―――翌日、早朝。快晴とまではいかないが晴れ間が見える天気を迎えた。歯磨き洗顔を済ませてさっさと着替えて部屋を出て走って登校する。
莉己「おはようございます。お疲れ様です。滝先生。」
滝「おはようございます。今日も早いですね。きちんと眠れていますか?」
莉己「薬が効いてますので大丈夫です。」
滝「それなら良かった。頑張ってください。」
一礼して音楽室へ向かい支度をする。本来ならばコンクール曲の練習をするべきだろうがB'zの曲を吹きまくりたかった。手始めに『ultra soul』と『Still Alive』を吹いた。
「いい曲だねー! 演奏もとっても上手で流石初心者のド素人から始めてコンクールメンバーに選ばれただけあるよ!」
莉己「おはようございます鎧塚先輩…と…ええとすみません。そういえばまだお名前を窺っておりませんでした。俺は神坂莉己と申します。よろしくお願いします。」
「私は傘木希美! そういえばこうして話すの初めてだね! 君のお陰でスムーズにみぞれと仲直りできたよ! それに部活にも復帰できたしありがとう!」
莉己「俺はただ鎧塚先輩を担いで運んだだけなのでお気になさらないでください。」
希美「話には聞いてたけど本当に謙虚だね! これからよろしく!」
何というか…元気や活力が人の形をしたような先輩だった。これほどの人が辞めざるを得なかった当時の部活の状況を想像できなかった。と同時に他の先輩方と顧問は何やってたんだよふざけんじゃねえぞと思った。
希美「ねえ! 他にも君の演奏聴きたいな! ね、みぞれ!」
みぞれ「うん、聴きたい…。」
莉己「そうですね…どうせなら鎧塚先輩が聴いたことのない曲にします。」
例の如く最初からサビみたいな曲なので思いっきり吹いた。
希美「おー! 凄い! 指使いも素早く滑らかでいい曲だったよ⁉ ね、みぞれ⁉」
みぞれ「うん、凄かった…⁉ 何ていう曲なの…?」
莉己「『 孤独のRunaway』という曲です。エレキギターパートの早弾きを再現したかったので意識して吹きました。」
希美「ねえ⁉ もう1曲いいかな⁉」
莉己「かしこまりました。」
例の如く思いっきり吹く。
希美「おー⁉ これも凄い⁉ 相変わらず素早くて滑らかな指使いでいい曲だったよ⁉ ね、みぞれ⁉」
みぞれ「うん、さっきのも凄かったけどこれも凄かった…⁉ 何ていう曲なの…?」
莉己「『GIMME YOUR LOVE -不屈のLOVE DRIVER-』という曲です。全体的に早口でテンポの速い曲なので再現に努めました。でも鎧塚先輩には及びませんよ。」
みぞれ「そんなことない…。君の腕前は北宇治でもトップクラス…。」
莉己「恐縮です、ありがとうございます。」
「「「おはようございます‼」」」
莉己「おはようございます。麗奈さん、黄前さん、川島さん。」
麗奈「さっきから聴いたことのない曲ばっかり聴こえてくるんだけど…やっぱり鎧塚先輩相手に吹いてるんじゃない。理解したかしら?」
莉己「そうみたいですね。すみませんでした。」
一応頭を下げる。どうやら麗奈さんの言う通りらしい。
莉己「どうしますか? 他に何か聴きたいですか、麗奈さん?」
麗奈「朝はいいよ。朝練しに来たんだから。」
莉己「それもそうですね。では先輩御二方、ご清聴ありがとうございました。」
希美「こっちこそいい曲に素晴らしい演奏聴かせてもらってありがとう!」
みぞれ「ありがとう…。」
それから鎧塚先輩と合わせるようにコンクール曲の練習に励んだ。調子は良好だった。部活になりミーティングで駅ビルコンサートなるイベントに参加することが決まったらしい。そのイベントに清良女子なる全国金賞常連の超強豪校も参加すると聞かされた。俺はよく知らないが吹奏楽界の事情を知っている者なら知らぬ者はいないというほどの有名校らしい。北宇治が演奏する楽曲は文化祭でも好評だった『Still Alive』に決まったという。その件について部活が終わってから滝先生に職員室に連れていかれた。
滝「神坂くんにはほぼ全て吹いていただくことになるので、文化祭の時と同様に最前列のそのまた前に立って演奏することになりますがよろしいですか?」
莉己「かしこまりました。」
滝「本当によろしいのですか? 観客の前で無理しないでくださいね。」
莉己「本音を打ち明けてもよろしいでしょうか。御内密にお願いします。」
滝「ええ、どうぞ。」
莉己「『俺がやるに決まってんだろう』そういう気持ちです。」
滝「……わかりました。自信がつきましたね。」
