目覚めると昼だった。
いや、正確には目覚めたというより意識が浮上したといった方がいい。
数日間、俺の体はベッドという名の戦場でアルファという名の猛将に徹底的に搾り取られ続けたのだ。今だ腰の奥に鈍い痺れが残っている気がする。
「いい加減に認めなさい、ベータ。あなたのその無駄に揺れる肉塊は戦闘の邪魔でしかないわ」
「無駄揺れですって? 無駄揺れとは何ですか! これは女性としての矜持ですわ! 貴方のような、その……不自然な膨らませ方をする人にはわからないかもしれませんけれど!」
廊下の角を曲がった先で、銀髪と水色の髪が向き合っていた。
ベータとイプシロンだ。
二人の間でバチバチと火花が散っているのが目で見えるくらいの勢いだ。いや、イプシロンは魔力制御の達人だから本当に火花を散らしている可能性もある。
俺は本能的に踵を返そうとした。
だが遅かった。
「あ! エロゲ様!」
ベータの碧眼が俺を捉えた。叫んだ瞬間にスライムスーツの胸元が揺れた。いや揺れていない。揺れたのは気のせいにしてくれ。
「エロゲ、ちょうどいいところに」
イプシロンの視線も俺に向いた。ツインテールの先端が鞭のようにしなる。
(逃げてェ……!)
内心で悲鳴を上げながらも足は止まった。動けない。二人の視線が物理的に足を止めたのだ。
「聞いてください、エロゲ様。イプシロンが私の……私の女性としての魅力を否定するんです!」
ベータが俺の腕に飛びついてきた。柔らかい感触が腕に押し付けられる。いや柔らかい。とにかく柔らかい。だが今はそれに浸っている場合ではない。
「否定などしていませんわ。指摘しているだけです。戦闘中に不用意に揺れる胸部は的になりやすいと言っているの。違います?」
イプシロンが一歩近づいた。スライムスーツが作り出した豊かな曲線が俺の目の前で強調される。
「的になりやすいって、それは言いがかりでしょう! それにイプシロン、貴方のその……その胸も、前より大きくなっていません? 何かしたんですわね?」
「……なっ」
イプシロンの表情が微かに歪んだ。図星を突かれた顔だ。だがすぐに気品ある笑みで覆い隠す。
「羨ましいなら素直にそうおっしゃいなさい。私の魔力制御の賜物ですから」
「魔力制御で胸が育つわけありませんわ! 何かズルしています!」
「ベータさんこそ天然と言いながら実際は…」
バチバチバチッ!
二人の間で魔力が弾けた。火花が散ったのはやっぱり気のせいじゃなかった。
「あのな…お前ら二人とも何やってんだよ」
俺は努めて穏やかに声をかけた。刺激するのはまずい。ここで下手な仲裁をしたら俺が焼け焦げるのは目に見えている。
「エロゲ様はどう思いますか? 私とイプシロンのどちらが優れていると思いますか?」
ベータが顔を上げた。潤んだ碧眼が真っ直ぐに俺を見る。
「そうですわね。エロゲの意見を聞かせてくださる? 私とベータのどちらがより貴方にとって…有用かしら?」
イプシロンが腕を組んだ。胸元のスライムが押し上げられ強調される。
二人の期待と探りを含んだ視線が俺に突き刺さる。
(どっち選んでも死ぬ未来しかないじゃないか!)
俺は額に浮かぶ冷や汗を感じながら口を開きかけたところで——固まった。
二人の視線が逃さないとばかりに俺を射抜いていたからだ。
「さあ」
「決めましょう?」
左右から同じ言葉が放たれた。
俺は無意識のうちに背筋を伸ばし身動きひとつ取れなくなった。
二人の視線が、痛い。
刺さる視線は痛いことこの上ない。まるで針山の上に立たされているようだ。いや立たされてはいない。逃げ道を失った小動物のように、その場に縫い止められている。
「……なぁ、二人とも、少し落ち着こうぜ」
俺は精一杯の平静を装って言った。声が裏返らなかっただけ上出来だ。
「落ち着いておりますわ。落ち着いた上で、エロゲの率直な意見を伺いたいのです」
イプシロンが一歩詰め寄る。ツインテールがふわりと揺れ、花のような香りがふわりと漂った。香水だろうか。いや彼女の場合は魔力制御による演出かもしれない。この女、そういうところあるからな。
「私も聞きたいです! エロゲ様は、私とイプシロンどちらがよりお傍に置く価値があるとお考えですか!?」
ベータも負けじと俺の正面に回り込む。銀髪がさらりと流れ碧眼が潤んでいる。いや潤んでるんじゃない、燃えている。これは完全に戦闘態勢だ。
(お前ら、その「お傍に置く価値」ってなんだ。俺は王様か何かか。違うぞ。俺はただの後始末係だ)
心の中で全力でツッコミを入れるが、口に出す勇気はない。
「あのな、そういうのはだな順位をつけるもんじゃないというか、それぞれに良さがあるというか……」
「はぐらかさないでくださいまし」
「そうです! 今ここで白黒つけるべきです!」
(白黒つけてどうするんだ! というかお前ら、本当に何の話をしてるんだ!)
俺は助けを求めるように周囲を見渡した。だが廊下には誰もいない。さっきまでいたはずの下っ端構成員たちも、この異様な空気を察して逃げ出したらしい。薄情者どもめ。
「では、こうしましょう」
イプシロンがパンと手を打った。その音だけで高貴なホールにいるような気分になる。魔力で空気の振動まで制御しているのかもしれない。この女、本当にそういうところあるからな。
「エロゲが直接、私の魅力を確かめればよろしいのですわ。言葉ではなく実際に」
「なっ……!?」
思わず声が漏れた。
「それなら私も負けません! エロゲ様、私の魅力も直接確かめてください! 言葉より雄弁な証拠をお見せします!」
ベータが俺の腕を掴んだ。ぎゅうっと柔らかいものが押し付けられる。柔らかい。なにがとは言わないが柔らかい。
「ベータ、あなた後から名乗り出るなんて卑怯ではなくて?」
「卑怯なのはどちらですか! エロゲ様を独り占めしようとしたのはイプシロンのほうでしょう!」
「独り占めなどと言っていませんわ。公平に判断していただく機会を提案しただけですもの」
「なら二人で同時にエロゲ様に審査していただきましょう! それなら公平ですわよねぇ?」
(待て待て待て。なにが「公平ですわよねぇ?」だ。どこがどう公平なんだ。ていうか審査ってなにする気だお前ら)
俺の脳内では警鐘が鳴りっぱなしだ。逃げたい。本能的に全力で逃げ出したい。だが両腕はがっちりと二人に確保されている。この細腕――いやエルフの腕力、なめてた。全然振りほどける気がしない。
「エロゲ。こちらですわ」
「エロゲ様。こちらですの。私の部屋までご案内しますわ」
(おい。なぜ連行が確定している。なぜ二人とも笑顔なのに目が笑っていない)
俺はされるがままに引っ張られた。廊下を曲がり、階段を下り、居住区画へと足を踏み入れる。通り過ぎる構成員たちが皆一様に視線を反らしているのは俺の情けない姿を見かねてか、あるいは巻き込まれることを恐れてか。たぶん後者だ。
「さ、もうすぐですから」
イプシロンの声が甘く響く。
「私とイプシロン、どちらが素晴らしいか。たっぷり確かめてくださいませエロゲ様」
ベータの声がささやくように耳元で弾けた。
(畜生。今日も平和に終われないのか、俺の一日は)
俺はただただ天井を見上げ人知れず、深いため息を漏らした。