※この作品はR-18です。

扉の向こう側   作:竿役アストルフォに脳を焼かれた人

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いろいろと捏造設定がありますので、エロけりゃいいんだよ!の精神でお楽しみいただけると幸いです


上

最近、所長とアストルフォさんは一緒にいることが多い。

 

マシュがそんなことを意識したのは、本当に些細なきっかけだった。

 

昼過ぎのカルデア。管制室へ向かう通路を歩いていたマシュは、少し先を並んで歩く二人の姿を見かけた。

 

珍しい光景というわけではない。アストルフォは誰に対しても人懐っこく気軽に話しかける性格だし、オルガマリーもカルデアの最高責任者として、職務上サーヴァントと言葉を交わす機会は日常的にある。

 

ただ、その日の二人は、普段に比べてほんの少しだけ距離が近かった。

 

「それでね、所長!」

 

「何よ」

 

アストルフォがピンク色の髪を揺らしながら、楽しそうに何かを身振り手振りで話している。対するオルガマリーは腕を組み、いつも通りの気難しい表情を浮かべていた。そこまでは、カルデアで見慣れたいつもの光景だった。普段のオルガマリーであれば、そのまま適当なところで話を打ち切り、毅然とした態度で立ち去るはずだった。

 

けれど、ふいにアストルフォが足並みを緩め、オルガマリーの肩へすっと身体を寄せた。

 

「ちょっと耳貸して」

 

「は? 何よ、急に……」

 

「いいから、いいから」

 

アストルフォが爪先立ちになり、オルガマリーの耳元へ自然な仕草で顔を寄せる。さらりと揺れたピンク色の髪が、オルガマリーの白い首筋を掠めた。

そのとき、アストルフォの左手が、オルガマリーの背中――腰のくびれに近い位置へと、ごく自然に添えられたように見えた。

歩行の勢いで触れてしまっただけなのか、それとも意図して引き寄せたのか。判別がつかないほど一瞬の、けれど親密すぎる接触だった。

 

何かを囁く。その声はマシュがいる位置までは届かない。

 

けれど――。

 

「……あなたね」

 

囁きを聞いた瞬間、オルガマリーの頬が、朱に染まったように見えた。腰に添えられた手の感触に弾かれたかのように背筋をピンと伸ばすものの、アストルフォを払い除けようとはしない。

 

「えへへ」

 

「……馬鹿」

 

そう吐き捨てるように言いながら、オルガマリーがアストルフォに向けた眼差し。

それはいつもの刺々しい呆れ顔のようでいて――その瞳の奥には、拒みきれない微かな期待と、どこか熱に浮かされたような艶やかな湿度が確かに宿っていた。

 

呆れと、苛立ちと、そして隠しきれない甘やかさ。

そんな視線を向けながら、肩が触れ合いそうな距離を保ったまま、二人はそのまま並んで歩き続けていく。

 

「…………」

 

マシュは立ち止まり、首を小さく傾げた。

 

最近、二人でいるところをよく見かける。前からあんなに親しげだっただろうか。いつもなら規則や礼儀に厳しい所長が、あんなにも無防備に距離を詰められることを許し、あんな目で見つめ返すだろうか。

 

そんな小さな疑問が胸に浮かんだ、その時だった。

 

「マシュ?」

 

「あ……はい、先輩」

 

隣を歩いていた立香に名前を呼ばれ、ハッと我に返った。

 

「どうしたの? 立ち止まったりして」

 

「いえ、何でもありません。少し考え事をしていました」

 

マシュは小さく微笑んで首を振った。立香の穏やかな笑顔を見ていると、胸に浮かんだ些細な違和感は、何事もなかったかのようにカルデアの穏やかな日常の中へ紛れて消えていった。

 

 

 

*

 

 

違和感といえば、今日も覚えたことがあった。

 

物資保管区画でのことだ。カルデアの地下深くに位置するその倉庫は、普段から人の出入りが少なく、空調設備の循環もあまり行き届いていない。重厚な気密扉をスライドさせて中へ足を踏み入れた瞬間、肌にまとわりつくような、重たく淀んだ熱気がマシュを迎えた。無機質なコンテナの金属臭やダンボールの埃っぽさに混ざって、ほんのわずかに――普段の倉庫には漂うはずのない、甘やかな体温と香水の残り香のようなものが微かに鼻先をかすめる。

 

その日、マシュは翌日の訓練に必要な備品を補充するため、一人で倉庫を訪れていた。

 

「失礼します」

 

習慣として声をかけたものの、返事は返ってこなかった。照明が間引きされた薄暗い通路を奥へと進む。すると、高く積み上げられたコンテナの向こう側から、がた、と何かを擦り合わせるような鈍い物音が響いた。荷崩れでも起きたのだろうかと思い、通路の手前で足を止める。

 

「……どなたかいらっしゃいますか?」

 

返答を待たずにそっと角を曲がると、通路には無造作に引き出された段ボール箱がいくつかはみ出していた。その奥、大型の棚の陰から、慌ただしい身じろぎの気配とともに現れた人物を見て、マシュは目を丸くした。

 

「所長……?」

 

「……マシュ?」

 

「所長、こちらにいらしたんですね。備品の確認でしょうか」

 

「え、ええ……そうよ」

 

オルガマリーの返答は、ほんのわずかにぎこちなく、声の端がかすかに掠れていた。何より目を引いたのは、その佇まいが普段の厳格な所長とは決定的に異なって見えたことだった。

 

白皙の肌を持つオルガマリーの顔は、耳の付け根や首筋まで鮮やかな赤に染まっている。倉庫の熱気のせいだと考えれば不自然ではないのかもしれない。けれど、額やうなじに滲んだ汗が薄暗い照明を吸って光り、いつも寸分の狂いもなく結い上げられている銀灰色の髪が、幾筋か湿って首筋に絡みついていた。きっちりと留められているはずの襟元のリボンは斜めに緩み、開いた胸元からのぞく白い肌までうっすらと桜色に上気している。背中の布地には、硬い壁か何かに強く押し付けられたような不自然なシワがくっきりと残り、衣服の腰のあたりにも、妙に湿り気を帯びて色が変わっている部分が目についた。

 

怒っているようにも、苛立っているようにも見えるその表情の奥に、どこか熱に浮かされたような、潤んだ瞳の柔らかさがある。

――妙に、艶っぽい。

マシュ自身、それが何を意味する感覚なのか正しく名前をつけることはできなかった。ただ、普段の張り詰めたオルガマリーとはまったく違う、隠しきれない大人の女性としての生々しい色香のようなものが、その乱れた姿から濃密に立ち上っているように感じられて、思わず息を呑んだ。

