―――再オーディションの一件が片付き居残り練習も終わり葉月さんと一緒に帰る。
葉月「はぁ…。」
莉己「どうしたんですか? 元気ないですね。」
葉月「だって…莉己くんが苦しんでる時に何の力にもなれなかった…。」
莉己「……何のことですか?」
葉月「私…知ってた…。オーディションの件で莉己くんの噂が広がってるの…。」
莉己「もう終わったことですよ。」
葉月「先輩たちが直接噂してるのも聞いた…。でも何も出来なかった…。」
莉己「1年生の女子部員に出来る事なんて数少ないですよ。」
葉月「でも莉己くんは違うよね⁉ 先輩が滝先生に高坂さんのことで文句言った時も⁉ 再オーディションの時も⁉ 自分の噂が本当かどうか証明するためにたったひとりで先輩たちが見ている中で吹いて⁉ 彼氏が孤立しても正しいことしようとしてるのに私…⁉ 何も出来なかった…⁉ 情けなくて…⁉ 悔しい…⁉」
莉己「俺はまあ…見ての通りのガタイなので最終的に暴力で解決できますけど葉月さんに同じことやれなんて思ってませんよ。それに孤立するのにも慣れてるんでどうってことないですよ。」
葉月「『孤立するのにも慣れてる』って…どういうこと⁉」
莉己「中学生の時、不良気取りの調子こいてる奴ら片っ端からブチのめしていったら停学処分食らった上に誰も俺に寄りつかなくなりました。だからひとりでいるのも慣れています。家族にも見捨てられましたし。」
葉月「『見捨てられた』って…でも学費も払って仕送りもしてもらってるんでしょ⁉」
莉己「ただ俺にビビって厄介払いしてるだけですよ。その上中卒止まりの息子は持ちたくないみたいで世間体気にしてるのはわかってます。もう2度と会うことはないでしょう。」
葉月「そんな…⁉ それじゃ独りぼっちだよ…⁉ 私は莉己くんにとって何なの…⁉」
莉己「彼女ですけど他に好きな男が出来たら俺なんか放っといてそっちに行っちゃっていいですよ。」
葉月「そんなの恋人同士でも何でもないよ⁉ もう…⁉ 私…⁉ ついていけないよ…⁉ どういう思考してるの…⁉ もう会うの止めよう…⁉ さよなら…⁉」
葉月さんは涙を流しながら走り去って行った。見捨てられたのか、俺が見捨てたのか分からない。ただ、大切な存在を失った気がするが俺の感情は動かなかった。それから毎日朝練をこなして部活も居残り練習もこなしてひとりで帰って葉月さんと部屋で過ごしていた時間が運動する時間に代わってそこそこ疲れて薬を飲んで朝を迎える日々を過ごした。そして府大会前日にまで迫った。いつも通りひとりで帰ろうとしたところに
「莉己くん。」
呼び止められた。特に無視する必要もないので振り向いた。
莉己「どうしましたか、麗奈さん?」
麗奈「それはこっちの台詞よ。最近ずっとひとりで帰ってるけど加藤さんと何かあったの?」
再オーディション後の葉月さんとの経緯を話した。
麗奈「うーん…莉己くんの言い方もアレだけど、彼氏が困ってる時に何も出来なかった加藤さんもねぇ…。どっちもどっちなんじゃない?」
莉己「葉月さんは泣いてましたけど俺は全然平気だったんですよねぇ…。彼女が出来て肉体関係も結んで部活ではコンクールメンバーに選ばれて人生上手く出来すぎっていうか…俺の人生これでいいのかって考えちゃって葉月さんを突き放すようなこと言っちゃいました。でも後悔してるかって言われるとそうでもないです。」
麗奈「独りで寂しくないの?」
莉己「寂しいっていう感情がよくわからないです。」
麗奈「誰かに会いたいとかは?」
莉己「ないです。」
麗奈「楽しい思い出は?」
莉己「クソ兄貴を初めてブチのめした時ですかね。人を思いっきり殴ったり蹴ったりするのがあんなに楽しいものだとは思いませんでした。その後刺されましたけど。たぶん爆笑しながら両腕折って両脚の神経捩じ切ってましたよ。法律が許すならテンション爆上がりでクソ両親も纏めて皆殺しにしますね。」
麗奈「……そう。加藤さんのことはどう思ってたの?」
