ひしゃげた鍵で釣った魚は、間男の給餌を受け入れる。 作:鯛と琴
ノックの音に、今日もため息をつきながら居室の戸を開ける。
だが、そこにいたニナを見て司令官は驚いた。
「失礼します。忘れ物を取りに来ました」
いつも通りの無表情。だが声のトーンは重たく、目尻は僅かに赤く腫れている。
そう観察しているうちに、ニナは痺れを切らしたのか、こちらの答えも聞かずにずかずかと部屋に押し入り、忘れ物とやらを回収し始めた。
「ちょっ、ニナ……」
「気にしないでください。すぐに帰りますから」
完璧なメイドは忘れ物はしない。あくまで司令官に会いにくる口実のために、わざと置いていったもの。それは司令官だって理解していたし、だからこそ昼のことがあった今日すぐにやってくるとは思っていなかった。
司令官の想像通り、ニナはここで無理矢理にも司令官を押し倒すほど欲望に忠実には生きていない。だが、慣れた手際で部屋に残した物を回収したところで、漏れ出すように言葉が飛び出た。
「メイドの領分を超えて接してしまったこと、誠に申し訳ありません。今後は私情を控えて仕えることを誓います」
「……聞いてたのか、昼の会話」
ニナは、自分でも狡いことを言っている自覚があった。司令官が自分を、前線基地の皆を放っておけないことをわかっていて、だからこそ本当はすぐに部屋を去るつもりだったのに。
だが、何故かもわからないまま距離を置かれるよりはいいと、司令官も思考する。
「すまん、俺も疲れてて……ニナのこと蔑ろにしてしまったよな。確かに連日とかは控えてほしいが、少しは会いに来てくれたって構わないぞ。俺は……言った通り、皆のことが大事で、ニナのことだって、傷つけたいわけじゃない」
「ですが、私一人が少し控えたところで、他の方がくるのではないですか?」
「……それは、まあ、そいつらにも話すよ。今回のことで俺も弱みを見せなさすぎたと懲りたよ」
曲がりなりにもこの前線基地をまとめ上げ、多くの女の子の問題を解決してきたのが司令官だ。今自分がどうすべきかも、ある程度までは理解していた。
「それは良いのですが……私たちが他の相手を見つけるようになったら、それはそれで辛いと仰っていませんでしたか?」
「ああ……それは、俺にもどうすれば良いかわからないな。気が動転して変なことを言ったのを、自分の考えだと思い込んでしまっただけかもしれない」
そんな司令官にだって、自分のことは案外わからないものだ。
孤独だった故に、その恐怖を誰かに甘えて和らげるという手段を持たない。
ニナはかつて故郷を離れて門番として勤めていた客の顔を思い出す。
奉仕の精神で、多くの客の疲れや不安を取り除いてきた。その自覚も自負もある。
だが、未来ある存在である以上、ニナには司令官の孤独に寄り添う資格がない。
きっと司令官の拠り所となり、帰る場所となり、真に甘やかす役割は、アリシアが担うのだろう。
であれば、今、ニナができることは──
「……でしたら、聞かせましょうか。私が、相手したお客様のお話」
メイドとして生きることは誰かに仕えること。その喜びを与えてくれる人に出会うこと。
奉仕プレイの最中に心が靡くことが何度かあった。靡くと言ってもそよ風に過ぎないが、それでも一夜だけの相手に抱くには十分すぎる愛だった。
きっとこれから司令官と袂を分ったとして、そんな出会いを幾度も繰り返せば幸せな縁だってきっと訪れるはず。
ニナは、そう伝えた。
「……いや、いい。そこまでしてもらうのも悪いし、何より嫉妬してしまいそうだからな」
「していただけないんですか。嫉妬」
間髪入れずの返答に、気取ったことを言ったことを司令官は後悔する。そのくせ嫉妬しているのは本心なのだから質が悪い。
けれどもそれはニナも同じ。
それでも自分が愛しているのは司令官だと伝えるのに、回りくどい言葉を使ってしまったことに。
「失礼いたしました。これではまた御主人様を困らせてしまいますね……」
「……ああ、困ってるさ。でも、だからこそわかったよ。俺はやっぱりお前らが好きだ。そしてどうやら、俺がそれ以上に好かれているというのもな」
