―――合宿1日目兼関西大会オーディション当日。バスで移動中、隣には真由さん。特に言葉は交わさなかった。そんな気にもなれなかった。施設についた。静かに移動する。男子部屋に荷物を置いて合奏練習部屋へ楽器を持って向かった。それからパート練習に移った。
「先輩⁉ 今のうちに1曲お願いします⁉」
莉己「え、よろしいですか? オーディション当日ですが…。」
「このままだと緊張でどうにかなりそうです⁉」
莉己「かしこまりました。では…いきます。」
まだ皆さんには吹いていないであろう曲を記憶を探りながら思いっきり吹いた。
「「「「「おー‼」」」」」
ちかお「何ていう曲?」
莉己「『RUN』っていう曲。なるべく聴かせたことのない曲を吹いたつもり。
ちかお「確かに、俺も初めて聴いた。」
「先輩⁉ もう1曲お願いします⁉」
こうして新山先生が指導に来るまで俺の独演会は続いた。皆さんの反応も上々だったので俺も気分が良かった。合奏練習に移った。滝先生、橋本先生、新山先生の指導の下、繰り返し繰り返し合奏練習は行われた。皆さんは披露している様子だった。これからオーディションなのに大丈夫だろうかと心配になった。早すぎる夕食を吐き気を堪えてかき込んでから薬を纏めて飲み、風呂に入りサックスパートのオーディションの時間まで柔軟体操しまくった。解しに解しまくった。オーディションが行われる部屋の前でズラリと列を成し並ぶ。誰もが無言だった。こういう時、場を和ませるような言葉を俺は持ち合わせていない。俺の番になった。「失礼します。」と声を掛けてから入室した。
莉己「アルトサックス、3年、神坂莉己です、よろしくお願いします。」
松本「体調はどうだ?」
莉己「相変わらず…といった感じです。申し訳ございません。」
滝「謝らないでください。準備はよろしいですか?」
莉己「はい。」
それから指定された箇所を何度も吹いた。あっさり終わった。
滝「はい結構です。お大事になさってください。」
莉己「お気遣いいただきありがとうございます。失礼します。」
一礼して退室した。
「「「「「お疲れ様でした‼」」」」」
府大会の時と同じように後輩の皆さんから労いの言葉をいただいた。
莉己「頑張ってください、皆さん!」
同じように答えた。男子部屋に戻ってさっさと布団を敷いて目を瞑った。真由さんとのセックスを思い浮かべた。意外とすぐに眠れた。
目が覚める、皆さんは…まだ眠っている。飲む物飲んで布団を畳んで楽器を持って合奏練習部屋へ向かった。気の向くままに思いつく曲を吹きまくった。扉が開く音が聞こえた気がするが無視した。声を掛けられた気がするが無視した。正面に体を傾けて妖艶な笑みを浮かべながら手を振る美しい顔立ちと豊満な胸を持つ美女が現れた。新山先生だった。
莉己「あ、おはようございます。新山先生。」
新山「おはよう。昨日はよく眠れた?」
莉己「意外とよく眠れました。」
新山「残念…。久しぶりにセックスしたかったんだけどなぁ…。」
莉己「旦那様とはどうなんですか?」
新山「もうすぐ離婚するかも。もう限界。」
莉己「そうなんですか…。お気の毒様です。」
新山「そうなったら君に会いに行ってもいい? 離婚してすぐは無理だけど。」
莉己「俺も彼女いるんですけど。」
新山「何人目?」
莉己「4人目です。」
新山「そう…君も大変ね。今すぐじゃなくていいの。今の彼女と上手くいかなくなったら私に連絡ちょうだい。いつでもいくらでもセックスしてあげるから。」
莉己「先生がしたいだけじゃないですか?」
新山「そうともいうわね。」
妖艶な笑み、見惚れる。扉が開く。皆さんがゾロゾロと入ってくる。
新山「それじゃあね!」
そしてオーディション結果発表の時間になる。そういえば…滝先生が直接呼ぶのは初めてな気がする。妙な緊張感が漂う。俺の名が呼ばれた。府大会メンバーだった久石さんは落ちた。代わりに鈴木さつきさんが合格しチューバパートは4人となった。同情するような視線が久石さんに集中する。俺は無視した。そして自由曲ソロパートメンバーの発表、久美子ではなく真由さんが選ばれた。内心ガッツポーズした。周囲がどよめく。「(やかましいんだよてめえら)」と思いながら片っ端から殴り飛ばしたい衝動に駆られた。メンバーの入れ替わりが行われ合奏練習に入った。