滝先生が微笑んだ。テンションが上がった。
莉己「大好きな曲を思いっきり吹けることに幸福感を覚えます。知らない方がいらっしゃったら俺の演奏をきっかけに知っていただけると幸いです。精一杯頑張ります。ご期待ください。」
滝「文化祭の時のように盛り上がるといいですね。楽しみにしています。」
感謝の意を伝えて職員室を出る。廊下に人影、麗奈さんだった。
麗奈「滝先生は何て言ってたの?」
莉己「『文化祭の時と同じようなポジションで演奏することになりますがよろしいですか?』って聞かれたので『大好きな曲を思いっきり吹ける幸福感を覚えます。知らない方がいらっしゃったら俺の演奏をきっかけに知っていただけると幸いです。精一杯頑張ります。ご期待ください。』って答えました。」
麗奈「……コンクールの時も同じようにやる気出してくれると嬉しいんだけど。」
莉己「興味のある曲とない曲ではやる気に違いが出るのはしょうがないですよ。ご了承ください。」
麗奈「もう…⁉ 全国大会なんだよ⁉ 少しはやる気見せてよ⁉」
莉己「それは俺の演奏聴いてご判断ください。部活も本気で取り組んでいますよ。それでも不満ですか?」
麗奈「……ならいいけど。」
それっきり会話は途切れた。走って帰った。
翌日、放課後。重っっそうなノートの束を運ぶ女子を見かねて代わりに運ぶことにした。職員室に近づくにつれてヒステリックな女性の叫び声が聞こえてくる。クソやかましい声を無視してノートを机に乗せる。ちらりと横目で見る。副部長が隣に立っている。静かに背後から歩み寄る。
「あすか、この場で退部すると言いなさい。言いなさい、辞めるの、今。」
あすか「お母さん、私部活辞めたく―――。」
莉己「そこまでです、お母様。」
割って入りあすかのお母様のビンタが俺の胸辺りを叩く。
「な、何よ貴方⁉ そう…⁉ 噂で聞いたわ⁉ ヤクザ者と喧嘩になって刃物で刺されても叩きのめしたとんでもない高校生がいるって⁉」
莉己「その噂はウソつきです。そうですよね、教頭先生?」
教頭「はい。彼は非常に優秀で成績も学年トップクラスで模範的な生徒です。」
莉己「……副部長、模試とやらは受けたのですか?」
あすか「まだ…これから受けるところ…。」
莉己「それではお母様。模試の結果次第で部活を続けるか否か、ご判断いただけますでしょうか。今、娘さんに辞められると部内は間違いなく混乱するでしょう。全国大会を前にそれだけは避けなくてはなりません。どうか…お願いします…⁉」
「……冷静に考えればそうね。それも悪くないかも。ただし! 結果が悪ければ即刻部を辞めてもらうわ! 貴方もそれでいいわね!」
莉己「はい、それでよろしくお願いいたします。」
頭を下げた。
「では私は帰ります。あすか、部活も勉強も両方頑張りなさい。」
莉己「それでは行きましょう、副部長。」
副部長を肩に担いで連れていく。廊下に出ると黄前さんが呆然と立っていた。
莉己「あ、黄前さん。お見苦しいところをお見せして申し訳ございませんでした。」
あすか「ちょっと⁉ 下ろして⁉ 自分で歩けるったら⁉ 下ろしなさい⁉」
噛みつかれた。仕方なく下ろす。
あすか「1年生のくせに出しゃばったことするんじゃないわよ⁉」
莉己「そうですか? あの流れはお母様に副部長がビンタされて一緒に帰ると思ったんですけど違いますか?」
あすか「……。」
莉己「なら黙って俺のやることに逆らわないでください。さあ、早く行きましょう。」
あすか「わかったわよ。」
音楽室に着く。
あすか「荷物取ってくるから教室に戻る。黙って帰ったりしないから安心して。」
莉己「俺もそうします。」
職員室での件はすぐに吹部に伝染した。副部長も部活に来たり来なかったりする日々が続いた。以前のお母様との約束は何だったのか問い詰めたい気分だった。その結果が…
滝「なんですか、これ? 皆さんちゃんと集中してます?」
「あの…。」と吉川先輩が挙手をした。
優子「あすか先輩の退部届、教頭先生が代理で受け取ったって話は本当なんですか?」
滝「そのような事実はありません。皆さんはこれからもそんな噂話が出る度に集中力を切らしてこんな気の抜けた演奏をするつもりですか。今日は終わりにして後はパート錬にしましょう。」
と言い残し音楽室から去ってしまった。部長が壇上に上がって話始める。「自分よりあすかの方が優秀であすかが部長をやればいいと思っている。あすかは特別で何でもできる存在だと思っていたけど特別なんかじゃなかった。みんなあすかがいなくて不安になる気持ちはわかるけど、あすか以外は頼りない先輩ばかりだと思うけどそれでもついてきてほしい。お願いします。」と言い出した。我慢できなかった。黙ってはいられなかった。挙手して名を呼ばれ立ち上がる。