 

「所長、大丈夫ですか? 顔色が……いえ、とても熱そうに見えますが」

 

マシュが尋ねると、オルガマリーが言葉を発するよりも早く、棚の死角から明るい声が割り込んできた。

 

「大丈夫だよ!」

 

「アストルフォさん?」

 

荷物の陰から、ピンク色の髪を揺らしてアストルフォがひょこっと顔を出した。

肩で息をするオルガマリーとは対照的に、呼吸の乱れこそないものの、その白い首筋や華奢な鎖骨のあたりには、うっすらと細かな汗の粒が滲んで艶やかに光っている。熱気でほんのり桜色に染まった頬と、いつもの人懐っこい八重歯を覗かせた笑顔が、どこか甘く湿った気配を漂わせていた。

 

「所長、ずっと在庫確認してたんだよ。奥の荷物が見えにくいって言うからさ、ボクが重い箱を動かすのを手伝ってたんだ!」

 

「…………」

 

マシュは視線をオルガマリーへと戻した。オルガマリーは視線を泳がせ、喉を鳴らすような短い沈黙のあと、咳払いをひとつして取り繕うように胸を張った。

 

「……そ、そうよ。在庫の照合作業をしていたの。このサーヴァントには、高いところの荷物を降ろすのを手伝わせていただけよ」

 

「そうだったんですね。お疲れ様です」

 

説明としては筋が通っていた。実際、周囲には動かされた形跡のあるコンテナがいくつもあるし、この閉め切られた空間にいれば、誰だって汗をかいて肌が上気するだろう。素直に納得し、警戒を解いた。

 

「それなら納得です。手伝いが必要でしたら、私も手を貸しますが」

 

「もう大体終わったから平気だよ!」

 

アストルフォが肩をすくめて笑う。「えへへ」といつもの調子で無邪気に笑う彼に対し、オルガマリーは苛立ちを隠すように「あなたは黙ってなさい」と鋭く言い放った。アストルフォが「えー?」と口を尖らせ、オルガマリーが眉を吊り上げる。その掛け合い自体は、普段からカルデアで見慣れた光景そのものだった。

 

だからこそ、マシュもそれ以上は気に留めないはずだった。ただ――。

 

「所長」

 

「何よ」

 

「首のところ……少し赤くなっています。先ほどぶつけたりされましたか?」

 

「――っ」

 

オルガマリーの指先が、弾かれたように反射的に首元へと伸びた。襟元の隙間を覆い隠すように押さえる手のひらが、かすかに震えている。

 

「虫……虫よ! 刺されただけだから、気にしないで!」

 

「そうですか……? ずいぶん赤みが強いようですが」

 

「古い荷物の中に紛れ込んでたんじゃないかな?」と、横からアストルフォが屈託なく助け舟を出す。「倉庫だし、変な虫の一個や二個いてもおかしくないよね」

 

「なるほど……。輸送物資に紛れ込んでいたのかもしれませんね。念のため、医務室で薬をもらってきたほうがいいかもしれません」

 

「わ、分かってるわよ。あとで行くわ」

 

「えへへ、所長、顔まで真っ赤だよ?」

 

「暑いからよ! 誰のせいで……っ、いえ、何でもないわ!」

 

怒鳴り声を上げながら顔を背ける姿も、いつもの少しヒステリックなオルガマリーの延長線上に見えた。マシュは小さく頭を下げ、「それでは、私は目的の備品を回収して戻ります」と告げて二人の脇を通り抜けた。

 

通路の奥へ向かって歩き出す途中。

 

ふと視界の端に、棚と大型コンテナの隙間にできた、人二人がようやく身を潜められるほどの狭い死角が映り込んだ。

 

金属の床の一部が、何か水気のあるものをこぼしたかのように、じっとりと濡れて色濃く変色している。結露か、あるいは何かの冷却液でも漏れたのだろうか。空調が壊れかけているこの区画なら、あり得ない話ではない。

それに、その死角に一歩近づいた瞬間、倉庫に入った時に感じたあの甘い体温と香水の匂いが、むせ返るほど一段と濃く鼻先をくすぐった。

――ふたりはさっきまで、この狭い隙間に肩を寄せ合うようにして作業していたのだろうか。

それなら、これほど濃密に熱気や匂いがこもり、二人ともあんなふうに肌を汗ばませていても不思議ではない。無意識のうちにそう理由づけをして、納得しかけた。

 

そう思って通り過ぎようとした瞬間、奇妙な違和感に気づいた。

 

マシュがその死角に視線を向けたのとほぼ同時に、背後で交わされていたアストルフォとオルガマリーの軽口が、不自然なほどピタリと途絶えたのだ。

 

振り返ると、オルガマリーは唇をきつく引き結び、青ざめたように強張った顔で、マシュが見つめていたその湿った床からあからさまに視線を逸らしていた。息を詰まらせ、マシュが何に気づくかを恐れるように、まったく余裕がない。

だが、その隣のアストルフォは違っていた。

焦る様子など微塵も見せず、むしろ状況を面白がるように、余裕たっぷりの笑みを浮かべたまま、マシュの視線をまっすぐに受け止めて「にこっ」と目を細めていた。

 

「マシュ、備品見つかった?」

 

何事もなかったかのように投げかけられたアストルフォの明るい声で、その張り詰めた沈黙はふっと霧散した。

 

だからその時は、ただそれだけの出来事として記憶の底に沈んでいった。

 

あの狭い死角で、乱れた衣服と汗まみれの体温が何を物語っていたのか。オルガマリーの取り乱した視線と、アストルフォの底知れない笑みの意味。そして二人の足元に残されていた床の湿り気が、一体何の痕跡だったのか。マシュがその真の意味を理解し、背筋を凍らせるのは、もっと夜が深まり、別の光景を目撃してからだった。

 

 

 

*

 

 

 

その日の夜。

 

マシュは一人で廊下を歩いていた。消灯時間にはまだ少し早いが、昼間とは違って人通りはすっかり途絶えている。空調が送り出すかすかな風と、機械設備の低い駆動音だけが、遠くから単調に響いていた。

 

その途中。

 

「…………」

 

オルガマリーの私室の前を通りかかったとき、マシュの足が止まった。いつもなら寸分の狂いもなく閉ざされているはずの分厚い扉が、ほんの指二本分ほど隙間を開けていたのだ。