何となくぎこちない演奏に変わった。メンバーが変わったのだから当然かもしれないが。
橋本「なあ滝クン、少し話してもいいかな?」
滝「どうぞ。」
橋本「何というか…今年はみんな無茶苦茶⁉ピリピリしてるんだよ。ガッチガチに固まっているというか…固い⁉まあ完全にかちかち山の狸さんだな!1度おっぱいでも飲んでねんねするぅ~?」
静まり返る。
橋本「あれ? もしかしてボクど滑りした⁉ すみません⁉」
橋本先生がお辞儀する。僅かに場が和む。
橋本「そうそうその気持ち! 心は柔らかく…上級生は耳にタコかもしれないが音を…。」
滝「楽しむ…と書いて音楽…ですね?」
橋本「本当にわかってる?」
滝「わかっていますよ。では…もう1度最初から。」
繰り返し繰り返し合奏練習が行われた。
練習が終わり急いで着替えて運動しまくる。その最中
「先輩…すみません…。」
莉己「如何しましたか、求くん?」
求「それが…―――――。」
莉己「ふーん、なるほど。ごめんなさいね求くん。こんなに情けない先輩持たせちゃって。」
一気に頭に血が昇った。全力で走った。
求「先輩⁉」
久美子は…見つけた。だが様子がおかしい。全力で駆け寄る。
莉己「如何しましたか、御三方。」
麗奈「アンタは関係ない⁉ 引っ込んでて⁉」
莉己「如何しましたか、御三方。」
「それが…高坂先輩に後で呼び出されて…⁉」
莉己「何かしたんですか?」
「『奏がコンクール落ちるなんて流石にあり得ない』『っていうかそもそもチューバ4人必要?』『わかる、私も引っかかってたんだ』って言いました…⁉」
莉己「……他には?」
「……それだけです…⁉」
あからさまにデカいため息をついた。
莉己「分かりました。御三方は行ってらっしゃって結構ですよ。申し訳ございませんでした。」
頭を下げる。
「あ、はい…⁉」
麗奈「ちょっと⁉ アンタ何様のつもりよ⁉ 待ちなさい⁉」
莉己「気にしないでください! 大丈夫ですから行ってください!」
御三方の姿が消えるまで手を振り続けた。そして…ゆっくり振り向いてふたりを睨む。ビクッと怯えた表情に変わる。
莉己「おい久美子…愛しの副部長サマは男子部屋でふて寝してるだろうから今すぐ連れてこい。」
久美子「『愛し』って秀一とはそんなんじゃないから⁉」
莉己「2度も言わせんな…⁉ 早 く 連 れ て こ い 。」
久美子は走り去って行った。麗奈を睨む。
莉己「てめえ何やってんだ馬鹿野郎。部内の動揺広げるような真似しやがって馬鹿野郎。何がドラムメジャーだよ馬鹿野郎。さっさと辞めちまえ馬鹿野郎。」
麗奈「……。」
無言の間が続いた。久美子が秀一を連れてくるまで待った。視界に久美子と秀一が歩いて向かっているのが映った。
「走 れ ‼ 」
思いっきり叫んだ。周囲の視線が突き刺さるが無視した。
秀一「……何だよ?」
莉己「『何かが起きてからじゃ遅いから態々幹部でもない俺が忠告してやってんだけど。』って言ったの覚えてるか? 秀一くん?」
秀一「……覚えてるよ。」
莉己「それと…てめえ久美子…『そこは各自フォローするしかないんじゃないかな』っててめえが言ったのと『どうやってフォローすんだよ。大体なぁ、関西も全国も久美子がソロから外れて代わりに真由さんが選ばれたら冷静でいられるのかよ秀一? お前だけじゃねえよ、吹部全体に動揺が広がるんじゃねえか?』って言ったのは?」
久美子&秀一「「覚えてる…⁉」」
莉己「じゃあ何でフォローしねえんだよ馬鹿野郎。てめえ秀一…副部長サマ自ら不貞腐れて後輩に迷惑かけやがって馬鹿野郎。俺を舐めてんのか? 舐めてるよなあ?」
秀一「舐めてなんか――――。」
最後まで言わせなかった。片手で首を掴んで持ち上げて宙吊りにする。
莉己「舐めた行動しやがって舐めてねえってのはどういうことなんだ? なあおい?」
