「帰ってください……!!」
重々しい扉越しに、
メドリの悲痛な声が静かに、だが冷たく響く。
あの日以来、メドリは俺と顔を合わせてくれなくなった。
……当然と言えば、あまりにも当然だった。
何も知らないコモリも心底心配しているようで、
廊下の隅で膝を抱え、メドリの部屋の前で塞ぎ込んでいた。
「メドリ、どうしたんだろう……
僕、何か気に触るようなこと言っちゃったのかな……」
事情も分からず、不安そうに頭を抱えるコモリ。
その純粋な困惑の視線が突き刺さり、
俺は喉まで出かかった言葉を飲み込むしかなかった。
……犯した過ちは、もう消えない。
力任せに奪い去り、踏みにじった信頼は、
二度と取り返せない。
扉から伝わるメドリの徹底した拒絶は、
己の犯した狂気を直視させるには余りあるほど十分だった。
……だが、それでも諦めたくなかった。
諦められるはずがなかった。
コモリが去った後——
俺は、固く閉ざされた扉に静かに告げた。
「……じゃあメドリ、また来るよ」
絞り出すような俺の声に、
部屋の奥から「ガタッ」と椅子を揺らすような小さな破調音が漏れた。
その直後——
「もう……
二度と、来ないでください……!」
消え入るように震えた、けれど刃のように鋭い声が、
扉を突き抜けて俺の胸を穿つ。
……。
嗚呼、俺は……
本当に、とんでもないことをしてしまったんだ。
……
…………
「メドリ……あのさ……
今日は、討伐の仕事をしてきたんだ……」
「ガノンを倒した後、強い魔物がたくさん出てきてさ……
毎日、山のように依頼が入ってくるんだよ」
固く閉ざされた木製扉に向かって、
静かに根気強く話し掛ける。
それでも——
「……」
返ってくる言葉は、
ただの一語すら存在しない。
あれから、何度も竜の島へ足を運び、
メドリの部屋の前へと通い詰めているが……。
彼女が声を返してくれたのは——
初日の一度きりだった。
それ以降は、
ずっとこの死んだような沈黙が続いている。
コモリもちょくちょく部屋の様子を見に来てはいるようだが、
若きリト族の長としての責務を覚えるため、
連日慌ただしく島内を飛び回っていた。
コモリが漏らしていた話によれば——
メドリは今、
本当に、滅多に部屋から出てこないらしい。
皆が静まり返った深夜、コッソリと部屋を抜け出しては、
そのタイミングでひっそりと食事や用事を済ませているのだという。
……全部、俺のせいだ。
俺の卑しい欲望が、
彼女を自分の部屋という狭い籠の中に閉じ込めてしまった。
だが、それでも。
絶対に、
諦めることだけはできなかった。
……
…………
「メドリ……今日は久々に、テトラと会ったよ……」
「ハイラルの復興で大忙しらしくてさ。
でも、海賊をやってた頃よりもなんだか生き生きしてて……」
「……メドリのこと、すごく心配してた」
返事のないドアノブを見つめながら、
ぽつり、ぽつりと語りかける。
「……俺と、無理に顔を合わせろなんて言わないからさ」
「また……テトラと会ってやってくれないか、な」
「あいつ……メドリと話せたら、きっと喜ぶと思うんだ」
ガノンドルフの討伐を果たした後——
テトラはメドリとの交友を密かに深めていた。
元々、優れたポストマンとして海を渡っていたリト族は、
新ハイラル領域の復興において各地への情報伝達役を一身に引き受けていた。
テトラは、歳の離れた気難しいリト族の長と直接掛け合うのを嫌い、
同世代で扱いやすいメドリを専属の伝令役に指名していたのだ。
テトラは、酒場の席でよく笑いながら言っていた。
『あの子、素直で裏がないからさ。話してて一番落ち着くんだよ』
『お堅い復興の仕事話なんて、クソ面白くもないだろ?