 

「所長……?」

 

珍しい、閉め忘れだろうか。昼間見かけた二人――アストルフォが耳元へ顔を寄せ、オルガマリーがわずかに頬を染めていた光景がふと脳裏をかすめる。けれど、あれはただの雑談だ。少し打ち解けていただけに過ぎない。自分には関係のないことだと言い聞かせ、通り過ぎようとしたその時だった。

 

「えへへ」

 

「――――」

 

ピタリと靴音が止まった。アストルフォの声だった。扉のすぐ内側から、くぐもって漏れ聞こえてくる。

 

「所長ってば、さっきから強がってばっかりだね」

「……な、にが……っ、よぉ……」

「だって、全然平気みたいな顔しようとしてるから」

「へ、平気よ……っ、ぁ……勝手なこと……っ、言わないで……」

「ほんと?」

「ほん……と、よ……っ……ん」

 

少しの間。

 

「……っ……ん、く……っ」

 

押し殺したような、鼻にかかる短い声。唇を強く噛み締めて、それでも隙間から零れ落ちてしまったような湿った吐息。金属と電子音に満ちたカルデアの廊下には、あまりにも異質で、生々しい音だった。

 

「…………」

 

マシュは息を呑んだ。どういう会話なのか、中で何が起きているのか。分からない――いや、頭のどこかで、すでに形を結び始めている。

 

あの「えへへ」という屈託のない笑い声を聞いた瞬間、昼間の記憶が急速に蘇ってきた。倉庫のこもった熱気と甘い匂い。オルガマリーの紅潮した艶っぽい顔と、乱れた髪。慌てて取り繕うように先回りしたアストルフォ。あの狭い死角の床に残されていた、不自然な湿り気。そして――オルガマリーが慌てて手のひらで隠し、「虫に刺された」と言い張った、あの首筋の鮮やかな赤い痕跡。

 

「…………」

 

まさか。そんなはずはない。考えすぎだ、自分の倫理観を疑うべきだ。そう強く否定するのに、なぜかマシュの足は、無音のまま扉へ一歩近づいていた。

 

「少しだけ……」

 

確認するだけ。何もなければ、そのまま立ち去ればいい。そう自分に言い訳を重ねながら、半開きの扉の隙間へ、そっと視線を落とした。

 

「――――」

 

薄暗い部屋の奥、照明の落ちたベッドの上。

仰向けに沈み込んだオルガマリーの身体の上に、アストルフォが覆い被さるように重なっていた。

 

アストルフォの華奢な背中が、呼吸とは違う明確な力強さでわずかに上下している。

その下で、オルガマリーの銀灰色の髪がシーツ一面に散り乱れ、露わになった肩や首筋には、照明を吸って光る細かな汗がびっしりと滲んでいた。

 

何よりマシュの視線を釘付けにしたのは、二人の身体の「重なり方」だった。

ただ寄り添っているのではない。

アストルフォの骨盤が、オルガマリーの開かれた脚の間に深く割り込み、互いの下腹部が逃げ場のないほど完全に密着している。

アストルフォがわずかに腰を引き、再び深く沈み込ませるたび、マットレスのスプリングが軋み、オルガマリーの腰が吸い寄せられるように持ち上がっていた。

 

「ほら、また」

「……っ、な、何が……っ、ほら、よ……っ」

「えへへ。分かりやすいなあって」

「あなた……っ、ねぇ……昼間のことも……っ」

「昼間?」

「首の、これよ……っ! マシュに……っ、見咎められたじゃないの……っ!」

「あはは、虫刺されって言ってたやつ?」

「笑い事じゃないわよ……っ、次にあんな目立つところにつけたら……っ、許さな……っ、ひゃぅ……っ!」

 

――ちゅ、と。

アストルフォの唇が首筋の痕跡を吸い、ちろりと舌先が這う。

同時に、アストルフォがぐっと腰を深く押し込んだ。

――ぎしっ。

ベッドが大きく沈み、二人の隙間から、じゅぷ、と空気を巻き込む湿った音が微かに弾ける。耐えかねたようにオルガマリーの顎が上へと反らされた。

 

「でもさ、所長。あのとき全然拒否しなかったよね?」

「そ、れは……っ、あなたが……急に……っ!」

「えへへ、気持ちよかったからでしょ?」

「ふざけ……っ、んむ……っ!?」

 

開かれた唇を、アストルフォが真正面から塞ぎ止めた。

舌を深く絡め合わせ、激しく貪る。

ちゅう、じゅる、ちゅぷ……と、唾液が混ざり合う生々しい水音が密室に響く。

最初は抵抗するようにアストルフォの肩を押していたオルガマリーの手から急速に強張りが抜け、その白い腕は力なく背中へと絡みついた。

 

――ぎし、ぎし。

腰の律動は止まらない。

押し当て直すたび、くちゅ、にちゅ、じゅぷ……と、逃げ場を失った水分が泡立ち、糸を引くような粘着質な音が零れ落ちる。

 

「……ん……っ、んく……ぅ……っ、じゅ……っ、ちゅぷ……」

 

ちゅ、と音を立てて唇が離れた瞬間、オルガマリーの口元から銀色の糸が引き、甘くとろけた呼気が落ちた。

 

「……ぁ……っ、ふ……アストル……フォ……ぉ……っ」

 

怒りも、所長としての威厳も、すべて奪い去られた弱々しい声。

そして、二人の下半身は途切れることなく、吸い付くようなリズムで小さく揺れ続けていた。

 

「――っ」

 

何をされているのか。

なぜ、あんな風に深く重なり合って動いているのか。

具体的な名前を口にすることさえ恐ろしいその事実を、マシュの頭は一瞬で理解してしまい、耐えきれずに反射的に壁の陰へ飛び退いた。

 

「…………っ」

 

胸が痛いほど早鐘を打っている。自分は何を見てしまったのか。今すぐ自室へ逃げ戻るべきだ。なのに、足が床に縫い止められたように動かない。

 

視界を塞いだことで、かえって耳だけが異常な鋭さで部屋の音を拾い集め始める。

 

――さら、ぎし、ぎし。

シーツが擦れ、マットレスが一定のリズムで沈み込む。

――ちゅ、じゅる……ちゅぷ……。

再び貪り合うような、舌が絡み合い唾液を啜る口づけの水音。

――じゅぷ、じゅぷ、じゅぷ……。

――ちゅる、ちゅぷぷ、じゅるる……。

 

