一人称が「俺様」の褐色爆乳美女は好きですか? 作:ビジュゲイト推し
その夜、ミクリオは一度だけ、自分の判断を疑った。自宅へ帰る途中ではなく、両親に事情を説明した時でもなく、客間に新しい寝具を運び込み、ザビーダへ「今日はここを使ってくれ」と告げた、その時だった。
「……ここ?」
ザビーダが部屋を覗き込む。
「そうだ」
「俺様、一人で?」
「一人で」
ザビーダは振り返った。
何とも言えない顔をしている。
「何だ」
「いや」
そう言いながらも、まだこちらを見ている。
ミクリオは眉を寄せた。
「部屋が気に入らないのか?」
「そうじゃねえけど」
「なら何だ」
「お前の部屋は?」
「隣だ」
「ふうん」
ザビーダはもう一度客間を見る。
寝台。小さな机。椅子。窓。必要最低限ではあるが、使っていなかった部屋だから埃もなく整っている。
「……変なの」
「何が?」
「別に」
またそれだ。
ミクリオは少しだけ引っかかったが、今日はもう十分いろいろあった。所有者変更。真名。契約の保留。これ以上、一日のうちに考えることを増やしたくない。
「何か必要なものがあれば言ってくれ」
「おう」
「風呂は廊下の突き当たり。食事はさっき言った通りだ。水は――」
「なあ」
話を遮られた。
「何だ」
ザビーダはしばらくこちらを見ていた。
それから、ごく普通の調子で聞いた。
「今夜、使わねえの?」
ミクリオは黙った。
「……何を?」
ザビーダも黙った。
数秒。
「俺様」
「……」
意味を理解した。
理解した瞬間、今日だけで何度目か分からないほど、頭が痛くなった。
「使わない」
「即答?」
「即答するだろう」
「買った初日なのに?」
「それがどうした」
ザビーダは本気で不思議そうだった。
からかっているわけではない。誘惑しているわけでもない。ただ、確認している。そのことが分かってしまった。
「普通、買ったら使うぜ」
「普通かどうかは知らない」
「知らないってことねえだろ。対魔士なんだから」
「知識として知っていることと、自分がすることは別だ」
ザビーダが目を細める。
「俺様、別に嫌じゃねえぞ」
「……」
その言葉。
昼間にも聞いた。嫌ではない。慣れている。ミクリオは少し考えてから尋ねた。
「君は、したいのか」
「は?」
「僕と」
ザビーダが瞬きをする。
「……俺様が?」
「ああ」
妙な聞き返しだった。
自分のことを聞かれたのに、まるで質問の対象を確認するような。
「別に」
「なら、しない」
「待て待て」
ザビーダが片手を上げる。
「話飛んでねえ?」
「飛んでいない」
「俺様、嫌じゃねえって」
「それは聞いた」
「だったらいいだろ」
「よくない」
「何で?」
ミクリオは少し黙った。
説明しようとすると自分でも、なぜこんなことにこだわっているのか分からなくなる。ただ、「嫌ではない」と言われたからする。それでは昼間見た札と何が違うのだろうと思った。利用可能。抵抗なし。使用上問題なし。条件を満たしているから使う。ザビーダ本人がその中のどこにいるのか。
「僕は」
ミクリオはゆっくり言った。
「君が拒否しないかどうかを確認したいんじゃない」
ザビーダが黙る。
「君が、僕とそうしたいと思っているのかを聞いている」
「……」
「違うなら、しない」
「それだけ?」
「ああ」
「マジで?」
「なぜ疑う」
「いや」
ザビーダは頭を掻いた。
「そういう聞かれ方、あんまされたことねえから」
あまり。
その言葉に、ミクリオの胸の奥が少し沈んだ。だが、聞かなかった。何人にいつから、どういう形で、今日は聞くべきではないと思った。
「なら、今日は寝ろ」
「命令?」
反射的な問いだった。
ミクリオは止まった。
「……違う」
「じゃあ?」
「提案だ」
「提案」
「疲れているだろう」
「まあ、それなりに」
「なら休んだ方がいい」
ザビーダはしばらくミクリオを見て、「分かった」と答えた。
その返事も、従っただけなのか。本人がそう思ったのか。ミクリオにはまだ判別できなかった。
