メスに犯されし哀れなオス 作:かまいたいかまいたち
宙を舞う我が四肢。
たとえ手足を動かしたとて制御の効かない、まさに成るがままの空気中へ投げ出されたそれは、さながら弾丸の如き勢いで飛んでいったかと思うと、閑散とした商店街の、もはや珍しくない久しく締まったシャッターに打ち付けられて止まる。
背中にジワリと広がるは鈍痛。
前述の通り俺の体は空気を置き去りにして弾丸の如き勢いで飛んでいったのだ。もっと大きな激痛が身体中を駆け巡るもんかと思っていたため、紙一重で繋がっている意識の中、俺はどこか他人事のように拍子抜けする。
案の定、体は動かない。というか、これで動いたらそれこそ自分の不死を疑う。
飛んでいったが故、自分の野垂れている位置から遥か彼方になってしまった大通り。そこでウインカーを白黒させているのは、ライトノベルの世界、数々の主人公の命を物語冒頭で屠ってきたキルリーダー。
3トントラック先輩である。
深夜の宵闇に沈む大通りのアスファルトを明滅させ、ウインカーにはおそらく自分のものである鮮血が綺麗にこびり付いている。
その赤黒い血痕の量と、そして空気中同様、既に地に落ちているというのに依然として自由の効かない身体から察するに、おそらく自分は助からないのだろう。
狭窄する視界はこの世と己の魂の別れを物語っている。
死の瀬戸際であるというのにこうも冷静でいられるのは、自分の中でどこか、これから死ぬという実感を持てないでいるからなのだろうか。それとも来世を信じているからだろうか。
血の通っていない頭では分からない。いや、たとえ血が通っていたとしても、おそらく出来の悪かったこの頭脳では分かろうとするどころか、考えもしなかっただろう。全くもって愚の骨頂である。
自分の脳の無さを、やはりどこか実感のない他人事のように嘲けながら、俺の意識はどことも知れぬ暗黒の渦中へと消えていった。
名をば瀬崎 慎介
享年25歳とは、なんとも短く中身のない人生だったのだろうか。
□
…………ピッ………ピピピッ………。
どこか遠くからアラームの音が聞こえる。
1000円ちょいの安っぽい目覚まし時計特有の、所々に音割れの目立つ電子音は、酷く聞き馴染みがあり、そして数ある目覚めの悪い朝を彷彿とさせる。
しかして俺はたった今、日本という広くも狭い国家の中でいつ起きてもおかしくないであろう、ありきたりな交通事故によって命を落としたばかりである。
このアラーム音はその落とした命が最期に見せた走馬灯の類だろうか。もしくはただの空耳だろうか。どちらにせよ、屍であることに相違ない俺はそのアラームに従う筋合いはない。
ピピピ……ピ……ピピピ……ピッ……。
しかしてその憎たらしいアラーム音は時間が経つごとに大きく、そして耳障りになってゆく。
鼓膜を掠める音割れから想像できるその目覚まし時計の安っぽさは無視できないものに。何故か聞き覚えのあるアラーム音は、だんだんと動くことは再度なかったであろう脳を覚醒させてゆく。
「……ッ」
うるさい。うるさい。
動かなくなった瞼すらも動かせるような気がして気持ちが悪い。
生き返ったのだろうか。それとも転生したのだろうか。どちらにせよ、一度死んでしまった不快感は根深く、そして拭いきれないほどに体の底に染み付いている。
ピピピピッ………ピピピピッ………。
「あぁっ…もうっ…!」
ガバリと起き上がった。
否、起き上がれた……?
「……は?」
おかしい。
再三申したが、俺は今し方、不慮の事故で命を落としたはず。なのに、何故体は動く。何故頭は回る。何故呼吸ができる。
耳障りだったアラーム音は、あまりにも予想外の事象に困惑した脳内には響かない。
な…なんで………。
生き返った?転生した?
しかし、周りを見渡せばそこは気持ちの悪いくらいに見覚えのある自室。正確に言えば、高校の3年間、下宿に使っていた壁の薄いアパートの一室。
天井のシミも。カーテンのカビも。所々剥がれたフローリングも。何もかもが目に馴染む。見覚えのある。まるで、その頃にタイムスリップしたかのように。
「あっ…」
自分の横になっていたベッドから飛び出す。
狭いワンルームであるというのにバカみたいに千鳥足になりながら走って、何かに追われるようにしてテレビのリモコンをぶん取る。
赤い電源ボタンを急かすようにして連打。
電源の入った液晶の中、画面の左上、今日の日付が書かれたそこあるのは。
「…………………10年前…っ…」
唖然とした。
ガタンッ。力を失った手からこぼれ落ちるリモコン。重力のままに床に激突して、バカっと開いた背面から単四電池が一個、勢いよく飛び出て転がる。
脳裏に浮かぶはタイムスリップなるサイエンス・フィクション。なるほどあの3トントラックの本性はデ◯リアンであったか。
シンと静まり返った部屋。
ニュースキャスターの透き通った女声と、未だに止められていない安っぽい電子音のアラームが響き渡る。
「……ははっ………ははははっ…」
込み上げてくる笑いは、嘲笑だった。
現実は小説より奇なりとはよく言った。ここまで奇怪なことになるとは、果たして誰が想像し得ただろう。言わずもがな俺自身は考えもしなかった。
まるで本の世界にでも紛れ込んでしまったような気分に、俺はしばらく、壊れた機械のようにその場でヘラヘラと笑っていた。
□
今日が日曜日であったことは不幸中の幸いか。
こんな状況で学校に行くことなんて、とてもではないができるはずがない。一旦、心を落ち着かせ、先の見えない向こう一週間程度先のことについて考える必要がある。
「はぁ………」
寝巻きのまま、ベッドに座りため息。
本日何回目だろうか。この部屋の二酸化炭素濃度が着実に高くなっていくのがわかる。
10年前となると、俺がまだ高一だった頃だ。
一応、大学は卒業した身である。高校程度の授業内容であればそう焦る必要はない……はず。
いやでも定期テストの成績そんな良くなかったしなぁ…。
思い出すは偏差値30台で戦った高校の日々。
記述問題は愚か、記号問題でさえ碌に書かれていない問題用紙は配られた際の姿と瓜二つであったという。紙の無駄という言葉がここまで似合うこともそうあるまい。
頭をワシワシと掻きむしって結局、何も思いつかず頭を抱える。
「………はぁ…」
結局、喉から漏れるはため息。
気分転換がてらに外に散歩でもしようか。
ここは思い出の土地。ぶらり辺りを歩きながら10年前の若かりし自分と向き合うのもまた一考。かの天才科学者、アイザック・ニュートンがリンゴの木から万有引力を見つけたように、案外ひらめきと言うものはそこら辺に眠っているもの。
思い立ったが吉日。
寝巻きを脱ぎ、クローゼットを開いた俺はテキトーに服を見繕う。
上着は鎖骨の見えるまでヨレヨレになったTシャツ。下に履くは黒いハーフパンツ。至って普通の格好。ありきたりを極めたような風貌である。
サンダルを履いて外に出る。
春を過ぎ、初夏に差し掛かる空気はとても澄んでいた。
『次のニュースです。
勤務校の男子生徒にわいせつ行為などをしたとして、県教育委員会は〇〇市の県立高校の女声教諭(31)を懲戒免職にしたと発表しました。』
家主の消えたワンルーム。消し忘れたテレビからは瀬崎慎介の未だ知らぬ世界の理が蠢く。
まぁ落ち着きなさい。
次の話からどんどんエティエティになってゆくのよ。