一人称が「俺様」の褐色爆乳美女は好きですか? 作:ビジュゲイト推し
朝。ザビーダは目を覚ましてしばらく天井を見ていた。知らない天井だった。それだけで、昨夜のことを思い出す。新しい所有者。ミクリオ。契約しなかった。真名も変えなかった。使わなかった。何もしなかった。朝まで、本当に。
「……」
身体を起こす。
扉を見る。内側から掛けた錠は、そのままだった。誰かが開けようとした痕跡もない。床には、昨夜ミクリオが置いていった水差しとコップ。結局、水は飲んだ。紙もまだ机に置いてある。
《夜中に喉が渇いた時用》
たったそれだけ、ザビーダは紙を指先でつまんだ。
「……ほんと何なんだよ」
独り言を落とす。
返事はない。当たり前だ。いつものように、豊満な胸へサラシを巻き、黒いロングパンツを穿く。長い銀髪は手櫛で適当に整えただけで、緑がかった毛先は好き勝手な方向へ跳ねた。そのまま部屋を出る。廊下には誰もいなかった。階下から、人の話し声と食器の音が聞こえる。それから、いい匂い。ザビーダは少しだけ立ち止まった。
朝食。最後に普通の家で朝食を食べたのは、いつだったか。思い出せない。店でも食事は出た。死なない程度には。
だが、客の残りだったり、決まったものを渡されたり。何が食べたいかなど聞かれたことはない。別に腹に入れば同じだ。そう思いながら階段を降りる。
「おはようございます、ザビーダさん」
最初に気づいたのはミューズだった。
ザビーダは足を止める。
「……おはよ」
「よく眠れました?」
「まあ」
嘘ではない。
何度か起きたが、いつもよりは眠れた気がする。食卓にはミケルとミクリオが既に座っていた。ミクリオがこちらを見る。
「おはよう」
「おう」
昨夜のことなどなかったような顔だった。
ザビーダは少し眉を寄せる。本当に何も言わない。
「そこ、使ってください」
ミューズが椅子を示す。
「俺様も食うの?」
「もちろん」
「……へえ」
座る。
目の前に皿が置かれる。ミューズが鍋の蓋を開けながら尋ねた。
「パンと麦粥、どちらがいいですか?」
ザビーダは一瞬。
何を聞かれたのか分からなかった。
「……何?」
「朝食です。パンと麦粥」
「どっちでも」
「そうですか?」
ミューズは困ったように笑った。
「どちらもありますよ」
「じゃあ、余ってる方で」
「どちらも余ります」
「……」
横からミクリオが口を挟んだ。
「母さんは、君がどちらを食べたいか聞いているんだ」
「聞こえてるよ」
「なら答えればいい」
「だから、どっちでもいいって」
「本当に?」
その言い方にザビーダはミクリオを見る。
責めているわけではない。ただ確認している。
「……何だよ」
「いや」
ミクリオは少し考えてから言った。
「昨日もそうだったなと思って」
「何が?」
「別に、どちらでもいい」
ザビーダの眉が上がる。
「悪いか?」
「悪いとは言っていない」
「ならいいだろ」
「ただ、本当に差がないのかと思っただけだ」
「朝飯だぞ」
「朝食にも好みくらいあるだろう」
ザビーダは答えなかった。
好み。そんなことを真面目に考えたことが、最近あっただろうか。腹が減っていれば食べる。出されたものを食べられる時にそれだけ、ミューズは急かさず待っている。ミケルは何も言わずパンをちぎっていた。誰も、「早くしろ」と言わない。
「何でもいいならこれにしろ」と決めない。
ザビーダは少し居心地が悪くなった。
「……パン」
ようやく言った。
ミューズが頷く。
「はい」
それだけだった。
何の反応もない。褒められもしない。変な顔もされない。ただ、パンが置かれた。焼きたてだった。少し温かい。
「バターもありますよ」
「……それもいいの?」
今度は口に出してから、自分で変だと思った。
ミューズが首を傾げる。
「ええ」
「勝手に使って?」
「もちろん」
「……へえ」
ザビーダはバターを少し取った。
塗る。食べる。美味い。それが何となく腹立たしかった。
***
「それで」
食事が半分ほど進んだ頃。
ザビーダはミクリオを見る。
「今日は何すりゃいい?」
「何?」
「俺様」
パンを指で示す。
「買ったんだろ。仕事とかあんじゃねえの」
ミクリオは咀嚼を終えてから答えた。
「特にない」
「……は?」
「今日は中央支部で昨日の手続きを確認する。その後は訓練所へ行く」
「俺様は?」
「留守番でも、外出でも、好きにすればいい」
ザビーダはミクリオを見た。
「いや」
「何だ」
「命令は?」
「ない」
「掃除とか」
「必要なら自分たちでする」
「荷物運び」
「ない」
「術の訓練」
「契約していない」
「客の相手」
ミクリオの表情が止まった。
「ない」
少し低くなった。
ザビーダは口元を上げる。
「じゃあ俺様、何のためにいるんだよ」
ミクリオも黙った。
ミケルがちらりと息子を見る。ミューズは何も言わない。
「……それを」
ミクリオが口を開く。
「僕もまだ考えている」
「またかよ!」
ザビーダが笑った。
「お前、ほんと何で俺様買ったんだ?」
「昨日も言っただろう。分からない」
「買われた方も困るんだけど」
「それはすまない」
「謝るんだ」
「困らせているならな」
「……」
調子が狂う。
もっと。
「所有者なんだから黙って従え」とか。
「役に立て」とか。
