あの日を境に、
俺は竜の島へ足を運ぶことを完全にやめた。
いや……やめたのではない。
行けなくなったのだ。
コモリのあの冷酷な拒絶と、メドリの悲痛な叫びが、
俺の足枷となって重くのしかかっていた。
俺にできることと言えば、
己の存在を消し去るように魔物の討伐に明け暮れることだけだった。
ガノンが倒れた後の世界には、
行き場を失った魔物たちが、まだあちこちに蔓延っている。
剣を振り回し、泥と返り血に塗れ、
肉体を極限まで痛めつけている時間だけが。
俺からあの夜の記憶と罪悪感を、
束の間のあいだ忘れさせてくれた。
討伐の仕事がない日は、一切おもてに出なかった。
タウラ島の片隅にある、
潮風で薄汚れたアパートの一室。
陽の光を遮るようにカーテンを固く閉ざし、
暗闇の中でただじっと息を潜めて過ごす。
……あの夜、暗い部屋で閉じこもっていたメドリも、
こんな冷たい静寂の中にいたのだろうか。
そう思考が至るたびに、胸が締めつけられ、
呼吸が浅くなった。
そんなある日の夕刻。
コンコン、と。
静まり返った部屋に、
玄関のドアをノックする乾いた音が響いた。
びくり、と肩が跳ね上がる。
全身の血が引いていくのを感じた。
まさか——
リト族の誰かだろうか。
メドリが……あの日の一件を誰かに打ち明けて、
追っ手が来たのだろうか。
あるいは、コモリが俺を完全に追放するために、
最後の通達を寄越したのか。
最悪の想像が脳裏を駆け巡り、俺は生きた心地がしないまま、
恐る恐るドアの隙間から外を覗き込んだ。
「……なんだい、灯りもつけないでさ」
「ふふっ……暗い部屋で一人で死んでるのかと思ったよ」
そこに立っていたのは、
リト族でも、使者でもなかった。
……いつものように。
薄らと笑みを浮かべたテトラだった。
ハイラル復興のために海賊を辞め、
以前よりも、どこか品のある仕立ての良い服を纏った彼女。
纏う雰囲気には、どこか気品のようなものが漂い始めていたが、
腕を組んでこちらを見上げる不敵な笑みと、サバサバとした中身はかつての船長の頃となに一つ変わっていなかった。
「テトラ、どうしてここに……?」
「ふん、どうしてじゃあないだろ。
タウラ島に寄ったから顔を出してやったんだよ。それに……」
テトラは黄金色の瞳を細め、
俺の顔をじっと覗き込んできた。
「なんか随分と元気なさそうだけど……
あんた、一体どうしたんだい?」
「……別に。仕事で少し疲れてるだけだよ」
咄嗟にはぐらかし、
そのままドアを閉じようとする。
これ以上……
テトラを俺の汚い現実に巻き込むわけにはいかなかった。
何より、メドリと親しい彼女の顔を直視するのが苦しかった。
だが——テトラは、そんな俺の抵抗など気にも留めず、
強引に靴の先をドアの隙間に滑り込ませてきた。
「ちょっと待ちなよ。そんな顔されたら……
余計に気になって帰れないじゃないか」
「じゃあ、ちょいと邪魔するよ」
そう言って強引にドアを押し開け、
ズカズカと部屋の中へ土足同然で踏み込んでくる。
電気を点け辺りを見回し、
呆れたように小さく息を吐いた。
「ハァ……相変わらず愛想のない部屋だねぇ……
まあいいさ。ほら、酒を買ってきたんだ」
テトラは手に提げていた大きな袋を、
床へ無造作にドサリと置いた。
ボトルとグラスが触れ合う澄んだ音が、
重苦しい室内に不釣り合いに響く。
「つき合いなよ、リンク。今夜は朝まで飲むよ」
「……俺は、別に酒なんて——」
「いいから座りな。たまには弱音の一つでも吐きなよ。
……あたしとあんたの仲だろ?」
そう言って勝手に手近な椅子を引き、
酒瓶の栓を抜き始めるテトラ。
拒絶する言葉を探そうとしたが、彼女の力強い瞳に見つめられると、
喉の奥で言葉が詰まった。
……
「たしか……コップは、
ここら辺にあったっけねぇ」
慣れた手付きで、食器棚を漁り始める。
以前は、よくテトラ一家の海賊たちが家に押し掛けてきて、
たくさん飲まされたっけ……。
「あぁ……やっぱりだ。
場所、変えてなかったんだね」
「ほら。私が直々に注いでやるからさ、
さっさとそこに座りなよ」
俺は力なく溜め息をつき、
渋々テトラの向かい側へと腰を下ろすしかなかった。
目の前に注がれる、琥珀色の液体。
それが、新たな泥沼への引き金になるとも知らずに——。
……
…………
「ふぅん……あんたが、あのメドリにねぇ……」
