ひしゃげた鍵で釣った魚は、間男の給餌を受け入れる。 作:鯛と琴
朝の日差しに照らされながら、司令官はそれとは対照的に顔に影を落としていた。
隣には裸ですうすうと寝息を立てる探索者が1人。それはソフィアかもしれないし、ベリサかもしれないが、とにかく日によって違う女が、同じように隣で寝ているのだ。
その光景はいつも司令官の頭を悩ませる。
獣欲を貪り、極上の雌を取っ替え引っ替え味わえることにこそ不満はないものの、終わってみれば、それは英雄の血に引き寄せられただけの少女にすぎず、どの国からも恨まれる立場の自分などには、本当かもわからぬ愛を受け止め添い遂げようなどできるはずもない、と自己嫌悪に陥る。
だからだろうか、娼館で働く彼女たちを見ると安心してしまうのは。
名目上だけの自由恋愛だって決して健全なものではないのだけれど、それでも盲目に自分だけを心酔しているわけではないことに肩の荷が降りたような感覚を覚えていた。
焦るように、だが物音はあまり立てないよう支度をする。
寝ているのならまだ寝ていてくれていい、と建前で言うにはそれなりに本心の混ざった言葉で、何かを求めてくる手を制した。
人によっては朝支度なんかを用意してくれるものもいるだろうが、二回戦と称して時間をぶち壊すやつだっている。その上で、前者だって、気分によってはどう転ぶかは読めないのだ。
そうだ。そもそもの話、釣った魚に餌をやるには、あまりにも忙しすぎる。
仕事は適度にサボってはいるが、多いことに変わりはなく、加えて娼館のオーナーを兼任し嬢の機嫌を取れ、などとはいささかブラックすぎやしないだろうか。
疲労だって性欲には悪影響なのだ。激しいプレイは難しく、前戯で誤魔化しても最近は射精回数が足りないこともままある程に。
いや、それならいっそ失望してしまえ。こんな英雄の血が流れているだけの、クズで頼りのないスケコマシのことなど。
共に仕事をしているからわかることだが、ここには男の自分から見ても好条件の男はごまんと揃っているのだから。
自暴自棄になった司令官は、こうして最後まで部屋に女を残して玄関から出ていった。
「……御主人様?」
───
──
─
「司令官、もっと手を動かさないと終わりませんよ!」
仕事の手を休めがちな司令官をアリシアがどやすいつもの光景。しかしながら、今日の司令官はどうにも上の空だった。軽口が返ってこないのを見ると、アリシアも何かあったのだろうと勘づく。
「司令官? 何か気になることでもありましたか?」
こういうことが過去に無かったわけではない。厄災の兆候などにいち早く気付いては疑問に頭を悩ませるのは、彼が前線基地の司令官たる頭脳の持ち主故だ。
しかし今日はそうではない。アリシアは2度目の呼びかけにすら応じない彼にようやく違和感を覚える。
「……司令官、司令官!」
「ん、ああ、アリシアか。すまん、手が止まっていた」
「いえ、それは……よくはないですけど、今はいいんです。何か、悩み事ですか? なんだか今日の司令官はこう……普段と違う気がして」
うまく言語化こそできないものの、平時の仕事の多くを共にするアリシアだからこそ感じ取れた些細な変化。
そして、アリシアを信頼しているのは司令官も同じ。自分と同じ孤独を抱える相手だからこそ、喉の奥にしまいかけた言葉を漏らした。
「単なる疲労というか……そうだな、少し、部下に接するのに疲れてしまった、というか」
「部下、というのは……どの子のことでしょう?」
口にしていなくとも、女性絡みの話だと見抜かれている。
「……いや、恥ずかしい話だが、特定の誰かというわけではなくてだな」
「はあ、色んな子に手を出すからですよ」
「俺から手を出したのは両手で数える程度だ。多くは……こんな辺境の英雄なんかに惹かれる好き物ばかりだよ」
「両手は十分に多いですけど……そうやって悪態をついてても、司令官がみんなの悩みに寄り添って解決してきたのは事実じゃないですか」
「そうだな、そうなんだが……」
確かに、悩める子羊を導き、決死の冒険を共にし、多くの夜を過ごした。
だが今はそれも全て、英雄の血の運命に決められていたみたいに感じられる。
こんなことを口にしたら笑われるんじゃないかと、口を噤む司令官。
アリシアにもそんな司令官を問い詰めることはできず、数刻の静寂が流れる。
長考の後、観念したように言葉を発したのは司令官。表現を変えてどうにか、伝わるように。
「娼館で働くあいつらは楽しそうだ。少なくともその点に関しては、わざわざ俺じゃなくたっていいんじゃないかと思えるほどに」
「……うーん、私は経験がないですし。司令官がその、どれだけ凄いのかとか、わからないので……」
「すまん、こんな話で」
「いえ、それは今更ですから。なんなら『試してみるか?』くらい言うかと思いましたよ」
「俺をなんだと思ってるんだ……いや、まあ実際過ったが。これ以上は……怖い、かもしれない。自分の、英雄の血の可能性を解き放つのが」
はは、と笑う司令官だが、そこにいつもの軽薄さはない。セクハラをしてくれた方がよほどマシだったかもしれないとアリシアは思った。
「全部が終わった時、きっと俺では皆を幸せにしてやれないだろう。まああれだけの人数じゃあ、こんな境遇じゃなくとも不可能だろうがな」
「それは……」
流石に否定はできなかった。
アリシアが黙りこくる。
「なのに……どうしてだろうな。あいつらが他の男と幸せになるのを想像すると、胸が痛くなる。俺は、本当に酷い女誑しじゃないか」
──司令官が皆のことを好きなら、それでいいじゃないですか。
そうは言えなかった。
アリシアは、やはり黙ったまま。
「なあ、アリシア。お前は俺のことなんか好きになるんじゃないぞ。お前のことまで好きになってしまったら、俺は……」
「そんな……そんなの、遅いですよ……!」
アリシアの沈黙を破ったのは、純粋な恋心。
それがこの場では失言であることに気づいてハッとする。
「……不幸になるぞ?」
「これ以上の不幸なんて、ありませんよっ……!」
居場所がないのは、孤独なのは、アリシアだって同じだから。
───
──
─
司令官室の扉の前。
ニナは硬直していた。
司令官が自分を置いて出勤したことに拗ねながら、それでも必要だろうと作って持ってきたお弁当を片手に。
重苦しい雰囲気に気圧されて、自分が置いていかれた理由を聞いてしまったせいか、普段なら冷静に割って入っていたであろう会話にも躊躇ってしまった。
そうして恐る恐る開いた扉の向こうでは、時が止まっていた。
アリシアと司令官は唇を重ねたまま、まるで世界から切り離されたかのように、ニナに気づかずにいる。
そうして理解する。自分はあの立場にはなれないと。
糸がほつれるみたいに、足の筋肉が弛緩する。
見たこともない表情で唖然とへたり込むニナに、司令官が気付くのは数秒後だった。