重なり合う素肌と、深く絡み合う口づけ。二種類の濃密な水音が途切れることなく混ざり合い、静まり返った廊下を浸食していく。

 

「……っ、ふ……ぁ……っ、んむ……っ」

「所長」

「……な、に……よぉ……っ」

「また我慢してる」

「してな……っ、い、わよ……っ、ん……ぁっ!」

「してるよ」

「して……ない……っ、ふぅ……っ」

「えへへ」

「……わ、笑うな……っ、はぁ……っ、ん……!」

 

――ちゅる、じゅぷ、くちゅ……。

 

ふたりが身じろぎを繰り返すたび、水音はさらに粘度を増し、重たく響く。唇と舌が吸着しては剥がれる音、汗ばんだ肌同士が擦れ合う生々しい音。そのひとつひとつが鼓膜を打つたび、マシュの頭の中の暗闇に、さっき見た『同期する腰と絡み合う舌』の続きが鮮やかに浮かび上がってしまう。

 

いま、アストルフォが押し当てる腰を、オルガマリーの下半身が無意識に受け止め、同じリズムで迎え入れている。舌を絡ませ、力を抜いて身体を預けながら、完全にひとつに溶け合っている。見えないからこそ、想像は止め処なく膨らみ、より濃密に、より生々しく輪郭を帯びていく。

 

一定のリズムで鳴り続ける、ぎし、ぎし、という軋み。そこに絡みつく、じゅる、くちゅ、という粘り気のある水音。オルガマリーの切迫した呼気と、逃げ場のない湿熱が混ざり合って、冷え切った廊下に熱い湿気を撒き散らしていた。

 

「マリー」

 

「――っ」

 

アストルフォが、甘く低く呼んだ。その響きに、マシュの喉がひくりと鳴り、息が止まる。

 

「いま……っ、それで……呼ばな……っ、いでぇ……っ」

「なんで?」

「……分かって……っ、るくせに……っ、ぁ……!」

「えへへ」

「……はぁ……っ、ん……く……っ」

 

オルガマリーの、熱を孕んだ長い呼気。

 

「…………」

 

マシュはハッと気づいた。自分も同じように、息を詰めていたことに。

 

「…………は」

 

肺から熱い空気を吐き出す。その瞬間、扉の向こうからも同じタイミングで息が抜ける。

 

「……はぁ……っ」

 

「――――」

 

偶然だ。けれど、部屋の奥で「……っ」と息が呑まれると、マシュの胸も自然と息を止めてしまう。向こうが吐けば、自分も吐く。吸えば、自分も吸う。

 

冷たい壁に押し当てた背中とは裏腹に、身体の奥深く、胃のあたりがじわじわと熱くなっていく。喉が渇き、つばを飲み込む音さえ怖くてできない。

 

「…………」

 

おかしい。私は、ただ外に立っているだけなのに。どうして、同じように息が苦しいのだろう。

 

『マリー』

 

再び、扉の奥から囁かれた声。その柔らかい発音が、耳の中で一瞬だけ――

 

『マシュ』

 

――そう、形を変えて響いた。

 

「――!」

 

違う、あり得ない。自分の頭が熱でおかしくなっているだけだ。

マシュは背中を壁から引き剥がした。帰ろう、今度こそ本当に。一歩、二歩と扉から離れる。

 

そして三歩目で、止まってしまった。

 

戻る理由など、どこにもない。それなのに、胸の奥からひとつの思考がせり上がってくる。

 

――もう一度だけ。

――今、どんな顔をしているのか。あの濃密な水音を立てながら、どんな風に重なり合っているのか。

 

「…………」

 

それが、自分自身にとって一番おそろしかった。知らなかったから足が止まったのではない。今はもう知っていて、それでも戻ろうとしている。

 

引き寄せられるように、マシュは踵を返した。靴音を殺し、再び半開きの扉へ顔を寄せる。ほんの数秒だけ。

 

「――――」

 

隙間から覗く光景。頭の中で膨らんでいた想像よりも、現実はさらに深く、濃密に重なり合っていた。

 

仰向けのオルガマリーは、覆い被さるアストルフォの細い首に両腕をしっかりと回し、汗ばんだ素肌に爪を立てるように抱き寄せている。

顎を反らせて甘い吐息を漏らすオルガマリーの、白く露わになった首筋。昼間に倉庫で見たあの赤い痕のすぐ隣に、今まさに新しくつけられたような、熱を帯びた生々しい斑点がいくつも散っていた。先ほどアストルフォが舌を這わせ、吸い付いた場所だ。虫刺されなどではなかった。最初から、アストルフォがつけたものだったのだと、その赤みが残酷なほど雄弁に物語っている。

 

二人の下半身は完全に同調していた。アストルフォが腰を深く沈めるリズムに合わせて、オルガマリーの腰もわずかに浮き上がり、ぴったりと吸い付くように迎え入れる。

ぎし、ぎし、と鳴り続けるシーツとスプリングの軋み。その重なり合う結合部から、じゅぷ、じゅぷ、じゅぽ、と粘着質な水音が絶え間なく零れ落ちる。

 

恐ろしいはずなのに、マシュの目はその光景から一寸たりとも離れなくなっていた。

アストルフォが腰をわずかに引き、角度を変えて深く沈め直す。一番奥を押し広げ、内壁を擦り上げるように深く抉り穿つたび、オルガマリーが爪先をピンと張らせて背中をかき抱く。

 

その光景に呑み込まれ、息を詰めて見入っているうちに――いつの間にか、マシュ自身の身体に異変が起きていた。

 

「…………っ……ん」

 

自分の口内が、じわりと熱く湿っていく。

見ているだけのはずなのに。キスなどされたこともないはずなのに。

アストルフォがオルガマリーの唾液を啜り、深く舌を這わせるたび、まるで自分自身の舌が絡め取られ、口内を貪られているかのような甘い痺れが口腔を満たしていく。熱く、少しだけ饐えたような、知らないはずのアストルフォの体温と唾液の味が、舌先の上にありありと広がってくるような生々しい錯覚。

 

そして同時に、下腹部の奥深くでも、同じように内側を抉り取られるような熱い収縮が走った。

アストルフォが腰を沈め、オルガマリーが身悶えるそのリズムと、自分自身の身体の芯が疼くリズムが、なぜか同調してしまう。

触れられてなどいない。誰も自分を見ていない。

それなのに、二人の重なりと自分の身体の芯が、境界を失って完全に溶け合っていく。

 