俺は——
事の全てを、テトラに明かした。
プロロ島からの旅立ちや、
魔獣島での死闘。
それに——
ガノンドルフの討伐。
数々の苛烈な困難を共に乗り越えてきたテトラに対して、
俺は隠し事を通し切ることができなかった。
いや——隠したくなかったのだ。
罪の重さに耐えかね、
ただ、誰かに裁いてほしかった。
確実に、軽蔑される。
そう固く覚悟していた。
——それなのに。
「まあ……若い時には色々あるさね」
テトラはそう言い放つと、
目の前のグラスを躊躇なく一気に飲み干した。
なみなみと注がれていた琥珀色のウイスキーが、
瞬く間に空になる。
……どこまでも、豪快で強烈な奴だった。
「……本当に、後悔してるんだよ」
俺が絞り出すようにボソリと溢すと、
テトラは静かにグラスを置き、低く呟いた。
「あんたのその後悔の陰で……
メドリは……どれだけ傷ついたんだろうねぇ」
その一言が引き金となり、
胸の底に押し込めていたドロドロとした感情が一気に噴き出した。
「俺だって……
何がなんだか、わかんなくなってたんだよ……!」
「初めて会った時から、メドリのことが好きで……
でも、なかなか距離が縮まらなくて……!」
「無邪気に笑いかけてくれるメドリに……俺は……っ!!」
抑えの利かなくなった醜い身勝手さが、
抑揚のない叫びとなって漏れ出していく。
テトラは、それを途切れさせることなく静かに受け止めていた。
その黄金色の瞳には、怒りなのか、
あるいは失望なのか——
捉えきれない、複雑な感情が揺らめいていた。
「俺なんて……もう……」
「もう……消えてしまいたい」
——パシンッ。
鋭い打撃音が響き、俺の頬にじんと熱い痛みが走った。
視線を上げると、そこには振り抜いた手の残像を残したまま、
俺を強く見つめ返すテトラの姿があった。
重苦しい無言の空間。
……叩かれて、当然か。
俺の卑劣な弱音が、テトラに手を上げさせたのだ。
何も言い返せずに項垂れていると、
テトラが静かに口を開いた。
「……消えたい、だって?」
「はん、馬鹿を言うんじゃないよ」
「あんたは、風の勇者様なんだろ?」
「あんたはね……
傷つけた存在よりも、救ってきた存在の方が遥かに多いんだ」
「だけど……それでも、
アンタがメドリにした罪は、決して許されない」
「それぐらい、あんたのした事は……卑劣で最低な行為だよ」
「この事を知られたら……
きっと、アンタはみんなから軽蔑されるだろうね」
テトラの言葉を聞いて、
自分の心臓がギュッと掴まれたように錯覚する。
血の気が一気に引くのが、わかった。
そんな俺を見て、何かを察したのか——
彼女はふっと微笑み、震えた俺の手を、
優しくギュッと包み込んでくれた。
「でも……安心しな」
「……あたしだけは、ずっとあんたの味方になってやる」
「あの時……あんたが、
ガノンからあたしを、命懸けで救ってくれたみたいにね」
「ああ、でも勘違いするんじゃないよ……?
勿論——私は、メドリの味方でもあるんだから……さ」
そう言って——ふふっ、と少し苦そうに、
小さく笑ってみせるテトラ。
彼女の放った言葉の温もりに、押し潰されそうだった胸の痛みがすぅーっと軽くなっていくのを感じた。
「……テトラ、ありがとう」
その目を見つめ、真っ直ぐに感謝を告げると、
恥ずかしさを誤魔化すように——
俺は、目の前の酒を、
一気に煽った。
テトラもどこか照れ臭そうに、
鼻息で小さく笑ってみせた。
「ふん……
礼を言われるような事は言ってないつもりだけど、ね」
「ほんと、しっかりしておくれよ……
あんたは……私の大事な人なんだから、さ……」
……なんだか、テトラの顔がぐにゃりと歪んで見えた。
音が遠く聞こえて……
急激に視界が——ぼんやりと霞んでいく。
……あぁ、酒が回ったのか。
こいつが買ってくる酒は……
毎回、度数が高すぎるんだ……。
真っ赤になったテトラの顔が……
だんだん、ゆっくりと近づいてくる。
……とうとう、距離感まで狂ったか。
ああ……くそ……。
じわりと霞む景色の中で……
テトラが、恥ずかしそうゆっくりと唇を開いていく。
「……あたしじゃ、だめなのかい……?」
小さな声が……
耳元で、ぼんやりと聞こえた。
……。
……。
何かが……
優しく、フワリと唇に触れる感触がして。
そこで——
俺の意識はぷつりと途切れた。