ひしゃげた鍵で釣った魚は、間男の給餌を受け入れる。 作:鯛と琴
「なあアリシア。……今度、休みを貰って出かけないか?」
「……はい?」
予想外の言葉に、素っ頓狂な声を上げるアリシア。
今日の司令官は、異様すぎるほどに真面目に仕事をしていた。先日のことがあったこともありヒヤヒヤとしていたアリシアだったが、司令官はといえばいつになく浮足立っていた。
「いつもの買い出しとかじゃないぞ。まあ、いわゆるデートだな」
「いや、そ、それは、う、嬉しいですけど……仕事はどうするんですか?」
当然ながら、世界の命運を握る前線基地の仕事は、日夜大量の書類が舞い込んでくる。
司令官が集中していたのは数日分の仕事を片付けるためで、終わる目処が立ったからこそ話し始めたことはアリシアにも明らかだったが、それでも一日に上がってくる書類やトラブルだけで数え切れないほどだ。
「ある程度は事前に終わらせておくとして……当日の仕事は複数人に手伝いを頼んでおくよ。少なくともニナにはもう話をつけている」
作戦のための根回しは流石司令官といったところか。
しかしながら、以前のことがあったというのにニナが協力してくれているのはどういうことだろうとアリシアは疑問を持つ。
それを聞こうとしたものの、想定される答えは碌でもないものな気がしたため、口を噤んだ。
「……わかりました、たまには休息も必要ですからね。でも、そのために無理はしないでくださいよ?」
何より、司令官が自分を想ってくれることが嬉しい。それは仕方なさそうに承諾するアリシアの声色にも隠せないほど現れていた。
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「それで、集められたメンバーが私たちってこと?」
「はい、今日はよろしくお願いします」
ソフィアは辺りを見回す。見慣れたマリナとベリサの他に、その妹のヴィーラ、そしてルシータ。加えて、隣でお辞儀をしているのが、司令官の指定通りにこの面子を集めたニナだった。
これらを指揮系統のソフィアは纏める必要がある。とはいえ、役割はある程度決まっており、財政管理はルシータとマリナに任せつつ、全員で書類整理。
不測の事態、特に荒事については指揮のできるソフィアかルシータを中心に添え、ニナを主力に対応するよう、司令官が方針を固めていた。
流石は司令官が選んだ面子というべきか、外交、事務、財政、指揮、戦闘と幅広く対応できる人材が揃っている。
裏を返せば、普段はそのレベルの仕事をほぼ2人で、都度その場で動ける面子を集めてこなしていたということだが。
「しっかし、司令官がアタシたちを頼ってくれるのは嬉しいんだけど……」
「まあ、いってしまえば浮気デートの手助けですからねぇ……」
「私はともかく、皆はそれでいいの……?」
お察しの通り、全員が司令官と関係を持っている。互いが互いのそれを薄々察しているのも、今日に始まったことではない。そのため、そんなことで痴話喧嘩をしている場合ではなかった。
自分たちのせいで司令官を疲れさせてしまったという負い目から、ここにいる全員が代理の業務を断れなかった。
しかしながら、アリシアに向けられているそれが自分たちに向けられているものと異なることにも、皆どこか気づいていた。
「私は、納得しています」
皆が反応に困り黙る中、ニナははっきりと言い切った。
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あの日。
堕ちかけの身体で、司令官に究極の質問を投げかけた日。
「俺は──大好きなニナを奪われたい。そして、幸せになるところを見せてほしい」
司令官は、肩の荷が降りたように穏やかな声音で告げた。
英雄の血の運命を凌駕するほどの魅力があるのなら、安心して送り出せる。
それでどれだけ嫉妬して、辛くなったとしても、涙を流して祝うことができたら、どれだけ幸せなことだろう。
それは、子供ながら孤独になり、ずっと仮面を被り続けてきた彼が、ようやく孤独になることを正しく嘆くことができるということだから。
そして、その時に、隣にいて慰めてくれる人は、同じ孤独を分け合える相手がいい。
御主人様のそんな赤裸々な気持ちを聞いたニナは、このデートの成功を願って助力することこそが従者としての役割だと承諾した。
ニナもまた、後悔はない。
ただ、気掛かりがあるとすれば、彼──例の客のことを、娼館でしか知らないことだけだろうか。
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そう回想するニナの神妙な面持ちを見て、ベリサも娼館で司令官と会った日のことを思い出していた。
すぐ近くでニナが客にハメ潰されていたことを噂程度に聞いていたこともあり、その思考は邪推と言えないほどには真実に肉薄する。
そして何より、あの日の司令官の暴発の理由。ベリサはにやりと笑いながら、ニナに賛同するように口を開いた。
「まぁあたしも最初は困ったけど、面白いイタズラを思いついちゃったから、いいかなーって」
「もう、お姉ちゃん、司令官さまやみんなに迷惑かけることはしちゃダメだからね?」
「大丈夫大丈夫、今日はちゃんと真面目に手伝いに来たんだから。それにイタズラも、司令官が喜ぶイタズラだからね〜♪」
困った顔をしながらも、ヴィーラは今日の分の書類の整理をして、各担当に配っていた。