秀一「放…せ…⁉」
莉己「舐めやがって。死ねよお前。」
咄嗟に誰か…大勢にしがみつかれる。滝先生、橋本先生、新山先生、その他大勢に腕を掴まれた。いつの間にかキャンプファイヤーや花火をやっている者はいなくなっていた。
滝「放しなさい⁉」
握力を込めて思いっきり秀一を地面に叩きつける。首から手を離す。
莉己「はい、放しました。それから…今回の編成について部員たちに細かく説明した方がよろしいのではないでしょうか? 何たって部長サマがソロから外れたくらいで副部長サマが不貞腐れて後輩に迷惑かけるくらいですから。」
滝「……分かりました。明日、そのようにします。」
莉己「では俺は筋トレに戻ります。俺の時間を無駄にしないでください。」
さっさと走って去った。煮え滾る怒りを霧散させるために運動しまくった。大量の汗溜まりと共にどうにか怒りは消え去った。汗でグチョグチョのパンツ1枚姿になって施設に戻った。
「つい先ほど塚本くんが目を覚ましました。」
莉己「そうですか…『殺されなかっただけ俺に感謝しろ』と…伝えておいて…ください…。」
滝「……忠告です。仲間は大切にしてください。」
莉己「俺に…仲間なんて…始めから…いません…。ただ…同じ部に…所属している…それだけです…。」
滝「……。」
薬飲んで晩飯食って風呂入ってさっさと寝た。何も考えたくなかった。すぐに眠れた。
合宿が終わってから数日後、部活、音楽室にて。
麗奈「はい、ではコンクールメンバーはそのまま合奏練習です。」
「あの、これからも練習、ずっとこの形で続くんですか⁉」
「オーディションの度に合奏のメンバーが変わるって…⁉」
「それって本当に演奏が良くなるのかなって…⁉」
久美子「今、練習中だから⁉ とりあえず後にしよう。話は聞くから。」
「だよね…。」
麗奈「自分の不満をオーディションのせいにしないでください。分かった上で進めていることでしょう。」
「別に…私は不満なんか…。」
「滝先生が大会ごとにオーディションするって決めたわけだし…。」
麗奈「決めたのは滝先生じゃありません。」
「え、そうなの⁉」
秀一「提案したのは幹部。まあ最終判断は滝先生だけど。」
「じゃあ、私たちが前の形に戻したいって言えば…⁉」
麗奈「今更出来るわけないでしょう。」
久美子「ぶ、部内のそういう声は理解しています⁉ ただ、今年はこの形で進めると決めたので。来年以降に…⁉」
「それって今年は諦めるってこと⁉」
麗奈「誰もそんなこと言ってない。この方法がベストだと滝先生が判断して私たちはそれを信じて演奏してきた。」
「だけどさ…部の空気何とかしてよ。合宿からずっと悪いままだよ。部長だってそうでしょ? ソリ、急に変更になって…そういうのとか…何というか…。」
今のは聞き逃せなかった。黙っておくのも限界だった。ため息をつきながらゆっくりと立ち上がり麗奈を押しのけて壇上に立つ。
莉己「あの清良女子から即戦力のユーフォ奏者が転校してきたんですよ。本来なら喜ぶべきでしょう? 何故喜ばないんですか? 部長がソロ担当なんて誰が決めたんです?」
全員を見渡しながらそう告げる。誰も俺と目を合わせない。
莉己「誰が決めたかって聞いてんですけど?」
「「「「「……。」」」」」
莉己「聞 い て ん の か コ ラ ァ ‼」
振り向いて思いっきり黒板をブン殴る。罅が入り殴った部分が砕けてポロポロと落ちる。さっきからずっと視線を感じる。目を向ける。目を逸らす。
莉己「おい久石…てめえ何さっきから睨んでやがんだよ。言いたいことがあるならハッキリ言えや。」
奏「別に…睨んでなんか…⁉」
莉己「バレバレなんだよ馬鹿野郎。久美子がソロから外れて文句あるならハッキリそう言え馬鹿野郎。」
視界に滝先生が映る。扉が開く。
滝「どうしましたか? 神坂くん? それに後ろの黒板は…?」
莉己「未だに部長がソロから外れたことをガタガタ抜かす奴がいたんで『部長がソロ担当なんて誰が決めたんです?』って聞いても誰も答えないんで頭に来て黒板ブン殴りました。申し訳ございません。それで…部長がソロ吹く決まりなんてありましたっけ?」
