診療所の床は血と埃にまみれ、静寂が重く沈んでいた。
ホブゴブリンの首が転がり、ゴブリンの肉片が散乱する中、女武闘家はベッドの上で膝を抱えて震えていた。
彼女の目は虚ろで、過去のトラウマが心を締め付けていた。
あの洞窟での絶望…幼馴染の死、仲間たちの悲鳴、ゴブリンの冷たい手が彼女の体を汚した記憶が、まるで暗闇の底から這い上がってくるようだった。
彼女の胸は恐怖と悲しみで張り裂けそうだった。
ふと、彼女が見上げると、そこには竜騎士が立っていた。
ゲイボルグ・アルテマを握る彼の姿は、まるで暗闇に差し込む一筋の光のようだった。
月光が彼の鎧を照らし、エーテルの残光が槍に宿っている。
だが、その目は戦士の鋭さではなく、穏やかな優しさに満ちていた。
「怪我はないかい?」
竜騎士の声は低く、しかし温かかった。
女武闘家は、その声に心の奥底が揺さぶられた。
抑えていた感情が堰を切ったように溢れ出し、彼女は子供のように涙を流した。
「わ、私…怖くて、悲しくて…!」
彼女の声は震え、言葉にならない嗚咽が続いた。
過去の恐怖が、ホブゴブリンの死体と共に再び彼女を飲み込もうとしていた。
竜騎士は静かにしゃがみ込み、彼女と同じ目線になった。彼の目は、まるで彼女の心の傷を見透かすようだった。
「君がゴブリンにされたことは、彼女(女医)から聞いている」
だが、竜騎士の目はすぐに真剣さを取り戻した。
「だけど、村にはまだゴブリンがいる。村人たちが襲われている。僕は行かなければならない」
彼の声には、決意が宿っていた。
「だから、酷なことを言うが…君にここを守ってほしい」
女武闘家は目を大きく見開き、恐怖が再び心を支配した。
「無理…! もう戦えない…! 怖いから、そばにいて…お願い…!」
彼女は竜騎士の鎧の端を掴み、懇願するように叫んだ。
ゴブリンの笑い声、冷たい爪の感触、仲間の血の匂い…全てが彼女を過去の悪夢に引き戻していた。
「ゴブリンはもう嫌っ!!」
竜騎士は彼女の手をそっと握り、静かに、しかし力強く言った。
「君は亡くなった、お父さんに、沢山の人を助けるって誓ったと聞いた」
彼の言葉は、彼女の心に突き刺さった。
「このまま怯えて暮らすのか。それとも、人の尊厳を守るために戦うのか。選ぶんだ、君には戦う力がある」
その一言は、まるで彼女の魂に火を灯すようだった。
竜騎士の目は、彼女の弱さを受け入れつつ、内に秘めた力を信じているようだった。
彼はそれ以上何も言わず、立ち上がった。
女医の元へ歩み寄り、彼女の傷にケアルの回復魔法をかけた。
淡い緑色の光が女医を包み、彼女の顔に安堵の色が戻る。
竜騎士は近くに落ちていたベッドのシーツを拾い、破れた白衣の上にそっとかけてやった。
女医は震える声で「ありがとう…」と呟き、彼の手を握った。
患者たちの怯えた目が、彼の背中に注がれていた。
竜騎士は振り返らず、ゲイボルグ・アルテマを握り直した。
診療所の外に向かい、村の戦いの喧騒へと踏み出す。
エーテルの光が彼の槍に宿り、夜の闇を切り裂くように輝いた。
女武闘家は彼の背中を見つめ、涙を拭った。
彼女の手はまだ震えていたが、拳を握り直すと、かすかな力が戻ってくるのを感じた。
「戦う…力…」彼女は呟いた。
過去の恐怖はまだ心に巣食っていたが、竜騎士の言葉が、彼女に一歩を踏み出す勇気を与えていた。
診療所の外では、まだゴブリンの咆哮と村人たちの悲鳴が響いていた。