そういうものが返ってくれば分かりやすい。
だが。
「好きにしていい」は困る。
好きにって、何を。
「外出していいって」
ザビーダは確認する。
「ああ」
「一人で?」
「ああ」
「逃げても?」
ミクリオの手が止まった。
ミケルとミューズもわずかに視線を上げる。ザビーダは笑っていた。軽い冗談だった。たぶん。
「……本当に逃げたいなら」
ミクリオが答える。
「止めたいとは思う」
「へえ」
「だが、無理に連れ戻すつもりはない」
ザビーダの笑みが少し薄くなる。
「所有者のくせに?」
「書類上は」
「それ、便利な言い方だな」
「僕もそう思う」
ミクリオは少し眉を寄せた。
「ただ」
続ける。
「昨日の店に戻るのは勧めない」
「何で?」
「僕が君を買った意味が完全になくなる」
「意味分かってねえくせに」
「だからこそだ」
「何だそれ」
ザビーダは吹き出した。
今度は普通に笑えた。ミューズも少し笑っている。ミケルは完全に面白がっていた。
「父さん」
ミクリオが睨む。
「何だ?」
「何で笑ってるんです」
「いや。お前らしいなと」
「何がです?」
「買う理由は分からないのに、戻られたら困る理由だけはあるところ」
「……」
ミクリオが不機嫌そうに黙る。
ザビーダはさらに笑った。
「導師サマ、分かってんじゃん」
「ミケルでいい」
「いいの?」
「家の中くらいはな」
ザビーダは少しだけ目を細めた。
「じゃ、ミケル」
「ああ」
「ミューズも?」
「もちろん」
ミューズが答える。
「……変な家」
思わず言った。
三人とも、否定しなかった。
***
朝食の後。ミクリオは出勤の支度を始めた。ザビーダは居間の椅子に座ったまま、その様子を眺めている。
「ザビーダ」
「ん?」
「僕は夕方には戻る」
「おう」
「鍵はこれ」
小さな鍵を渡された。
ザビーダは手のひらを見る。
「……俺様に?」
「この家の鍵だ」
「分かるけど」
「なくすなよ」
「そこ?」
「なくされたら困る」
「逃げるかもしれねえ奴に家の鍵渡す?」
「君が昨日までいた店へ戻るよりは、ここへ帰ってきてもらった方がいい」
「……」
またそういう言い方をする。帰ってくる。まだ一晩しか寝ていない家なのに。
「それから」
ミクリオが言う。
「昼食は棚にある。好きなものを食べていい」
「好きなもの」
「昨日からそればかり聞き返すな」
「珍しいんだよ」
「何が?」
ザビーダは一瞬。
答えようとして、やめた。
「別に」
ミクリオが少し眉を寄せる。
またそれか。と言いたそうな顔だった。けれど何も言わなかった。代わりに。
「じゃあ、行ってくる」
とだけ言う。
「……おう」
扉が閉まる。
足音が遠ざかる。ザビーダは鍵を見る。家の鍵。所有者が留守の間。自由に出ていい。何もしなくてもいい。食べたいものを食べていい。
「……」
何をすればいい。
本気で、分からなかった。立ち上がる。台所へ行く。棚を開ける。パン。果物。干し肉。菓子。いくつもある。好きなもの。ザビーダはしばらく見つめて、棚を閉じた。今度は窓へ行く。通りを見る。出てもいい。どこへ行く。知らない。
「……参ったな」
呟く。
命令される方が、ずっと簡単だった。何をすればいいか分かる。やれば終わる。嫌かどうかも考えなくていい。なのに、何もしなくていい。好きにしろ。そう言われると自分が何をしたいのか。分からない。ザビーダは居間へ戻った。椅子に座る。しばらく天井を見る。
「……」
やがて、何となく窓際の日当たりのいい場所へ移動した。
そこで横になる。暖かかった。誰にも命令されていない。誰の役にも立っていない。何もしていない。少しだけ落ち着かなかった。それでも、目を閉じる。
「……まあ」
眠くなった。
「寝るくらいなら、いいか」
誰に許可を取るでもなく、ザビーダはそのまま眠った。
***
夕方、家へ帰ったミクリオが見たのは、窓際の長椅子で丸くなって眠るザビーダだった。
「……」
起こそうとして、やめた。
上着を脱ぎ。音を立てないよう机へ置く。しばらくするとザビーダが目を開けた。
「……お」
「起きたか」
「ああ」
身体を起こす。
少し寝ぼけた顔でミクリオを見る。
「何してた?」
「何も」
「そうか」
それだけ、怒られない。
「……何もしてねえぞ」
「聞いた」
「掃除もしてねえ」
「頼んでいない」
「飯食って寝てただけ」
「休めたならいいんじゃないか」
ザビーダは黙った。
「……いいの?」
「何が」
「それで」
ミクリオは少し考える。
「君がそうしたかったなら」
その言葉にザビーダは視線を逸らした。
そうしたかった。言われてみれば、今日は、眠かったから寝た。腹が減ったから食べた。日が暖かかったから窓際へ行った。命令されたからではない。
「……」
些細なことだった。
あまりにも。
「変な奴」
ザビーダが呟く。
ミクリオがため息をついた。
「それ、いつまで言うつもりだ」
「飽きるまで」
「なら早く飽きてくれ」
「それは俺様が決めていい?」
冗談で言った。
ミクリオは真面目な顔で頷いた。
「ああ」
「……」
ザビーダは一瞬だけ固まって、それから、声を上げて笑った。
「ほんっと変な奴!」
「うるさい!」
その日の夕食に何を食べたいかと聞かれ、ザビーダは少しだけ考えてから、今度は「肉」と答えた。