※この作品はR-18です。

囮の実力者になりたくなくて!   作:ボルメテウスさん

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第23話

喫茶店のベルが鳴った。

 

俺は席に着き、目の前の椅子を眺めていた。

 

クレア・カゲノー。

 

正式に決定。俺の知らぬ間に。誰が決定したのか。いや、家同士の何かだろう。エロゲ家なんて聞いたことがないが。

 

まあいい。どうせいつものことだ。俺の人生は俺の知らぬ間に決まることが多すぎる。攫われるのも、実験台にされるのも、拉致されるのも、全部俺の知らぬ間に決まってた。婚約くらいどうってことない。

 

(いやどうってことないのか?)

 

「お待たせ」

 

声がして、俺は顔を上げた。

 

クレアさんは、そのまま座った。

 

「久し振りね、けど、まさかこんな形で会うとはね」

 

クレアは素直に謝った。そして向かいの席に座った。背筋を伸ばして。礼儀正しく。

 

「で、手紙。見た?」

 

「見た。見たけど」

 

「見たけど?」

 

「婚約って何がどうなったのか全然わからなくて」

 

「ああ。私も」

 

クレアは言った。

 

「私も今日初めて聞いた。手紙で」

 

「へ?」

 

「だから、私も今日初めて聞いたの。あなたと婚約するんだって」

 

クレアの青い瞳が細められた。眉が微かに下がる。苛立ちだ。

 

「家の親父が。勝手に決めた。私の意思は一切聞かずに」

 

「ああ。うちもたぶん同じだ」

 

「あなたも?」

 

「俺も今日手紙来て初めて知った。クレアさんって名前も今日知った」

 

「…ふう」

 

クレアはため息を吐いた。

 

「あの人たち本当に勝手だわ」

 

「あの人たちって」

 

「親同士。私の親とあなたの親。どこで繋がったのか知らないけど、勝手に話を進めて勝手に決めて勝手に手紙を送る。当事者の意思は無視」

 

「無視だな」

 

「無視よ」

 

クレアはカップを取った。コーヒー。ブラック。砂糖もミルクも入れない。一口飲んで、眉をひそめる。

 

「苦いな」

 

「苦くないコーヒーなんてコーヒーじゃないですよ」

 

「そうなんだけど。やっぱり苦いものは苦いわ」

 

「じゃあ砂糖入れたらいいのに」

 

「入れたら負けな気がして」

 

「何に負けるんですか」

 

「知らない。でも負け」

 

クレアはまたコーヒーを飲んだ。やっぱり眉をひそめる。

 

俺は自分のカフェオレを一口飲んだ。甘い。いいね、甘いのは。平和の味がする。

 

「で、エロゲ」

 

「何ですか」

 

「あなたはどうするの」

 

「どうするって」

 

「婚約。受けるの? 断るの?」

 

直球だった。クレアは直球しか投げないタイプらしい。

 

「どうするも。俺が決めることじゃないだろ。家が決めたんだから」

 

「諦めるの? あっさりと」

 

「あっさりっていうか。俺に拒否権あるのか」

 

「あるでしょ。あなたの人生よ。あなたが決めていいはず」

 

「クレアさんは自分の人生自分で決めるタイプですか」

 

「当たり前でしょ。自分の人生を他人に決められるなんて許せない」

 

「強いな」

 

「強くないよ。普通だよ。普通の感覚」

 

クレアは言い切った。迷いがない。真っ直ぐだ。この人、本当に真っ直ぐだ。

 

俺は少しだけ羨ましくなった。俺はと言えば、攫われても「またか」と諦めて、実験台にされても「仕方ないか」と受け入れて、拉致されても「慣れた」と流すタイプだ。自分の人生を自分で決めるなんて、考えたこともなかったかもしれない。

 

「でも、まあ」

 

クレアは視線を落とした。カップの縁を指でなぞる。

 

「あなたが悪い人じゃなさそうなのはわかった」

 

「どうして」

 

「喫茶店でカフェオレ飲んでる人でしょ。悪い人はブラック飲ぶ」

 

「俺ブラックも飲みますけど」

 

「あなたはカフェオレ頼んだでしょ」

 

「まあ、それはそうですが」

 

「だからセーフ」

 

根拠があまりに薄い。だがクレアはそれで納得している様子だ。

 

「それで」

 

クレアが顔を上げた。

 

「一つ提案があるんだけど」

 

「何ですか」

 

「デート」

 

「は?」

 

「デートよ。婚約するなら、せめてお互いのことを知らないと」

 

「いやでも婚約自体どうするか」

 

「とりあえずデート」

 

「とりあえずって」

 

「形だけでも。家にも顔を立てないといけないし」

 

「家の顔」

 

「私たちがちゃんと接触してるってことを示せば、親たちも安心するでしょ。その上で、もし無理だと思ったら断ればいい。両方とも」

 

なるほど。合理的だ。見た目は真っ直ぐのお嬢様だけど、頭は回るタイプらしい。

 

「わかりました。形だけでも」

 

「うん。形だけでも」

 

クレアは少し安堵したように肩を緩めた。その緩み方が、さっきまでの苛立ちが嘘みたいに柔らかい。

 

(あれ。苛立ちなくなった? デート提案しただけで)

 

「じゃあ来週。日曜日。午前十一時。ここで」

 

「ここですか」

 

「いい店でしょ。コーヒー以外は」

 

「コーヒー以外は確かに」

 

「じゃあ決まり。遅刻しないでね」

 

「遅刻しませんよ。何時頃来いとかあるんですか」

 

「指定はないけど、遅れたら許さない」

 

「厳しいな」

 

「当然でしょ。女性を待たせる男は最低」

 

「最低にはなりたくないので遅れません」

 

「よし」

 

クレアは立ち上がった。椅子が床を擦る音。

 

「じゃあ、エロゲ。よろしく」

 

「ああ。こちらこそ。よろしく」

 

クレアは手を差し出した。

 

俺は握った。細い指。だが力はある。握手の強さが、この人の真っ直ぐさを表している気がした。

 

「手、温かいわね」

 

「え」

 

「私冷え性だから。温かい手は嬉しい」

 

「ああ、それはまあ」

 

「じゃあ」

 

クレアは手を離した。青い瞳が一瞬だけ——ほんの一瞬だけ——俺の顔を見上げた。

 

何か言いたげな目だった気がする。だがすぐに視線を逸らし、背を向けて、店を出ていった。

 

ベルが鳴る。扉が閉まる。

 

俺は残ったカフェオレを飲み干した。

 

(デートか)

 

(クレアさんか)

 

(アルファにバレたら殺されるな)

 

天井を見上げた。喫茶店の天井。温かい色の木目。平和な光景だ。

 

俺はため息を吐いた。

 

(婚約って何だよ)

 

答えは出なかった。出るはずもない。俺の人生はいつも他人が決めるから。

 

だが今回は、少しだけ自分で動く必要があるらしい。

 

デート。形だけでも。

 

(まあいいか。カフェオレくらい奢ってもらえば)

 

俺は席を立った。財布を出す。中身を確認する。

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