女武闘家は深呼吸し、ベッドから起き上がった、彼女の目は、恐怖と決意が交錯する光を宿していた。
竜騎士は村の中心へと急ぐ。
村の通りは血と炎に荒れ果て、ゴブリンの死体と壊れた家屋が散乱していた。
遠くで響く悲鳴と武器のぶつかり合う音が、彼の足を急がせた。
やがて、広場の近くで酒場のマスターと再び合流した。
彼の戦斧は血に濡れ、汗とゴブリンの返り血で顔が汚れていたが、その目はまだ闘志に燃えていた。
「診療所の方はどうだった?」
酒場のマスターが太い声で尋ねると、竜騎士は静かに答えた。
「問題ない。それに彼女が守ってくれるだろう」
その声には、女武闘家への信頼が込められていた。
酒場のマスターはニヤリと笑い、「あいつの父親を知っているんだが、凄い奴だったよ、だから、アイツの娘なら立ち直ってくれると信じていたぜ!」と豪快に肩を叩いた。
酒場のマスターの背後には、門番二人と、武器を手に決意を固めた数人の村人が集まっていた。
農夫の持つ古い槍、猟師の弓、鍛冶屋のハンマー、どれも粗末な武器だったが、彼らの目は怯えながらも村を守る覚悟に満ちていた。
酒場のマスターは広間の方を指差し、声を低くした。
「こっちのゴブリンどもは大体片付けた。残りを村の中心部の広間に追い詰めたんだが…見てみろ。一匹、厄介なのがいる」
竜騎士が広場を見据えると、そこにはホブゴブリン以上の巨体を誇るゴブリンが立っていた。
ゴブリンの中の英雄、ゴブリンチャンピオンだ。
その体は筋肉と粗末な鎧に覆われ、目は獣のような凶暴さでこちらを睨みつけていた。
手に握る巨大な剣は、血と肉片で汚れ、地面に叩きつけられるたびに鈍い振動が響いた。
周囲には村人たちの死体が転がり、ゴブリンの哄笑が広間にこだまする。
「あれは?」竜騎士が静かに尋ねると、酒場のマスターが唸るように答えた。
チャンピオンってやつだ。ゴブリンの英雄ってところだ。昔、冒険者だった頃に一度だけ戦ったが…正直、厄介だぜ」
彼の声には珍しく緊張が混じっていた。
竜騎士はゲイボルグ・アルテマを握り直し、冷たく言い放った。
「チャンピオンだろうが何だろうが、僕にとっては、知ったことではない。排除するだけだ」
その言葉には迷いがなく、力強さがあった。
酒場のマスターは一瞬驚いたように目を見開き、すぐに豪快に笑った。
「ハハ! 気に入ったぜ、兄ちゃん! なら、俺たちも負けねぇようにやるか!」
その時、後ろから足音が響いた。振り返ると、息を切らせた女武闘家が走ってくるのが見えた。
彼女の目は先程の涙で赤くなっており、目は恐怖で揺れていたが、握りしめた拳には力が込められていた。
「わ、私も…戦えます…!」
彼女の声は震えていたが、決意が言葉に宿っていた。
「あの辺りのゴブリンは倒しました。あと診療所の人たちは…安全な場所に避難させました…!」
竜騎士は女武闘家に対して、優しい笑顔で微笑み、わずかに頷いた。
広場では、ゴブリンチャンピオンの咆哮が響き、巨大な剣が地面を叩くたびに土埃が舞い上がる。
竜騎士はゲイボルグ・アルテマを構え、冷静な目でゴブリンチャンピオンを睨みつけた。
「あれは僕に任せてくれ」
彼の声は静かだが、力強さに満ちていた。
酒場のマスターがニヤリと笑い、戦斧を振り上げた。
「おう!任せとけ! 残りの小物は俺たちで片付けるぜ!」
門番の二人、武器を握りしめた村人たちも頷き、決意を固めた。
女武闘家は恐怖がまだ心を締め付ける中、竜騎士の背中を見つめて一歩踏み出した。
