―――早々に滝先生に挨拶をして音楽室へ戻った。滝先生も入ってくる。
滝「はじめまして、顧問の滝昇です。担当教科は音楽なので皆さんと顔を合わせる機会は多いかもしれません。よろしくお願いします。」
莉己「よろしくお願いします!」
また俺だけ返事してしまった。恥ずかしい。
滝「では部活を始めるにあたって私から話があります。私は生徒の自主性を重んじるというのをモットーとしています。ですので今年1年指導していくにあたってまず皆さんに今年の目標を決めてほしいのです。これが昨年度の皆さんの目標でしたよね。
と仰って黒板に『全国大会出場』と書いた。
晴香「あの…先生、それは目標というかスローガンみたいなもので…。」
滝「なるほど、ではこれはなかったことにしましょう。」
と告げて『全国大会出場』という文字に✖印をつける。
滝「では決めてください。私はそれに従います。」
晴香「決めるっていうのは…?」
滝「そのままの意味ですよ。皆さんが全国を目指したいと決めたら練習は厳しくなります。反対に楽しい思い出を作りたいというだけならハードな練習は必要ありません。私自身はどちらでもいいと考えているので自分たちの意志で決めてください。」
晴香「私たちで決めるんですか…⁉」
部長が戸惑うような素振りを見せる。
滝「そう言ったつもりですが。」
副部長の提案で多数決で決めることになった。
晴香「ええとまず、全国大会出場を今年の目標にしたいという人。」
俺は迷わず手を挙げた。初心者のド素人だがやるなら思いっきりやりたい。周囲を横目で窺うが挙手している人がほとんどだ。
晴香「では次に全国まで目指さなくてもいいと思う人。」
僅かにどよめきが起きる。どうやら誰かが手を挙げたようだ。
晴香「では多数決の結果、全国大会を目標に活動していくことになります。」
滝「ご苦労様、反対の人もいましたが今決めた目標は皆さん自身が決めたものです。私はその目標に向かって力を尽くしますが、努力するのは皆さん自身、そのことを忘れないでください。わかりましたか!」
莉己「はい‼」
「はい!」
滝「何をボーっとしてるのです。返事は?」
莉己「はい‼」
「「「はい‼」」」
パン!と滝先生が両手を鳴らす。
滝「もう1度言います。皆さんわかりましたか?」
「「「「「はい‼」」」」」
それからはパート練習となった。サックスパートで集まって練習する。ひとつ試したかった。
莉己「あの…部長、吹奏楽に全く関係ない曲なんですが、1曲吹いてもよろしいでしょうか。」
晴香「うん、いいよ。」
楽譜を取り出しペラペラとめくって音譜をしっかりと確認する。脳内の曲と一致させる。「では…いきます。」と声を掛けてから吹いた。始めはゆっくりと…そしてボーカルパートは力強く…相変わらずエレキギターの早弾きパートは苦戦したがそれ以降は上手く再現出来た…と思う。
晴香「えっ⁉ えっ⁉ 昨日吹き始めたばかりだよね⁉ いつ練習したの⁉」
莉己「今日の朝です。朝練で吹きまくりました。」
晴香「今日の朝⁉ それだけ⁉ いい音が聴こえてくるとは思ってたけど神坂くんだとは思わなかった…⁉」
莉己「インターネットの初心者向けの動画を参考にしてイメージトレーニングはしまくりましたし曲自体も今まで聴きまくったので後は原曲通りに演奏できるかが課題でした。」
晴香「理屈はわかるけど…それで実践しちゃうのは凄いと思うよ…⁉ 楽譜はあるの⁉」
莉己「はい、少々お待ちください。…どうぞ。」
部長を元とするサックスパートの皆さんが楽譜を回し読みする。
「これ…『へい、はしる』でいいのかな?」
莉己「あ、そこは『つわもの』と読みます。」
「どこかで聴いたような気がするけど…思い出せない…。」
莉己「いつだかのラグビーW杯のラグビー日本代表のCM曲と、栄養ドリンクのCM曲になったそうです。」
「あっ⁉ そうそう⁉ 思い出した⁉」
「もう1回吹いてもらっていい⁉」
莉己「かしこまりました。」
先輩のリクエストに応えて何度でも吹いた。気づいたら人だかりが出来ていた。結局吹奏楽部全員の皆さんの前で音楽室で披露することになった。
「「「「「おー⁉」」」」」
という歓声と拍手をいただいた。
莉己「あの…部長、もう1曲吹きたいものがあるのですがよろしいでしょうか。」
晴香「うん⁉ いいよ⁉」
記憶に刻み付けている曲を音譜と重ねる。「では…いきます」とひと声掛けてから吹き始めた。記憶が正しければ音程は合っているはずだ。ご存じの方もいらっしゃるようでどよめきが起きる。そしてサビの部分が終わった後、『ハイッ!』なのか『ヘイッ!』なのか未だによくわからない合いの手を入れてくださった。最後のサビも3回連続で合いの手を入れてくださった。吹き終わり
莉己「以上です、ありがとうございました。」