そしてアストルフォは、腰を一定のリズムで同調させながら、ふにゃりと無邪気に笑っていた。

 

「えへへ」

 

「――っ!」

 

その笑顔に引き戻された瞬間、自らの身体に起きていた淫らな共鳴への恐怖に背筋が凍りつき、マシュは弾かれたように顔を背け、足音を殺しながらその場から逃げ出した。

 

 

 

*

 

 

 

自室へ戻ってからも、マシュは眠ることができなかった。

 

照明を落とし、冷たいシーツに身を滑り込ませて目を閉じる。だが、暗闇が広がるほどに、先ほど目撃した光景と音が鮮烈な輪郭を帯びて脳裏に蘇ってくる。

 

揺れるピンク色の髪。華奢な背中。

乱れ散った銀灰色の髪と、シーツに沈み込む白い肌。

首筋に散らばっていた、熱を帯びた生々しい赤。

呼吸さえ奪い尽くすように隙間なく重なり合った唇。ちゅう、じゅる、と唾液を啜り合う音を立てながら、逃げ場のない口内で激しく貪り合うように舌を絡ませ、互いの唾液を分かち合っては、顎をつたい落ちて光る銀色の糸。

汗ばんだ二人の素肌は、わずかな隙間さえ惜しむように吸い付き合い、重なり合った腰がひとつの生き物のように滑らかにシンクロしていた。

そして――耳元にこびりついて離れない、ぎし、ぎし、という軋みと、じゅぷ、ちゅぷ、と泡立つ水音。

 

『マリー』

『えへへ』

 

「…………っ」

 

マシュは身を固くし、毛布を胸元まで引き上げた。

忘れたい。忘れなければならない。

規律正しいカルデアの日常に戻るためにも、あんなものは見なかったことにするべきだ。

 

けれど、頭から追い出そうとすればするほど、皮膚の内側がじわりと熱を帯びていく。

胃のあたりがきゅっと締め付けられるような、名付けようのない息苦しさ。

何よりも恐ろしかったのは――「あの後、二人はどうなったのだろう」と、自分からその先を想像しようとしている自分自身の存在だった。

 

見てしまったことへのショックではない。

一度は逃げ出したのに、自らの意思でもう一度扉へ戻り、あの濃密な交わりを覗き見てしまったこと。その事実が、胸の奥深くに重く、暗い澱のように沈み込んでいた。

 

 

 

*

 

 

 

翌朝。

カルデアの廊下は、いつものように規則正しく動き出していた。

 

「所長! おはよー!」

「朝からうるさいわよ! 少しは声を落としなさい」

「えー? 元気に挨拶しただけなのにさ」

「あなたの場合、声量の問題よ」

「えへへ」

「笑うな!」

 

「…………」

 

マシュは少し離れた通路の壁際から、並んで歩く二人を見つめていた。

普通だ。あまりにも、いつも通りの二人に見えた。

昨夜、あの薄暗い部屋であれほど肌を重ね合い、甘く掠れた声で名を呼び合っていたことなど、まるで夢か幻だったのではないかと思えるほどに。

 

そのとき。

二人の横を、端末を抱えた数人の職員が通り過ぎた。

すれ違いの瞬間、周囲の視線が一瞬だけ途切れる。

 

「…………」

 

そのわずかな死角を突くように、アストルフォの手が、オルガマリーの腰へと滑り込んだ。

それだけではない。

指先はくびれをなぞり、そのまま躊躇なく下へと滑り落ちて――スカートの布地越しに、柔らかなヒップの膨らみから太腿の付け根にかかる境界を、そっと掬い上げるように撫で上げた。

 

「――っ」

 

オルガマリーの肩が大きく跳ね、歩行のリズムが乱れて爪先がつまずきかける。

頬が一気に朱に染まるが、声を上げて振り払うことさえできない。

 

「……あなたね」と、掠れた小声が漏れる。「ここ、廊下よ……っ」

「えへへ」

「……馬鹿」

 

「――――」

 

昨夜と、同じ。

人目に晒された明るい廊下で、平然と行われる秘密の接触。

マシュの心臓が、ぎくりと跳ねた。

 

「マシュ?」

 

「――っ!」

 

背後からかけられた声に、マシュの肩が跳ねた。慌てて振り返る。

 

「せ、先輩……!」

 

「どうしたの? そんなところで立ち止まって」

 

立香だった。

いつもと変わらない、穏やかで優しい眼差し。

頼もしい先輩であり、自分を暗闇から連れ出してくれた何ものにも代えがたい大切な存在。互いに言葉にしたことはないけれど、胸の奥に灯っている淡く温かな想いそのものだった。

 

「い、いえ! すみません、少し考え事をしていました」

 

「そっか。朝ごはん、一緒に行こっか」

 

「……はい!」

 

立香の笑顔に胸を撫で下ろしながらも、振り返った先の通路には、もう二人の姿はなかった。

 

――どこへ行ったのだろう。

 

澄み切った先輩の瞳の前で、そんな邪推を真っ先に浮かべてしまった自分に、マシュは冷たい羞恥を覚えた。

 

 

 

*

 

 

 

朝食は、いつものように立香と二人で食堂のテーブルを囲んだ。

 

「このパン、美味しいね」

「はい。今日は少し焼き方が違うみたいです」

「ほんとだ。外側がカリッとしてる」

「先輩、こちらのスープもどうぞ」

「ありがとう、マシュ」

 

穏やかで、温かい時間。

目の前にいる先輩は、本当に大切で、かけがえのない人だ。一緒に過ごすこの時間に何の嘘もないし、マシュの胸は確かに満たされていた。

 

そのとき。

食堂の自動扉が、シュッと音を立てて開いた。

 

「――――」

 

立香がパンに手を伸ばすわずかな隙に、マシュの視線が反射的に扉のほうへと滑る。

入ってきたのは、夜勤明けのスタッフだった。

 

「…………」

 

ほっと息を抜く。だが数分後、再び扉が開く微かな駆動音が耳に届いた。

 

「――――」

 

まただ。

見ないようにしようと思っているのに、首が、瞳が、勝手に動いてしまう。

入ってきたのは別のサーヴァントだった。

 

立香はスープを口に運んでいて、マシュの視線の揺らぎには気づいていない。

その無防備な優しさに守られながら、マシュは手元のパンを握りしめ、ひっそりと冷や汗を流した。

 

何をしているのだろう、私は。

大切な先輩が、こうして目の前で穏やかに微笑んでくれているのに。

 