莉己「1年生の分際で生意気を言うことをお先にお詫び申し上げます。俺は小笠原先輩が部長で良かったと心底思っています。どこまでも優しくてそこにいるだけで心が穏やかになるような雰囲気を持つ部長が大好きです。他の誰かが部長にふさわしいなんて思ったことは一度たりともありません。他の皆さんにとっては知りませんが、俺にとっての副部長は3年生のコンクールメンバーのうちのひとり、ただそれだけです。それから…皆さんはこのまま全国大会行って参加賞同然の銅賞もらって帰るつもりですか? 俺は真面目にやってるのに滝先生は怒って帰るし、とんだ迷惑です。皆さんもう少ししっかりしてください! 以上です!」
優子「神坂の言う通りだと思います!今まで一生懸命やってきた後輩にこんなに言われて私は悔しいです!あすか先輩がいようがいなかろうがしっかり出来るんだってところを滝先生にも神坂にも証明したいです!先輩として少しは頼りになるってところを見せたいです!」
晴香「神坂くん、吉川さん、ありがとう…!」
この瞬間、少しは一致団結した…気がする。
駅ビルコンサート当日、移動中のバスの中。隣には麗奈さん。
麗奈「緊張してない?」
莉己「いえ、全く。」
麗奈「本当に?」
莉己「心臓調べてみます? 平常心そのものですよ。」
麗奈「じゃあ試しに…。」
学ランとYシャツをはだけて胸に直接手を触れさせる。
麗奈「本当だ…。安定してるね。」
莉己「それよりも副部長はどうなってるんですかね? 俺、職員室で模試の結果次第ってお母様と約束したはずなんですけど。」
麗奈「怒ってる?」
莉己「はい。」
麗奈「気持ちはわからないでもないけど落ち着いて。今日の演奏は莉己くん次第なんだから。」
莉己「怒ってはいますけど落ち着いてますよ。安心してください。」
麗奈「……ならいいけど。」
似たようなやり取りをした気がするが思い出せない。会場について支度をする。あの立華高校もいた。軽く会釈する。かの清良女子の行列も目にした。気合いが入った気がする。北宇治の番になり定位置につく。滝先生の手の振りに合わせて吹き始める。イントロは焦らずゆっくりと繊細に、それが終わったら思いっきり吹く。エレキギターパートもボーカルパートも同じように吹いた。最後のエレキギターパートは素早く滑らかに指を動かし吹いた。吹き終える。一礼する。観客席から歓声が沸き起こる。気分は爽快だった。上手くいったようで良かった。帰り支度をしている最中
「あ、あの⁉」
綺麗で澄んだ女性の声に呼び止められる。
「私、清良女子の黒江真由と申します⁉ さっきの演奏素晴らしかったです⁉ 観客の皆さんも大盛り上がりで…⁉ もしよろしければ一緒に写真を撮らせていただけませんか⁉」
莉己「あの高名な清良女子の方とご一緒出来るなら謹んでお引き受けいたします。」
それから清良女子の皆さんとの集合写真、各部員の皆さんとのツーショット写真を撮りまくった。不思議と黒江真由さんとは写真を撮らなかった。男性が苦手なのだろうかと少し残念に思った。
「みんな! せーの!」
「「「「「ありがとうございました‼」」」」」
莉己「こちらこそ貴重な体験をさせていただきありがとうございました。では全国大会でお会いしましょう。」
一礼して帰り支度をしてバスに乗り込む。麗奈さんの隣が空いていたので座らせていただくことにした。
麗奈「モテモテだったね。」
莉己「全国金賞常連の清良女子の皆さんに目を付けられるとは意外でした。」
みどり「それほど莉己くんの演奏が心に響いたということですよ!」
莉己「恐縮です。それよりも副部長がいた気がするんですけど何か聞いてませんか?」
麗奈「いや、特に…。」
莉己「そうですか。」
それからも副部長は来たり来なかったりの繰り返しだった。そしてある日の部活終了後、滝先生から通達があった。
滝「田中さんが今週末までに部活を続けていける確証が得られなかった場合、全国大会の本番は中川さんに出てもらうことにします。」
音楽室が静まり返った。 そして中川先輩が副部長に代わって吹くようになったが今度は麗奈さんの様子がおかしい。滝先生に注意されることも多くなった。今までの彼女では考えられないことだった。気になった。直接聞くことにした。部活が終わり急いで追いかけた。
莉己「麗奈さん!」