莉己「告白されて特に断る理由も無かったですし、見た目も可愛かったので付き合いましたけど好きだったのかどうか今ではよくわかりません。セックスが気持ちよかったのは確かです。」
麗奈「また付き合いたいとは思わないの?」
莉己「もうついていけないって言われましたしすぐ別れるんじゃないですか? だったら始めから付き合わない方がいいですよ。時間やら労力の無駄です。」
麗奈「じゃあ恋愛したいとも思わない?」
莉己「恋愛でも友人関係でもお互いを必要と思わなければ成立しないと思いますよ。葉月さんがいなくなってもいつも通りに過ごせてるので少なくとも今の俺には恋愛する必要がありません。」
麗奈「わかった…。もういい。それで…症状の方はどうなの?」
莉己「とりあえず薬飲まないと眠れない体になりました。悪化してますね。」
麗奈「はあ…どうしたらいいのかしらね…。加藤さんと付き合って改善するのを期待してたんだけど。」
莉己「どうにもならないですよ。どうしたらいいのかわかりませんけど俺自身がどうにかしないといけないと思っています。誰かにどうにかできるならとっくに治ってますよ。病院に通って精神科の先生に診断してもらってるんですから。ここ数年は薬漬けですね。ある意味薬物中毒者です。」
麗奈「そのマイナス思考どうにかならないの?」
莉己「俺が鬱病と不眠症と強迫症患者だって知ってて言ってるんですか?いい性格してますね。」
麗奈「私、さっきからイライラさせられっ放しなんだけど。」
莉己「自業自得って言葉教えてあげましょうか?麗奈さんがチクらなければこんなことにはならなかったんですよ。自分のやったこと反省してください。」
麗奈「……。」
莉己「言うことないなら走って帰りますよ。運動しまくらないといけないんで。」
麗奈「……。」
走って帰った。急いで着替えて走りまくった。シャドーボクシングもした。頭がフラフラになるまで筋トレした。とっくに夜9時を過ぎていたがどうでもよかった。後始末諸々を終えて薬飲んで寝た。何も考えたくなかった。すぐに眠れた…と思う。
府大会当日、早朝、目が覚める。時間にはまだまだ余裕がある。バリカンで髪を刈り髭と眉を剃る。気合いを入れる。洗髪と歯磨き洗顔を終えて学ランを肩にかけて走って登校する。音楽室に集合する。点呼を取り譜面隠しをいただく。張り切って楽器運搬を行う。松本先生から喝を入れられる。滝先生が遅れて到着する。サンフェスでも見た光景。『チームもなか』なる集団からお守りを渡される。葉月さんから受け取った。何事もなかったかのように接した。滝先生から部長へひと言求められる。
晴香「ええと…今日の本番を迎えるまで色々な事がありました。でも今日は、今日できることは今までの頑張りを、想いを全て演奏にぶつける事だけです。それでは皆さん御唱和ください!北宇治ファイト~!」
「「「「「おー‼」」」」」
あすか「さあ会場に私たちの三日月が舞うよ!」
「「「「「おー‼」」」」」
松本「はしゃぎすぎだ‼」
松本先生にツッコミを入れられた。それにしても…部長の綺麗な声からの独特のイントネーションの掛け声には癒される。この人が部長で本当に良かったと思った。バスに乗り込む。適当に窓際に座る。
「おはよう。」
挨拶するのも面倒だが反射的に言葉が出てしまった。
莉己「……おはようございます。」
顔を向けずに窓から外を眺めたまま挨拶した。
麗奈「昨日のことはごめん。莉己くんを責めるようなことを言って。」
莉己「走りまくって筋トレしまくったらどうでもよくなりました。忘れてください。」
外を眺めたまま言葉を続ける。
麗奈「じゃあ私を見て。」
無視した。両手で顔を挟まれる。強引に顔の向きを逆方向に変えられる。
麗奈「私を、見て。」
見つめ合う。相変わらず美しい…が、それだけだった。何の感情も動かなかった。
莉己「何か御用ですか?」
麗奈「用がなければ話しかけちゃいけないの?」
