1人の青年のまぶたが、ゆっくりと持ち上がった。
柔らかな光が差し込む部屋の天井は、粗い木の梁で組み立てられ、埃っぽい空気が鼻をくすぐった。
体を起こそうとして、軽いめまいが襲ってきた。全身が重く、まるで長旅の疲れが一気に噴き出したかのようだ。
「ここは……どこだ?」
彼は周囲を見回した。簡素なベッドの上に横たわり、傍らには古びた木製のテーブル。
薬草の匂いが漂うこの部屋は、どうやら村の診療所らしい。
窓からは、緑豊かな森の木々が揺れ、遠くに小さな家屋が点在する村の景色が見えた。
馴染みのない風景。エオルゼアのどの街とも違う。
青年は冒険者だった。光の戦士と呼ばれ、竜騎士として数々の試練を乗り越えてきた。
仲間たちと共に世界の危機を救ってきた日々。
あの広大な大地、エオルゼアで、彼は英雄として知られていた。
あの日、グリダニアの森で何が起きたのか、青年は記憶を遡った。穏やかな午後、街の喧騒を離れて散策していた時、突然、眩い光の渦が現れた。
あのゲートのようなもの、それはまるで次元の裂け目のようだった。
好奇心と警戒心が入り混じり、彼は無意識にその中へ踏み込んでしまった。光が視界を埋め尽くし、意識が遠のく中、身体が引き裂かれるような感覚を覚えた。
次に目が覚めた時、彼は道端に倒れていたらしい。
通りかかった馬車の一団が、気を失った青年を発見し、親切にもこの村の診療所まで運んでくれたのだ。
森の外れでぐったりと横たわっていたという話を診療所の女医から聞かされた。
青年はベッドから起き上がり、窓辺に近づいた。
外の世界は静かで、鳥のさえずりが聞こえる。
だが、エオルゼアの空気とは違う。
ここは、知らない世界だ。
第一世界みたいな、別の世界なのか?!
辺りを見渡す青年。
診療所には青年の他に一人の少女がベッドに横たわっていた。
ポニーテール姿の彼女はぼんやりと天井を見つめ、無表情で治療を受けていた。
好奇心と不安が混じり合い、青年は女医に声をかけた。
「 あの少女は、どうしたんですか?」
女医は、作業の手を止めて青年を振り返った。
「あの娘はね、亡くなった武闘家の父親の意思を継いで、この村の幼馴染の男の子と冒険者になったの、そして仲間たちと一緒にゴブリンの巣に乗り込んで、女性たちを助け出そうとしたのよ。でも……返り討ちに遭ってしまった。幸い、他の冒険者が駆けつけて助け出してくれたけど、神官の女の子が無事で、幼馴染の子を含めた、仲間二人が命を落としたそうよ」
青年は少女の姿をじっと見つめた。彼女の体の傷もだが,心の傷はより深そうだ。
女医は、「あの娘自身はゴブリンどもに蹂躙されて、心が傷ついてしまったの。言葉を発さなくなってしまって、ただ震えるだけになってしまったわ、とても明るい活発な子だったのにね」
会話が進むにつれ、この世界のゴブリンの異常な生態が明らかになった。
雄しか存在せず、他種族の女を拐って交配し、子を産ませることで種族を増やすという。
エオルゼアのゴブリンとは似て非なる、残忍な生き物だ。
青年は黙って立ち上がり、少女に近づいた。
白魔道士として習得した回復魔法、ケアルの魔法を、静かに唱えた。
淡い光が彼の手から溢れ出し、傷口がみるみる塞がっていった。
しかし、肉体の傷は癒えても、彼女の目は虚ろのままで、心の傷までは届かなかった。
あの少女はベッドに座ったままほとんど反応を示さなかった。
ただ、微かな声が耳に届いた気がした。
「ありがとう……」と、
女医は目を丸くし、息を飲んだ。「ケアル…聞いた事の無い魔法だわ、あなた、一体何者なの? 」
青年は慌てて手を振り、無用なトラブルを避けるために、記憶を失っていることにした。
「すみません、僕自身もよく覚えていないんです。目が覚めたらここで……ただ、なんとなくこの力が使えるみたいで,助けになりたいと思っただけです」
女性は怪訝な顔をしつつ、深く追及はしなかった。
診療所の女医は、青年の言葉を聞いて優しく微笑んだ。彼女の目には、彼への同情が浮かんでいた。
女性はポケットから小さな革袋を取り出し、中から僅かな銅貨を数枚手渡した。
「先程の治療のお礼だよ。お金がないと困るだろ? これで少しは凌げるはずさ」
「ありがとうございます。本当に助かります」
診療所の女医に深く礼を述べ、青年は診療所を後にした。外へ出ると、柔らかな日差しが村を照らしていた。
ここは穏やかな農村で、木造の家々がまばらに並び、土の道が緩やかに曲がりくねっている。
村の入り口には、門番が二人立っていた。
粗末な革鎧を纏い、槍を手に警戒の目を光らせているが、村人のような穏やかな顔つきだ。
青年が通り過ぎると、軽く会釈を返してきた。
村をゆっくりと見て回るうちに、青年はこの世界の空気を改めて感じ取った。
ここは静かで、住民たちの生活が素朴に息づいている。
畑で働く農民、子供たちの笑い声、遠くで響く鶏の鳴き声。
やがて、村の中心部に小さな酒場が見えてきた。