麗奈「……何?」
莉己「一緒に帰ってもいいですか?」
麗奈「……いいよ。」
莉己「何かあったんですか?」
麗奈「……別に。」
莉己「『別に』って表情と態度じゃないですよ。バレバレですよ。ウソつかないでください。」
麗奈「……ごめん。」
莉己「謝らなくていいですよ。責めてるわけじゃありません。どうしたんですか?」
麗奈「滝先生、奥さんがいるんだって。」
衝撃だった。結婚していてもおかしくない年齢だが麗奈さんはもっと衝撃だろう。求められてはいないが抱きしめた。麗奈さんは俺の胸に顔をうずめて泣いている。幼い子どもをあやすように髪を撫で続けるだけだった。
麗奈「私、自分の弱さにビックリした。奥さんがいたって聞いた時、ヤバいくらい動揺して…。私…! 何で気づけなかったんだろう…! お母さんにも『何で今まで教えてくれなかったの⁉』って八つ当たりして…本当…最悪⁉ でも今は全国大会のこと考えないとってわかってる。だけど…⁉」
莉己「好きなんでしょう? 滝先生のこと。」
麗奈「うん…。」
莉己「だったら全国大会が終わったらパーッと自分の想いを打ち明けちゃえばいいんですよ! 応援してます!」
麗奈「莉己くん…⁉ ありがとう…⁉」
また涙を流して俺の胸に抱き着く。俺は抱きしめることしか出来なかった。
後日、副部長が何事もなかったかのように音楽室に現れた。何でも模試で全国30位以内の成績を取ったらしくそれを楯にお母様に部活を続けることの許可を得たそうだ。今副部長は廊下でひとりで練習している。迷わず詰め寄った。
莉己「副部長、話があるんですけど。」
あすか「何? 今練習中なんだけど。」
莉己「んなことは見りゃあわかりますよ。俺との約束はどうなってんですか?」
あすか「ごめーん! 忘れてた! 許して! ね?」
莉己「茶化さないでくれます? 俺は今怒ってるんですよ。更に怒らせようってんですか?」
副部長が一転真剣な表情になる。
あすか「本当にごめん。お母さんの目が厳しくて…そう簡単に部活には出られなかったの。約束を破ったことに関しては本当に悪いと思ってる。ごめんなさい。」
副部長が頭を下げた。
莉己「そうですか、わかりました。俺はてっきり1年生は3年生をブン殴らないとでも舐められてると思ってましたが勘違いなようで安心しました。お邪魔しました。練習頑張ってください。失礼します。」
あすか「あ、うん…。」
一礼して立ち去った。
夏紀「凄い迫力でしたね。止めに入ろうとしましたけど怖くて出来ませんでした。」
あすか「はっ⁉ そういえば再オーディションの時も危うい状況だったの思い出した⁉」
夏紀「しっかりしてくださいよ⁉ もう…⁉」
音楽室に入って深呼吸する、何度も。頭に昇った血が下がっていくのが分かる。一応は納得した。これで部の空気も一掃されるなら喜んで受け入れよう。邪念を振り払って練習に励んだ。相変わらず麗奈さんの様子がおかしい。先生にも注意されている。まだ何かあるのか気になった。部活が終わった後に追いかけた。
莉己「麗奈さん! まだ何かあったんですか⁉」
麗奈「……久美子から聞いたの。滝先生の奥さん、5年前に亡くなったって。」
莉己「え⁉ そうだったんですか…。」
それ以上言葉が出なかった。
麗奈「ついてきてほしい場所があるの。私、自転車で来たから。」
自転車で走る麗奈さんを俺は走って追いかけた。トレーニング代わりになるので丁度良かった。やがて墓地に着く。ひとつのお墓で麗奈さんが止まる。
麗奈「新山先生に無理言って教えてもらった。」
墓前で跪いて両手を合わせる。彼女が終わった後に俺も同じようにした。
麗奈「私、ずっと思ってたの。どうしてもっと早く生まれてこなかったんだろう。私だけ時間が早く進めばいいのに。早く大人になって滝先生に追いつければいいのにって。奥さんが言ってたそうよ。『金賞獲りたい』って。」
麗奈さんに聞いた。奥さんは北宇治吹奏楽部の生徒だったということ。橋本先生も一緒で滝先生の父上が顧問をやっていたということ。
莉己「そうだったんですか。じゃあ金賞獲らないといけませんね。」
麗奈「うん!」
麗奈さんの笑顔を久しぶりに見た気がする。彼女がトランペットを吹く。曲名は知らないが鎮魂歌代わりに吹いたのは察した。それからはいつもの麗奈さんに戻った。先生に注意されることもなく伸び伸びと吹いていた。俺は安心した。全国大会を控えているのに色々な事が起きた気がする。
そして俺も練習に明け暮れ遂に全国大会まで前日というところまで迫った。