食堂の扉が開くたび。

誰にも気づかれないよう盗み見ながら、自分の視線が無意識に、必死になって探していたもの。

 

――鮮やかな、ピンク色の髪。

 

所長の姿でも、事件の兆候でもない。

あの無邪気で底知れないサーヴァントの姿を渇望してしまっていた事実に気づき、マシュの胸の奥で、大切な先輩への想いがひび割れるような罪悪感が広がっていった。

 

 

 

*

 

 

 

――それから、数日後の午後。

 

マシュは立香とともに、中央資料アーカイブ棟へと向かう連絡通路を歩いていた。

昼下がりのカルデアは人の往来が多く、端末を片手に歩く技術スタッフや、談笑しながらすれ違う職員たちの足音が通路に響いている。

 

「昨日のデータ、アーカイブの第四保管庫にまとめてあるらしいんだ。すぐ終わると思うよ」

「はい、先輩。手分けして確認すれば、時間はかからないはずです」

 

穏やかに言葉を交わしながら歩く。

そのとき――通路の途中、空調設備の大型ダクトと資材ラックが入り組んだ薄暗い死角の前を通りかかった瞬間だった。

 

「……っ……ん、ぁ……」

 

「――――」

 

ピタリと、マシュの耳がその音を拾った。

空気の振動すら感じさせないほど微かな、けれどあまりにも艶めかしく、濡れた吐息。

 

「…………?」

 

マシュは思わず足を止めかけた。

だが、すぐ隣を歩く立香は何事もなかったかのように前を見据えて歩き続けている。すれ違う数人の職員たちも、談笑の声を途切れさせることなく通り過ぎていく。

周囲の誰も、まったく気づいていない。

 

――しゅる、しゅる、と布が滑り、乱れるように擦れ合う微かな音。

――くちゅ、と粘つく小さな水音。

 

どうして、私だけに聞こえるのだろう。

周囲の喧騒にかき消されて当然の小さな音が、まるで耳元で直接囁かれたかのように、マシュの鼓膜だけに鮮明に届いていた。

 

「マシュ? どうしたの?」

「あ……っ、いえ! なんでもありません。行きましょう、先輩」

 

マシュは慌てて歩調を合わせ、立香の後を追った。

けれど、胸の奥で早鐘を打つ心臓の音は、保管庫に到着するまで止まることはなかった。

 

 

*

 

 

 

「よし、これでデータの照合は完了だね。マシュ、ありがとう」

「いいえ、先輩のお役に立ててよかったです。……あの、先輩」

「ん?」

「私、先ほどの書類で一箇所だけ気になるところがありまして……確認してから戻りますので、先輩は先に休んでいてください」

「そう? じゃあ、無理しないでね」

 

立香を先に見送り、その背中が見えなくなった瞬間――マシュは踵を返していた。

 

戻るべきではない。

空耳だった、気のせいだったと自分に言い聞かせるべきだ。

それなのに、足は早足に、吸い寄せられるように先ほどの通路へと向かっていた。

 

通路の喧騒はまだ続いている。職員たちが行き交うそのすぐ横、大型ダクトの陰へと、マシュは靴音を殺してそっと足を踏み入れた。

 

「――――!」

 

薄暗い死角の奥、冷たい金属壁。

そこに、壁に背中を押し付けられ、片脚を高く抱え上げられているオルガマリーの姿があった。

 

オルガマリーの片足は床につま先立ちで辛うじて支えられ、もう片方の露わになった白い太腿は、アストルフォの腕と腰に深く抱え込まれている。

逃げ場のない角度で大きく開かれた身体の隙間に、アストルフォの腰がぴったりと割り込むように嵌まり込んでいた。

 

「……ん……っ、ぁ……ダメ……っ、ここ……誰か、来……っ!」

「大丈夫だよ、マリー。誰も見てないって」

「そういう問題じゃ……っ、ひゃぅ……っ!」

 

アストルフォが抱えた脚をさらに持ち上げ、下からぐっと腰を押し当て直した瞬間、オルガマリーの喉から甘い悲鳴が零れた。

片足立ちの頼りない姿勢のまま、アストルフォの腰へと体重を預けさせられ、密着した下腹部が逃げ場をなくして激しく擦れ合う。

――じゅぷ、じゅぷ、じゅぷ……。

密着した隙間から、空気を巻き込む粘着質な水音が弾け、狭い死角に湿熱が立ち込めた。

その熱気の中に、かつて私室の前で嗅いだものと同じ、甘く濃厚な体液の匂いがかすかに漂ってくる気がして、マシュは息を呑んだ。

 

「ふざけ……っ、声が……出ちゃう……っ、んむ……っ!?」

 

抗議の声を上げようとしたオルガマリーの唇を、アストルフォが真正面から覆い塞いだ。

壁に押し付けられたまま、深く、貪るように舌を滑り込ませる。

 

――ちゅう、じゅる、ちゅぷ……。

 

唾液を啜り合う生々しい水音が、すぐ外を通り過ぎる職員たちの足音に重なって響く。

やがてアストルフォが唇をわずかに離すと、オルガマリーは熱に浮かされた瞳で自ら小さく顎を上げ、物欲しそうに薄紅色の舌先を伸ばしてアストルフォの唇へと絡みつかせた。拒絶するどころか、声の出せない恐怖を埋めるように、所長自ら貪欲に口づけをねだっている。

 

だが、アストルフォはすっと顔を後ろへ引き、その舌先をひらりとかわした。

 

「欲しい?」

 

吐息が混ざり合うほどの距離で、意地悪く囁く。

宙に残された舌先を引っこめ、オルガマリーは焦れったさに眉をひそめてアストルフォの胸にすがりついた。

 

「……っ……わかってるくせに……」

 

「ちゃんと言ってくれなきゃ、わかんないなー」

 

アストルフォは抱えた脚の力をふっと緩め、腰の密着をわずかに引いてみせる。

一番奥で触れ合っていた熱が遠のきかけた瞬間、オルガマリーの頬が屈辱と渇望でカッと赤く染まり、たまらずアストルフォの首元へ両腕を絡め直した。

 

「……キス……して……っ、ちょうだい……!」

 

「はい、よくできました」

 

アストルフォは満足そうに目を細めると、言われるがままに頭を引き寄せ、ご褒美を与えるようにオルガマリーの唇を深く塞いだ。

待ちわびていた熱を注ぎ込むように舌を滑り込ませ、逃げ場のない口内を隅々まで愛撫するように激しく絡め取る。

 