古びた看板が軋む音を立て、煙突から薄い煙が昇っている。
青年はここで情報を集め、腹を満たすことにした。
扉を押し開けると、木の香りと酒の匂いが混じり合った空気が迎えた。カウンターの向こうで、店主がグラスを拭いている。
数人の村人たちがテーブルに座り、低い声で話し込んでいる。青年は空いた席に腰を下ろした。
恰幅のいい中年男が、グラスを拭きながらにやりと笑った。
「おお、村の外で倒れて記憶をなくした兄ちゃんか。診療所の姉さんが話してたよ。腹が減ってるだろ?」
青年は軽く頷き、マスターの親しげな態度に、ほんの少し緊張が解けた。
「こんにちは。ええ、記憶が曖昧で……。何か簡単な食事をいただけますか?」
マスターは豪快に笑い、すぐに鍋をかき回し始めた。
「こんな小さな村だが、俺の料理は美味いぞ! 待ってな、村自慢のシチューとパンだ。ビールも付けてやるよ」
やがて、湯気の立つ皿が青年の前に置かれた。
香ばしい匂いが鼻をくすぐり、青年はスプーンを手に取った。
エオルゼアの料理とは違うが、素朴で温かみのある味だ。
マスターはカウンターに肘を突き、世間話をするように言葉を続けた。
食事が進むにつれ、青年はゴブリンについて尋ねた。
マスターは快く答えてくれた。
「あのゴブリンどもはな、この辺りでは最弱の魔物さ。町の力自慢くらいなら、難なく倒せるよ」
マスターは続けて「でも、狡賢いんだよな。油断してると返り討ちに遭うし、集団で小さな町や村を襲撃することもある。奴らは頭数で勝負するから、厄介なんだ」
青年は頷きながら聞いた。
「それじゃ、騎士団や冒険者はどうしてるんですか?」
マスターは肩をすくめた。
「最弱だからこそさ、腕のいい冒険者でゴブリンを倒す奴なんかいないよ。もっと大きな獲物や報酬のある仕事にいくさ。来るのは新人がたまに来るだけさ、それに騎士団なんかがわざわざゴブリン退治なんかに来るわけがないさ、この村みたいな辺鄙な場所は、放置されがちだ」
話は青年自身に移った。診療所での回復魔法の噂が、すでに広がっていたようだ。
「あんた、回復魔法が使えるんだってな。だったら、診療所で手伝うか、冒険者として登録すれば、金は手に入るぜ。町のギルドで登録すれば仕事はあるよ」
青年は曖昧に微笑んだ。記憶を失ったことにしている手前、深くは語れなかった。
「ありがとうございます。少しこの村でゆっくりしてから、身の振り方を考えます」
マスターは満足げに頷き、ビールを注ぎ足した。
「そうだな。焦るこたぁないさ。ところで、この酒場は宿屋も兼ねてるんだ。一晩泊まっていくかい? 部屋は空いてるぜ」
青年はそれを受け入れ、銅貨を支払った。日が暮れ始め、酒場の喧噪が徐々に静まる中、彼は二階の簡素な部屋に案内された。ベッドに横になりながら、この異世界での一日を思い浮かべた。
それから、数日間は診療所で女医の手伝いをして過ごした。
ある日の夕方、外が暗くなろうとしている時だった。
診療所での手伝いを終えた後、青年の視線が、自然とあの武闘家の少女に向かった。
彼女はベッドに座り、窓の外をじっと見つめていた。
目は虚ろで、何かを待ちわびるわけでもなく、ただ外の世界を眺めているだけのように見えた。
初めて出会った日の、小さな「ありがとう」が、青年の心に残っていた。
診療所の女医が近づいてきて、軽い雑談を交わした。
「あんたの変わった魔法のおかげで、助かったわ。
でも、心の傷は時間がかかるわね……」と武闘家の少女の方を見つめた。
そんな穏やかな会話の最中、外が急に騒がしくなった。
叫び声が響き渡り、窓ガラスが微かに振動した。
「ゴブリンが集団で攻めて来たぞ! みんな、武器を取れ!」
その声に、少女の体がびくりと震えた。
彼女の顔が青ざめ、ガタガタと体を震わせ始め、膝を抱えて小さくなった。恐怖の記憶が一気に蘇ったのだろう。
青年は自分の荷物に手を伸ばした。アーマリーチェストから取り出したのは、一本の青白く輝く槍。
エーテルの光が淡く放たれ、周囲の空気を震わせるように脈打っていた。
それは仲間達と絶アルテマウェポンとの死闘で手に入れた、ゲイボルグ・アルテマ…対蛮神兵器だった、アルテマウェポンの力を宿した槍。
診療所の女医が息を飲み、目を丸くした。
「その凄い武器一体どうしたのよ…いや、そんな事より、あんた、一体何者なの??」
青年…いや、竜騎士は軽く微笑み、答えを避けるように診療所を飛び出した。
手にはゲイボルグ・アルテマが握られ、光の粒子が槍先で踊っていた。
外へ出ると、村はすでに混乱の渦中だった。
門番の二人が必死に槍を振るい、ゴブリンたちと戦っていたが、数が多い。
醜い緑色の体躯をしたゴブリンたちが、門を突破し、村の中へ入り込んでいた。
ゴブリンは棍棒を振り回して村人を襲い、別のゴブリンは女性を捕まえて、森の方へ連れ去ろうとしていた。
村人の悲鳴が響き、煙が立ち上る中、竜騎士は槍を構えて歩き始めた。
そして彼の冒険者としての血が、再び熱く滾り始めた。