※この作品はR-18です。

囮の実力者になりたくなくて!   作:ボルメテウスさん

22 / 23
平和な日常に婚約通知は非日常的である

自室に戻ると、ゼータがいた。

 

窓辺に座り、足をぶらぶらさせながら窓の外を見ている。白銀の短い髪が月明かりに揺れている。

 

「やっ、エロゲ。なんだか大変だったようだね」

 

振り返りもせずに言った。気配を感じ取ったのか、あるいは最初から俺の帰りを待っていたのか。

 

「まあ、色々あってな」

 

俺はベッドに腰を下ろした。体が重い。全身が気だるい。ベアトリスとの一件で体力も魔力も大幅に消耗している。

 

「大変ってレベルじゃなかったけどな」

 

「ふうん」

 

ゼータは興味なさそうに鼻を鳴らした。いつもの反応だ。俺のトラブルなど日常茶飯事なのだ。彼女にとって俺が攫われようが蹂躙されようが、事件に巻き込まれようが、それは「いつものこと」でしかない。

 

「で、何があったの」

 

「長い話になるぞ」

 

「短くして」

 

「エルフの女に拉致されて、宿に連れ込まれて、尋問されて、それから……まあ、色々だ」

 

「ふうん」

 

ゼータはもう一度鼻を鳴らした。詳細を聞く気はないらしい。いや、あるのかもしれないが、聞いても「ふうん」で終わるだろう。この猫はそういう生き物だ。

 

「で、手紙」

 

ゼータが指差した。俺の机の上に、一通の封筒が置かれている。白い封筒。蝋で封がされている。

 

「いつ届いたんだ?」

 

「一時間くらい前。使いの人が持ってきた。王宮からの正式な使者だって」

 

「王宮? 俺に?」

 

「うん。なんで王宮からエロゲに手紙なんて来るのかなあ。面白いね」

 

面白くない。全然面白くない。王宮からの手紙なんて、ろくなことが書いてあるはずがない。

 

俺は封筒を手に取った。重い。紙の重み以上のものが感じられる。蝋の封蝋には王冠の紋章。ミドガル王家の正式な紋章だ。

 

「開けるの?」

 

「……開ける」

 

俺は蝋を割り、中から便箋を取り出した。ゼータが横から覗き込む。背伸びして。猫みたいに。

 

「見るなよ」

 

「いいじゃない。仲間でしょ」

 

「仲間だからってプライバシーはある」

 

「エロゲのプライバシーなんてとっくにないよ」

 

「ひどい言い草だな」

 

俺は便箋を広げた。

 

そして——固まった。

 

文字が目に入ってこない。いや、入ってきてはいるのだが、意味として認識できない。王宮の公用文書。形式張った言い回し。だがその中に、いくつかの単語が飛び込んできた。

 

「クレア・カゲノー」

 

「婚約」

 

「正式に」

 

「え」

 

俺は便箋を持ったまま固まった。

 

横でゼータが便箋を覗き込む。目が動く。読んでいる。

 

そして——ゼータも固まった。

 

沈黙が落ちた。

 

窓の外から夜風の音。どこかで猫が鳴く声。遠くの酒場の喧譟。

 

だが部屋の中は完全に静寂だった。

 

「……くっ」

 

俺は息を吐いた。言葉にならない。

 

「クレア・カゲノーとの婚約が決まっただって」

 

俺の声は震えていた。いや、震えていない。震えていないはずだ。震えているように聞こえるのは気のせいだ。

 

「……はぁ」

 

ゼータが言った。

 

それだけだった。

 

無表情で。相変わらずの無表情で。ただ一言。

 

「はぁ」

 

その「はぁ」には何の感情も込められていなかった。驚きもない。怒りもない。困惑もない。ただの「はぁ」だ。

 

だが——

 

その「はぁ」の奥に、何かが詰まっている気がした。

 

猫の奥に、何かが。

 

俺は便箋を見つめたまま、もう一度息を吐いた。

 

「はぁ」

 

俺も同じ言葉を吐き出した。

 

理由はわからない。ただ、同じ言葉しか出てこなかった。

 

窓の外で、月が雲に隠れた。部屋が暗くなる。

 

俺とゼータは、便箋を見つめたまま、しばらく動けなかった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。