滝「そんなものはありません。」
莉己「ですよね? 俺もそう思って聞いたんですけど誰も答えないんですよ。困っちゃいますよね?」
滝「貴方の言い分は分かりました。どうか落ち着いてください。手を止めている暇はありませんよ。」
久美子「は、はい⁉ 起立⁉」
俺は頭に血が昇り、そのせいか襲い掛かる頭痛や眩暈や息苦しさをそのままに合奏練習に臨んだ。
パート練習に移った。音楽室を出る。
「私のせいだっていうの⁉ アンタが仏の副部長とか言われて甘い顔してるから⁉」
「それとこれとは別の話だろ⁉ 部長が治めようとしてんのにああいう声にいちいち反応するなって言ってるだけだよ⁉」
「放っとく方がよっぽど問題⁉ なあなあにしてたらこっちが非を認めることになる⁉」
「正論で言い負かして不満が消えると思うか⁉」
「だからって―――――。」
さっきから痙攣が止まらない指で扉を掴んで思いっきり閉める。衝撃で窓ガラスに罅が入るがどうでもよかった。驚いた様子のふたりがこちらを向く。息が苦しい。脚が思うように動かない。顔面の筋肉が痙攣する。息が苦しい。
莉己「はあ…てめえら…⁉ はあ…殺されなきゃ理解できねえか…⁉ はあ…はあ…。」
息が苦しい。深呼吸したかった。出来なかった。浅い呼吸に変わる。睨みつけようとした。駄目だった。顔面の筋肉が痙攣しっ放しだった。ふたりを放置して音楽室に置いてあるバッグを漁る。常備している薬を纏めて口内に放り込み唾液で飲みこむ。廊下の少し離れた所に真由さんがいた。脚を引きずりながら歩み寄る。
莉己「はあ…真由さんごめん…。はあ…体調最悪だから帰って寝る…はあ…はあ…。」
真由「救急車呼んだ方が…⁉」
莉己「はあ…それは…はあ…勘弁して…はあ…騒ぎに…はあ…したく…はあ…ない…はあ…。」
それから必死な思いで帰った。ありとあらゆる苦痛に襲われた。生き地獄とはこういうものなのかとさえ思った。普段は使わない電車に乗って帰った。待ち時間がとてつもなく長く感じた。記憶を頼りに最寄り駅で降りた。浅い呼吸を繰り返しながら死にたくなる衝動を必死に堪えて帰った。震える指で夢中で鍵をどうにか開けた。ドアを開けて倒れ込んだ。這いつくばりながら匍匐前進で床に寝転がった。着替えるのも苦痛だった。観念してそのまま目を瞑った。初めて神に祈った。この苦痛の嵐から解放してほしいと心底願った。
目が覚める、体の異常は…ない。嘘だったかのように消え去っていた。振動音、バッグを漁る。携帯電話の画面に『松本先生』と表示されている。通話ボタンを押す。
莉己「もしもし。」
松本「体調は?」
莉己「もう大丈夫です。」
松本「何故私の所に来なかった?」
莉己「パニックになって…考えもしませんでした。申し訳ございません。」
松本「全く…次は迷わず私の所へ来るように! 分かったな!」
莉己「かしこまりました。では失礼します。」
腹が減ったので電子ジャーのスイッチを入れてシャワーを浴びて晩飯を食って本来ならば1日1回の容量だがまた薬を飲んで寝た。新山先生が恋しかった。先生を想いながら目を瞑った。すぐに眠れた。
合奏練習の日々を過ごし関西大会を迎えた。チューニング室に移動する。本番前に久美子が何か喚いて皆さんが拍手していたが耳を素通りした。本番でも練習通り吹いた。関西大会を突破したが俺の感情が動くことはなかった。新山先生が恋しかった。ただそれだけだった。
全国大会向けのオーディションが行われいつも通りに吹いた。翌日、松本先生から名を呼ばれ気のない返事をした。ユーフォのソロだけ久美子と真由さんで最オーディションが行われることになった。どうでもよかった。ただ、真由さんの音を聴き分けて投票しようとだけ思った。最オーディションの結果、真由さんに決まった。どうでもよかった。全国大会当日、練習通りに吹いた。全国金賞を遂に獲った。どうでもよかった。新山先生が恋しかった。ただそれだけだった。