「「「「「おー⁉」」」」」
反応は上々で安心した。
晴香「ねえ⁉ 今のは何ていう曲⁉」
莉己「『ultra soul』という曲です。俺が演奏したのはあるライブバージョンですので原曲とは異なるかもしれません。」
晴香「緊急パートリーダー会議を行います!パートリーダーはいつもの教室に集合!」
「「「「「はい‼」」」」」
部長を元とする3年生の何人かはどこかへ行ってしまった。俺は何をしようか、何かまた吹きたい曲でも脳内で探そうかと迷ったがその前に麗奈さんがこちらに歩み寄ってくるのが視界に映った。
麗奈「ねえ⁉ 滝先生呼んで来て莉己くんのさっきの生演奏聴いてもらいたいんだけどいいかな⁉」
莉己「俺は構いませんがさっきのでいいんですか? 楽譜読んでないので正しいかどうかわかりませんよ。」
麗奈「さっきのでいいの⁉ 私、呼んでくる⁉」
そう告げてハイテンションで麗奈さんもどこかへ行ってしまった。手持無沙汰になってしまったので脳内の記憶を呼び起こして1曲吹いた。残りの皆さんから
「「「「「おー‼」」」」」
という拍手と歓声をいただいた。何だか照れ臭い。一礼した。
「いい曲ですね、何という曲名ですか?」
莉己「あっ⁉ 滝先生⁉ 失礼しました⁉ 今のは『May』という曲です⁉」
滝「高坂さんに呼ばれてぜひ貴方の演奏を聴いてほしいと頼まれて来ました。聴かせていただけませんか?」
莉己「はい、それでは…いきます!」
音楽室が静まり返る。細かくイントロから吹く。サビが終わった後、『ハイッ!』と合いの手を入れてくださった。最後のサビも同じだった。
莉己「ご清聴ありがとうございました。」
滝「……ふむ。サンライズフェスティバルに向けて用意していた曲がありましたが変えた方が良さそうですね。楽譜はありますか?」
莉己「申し訳ございません。今のはライブバージョンを再現しただけですので楽譜は用意しておりません。」
滝「楽譜を一切読まずに聴いただけで今の曲を吹いたということですか?」
莉己「はい、ですので原曲と異なる部分があると思われます。」
滝「……何という曲ですか?」
莉己「『ultra soul』という曲です。」
滝「わかりました。楽譜はこちらで用意します。」
莉己「はい、よろしくお願いいたします。」
滝先生が音楽室を出ていく…というところで部長と鉢合わせになった。
滝「丁度良かった。合奏練習とサンライズフェスティバルの件ですが…。」
晴香「さっきパートリーダー会議が終わって先生に報告があります。」
そこで扉は閉められた。これからどうしようと思案していると袖を引っ張られる。目を向ける。鎧塚先輩だった。
みぞれ「神坂くんさえ良ければだけど…もっと色々聴かせてほしい…。」
莉己「楽譜がありませんので記憶に頼る形になりますがそれでもよろしいでしょうか。」
みぞれ「うん…いいよ…。」
それから鎧塚先輩の隣に座って記憶に残っていて俺でも演奏可能そうな曲をチョイスして片っ端から吹きまくった。滝先生と部長が戻ってくる。何かを配布される。これは…『ultra soul』の楽譜だ。演奏する箇所が各楽器のパート毎に振り分けられている。ボーカルパートとメインのエレキギターパートに俺の名前がデカデカと書かれている。
滝「御覧の通り、合奏練習とサンライズフェスティバルの楽曲が決定しました。しかしこれから1週間後、一定のレベルに達していないと私が判断すればサンライズフェスティバルへの参加はする必要が無いと私は考えています。皆さん、各パート練習と合奏練習をお願いします。それでは。」
滝先生は出て行ってしまった。部長が代わりに壇上に立つ。
晴香「これから各パート練習に移ってください。滝先生は本気です。みんなもそのつもりでいてください。」
「「「「「はい‼」」」」」
気合を入れて返事をした。楽譜に目を通す。じっと眺めたがライブバージョンと大して変わっていなくて安心した。サックスパートで集まって一緒にタイミングを合わせて演奏する。楽譜を暗記して吹けるようになった。10回通しでタイミングも音程も一定のリズムで合わせられるようになった。後は任されているところをひたすら吹いた。気づけば部活も終わりに差し掛かっていた。
晴香「神坂くんは居残り練習してく?」
莉己「はい、まだまだ物足りないので練習させていただきます。」
先輩たちも同級生たちも帰っていった。それから納得するまで徹底的に吹いた。どうすれば滝先生の求めるレベルに到達することが出来るのか、そればかり考えて1曲1曲を丁寧に吹いた。
「莉己くん。」
目を向ける。麗奈さんだった。
莉己「如何されましたか、麗奈さん?」
麗奈「もう暗くなるよ。帰ろう。」
莉己「あっ…そうですね。少々お待ちください。」