各々は司令官について大なり小なり推測を立てていたが、ベリサの様子に場が和んだのか、まあ司令官のためなら仕方ないか、と思えるほどにそれぞれの結論へと辿り着いていた。
「それじゃあ、始めるわよ。この仕事、片付けておいてあげましょうか」
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「うわぁー可愛い!見てください司令官これ!」
そういってアリシアはクマのぬいぐるみを手に取る。司令官の感性にはピンと来なかったものの、やはりファンシーショップにあるのだから一般的には可愛いとされるものなのだろう。
ここは、以前ラヴェリアが来ていた店だ。アリシアがこの店に興味を示していたことはラヴェリアから聞いている。
期待通りに目を輝かせるアリシアは見た目相応に子供らしく、普段のしっかりした様子が嘘のようだった。
ある意味、司令官と同じく無理をしていたのかもしれない。そう思うと、この光景には安心感すらあった。
「なら、それを買うか。同じキャラクターで種類もあるみたいだが、どうする?」
「うーん、でも、少し値段が……無駄遣いできる余裕はないですし……司令官と一緒にこの店に来れただけでも幸せというか……」
値札を見て現実に戻されたのか、アリシアは遠慮しだす。だがやはり欲しい気持ちも隠しきれないようで、うんうん唸りながら依然ぬいぐるみを懐に抱えている。
「俺が出すから気にしなくていいぞ。まあ、そんなに気になるならひとつだけにするか?」
サングラスをかけたものは新品らしく、大量に入荷され並んでいる。しかしながら人気商品のようで、先ほどから次々と他の人の手に渡っていくのが見えた。
一方で、ベレー帽を被っているものは前からあった商品のようだ。すぐに無くなる様子こそないものの、人気なことには変わりないようで、店頭に残っているものは徐々に数が少なくなりつつある。
どちらも見逃せば次に訪れる頃にはなくなってしまいそうで、買わないという選択肢は後悔に繋がる。だからこそ、アリシアには自分に素直になってほしいと司令官は考えていた。
「でしたら……この子を買いたいです」
「決まりだな。店員さん、これを」
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「そうですねぇ……個室に対して、待っているスタッフさんが多くないでしょうか? 一階で働く分給料は削れませんし、それも人手は足りてますから〜……かなりの機会損失が出ているような気がします」
「ほら、探索者と兼業で入ってる方が多いじゃない? 急に仕事が入っちゃう子とかも多くて……欠員が出て回らなくなる方が避けたいから、やむなしなのよ」
しばらくして、司令官室では娼館の経営について議論が交わされていた。
というのも、せっかく商人達がいるのだから、司令官の代わりに経営のアドバイスを聞こうとルディアが来訪してきていたのだった。
無論、他の皆は経営については門外漢のため、黙々と作業に取り組んでいる。
ただベリサだけは、集中を切らして野次を飛ばしていた。
「じゃあさー、外でヤっちゃえばいいんじゃない? そういうの好きな人もいるでしょ?」
「そういうのが好きな人にしか薦められないのよ。見つかったりしたら私やスタッフの子も困ったことになっちゃうし……」
愛する妹の意見が却下されたのを聞いて、ヴィーラの手が止まる。
「でも、娼館じゃないところを借りて使えばいいってのはいいアイデアだと思うよ、お姉ちゃん。野外は無理でも、相手の家まで行くとかなら……」
「いわゆるデリバリーね。アリだとは思うのだけど、問題が起きた時に気づきにくいのよ。それに娼館から遠いと回転率が悪いのは変わらないし……」
尻込みするルディアをよそに、ルシータは何か閃いたように帳簿を見て暗算を始める。
「いや、意外と行けるんじゃない? 探索者の宿舎に限定すれば場所も近いし、見回りがあるから問題があっても気づきやすいはず。客の傾向も兵士の男の人とかが多いし」
「確かに……でも、騒音被害とかならないかしら?」
「それはねー、おにーさんの部屋がちょくちょくうるさいから慣れたーって、みんな言ってた」
「そ、そう……」
珍しく困惑するルディア。
とはいえ、集合住宅内であれば娼館と同じような心の共鳴の効果は得られるだろう。
何より司令官が住んでいて、互いに嫉妬することを考えれば、探索者の強化という面でも申し分ない。
「ありがとう、みんな。そのアイデアを実行できないか、考えてみるわね。それじゃあ、私はそろそろお店の準備をしてくるから……」
時の流れは随分と早く、気づけば日が傾きつつある頃合い。
司令官室を出ようとしたルディアは、入れ替わるように入ってきた兵士と衝突しそうになる。
「っ、すみません、急いでいて……司令官……! じゃない、代理の皆さん!」
「何かあったのね?」
むしろ、この危険と隣り合わせの前線基地で、夜まで何もなかったことの方が珍しい。
前日までの司令官の根回しと、加えて彼の幸運が齎した奇跡だと言えるだろう。
「はい、採掘部隊の皆さんが帰り道でゴブリンに襲われたそうで、現在交戦中ですが劣勢のため救援が必要とのことです!」
「わかったわ、事前の手筈通り、私とニナが出ます。訓練中の私の部隊を呼びにいきましょう」
和気藹々としていた空気は一変し、ソフィアは指示を出しつつも片手剣を手に取ると、司令官室を後にした。