報酬申請もする」
「頼む」
「本人希望による補修、と」
ザビーダは本から顔を上げた。
「それまだ書いてんの?」
「事実だから」
「そっか」
少し笑う。
本人希望。今では、研究記録にも任務記録にも、その言葉が増えた。行きたい。やりたい。今日はやめる。これは嫌。これは好き。分からない。したい。全部。自分の言葉。
「ミク坊」
「何だ」
「終わったらこっち来い」
「もう少し」
「あと何枚?」
「一枚」
「じゃ待つ」
以前なら。
待つことすら、命令されたからだったかもしれない。今は、自分が待ちたいから待っている。しばらくして、ミクリオが筆を置いた。
「終わった」
「お疲れ」
長椅子の端を空ける。
ミクリオが隣へ座った。ザビーダはすぐに肩へ寄りかかる。
「近い」
「今更?」
「言ってみただけ」
「嫌?」
「嫌じゃない」
ザビーダが眉を上げる。
ミクリオはすぐに言い直した。
「……君に近くにいてほしい」
「よし」
「採点されてる?」
「成長を見守ってんの」
「君に言われたくない」
「俺様も成長しただろ」
「ああ」
「何が?」
ミクリオが少し考えた。
「たくさん」
「雑」
「一つに決められない」
「じゃあ一個」
「……自分がしたいことを、よく言うようになった」
ザビーダは少し黙った。
「そっか」
「ああ」
「じゃあ今も言う」
「何?」
ミクリオの肩へ、もう少し身体を預ける。
「もうちょいここにいたい」
「うん」
「そのあと一緒に寝たい」
「ああ」
「明日朝、肉残ってたら食いたい」
「朝から?」
「食いたい」
「……好きにしろ」
「あと」
顔を上げる。
「キスしたい」
ミクリオが笑った。
「僕も」
「じゃあしようぜ」
短く。
唇を重ねる。離れて、ザビーダは笑う。
「なあ」
「何だ」
「俺様、お前の所有物じゃねえからな」
「ああ」
「でも」
もう一度肩へ寄りかかる。
「お前のそばにはいる」
「……うん」
「俺様がいたいから」
ミクリオの手がザビーダの手を探す。
指が触れる。ザビーダから絡めた。
「僕も君にいてほしい」
「知ってる」
「言っていいだろう」
「いいよ」
しばらく、そのままでいた。
***
外では、ザビーダは今日も、特等対魔士ミクリオの所有聖隷だった。明日も多分そうだろう。世界は何も変わっていない。それでも。
「ザビーダ」
「ん?」
「そろそろ寝る?」
「おう」
立ち上がる。
繋いだ手はそのまま。
「帰るか」
ミクリオが少し不思議そうにする。
「もう家だけど」
「寝室に」
「それは帰るって言うのか?」
「俺様が言ったら言うの」
「そういうもの?」
「そういうもの」
笑いながら、書斎を出る。
廊下を歩く。この家へ来た最初の日。ザビーダは自分がいつまでここにいるのか知らなかった。買われたから来た。命令されれば従うつもりだった。必要がなくなれば、またどこかへ回されるものだと思っていた。今は違う。ここにいる理由を知っている。帰る場所も、隣を歩く人も、自分で選んだ。
「ミク坊」
「何だ」
ザビーダは繋いだ手を少し引いた。
「帰ろうぜ」
今度は、ミクリオも訂正しなかった。
「ああ」
二人で、帰った。
Fin