「……んむ……っ、ちゅ……ちゅる……っ」

 

施される悦楽にオルガマリーは抗う術もなく、爪先を震わせてアストルフォの首にしがみつき、与えられる口づけにただひたすら溺れていく。

 

――ちゅう、じゅる、ちゅぷ……。

 

唾液を啜り合う生々しい水音が、すぐ外を通り過ぎる職員たちの足音に重なって響く。

その密やかな背徳の口づけを、物陰から息を殺して見つめるマシュの唇が、無意識にわずかに開いた。

 

「――――っ」

 

――また、だ。

あの夜、私室の前で脳と身体を狂わせたあの感覚が、あの時以上の圧倒的な生々しさでマシュを襲う。

オルガマリーの口内を掻き回すアストルフォの舌の動きに合わせ、マシュの口内にも、まるで今まさに熱い舌先をねじ込まれているかのような強烈な痺れが奔った。

知らないはずのアストルフォの唾液の味。触れられたこともないはずなのに、甘く、鼻腔に抜けるような湿った体温の味が、口内いっぱいに濃厚に蘇り、舌の上がじっとりと唾液で満たされていく。

 

それだけではない。

壁際に押し付けられたまま、下から突き上げるように最深部を抉り抜かれるオルガマリーの激しい身悶えに合わせて、マシュ自身の下腹部の奥深くが、あの夜よりも深く、鋭く抉り抜かれるような激痛に近い熱さでぎゅっと収縮した。

 

――じゅぷ、じゅぷ、じゅぷ……。

――じゅる、ぴちゃ、ちゅぷ……。

 

二人の呼吸が荒くなり、腰と口元の動きがにわかに激しさを増していく。

持ち上げられた脚が揺れ、結合部から泡立つような濃密な水音が絶え間なく溢れ出した。

 

激しく押し合わされる腰元から、糸を引くように何かがトロリと滴り落ちていくのが、薄暗い視界の隅に映り込む。

それが何であるのか、マシュの頭はすでに本能的に理解していた。けれど、理解した瞬間から何かが決定的に壊れてしまうような気がして、懸命に視線をそこから逸らし、意識して「見えないもの」として塗り潰そうと必死だった。

分かりたくない。知ってはいけない。

そう強く念じるほどに、耳に届く水音と立ち込める甘い匂いが、その正体を頭の奥へ強烈に刻みつけていく。

 

――はぁ、っ……ん、ぁ……っ。

 

「…………っ、は…………っ」

 

死角に響くオルガマリーの甘く湿った呼気と、物陰で息を潜めるマシュ自身の浅く熱い呼吸が、狂おしいほど完全に重なり合う。

吐息がシンクロした瞬間――マシュの脳裏に、忘れようと心の奥底へ押し込めていたはずの、数日前のあの夜の光景が暴力的なまでの鮮明さで強制的に蘇った。

 

暗い部屋、軋むベッド、滴る汗。

口内で舌を絡め合い、唾液を分かち合っていた二人。

吸い付くように密着し、ひとつの生き物のように連動していた腰と、耳元を埋め尽くしたあの湿った水音。

忘れようとすればするほど、思い出すだけで下腹部の奥がきゅっと熱く収縮し、皮膚の内側が痺れるように疼き出す。

 

ふいに。

 

オルガマリーの指先へぎゅっと力が入った。

 

同時に。

 

アストルフォの身体も、ほんのわずかに強張る。

 

「――――!」

 

二人が、ほとんど同時に小さく震えた。

 

それまで続いていた衣擦れと水音が、そこでぴたりと止まる。

音が消えた。

けれど、二人はまだ唇を離さない。激突した熱の頂点で、全身の力を強張らせたまま、互いの最深部を確かめ合うように深く抱きしめ合っている。

 

「…………」

 

ただ、互いを抱いたまま、じっとしている。

昼のカルデアの音だけが、その周囲を流れていく。

遠くの話し声、靴音、自動扉、端末の電子音。

何も知らない人々の日常の真ん中で、二人だけが数秒間、時間から切り離されたように動かなかった。

 

「…………は」

 

やがて、オルガマリーの鼻から細く熱い息が抜ける。

アストルフォの肩からも力が抜けた。

ようやく、二人の唇が名残惜しそうに離れる。

 

「……はぁ……っ、ぁ……」

 

オルガマリーが乱れた息を継ぐ。

けれど、身体は離れない。額が触れそうな距離のまま、抱え上げられた片脚を預けた姿勢でアストルフォの胸に寄りかかっている。

 

「…………」

 

マシュも、息をすることさえ忘れたように二人を見ていた。

そして――ほんの一瞬、視線が下へ落ちた。

 

「――――」

 

白い。

 

何かが。

カルデアの冷たい照明を受けて、二人の結合部の隙間でわずかに光ったように見えた。

ほんの一瞬だった。それが何なのか、形を確かめるより先に。

 

「…………っ」

 

マシュは反射的に視線を逸らした。

見なかった。そういうことにした。

光の加減かもしれない。何か別のものがそう見えただけかもしれない。

確かめる必要なんてない。

――確かめてはいけない。そう思った。

 

そのとき。

 

「…………あなた」

 

オルガマリーの声。

 

「ん?」

 

かすれた、どこか艶を帯びた声。

少しだけ、非難するような潤んだ目。

 

「……また……中に……っ」

 

「――――」

 

マシュの胸が跳ねた。

 

――また、中に。

 

白く見えた、何か。

二人が同時に震え、硬直した瞬間。そのあとの沈黙。

そして、オルガマリーのこぼした言葉。

別々だったはずの光景が、頭の中で勝手に一本の線になろうとする。

 

「…………」

 

だめ。

マシュは、その線を途中で強引に断ち切った。

分からない。自分は何も知らない。知らないのだから、意味なんてあるはずが――。

 

「だいじょーぶだって、マリー」

「……そういう問題じゃないわよ……」

「心配しなくても平気だよ?」

「だから……そういう問題じゃ……」

 

そこで不意に、あの物資保管区画の匂いが蘇った。

 

「――――」

 

暑く、こもった空気。

赤かったオルガマリーの頬、乱れた髪、首元の生々しい赤い跡。

そして――棚とコンテナのあいだ、あの死角の床にあった、妙に湿った痕跡。

 

「…………っ」

 

まさか。

あのときも。

 