彼女の体は震えていたが、過去の自分を超えるために拳を握り直した。
そして戦闘が始まった。
竜騎士はゴブリンチャンピオンに突進した、奴の巨大な剣が振り下ろされるが、竜騎士は軽やかに跳び、空中で一回転して槍をその肩に突き刺した。
血が噴き出し、ゴブリンチャンピオンの咆哮が広場を震わせる。
一方、女武闘家、酒場のマスター、村人たちは残りのゴブリンに戦いを挑んだ。
ゴブリンの甲高い笑い声と武器の衝突音が響き合い、広場は戦場と化した。
女武闘家はゴブリンに飛びかかり、回し蹴りを入れる。ゴブリンの首の骨が砕け、続けての連撃が他のゴブリンのみぞおちに入る、ゴブリンの口からは汚れた血が飛び散る。
彼女の動きはまだぎこちなかったが、武闘家としての鍛錬が体を動かしていた。
「いいぞ! 父親譲りの見事な攻撃だ!」酒場のマスターが豪快に笑いながら叫んだ。
彼自身も戦斧を振り回し、次々とゴブリンを両断していく。
門番が槍でゴブリンを突き刺し、もう一人の門番の剣が別のゴブリンを斬り倒す。
村人たちも恐怖を振り払い、農具やハンマーで必死に戦った。戦いの流れは、明らかにこちら側に傾いていた。
ゴブリンたちは次々と倒され、広場にその死体が積み重なった。
女武闘家は息を切らせながらも、拳を握る手に力を込めた。
過去のトラウマがまだ彼女を縛っていたが、仲間たちの叫び声と竜騎士の背中が、彼女に戦い続ける力を与えていた。
彼女はもう一匹のゴブリンを叩き潰し、血に濡れた顔を拭った。
その時、ゴブリンチャンピオンが異変に気づいた。
仲間が次々と倒され、広場は血の海と化している。
ゴブリンチャンピオンの目には焦りが浮かび、咆哮を上げると仲間を見捨てて逃走を始めた。
巨体が地面を震わせ、剣を竜騎士の方に投げ捨てて、広場の出口へと走る。
だが、竜騎士はそれを許さなかった。
ゲイボルグ・アルテマを投げ放ち、エーテルの光が夜を切り裂く。
槍はゴブリンチャンピオンの足元に突き刺さり、巨体がバランスを崩して地面に転んだ。
鈍い音が響き、土埃が舞い上がる。
竜騎士はゆっくりと近づいた。
月光が彼の鎧を照らし、まるで伝説の英雄のような威厳を放っていた。
彼は地面に刺さったゲイボルグ・アルテマを首筋に刃を突きつけた。
「仲間を見捨て逃げるとは、見下げた奴だ」
その声は冷たく、しかし静かな怒りに満ちていた。
ゴブリンチャンピオンが何か叫ぼうとした瞬間、竜騎士は槍を振りかざし、一閃。
エーテルの光が弧を描き、ゴブリンチャンピオンの首が地面に転がった。
血飛沫が広場に広がり、戦いの終わりを告げた。
時を同じくして、女武闘家と村人たちも最後のゴブリンを倒し終えた。
広場は静寂に包まれ、血と汗の匂いが漂っていた。
村人たちも安堵の息をつき、互いに肩を叩き合った。
女武闘家は緊張から解放され膝をついた。
彼女の体はまだ震えていたが、目には新たな光が宿っていた。
過去の恐怖を乗り越え、自分でゴブリンを倒し、仲間と共に村を守ったのだ。
竜騎士はゲイボルグ・アルテマを握り、広場の中心を見渡した。
燃える家屋、散乱する死体、しかし生き残った村人たちの顔には希望が戻りつつあった。
彼は女武闘家を見ながら、わずかに頷いた。
「君が来てくれて本当に助かった、ありがとう」
その言葉に、彼女の胸に熱いものが広がった、彼女は竜騎士の方を向くと震える声で言った。
「私…もう逃げない」