***
夜も更けた頃。ミクリオは自室で書類を読んでいた。今日の所有者変更に関する控え。正式な登録証は後日。契約は未成立。真名欄も空白。その空白を見ていると、また腹が立ってくる。誰があんな名前を付けた。なぜ誰も変えなかった。ザビーダ自身は、なぜあんなにも平然としていた。
考えても答えは出ない。書類を閉じた。寝よう。そう思った時、控えめに扉が鳴った。
「ミクリオ」
ザビーダの声だった。
「開いている」
扉が少し開く。
ザビーダが顔だけを覗かせる。
「何だ」
「……まだ起きてた」
「見れば分かるだろう」
「そうだな」
入ってはこない。
「何か必要か?」
「いや」
「なら?」
「……」
黙っている。
ミクリオは椅子を回した。
「ザビーダ」
「ん?」
「何だ」
少し強めに聞くとザビーダはためらうように視線を逸らした。
「本当に」
「何が?」
「何もしねえの?」
ミクリオはしばらく黙った。
「しない」
「今日だけ?」
「今日だけとは言っていない」
「じゃあ明日は?」
「しない」
「明後日」
「しない」
「その次」
「……君は何を確認しているんだ」
ザビーダは笑った。
「いやあ」
いつもの軽い笑い。
でも、少しだけ固かった。
「途中で気が変わるかもしれねえじゃん」
「変わらない」
「男だろ?」
「関係ない」
「俺様、寝てたら抵抗もしねえぜ」
ミクリオの表情が消えた。
「しない」
「起きねえかもしれない」
「しない」
「命令されたら――」
「ザビーダ」
遮った。
「しない」
一語ずつ。
はっきり言った。ザビーダがこちらを見る。
「君が寝ていても」
続ける。
「酔っていても」
「……」
「抵抗しなくても」
「……」
「僕が所有者でも」
ミクリオは言った。
「しないと言ったら、しない」
静かになった。
夜の家。遠くで時計の音がする。ザビーダは扉に手を掛けたまま、何も言わなかった。しばらくして。
「……そっか」
それだけ。
「安心したか?」
聞いてから、余計だったかもしれないと思った。
ザビーダは一瞬、目を丸くした。それから、いつものように笑った。
「別に?」
またその答え。だが今度は、ミクリオも追及しなかった。
「そうか」
「おう」
「なら寝ろ」
「今度は命令?」
「……好きにしろ」
ザビーダが少し笑う。
「おやすみ、ミクリオ」
「ああ」
扉が閉まる。
ミクリオはしばらく、その扉を見ていた。
***
ザビーダは客間へ戻った。扉を閉じる。鍵はない。正確には、内側から掛ける簡単な錠はあった。それを見つめる。掛けてもいいのだろうか。少し考えて、やめた。寝台へ入る。柔らかい。あの店で使っていたものより、ずっと天井を見る。知らない天井。知らない部屋。新しい所有者の家。
普通なら。今夜はそういうものだ。最初の日なのだから、相手が自分をどう使うのかを覚える。何を好むのか。何を嫌うのか。何をされたら怒るのか。どこまで許されるのか。それを知る日。なのに、何もなかった。
「……変なの」
呟く。
目を閉じる。しばらくして、廊下から微かな足音がした。ザビーダの目が開く。身体が勝手に身構える。足音。近づく。止まる。客間の前。
「……」
来た。
そう思った。けれど、扉は開かなかった。代わりに、小さな音がした。何かを床へ置いたような。それから足音が遠ざかる。ザビーダはしばらく動かなかった。数分経ってから、寝台を出る。扉を開ける。廊下には誰もいない。足元に水差しとコップが置いてあった。小さな紙。
《夜中に喉が渇いた時用》
ミクリオの字だった。
「……」
ザビーダは紙を持ち上げる。
紙を裏返しても、他には何も書かれていなかった。それだけだ。
「……何なんだよ」
笑う。
けれど、なぜかいつものようには笑えなかった。部屋へ戻り、今度は扉の錠を掛ける。掛けても怒られない気がした。寝台へ戻って目を閉じたあとも、その夜、ザビーダは何度か目を覚ました。けれど、朝まで扉が開くことはなかった。