思考が真実へと到達する寸前、頭を振ってそれを止めた。

違う。結びつけてはいけない。何だったのかなんて知らない。さっき見えた白いものだって、きっと――。

 

「えへへ」

「……馬鹿……」

 

「…………」

 

その声に、マシュは思わず顔を上げた。

 

「――――」

 

アストルフォの瞳が、まっすぐ、壁の陰にいるマシュへ向いていた。

 

「…………!」

 

今度は、気のせいだと思う暇さえなかった。

オルガマリーは気づかない。まだぐったりとアストルフォの胸へ身体を預けている。

 

「アストルフォ?」

「んー?」

「……何見てるのよ」

 

「…………」

 

まずい。マシュの身体が恐怖で強張る。

オルガマリーが片足で床を踏みしめ、不審そうにマシュの潜む物陰のほうへ首を巡らせようとした。

 

その瞬間――。

 

「んむっ……!?」

 

アストルフォが抱えていた脚をぐっと引き寄せると同時に、空いた手でオルガマリーの顎を持ち上げ、その唇を正面から塞いだ。

チュウ、と甘い音を立てて深く吸い付く。

振り返りかけたオルガマリーの身体からふっと力が抜け、抗議の声は甘い吐息へと変わり、うっとりと瞼を閉じてアストルフォの首元にしがみついた。

 

オルガマリーの意識を完全に口づけで縛り付けたまま。

アストルフォは、すっと横目だけでマシュを見据えた。

 

そして――。

 

にこっ、と。

唇を重ねたまま、目元を悪戯っぽく細めて笑ったのだ。

 

「――――っ!!」

 

それだけだった。

告げ口もしない。驚きもしない。追い払おうともしない。

ただ、「ぜんぶ見てたでしょ?」とそう伝えるように、無邪気で底知れない笑みを向けた。

 

「…………っ」

 

マシュは弾かれたように壁の陰へ顔を引っ込めた。

心臓が、痛いほど早鐘を打っている。

罪悪感も、混乱も、一瞬ですべて頭から消し飛んでいた。

代わりに残ったのは、ただ一つだけ。

 

――やっぱり、気づいていた。

 

見られていた。覗いていたことを、あの人は最初から知っていた。

そして――もっと認めたくない、恐ろしい感情。

 

見つかった恐怖に混じって、全身を駆け巡る甘い痺れ。

あの秘密の笑顔が、自分だけに向けられたことを――

一歩間違えれば壊れてしまう背徳の輪に招き入れられたことを、どこかで嬉しいと思いかけてしまった。

 

その自分自身の歪みが、何よりも恐ろしかった。

 

「――っ……!」

 

崩れ落ちそうになる膝を必死で叱咤し、マシュは胸を押さえながら、逃げるように明るい通路へと飛び出していった。

 

 

 

*

 

 

 

その日の夜。

 

立香とともに食堂で夕食を摂り、ブリーフィングルームでの報告を終え、マシュは自室へと戻っていた。

立香と交わした会話の内容も、書類に目を通した時間も、まるで霧の向こうの出来事のように現実味がなかった。

 

シャワーを浴びて私服に着替え、ベッドに腰掛けても、身体の芯に残った微熱が引いてくれない。

目を閉じれば、昼間の光景が鮮明に網膜を焼く。

 

壁に押し付けられ、片脚を高く持ち上げられていたオルガマリー。

貪欲に舌を絡め合わせる水音と、結合部から零れ落ちていた白い雫。

そして――オルガマリーの意識を口づけで奪いながら、横目でこちらを見つめ、にこっと笑いかけてきたアストルフォの瞳。

 

「…………っ」

 

マシュは無意識に、自らの薄い部屋着の上から下腹部を抱え込むように押さえていた。

じわりと熱く湿った感覚が、下着の奥から広がっていく。

先輩への罪悪感も、カルデアの規律も、今のマシュを引き止める盾にはならなかった。

 

――気づいたときには、部屋の扉を開けていた。

 

消灯時間を過ぎたカルデアの通路は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っている。

足音を殺し、青白い常夜灯の下を歩く。

向かう先は、最初から決まっていた。

数日前、すべてが始まったあの場所――オルガマリーの私室前。

 

「…………」

 

所長室へと続く冷たい通路の奥。

近づくにつれて、マシュの心臓は胸を突き破りそうなほど激しく鳴り響いていた。

 

また、あの甘い匂いが立ち込めているのだろうか。

また、扉の隙間から、あの淫らな水音と乱れた喘ぎ声が漏れ聞こえてくるのだろうか。

恐ろしいはずなのに、その音を求めて、マシュの喉はカラカラに渇ききっていた。

 

そして――扉の前に辿り着く。

 

「…………?」

 

扉は、数ミリの隙間を残して開いていた。あの日と、まったく同じように。

けれど。

 

「――――」

 

音が、しない。

 

耳を澄ませても、シーツの軋む音も、激しく重なり合う水音も、切迫した吐息も聞こえてこない。

漂ってくるはずの、あの甘く濃厚な熱気すらもない。

 

マシュは吸い寄せられるように、扉の隙間へと視線を向けた。

 

薄暗い室内。

整然と整えられたデスク。乱れることなく、綺麗にメイキングされたままのベッド。

誰も、いない。

オルガマリーも、アストルフォも、そこには影も形もなかった。

 

「…………っ」

 

誰もいない。

何も起きていない。

それはカルデアの風紀としても、一人の後輩としても、心から安堵すべき正常な結果のはずだった。

 

なのに。

 

マシュの胸を突いたのは、胸が張り裂けそうなほどの――残酷なまでの「失望」と「飢餓感」だった。

 

「……あ……」

 

見たくなかったはずなのに。

知ってはいけない秘密だったはずなのに。

自分は今、あの湿った音を、あの背徳の交わりを、そして自分だけに向けられたあの笑顔を、狂おしいほどに期待してここへ来てしまったのだ。

 

言い逃れの余地など、どこにもなかった。

自分はもう、純粋な後輩でも、潔白なデミ・サーヴァントでもない。

あの淫らな熱に魅せられ、覗き見る歓びに毒された、ただの共犯者。

 

マシュの指先が、冷たい金属の扉の縁をきつく握りしめる。

静まり返った暗がりを見つめながら、熱を帯びた唇から、抑えきれない吐息とともにその名が零れ落ちた。

 

「…………アストルフォ、さん……」

 

声にしてしまった瞬間、身体の奥深くで何かが決定的に壊れ、境界線を越えていくのを感じていた。




上中下の3本立ての予定です
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