観念したように、司令官は告げる。
認めてしまえば、案外単純に、それまでの思考が整理されていく感覚があった。
自分の弱みを見せるということ。
ようやく司令官の頭に、その選択肢は浮上する。
「やっぱり、聞かせてくれないか。その……ニナがした、客とのこと」
「……いいんですか?」
「ああ……なんだか今は、この気持ちがもっと知りたい。聞くだけなら大して疲れることもないだろうしな」
「……わかりました、御主人様。それが御主人様の望みであれば」
───
──
─
「先ほども申し上げましたが、私を指名するお客様の多くは奉仕プレイを希望される方が多いです。やはり兵士の方も疲労が溜まることが多いのかもしれません」
「肉体労働だからな。そういう点では俺より疲れているやつも多そうだ。そういうやつらの慰安としても娼館は必要なのかもな」
「そうですね。ただ、2度目、3度目と通われる方も多く……女性に主導されるのが癖になったという人も多いです。いわゆるマゾ、というものでしょうか」
思えば、自分がするときはこっちが主導してばかりだと司令官は内省する。案外そんな単純なところでも気づきがあるものだと思った。
「ですので身体を使った奉仕が基本で、本番はあまり経験がないですね。私は感じやすい体質のようですし、そちらはあまり向いていないかもしれません」
前戯だけで絶頂したこともある、という話はあえて伏せる。何よりニナもそれを知られるのは恥ずかしいと感じていた。
「特に多いのは……胸、ですかね。身体に擦り付けたり、乳首を吸わせたりしながら、手や口で奉仕したりします」
ニナは自分の双峰を軽く持ち上げる。小柄な身体には似つかわしくないほど育ったそれは、やはり多くの男を虜にしてきた。
「もちろん、ここに男性の性器を挟んで扱くこともありますね。あれは少し苦手というか、胸の間に精液が溜まってしまって……」
そこまで言って、司令官の目線が自分の谷間に釘付けになっていることに気づく。それが他人の手垢と精液に塗れていると思うと、司令官といえども悔しいものがあった。
だがそれ以上に、その行為がどれだけ気持ちいいかを否応なく想像してしまう。下半身に血が集まり、芯が入るのを感じていた。
「……興奮していらっしゃいますか?」
「ああ……そうだな。本当に、不思議な感覚だ。でもやっぱり疲れているし、治まるまで待つほうがいいだろう」
「賢明な判断だと思います。……しかし、思えば御主人様には、あまり胸を触らせたことはありませんでしたね」
ニナは司令官の手を自分の乳房に当てさせた。厚手のメイド服でもわかるほどに柔らかな感触が伝わる。
そのままニナは彼を抱き寄せ、顔を胸に埋めさせた。じんわりと体温が伝わって、疲労も相まって少し眠たくなる。
「こうした触れ合い程度なら、むしろ疲労回復には効果的だと言います。プレイ後はこのように甘えてくる方もいますね」
そう語るニナの胸元は、甘い匂いがした。他者の精液を何度も受け止めたとは思えないほどに心地の良い香り。
この香りは間違いなく、自分だけのものだと感じられる。
「ニナ……これ以上は」
我慢できない、と言おうとするも、口を塞がれていて上手くは喋れない。
だがニナはそれを聞くまでもなく理解し、彼を解放する。
「わかりました。それでは、今日はここまでとしましょう。ゆっくりお休み下さい、御主人様」
焦らすように、それでいて宥めるようにニナが告げる。一抹の寂しさを覚えながらも、司令官はどこかこのあやふやな距離感に心地よさを覚えていた。
一度は限界まで張り詰めた糸だったが、それはゆっくりと弛緩していく。今日のような問題はしばらくは起こらないだろうと思えるほどに。
「……差し支えなければ、次の機会を期待しています。御主人様の都合の良い時で構いませんので」
ニナは改めて手荷物を確認すると、心なしか嬉しそうに言い残した。断ち切りかけた関係を紡ぎ直すことができたことに心から安堵していた。
だが、その心に新たな波風が立つことを、ニナはまだ知らない。