莉己「俺に気を遣う暇があったら滝先生のこと考えてください。」
また外に顔を向ける。
麗奈「もっとやる気見せてよ。府大会なんだよ。」
莉己「俺ら全国目指してるんですよ。府大会如きではしゃいでられませんよ。」
麗奈「ふーん、随分な自信だね。」
莉己「アルトサックスのソロはないし正直退屈ですよ。俺の身にもなってください。」
麗奈「皆が吹いてるからって手を抜かないでよ。」
莉己「そんなことしません。練習通りやるだけ、実に退屈な作業です。」
麗奈「余裕ぶるのはいいけどミスしないでよ。」
莉己「しませんよ。退屈すぎて眠くなりますけど。」
麗奈「本当に寝ないでよ。」
莉己「寝ませんよ。不眠症の意味、わかってます?」
麗奈「……ごめん。」
莉己「謝らなくていいですけど、もう少し考えてから発言していただけると助かります。」
麗奈「……わかった。」
莉己「ならいいです。」
会話が途切れた。気にもならなかった。目を閉じる。ひたすら時間が過ぎるのを待った。目を開ける。会場に着いたようだ。列を譲って最後に降りる。軽く柔軟体操でもしたい気分だが制服が破れそうなので我慢した。
会場内に入って集合する。周囲を見渡す。あの立華高校の大集団がいた。軽く会釈する。控室へ移動する。念入りにチューニングをする。滝先生の合図で音が止む。クラリネットの先輩の音出しと共に最後のチューニングをする。
滝「ええと…実は何か話そうと思って色々考えてきたのですが、あまり私から話すことはありません。春、貴方たちは全国大会を目指すと決めました。向上心を持ち、努力し、音楽を奏でてきたのは全て皆さんです。誇ってください、私たちは北宇治高校吹奏楽部です。そろそろ本番です。会場をあっと言わせる準備は出来ましたか?」
莉己「は い‼」
俺だけ叫んで返事をしてしまった。恥ずかしい。
滝「始めに戻ってしまいましたか? 私は聞いているんですよ。 会場をあっと言わせる準備は出来ましたか?」
滝先生が促すように手を差し伸べる。
「「「「「はい‼」」」」」
今度こそ一致団結した。
滝「行きましょう、全国へ。」
滝先生が扉を開ける。現在、舞台袖で待機中、麗奈さんが歩み寄ってくる。
麗奈「莉己くんったら…ふふっ、ひとりだけ返事して間抜けっぽくて笑っちゃった…⁉」
莉己「皆さんが腑抜け過ぎるんですよ。1発で返事してくださいよ。お願いしますよ。」
麗奈さんが無言で拳を突き出す。俺も無言で拳を合わせる。悪い気はしなかった。
北宇治の名が呼ばれ照明のついていない舞台へと案内された。椅子に座る。観客席を見渡す。照明がつく。滝先生が壇上に上がる。構える。先生が手を振ると共に『プロヴァンスの風』が始まった。ググったら風はスペインから始まりトリオでプロヴァンス(南フランスの南東部を占める地方で、東側は対イタリア国境、西は標高の低いローヌ川左岸までである。南は地中海に面する)に行ってまたスペインに戻ってくるという趣旨を作曲者が言っていたらしい。スペイン…情熱の国と呼ばれる場所。俺も情熱を以て吹きまくった。次、『三日月の舞』に移る。最高のタイミングのファンファーレから始まる。そこにクラリネットやフルートも加わり大合奏に変わる。当然俺も参加した。僅かな沈黙、麗奈さんのソロが始まる。透き通るような綺麗でどこまでも伸び行く音色。自信を持った。俺の判断は間違っていなかったと。やがてまた大合奏に変わり最後は汗を流す滝先生が汗を飛び散らせながら息を荒げ腕を振り落ろし『三日月の舞』は終わる。
観客席で結果発表の待機中、右隣には鎧塚先輩、左隣には麗奈さん。紙の大きな幕が下ろされる。北宇治の名の横に金と書かれている。
麗奈「莉己くん…⁉」
莉己「泣くのは早すぎますよ。全国行くんですよ、俺ら。」
それから関西大会へ進出する3校が発表された。確かに聞いた。北宇治高等学校と。涙を麗奈さんに抱き着かれる。目を閉じる。涙は出なかった。
部長から集合をかけられる。滝先生が前に出る。