あたしはせめて……少しでも気楽でいたいのさ』
……なんとも、あいつらしい気負いのない考え方だった。
メドリも最初は——
ガサツで奔放だがどこか誇り高い気品を纏うテトラを警戒していたものの、
時間をかけて徐々に心を開いていっていた。
二人で船を出し、タウラ島のカフェで茶をしばいたり。
竜の島に出店した焼きたてのクレープを、
嬉しそうに頬張ったり。
ゆっくりと、だが確実に、
二人だけの温かな距離を縮めていたはずだったのだ。
それもこれも、俺が全てをぶち壊した。
俺の汚い欲望が、
メドリの光に満ちた日常を丸ごと奪い去ってしまったのだ。
扉に背を預けながら、彼女の拒絶が持つ『本当の意味』を、
冷たい事実として噛みしめていく。
俺という存在が彼女の前から完全に消え去りさえすれば——
きっと彼女の日常は、
少しずつ元通りの光を取り戻していくはずだ。
「本当に、ごめん……
俺、もうここには来ないから」
「テトラが来たら……
良かったら、会ってやって……ね」
ポツリ、と。
木目に向かって静かに遺言のような言葉を落とし、
立ち去ろうと足を踏み出した——
その時だった。
ガチャリ、と重い金属音が鳴り、
ゆっくりと扉が開く。
「……リンクさん、ズルいです」
「わたしのこと、めちゃくちゃにして……
一人だけで……楽になろうとするなんて……」
「ず、ずるい……っ……です……ぅ……
うっ……ううう……」
……久方ぶりに目にしたメドリの顔は、
あまりにも酷くやつれ果てていた。
元々白かった肌は、長い間陽の光を浴びていないせいか、
病的なまでに青白くなっていた。
その無防備で生々しい肌を目にした瞬間——
脳裏にあの激しい夜の情景が鮮明にフラッシュバックした。
状況とは裏腹に——
ドクリと、下半身に血液が巡る。
……ダメだ。
もう、絶対にダメだ。
己の中の獣を、二度と解き放つわけにはいかない。
「ごめん、メドリ……
もう、ここには来ないから……だから、安心してよ」
必死に口角を上げ、
精一杯の笑顔を作ろうとする。
……だが、泣きそうな顔にしかなっていなかったはずだ。
俺の情けない言葉に、
メドリの大きな瞳からボロボロと大粒の涙が溢れ落ちる。
「違う……違います……!」
「そうじゃない、です……!」
「リンクさんは……
本当に、何もわかってない……っ」
袖でゴシゴシと涙を拭い、
真っ赤に腫らした丸い瞳で、俺の目を真っ直ぐに射抜く。
「私も……リンクさんのこと、好きだったんです……!」
「…………好き、だったんです……」
「だから……だから余計に、怖かった……!」
「あの日、無理やりあんなことされて……
わけわかんなくて……だから。一人になりたくて……」
「それなのに、リンクさんはほぼ毎日私のとこに来るし……」
「……帰ってって言っても、それでも来るし……」
「なのに……今度は、もう来ないって……
本当に、意味わかんない……」
「私……もう、どうしたらいいんですか……?」
「もう……何がなんだか……意味が……
わかん……ない……で、す……」
「ふ……ふえ、ふええええん……!!」
感情の糸がプツリと切れたように、
その場に崩れ落ちて声を上げて泣き叫ぶメドリ。
自分を責める刃も、彼女を抱きしめる資格も失い、
俺はただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
——そして、気がつけば。
いつの間にか廊下の角に、コモリが立っていた。
激しく泣きじゃくるメドリの姿をひと目見るや、
コモリは見たこともないほど暗く鋭い視線で俺を睨みつけてきた。
「なんだかよくわかりませんが……」
「……メドリがこんな風になってしまったのは、
あなたのせいなんですね」
静かな怒りを孕んだ声とともに、
コモリは両手に力を込め、ドンッと俺の胸を容赦なく突き飛ばした。
「もう、メドリに——
いえ、この島に二度と近づかないでください」
感情を殺した声で、淡々と引導を渡してくる。
「……メドリを傷つける人を、僕は絶対に許しません」
幼い頃の面影を微塵も残さないコモリの冷酷な言葉は、
鋭い楔となって俺の胸を深く深く抉り抜いた。
……その日、自分がどうやって自宅へ辿り着いたのか、
記憶のどこを探しても思い出すことができなかった。