「ぐげっ…!」
喉から空気が漏れた。肋骨が内側から折れそうだ。
デルタが抱きしめている。ただ抱きしめているんじゃない。万力で締め上げられている。いや万力より酷い。万力は均等に力がかかるけど、こいつは特定の部位だけ局所的に圧迫してくる。俺の肋骨という肋骨がミンチになりそうだ。
「んー…エロゲ…匂い…」
デルタの鼻が首筋に埋まっている。くんくんと匂いを嗅ぐ音が耳元で響く。熱い吐息が肌にかかる。普段なら可愛いもんだが、今は恐怖しかない。
「なぁデルタ。力加減…してくれ…」
「しない」
即答だった。しかも声が低い。普段の「しないのです」とは違う。もっと原始的な、単語としての拒絶だ。
「エロゲ…熱い…もっと…」
ぎゅうううっ!
締め付けが強まった。背骨がきしむ音がした気がする。俺の背中だ。間違いなく俺の背中だ。
「助け…! イータ! 何とかしてくれ!」
俺は必死でイータに助けを求めた。
イータは爆発の余波で煤けた壁際に立っていた。手には奇跡的に無事だったクリップボード。ゴーグルを直しながら、じっとこちらを見ている。
「…分析」
「分析してる場合か! 俺が死ぬ!」
イータはペンを走らせた。
「状況…魔神化したデルタがエロゲに執着。行動パターンは…発情期の狼と類似」
「発情期!?」
「推測…デルタは元々強い相手に惹かれる習性あり。今回魔力過剰摂取で抑制が外れた可能性高い」
「抑制が外れたって何だよ! つまりどういうことだ!」
「溜め込んできた欲求が出てきた」
「欲求って何の欲求だ!」
「…繁殖」
「言うなァァァッ!」
俺は叫んだ。デルタの耳がぴくっと動いた。聞こえてるのかよ。
「エロゲ…好き…大好き…」
ぎゅうううっ!
また締め付けが強まった。今度は尻尾が俺の脚に巻き付いてきた。毛並みが逆立っていて、普通の尻尾より硬い。鉄の鞭で締め上げられているようだ。
「くっ…これマジで肋骨いかれるって…!」
「デルタ…離れて」
イータが言った。冷静だ。あまりにも冷静だ。
「無理」
デルタが即答した。
「エロゲ離さない。匂い嗅ぐ。舐める。噛む」
「噛むな! 噛むなよ!」
ぺろり。
背中に熱い感触が走った。デルタの舌だ。首筋から鎖骨にかけて、ねっとりと舐められた。舌が荒い。猫の舌なんて可愛いもんじゃない。ヤスリで擦られているようだ。
「んっ…! やめろ! くすぐったいとかそういう問題じゃないだろ!」
「美味しい…エロゲ美味しい…」
デルタはまた舐めた。今度は耳の裏だ。湿った舌が敏感な部分を這い回る。
「ひぃっ! そこダメだ! 耳弱いんだよ俺!」
「…反応良好」
イータが呟いた。
「…エロゲの被虐性とデルタの加虐性が噛み合ってる」
「噛み合ってねぇよ! 噛み合ってたら俺が楽しいはずだろ! 全然楽しくねぇ! 苦しいだけだ!」
俺は必死に抵抗した。だがデルタの力は桁違いだ。魔神化したせいか、普通のデルタの十倍はある。腕一本動かすのもやっとだ。
「エロゲ…もっと嗅ぐ…もっと舐める…」
デルタは俺を床に押し倒した。仰向けにされた。上に乗っかられる。重い。でも柔らかい。胸が押し付けられているのがわかる。スライムスーツじゃなくて黒い衣装越しでも伝わる柔らかさ。
(いや感心してる場合じゃない! これは危機的状況だ!)
「イータ! 頼むから何とかしてくれ! アルファ呼んでくれ! シド呼んでくれ! 誰でもいいから!」
「アルファ様は執務。シャドウは不在」
「じゃあ他の七陰は!」
「ガンマは出張。ベータは執筆。イプシロンは訓練。ゼータは偵察」
「全員忙しいのかよ! お前は!」
「私? …観察」
「観察すんな! 助けろ!」
イータは首を傾げた。
「…なぜ助ける必要ある?」
「なぜって俺が死ぬからだよ!」
「死なない」
「死ぬ! 肋骨折れて肺刺さったら死ぬ!」
「デルタは手加減してる」
「どこが! 全然してない!」
「してる。…本気なら頭噛み砕いてる」
「噛み砕くのかよ! 犬じゃないんだから! いや狼か! どっちでもいいけど噛み砕くな!」
俺は絶叫した。
その間もデルタは俺の首筋に顔を埋めている。くんくんと匂いを嗅ぎ、時折ぺろりと舐める。
「エロゲ…大好き…私の…エロゲ…」
その声には甘えが混じっていた。普段のデルタと同じ響き。
(ああクソ。こいつ中身はデルタなんだよな)
俺は抵抗する腕を緩めた。
緩めた瞬間、デルタの締め付けも少しだけ緩んだ気がした。
「…ほら見て」
イータが指差した。
「攻撃性低下。…エロゲ受け入れると落ち着く」
「落ち着くってお前」
「…デレた」
「デレたのかよ! 状況これで!」
俺は天井を見上げた。
上には赤い瞳をしたデルタがいる。
下には床がある。
横には冷静なイータがいる。
(なんで俺ばっかりこんな目に遭うんだ)
「エロゲ…眠い…」
デルタが呟いた。
締め付けがさらに緩む。彼女は俺の胸に顔を乗せたまま目を閉じた。
「エロゲ枕…いい匂い…」
寝やがった。
俺は脱力した。
「…デルタ寝た」
イータが記録した。
「…魔神化しても睡眠欲求は残る」
「そんなことより降ろしてくれ」
「降ろせない」
「なんで」
「重いから」
「お前魔力制御できるだろ!」
「面倒」
「面倒ってお前なぁ…!」
俺は諦めて天井を見上げた。
デルタの重みが腹にかかっている。
暖かい。
柔らかい。
でも重い。
(今日も平和だな)
全然平和じゃないけど、そう思うことにした。