滝「ええと…こういうの初めてなので何と言ったらいいのかわからないのですが、皆さんおめでとうございます。」
晴香「いえ⁉ むしろ感謝するのは私たちの方です…! みんな!せーの!」
「「「「「ありがとうございました‼」」」」」
滝「あ、はい、ありがとうございます。私たちはこれからった今より代表です。それに恥じないように更に演奏に磨きをかけていかなければなりません。今この場からその覚悟を持ってください。」
「「「「「はい‼」」」」」
その後、楽器運搬を張り切ってやった。ミーティングが行われ夏休みの日程表が配られた。8月17~19日まで合宿、15~16日は学校が完全に閉められ休みになるそうだ。
滝「とにかく残された期間は限られています。3年生はもちろん、2年生、1年生も来年あると思わずこのチャンスをものにしましょう。」
「「「「「はい‼」」」」」
滝「では練習に移りますが…その前に…。」
音楽室の扉が開く。『チームもなか』のメンバーが楽器を持って入ってくる。
「えーっと、皆さん。関西大会出場おめでとうございます!私たちチームもなかは関西大会に向けてこれまでと同様、みんなで支え、この部を盛り上げていきたいと思います。おめでとうの気持ちを込めて演奏するので聴いてください! さあ! 行くよ!」
そして演奏が始まる、これは…『学園天国』…だったか。上手だった。視線を感じる、目を向ける。葉月さんと目が合った…気がする。
「「「「「コングラチュレーション‼」」」」」
部長が感謝の言葉を伝えようとするが号泣してしまい、代わりに副部長が「北宇治ファイト~!」
「「「「「おー‼」」」」」
で締めくくられ練習が始まった。居残り練習も終えて麗奈さんと一緒に帰ることになった。
莉己「麗奈さんでも泣くんですね。驚きました。」
麗奈「私を何だと思ってるのよ。中3の時、駄目金だったから嬉しかっただけよ。」
莉己「まあ…そりゃあ嬉しいでしょうね。」
麗奈「莉己くんはどうなの?」
莉己「うーん…こんなもんでしょって感じですかね。何度も言いますけど全国目指してるんですからこんなところで喜んでられませんよ。」
麗奈「莉己くんは泣いたことないの?」
莉己「小学生の時からクソ兄貴にいじめられてましたけど泣きはしませんでした。いつかブッ殺してやるって考えながら体鍛えて…今に至ります。俺の精神年齢って幼い頃から全然成長してないのかもしれませんね。」
麗奈「そんなことはないでしょ。加藤さんとその…色々としたんでしょ…?」
莉己「でも人を好きになるっていうことがどういう意味か理解する前に別れちゃいましたしただのクソガキですよ。あ、走って帰っていいですか?運動しまくらないといけないんで。」
麗奈「いいよ、じゃあまた明日。」
莉己「はい、また明日。」
時間が過ぎるのは早いものであっという間にお盆休みを迎え朝から晩まで運動にシャドーボクシングに筋トレに励み充実した2日間を終えた。そして合宿日を迎えた。場所がどこかは知らないが滝先生のコネクションを活かした場所だそうだ。現場に着いた避暑地っぽい施設だった。早速中へ入った。滝先生に出会った。
莉己「おはようございます。お疲れ様です。滝先生。練習後の事ですが…運動しまくってから晩御飯やお風呂をいただいてもよろしいでしょうか。勝手な話をして申し訳ございません。」
滝「……わかりました。部員の皆さんにも伝えておきます。無理はなさらないでください。」
莉己「睡眠のためなら多少の無理はさせていただきます。申し訳ございません。」
滝「謝る必要はありません。部員の体調管理も顧問の務めです。」
莉己「ありがとうございます。失礼します。」
男子部屋らしき場所にバッグを置いて合奏練習場所へ移動する。そのまま待機する。滝先生が入ってくる。壇上に立ち
滝「ではまず練習を始める前に、皆さんに紹介したい方がいます。どうぞ。」
扉が開く音がする。足音からして女性だろうか。目を向ける。見惚れた。