楽器ケースを楽器室へ戻し音楽室に誰もいないのを確認して部長から渡された鍵をかける。
莉己「ちょっと職員室へ寄って行きますね。」
麗奈「私も行く。」
一緒に職員室へ向かった。「失礼します」と声を掛けてから滝先生の下へ向かう。
莉己「音楽室の鍵をお返しに参りました。お疲れ様でした。失礼します。」
滝「今日は神坂くんのお陰でいい曲を聴けました。これからに期待してますよ。」
莉己「ありがとうございます。ご期待に添えたいと存じます。それでは失礼いたします。」
麗奈さんと一緒に職員室を出た。
莉己「何だか妙なことになっちゃいましたね。俺なんかがほとんど吹いちゃっていいんでしょうか。」
麗奈「皆も部長も滝先生も誰もそんなこと思ってないよ。だからあの曲任されたんだよ。それに…ふふっ、『俺の演奏で皆さんを驚かせてやる!』って目標が早速達成しちゃったね。次の目標は何?」
莉己「うーん…サンライズフェスティバルって何ですか?」
麗奈「ああ、それね…。各学校が集まって順番にマーチングを披露するお祭りみたいなものだよ。優勝とか金賞っていうのはないの。マーチングってわかる?」
莉己「うーん…歩いたり踊ったりしながら楽器吹くことですか?」
麗奈「まあ…踊りながら吹く学校は限られてるから北宇治はそこまでしないと思うけど…大体合ってるよ。」
莉己「でしたら観客の皆さんを歓声でいっぱいにしたいですね。それが次の目標です。」
麗奈「出来ると思うよ。莉己くんも、私も、みんなももっと上手くなればね。」
莉己「はい! 頑張ります!」
麗奈「私も頑張る。お互い頑張ろう。」
麗奈さんが拳を突き出す。?マークが脳内に浮かんだが察した。俺も拳を突き出してコツンと合わせる。
麗奈「凄いゴツイ拳だね。鍛えてるの?」
莉己「はい。」
麗奈「いつ?」
莉己「昼休みとこれから帰ってからですね。」
麗奈「そういえば…莉己くんって中学どこだったの?」
莉己「横浜のとある中学校です。」
麗奈「ってことは…独り暮らし?」
莉己「はい。」
麗奈「理由は?」
莉己「くだらない兄弟喧嘩が原因ですよ。」
麗奈「何があったの?」
莉己「俺には6歳年上の兄がいて…小さい頃から何か気に入らないことがあると殴られたり蹴られたりしました。その上不良ぶって両親とも喧嘩が絶えなくて、俺は家にいるのが嫌で帰ったら外に出て深夜になるまで走り込みや筋トレしたり空手の指南書買って読みながら鍛えてました。中学に入ってガタイがどんどん成長して力関係も逆転して殴り合いでも楽に勝てるようになったら、刃物持ち出して刺してきたので遠慮なく俺も本気出してブチのめして両腕折って両脚のアキレス腱を足首思いっきり捩じって千切りました。今でも病院のベッドで身動き取れずに死人みたいな人生送ってるんじゃないですかね。とにかく…両親もすっかり俺にビビっちゃって家を出ることを条件に高校進学の許可が出ました。北宇治に来たのは偶然です。」
麗奈「私は一人っ子だから兄弟がいる苦しみはわからないけど、大変な思いしたんだね…。」
莉己「法律が許すなら今すぐにでも病院襲撃してブッ殺したい気分ですね。ロクでもない家族持つと苦労しますよ。」
麗奈「両親も憎い?」
莉己「はい。」
麗奈「ずっと独り?」
莉己「精神的にはそうですね。もう2度と会うことはないでしょう。親族の訃報が届いても全て無視します。」
麗奈「寂しくない?」
莉己「いえ、全く。」
麗奈「辛いときは辛いって言っていいんだよ。私で良ければ話だけでも聞くよ?」
莉己「でも好きな男性がいるんでしょう? 俺に気を遣う時間と労力があったらその方に使ってあげてください。」
麗奈「どうしてそう思うの?」
莉己「滝先生のこと、好きなんですよね?」
麗奈「どうして…⁉ それを…⁉」
莉己「今日の朝に名前こそ出しませんでしたけど初めてそれっぽい先生のこと話したの覚えてます? 凄く嬉しそうでしたよ。俺は滝先生だとは知りませんでしたけど、ピンと来ました。昔からのお知り合いですか?」
麗奈「うん…小学生の頃から私のお父さんと滝先生のお父さんが知り合いなのが縁で私の家で会ったのが初めて。たぶんひと目惚れだったと思う。」
莉己「そういうわけですから麗奈さんは滝先生を好きで居続けてください。それが俺の願いです。」
麗奈「それなら友人としてならいいんだよね?」
莉己「年頃の男女間で友情と愛情の両立って実現可能かと問われれば俺は否定派なんですが…。」
麗奈「私は肯定派よ⁉ いつも通りすればいいの⁉ わかった⁉」
莉己「はい。」
麗奈「なら良し。それじゃあね。また明日。」
莉己「はい、また明日。」
見送ってから走って帰って運動用のジャージに着替えて走りまくって筋トレしまくった。フラフラになり後始末諸々を終えて布団に寝転がる。麗奈さんの姿を思い浮かべる。すぐに眠れた。