蛇、幻想郷に至る、の巻
目が覚めると、眼前には抜けるような青空が広がっていた。
現代社会においては、まずお目にかかれない、汚染されていない美しい青空。
柔らかな太陽光が降り注ぎ、その心地よさに、ソレは思わず相好を崩す。
背中に感じる大地の柔らかさも。頬をくすぐる草の感触も全てが心地よい。
このまま一眠りしよう。
ついさっき目が覚めたばかりだというに、ソレは意識を飛ばそうとした。
「ちょっと」
なにやら険の篭った声がソレに語りかけて、邪魔をした。
誰だ人の眠りを妨げる奴は。
無視してソレは眠ることにした。声のする方向に背を向けて身を丸める。
「…起きなさいよ、どれだけいぎたないの?」
うるさいなぁと思う。しかし
声の主が不穏なレベルの妖気の放射しはじめた、危険感じたソレは渋々身を起す。
眼前には、見事な金髪の美女だった。やや眠そうな顔をしている。
しかしソレの意識は美しい顔《かんばせ》に向いていなかった。
視線はまず豊かに張り出した胸部へ自然に向けられ、しかるのち官能的なくびれをした腰部へと移る。
生憎正面からなので臀部は見えないのが残念だった。
さてこのいい乳をした娘は誰だったか?
思案していると、美女が扇子を振り上げソレの頭部目掛けて叩きつけた。
「目が覚めて?」
まったく痛痒を感じていないらしいソレ。
髪の色は普通に黒い、結構な長さで、ぞんざいにひとまとめにして飾り紐でくくっていたが、艶やかな黒髪である。
対比するかのように肌は白い、病的な程に白く、まるで白子のようだった。
細い眦の目は鬼灯のように赤かった、いっそう白子のように見えるが。白子ならばこんな風に日光を浴びればタダではすまない、まぁ人であればの話だが。
容姿は男とも女ともつかない中性的な容貌だったが、眼前の美女に負けず劣らずの美人であった。
体つきは男に見えた、すくなくとも胸板はまな板である。
ただひょろりとした体躯はどこか女性らしい丸みを帯びていおり、男と断言するにはしなやかすぎた。
「……その扇子。スキマか……お前だけには“いぎたない”などといわれたくないぞ」
声もまた男にしては高すぎ、女としてはやや低い。やはり性別不詳だ。
「私を堂々とスキマ呼ばわりとはいい度胸ね、相変わらず」
こめかみをぴくぴくさせながら言う美女。
どうやら二人は知り合いらしい。
「そろそろ寝ようと思った所に、いきなり結界内に巨大な妖気が発生したから、何かと思えば…はぁ」
「結界…なんだここはアレか。スキマの箱庭か」
「幻想郷と言いなさい幻想郷と…久しぶりね夜智王」
「実に久しいなスキマ。何百年振りだ?」
「なんでいちいちあんた如きのことを記憶に残しておかないといけないの?・・・まぁここ百年は見なかったけど、あんた何してたの?」
百年単位でこんな話をする所をみると、二人とも人ではないらしい。
今外は西暦で何年だとソレが問うと美女はすぐに返す。
「時期が合うな・・・封印されておったのだ」
頭をぼりぼりと掻きながらソレは言った。
「はぁ?」
「ここに送られてきたということは、外ではすっかり忘れ去られたということか」
立ち上がったソレ、夜智王と呼ばれたモノはぐいと身を伸ばす。
「封印って…あなたクラスの妖怪が?」
「ああ、封印しに来た巫女があまりに別嬪でな。ちょいと捻った後に、取引を持ちかけたのだ」
「……相変わらずなのねアンタ」
「ああ、一晩ワシの相手をしてくれたら、黙って封印されてやろう、ということになってな。くっくっく、実に素敵な一晩だったぞ」
夜智王は実に淫靡な笑顔を浮かべた。相対する女性、八雲紫は心底軽蔑した様子で夜智王を見下す。
「最悪ね」
巫女が純潔を失えば、霊力を失ってしまう。
それを巫女の使命感につけ込んで……
強い妖怪らしいといえばらしい行いだが。
ある意味命を取るよりも酷いことだ。
「ガキのようなことを言うなスキマ。お前こそ男の一人もできたのか?そろそろまた冬眠か?一人寝が寂しいならいつでも閨に侍ってやるぞ」
「お断りよ、毒蛇を布団に入れる趣味は無いわ。悔しかったら藍のように毛皮モフモフになりなさい冷血動物」
しっしと手を払う紫。心底嫌がっている様子だった。
「夏場は冷たくて気持ちよいと評判なのだがなぁカカカ」
紫の言動。
そして夜智王の瞳、縦の裂けた瞳孔、先端が二つに裂けた舌。
どうやら蛇の妖怪のようだ。
幻想郷でも最強の一角に数えられる紫相手に飄々と対する所を見ると、相当の大妖らしい。
「さてスキマの箱庭ははて何百年ぶりだ?……少しは変化はあるのか?」
「そんなものは自分で確かめなさい、私は幾つか大事なルールをあんたに告げに来ただけよ、昔とは違うということをね」
「ルール?」
バサリとスキマから紙束が落ちてきた。
「何々…」
そこには幻想郷でのルールが細々書かれていた。
ざっと目を通した夜智王は、キュウと興味深そうに目を細める。
「ふぅん、澱んで腐るばかりかと思ったスキマの箱庭にも、変化はあるのだなぁ」
そう言って紙束を放り捨てる。
「散々な言い様ね」
「退屈でおさらばしたクチだからなワシは」
外の世界の刺激が夜智王にはお好みようだった。
「とにかく、ここに来た以上はルールを守りなさいよ」
「わかっておるよ本気のスキマの仲罰はワシも怖い、でもあんまりワシには関係はないさ。だってワシ人間は食わんし、いや別の意味では食うし襲うけどな」
無論いやらしい方の「食う」である。
「最悪」
「いいではないかー平和で。無理矢理襲うことも無いぞ和姦だ和姦」
「うるさい!あとちゃんと読んだの?あんたクラスの妖怪なら適当な異変をおこさ無きゃダメなのよ!?」
そういえばある程度の妖怪は適度に異変を起せみたいなことが書いてあった気がする。
「ふむ、では手始めに人里から女子や童子でも攫ってくるか?他の阿呆のように食わんから――いたぁ!」
扇子をかなりの妖力を込めて夜智王の頭部に叩き込む紫。
だんだん夜智王と話しているのが苦痛になってきた。
悪い奴ではないのだが、いかんせんこいつは好色すぎる、まぁ蛇の性《サガ》なのだが。
「前から気になっていたけど、あんたオス?メス?」
「忘れた、どっちにも化けれるからの」
「やっぱ最悪。ウチの藍に手を出したら承知しないわよ」
「あの九尾の狐か、ああいうカタブツを骨抜きにするのは楽しそうだな、一晩貸してくれんか?」
「死ね!」
思わず紫が本気の妖力を放つ。
避け損ねた夜智王がまっぷったつに裂け、死体がベタンと地面に転がる。
どうみても完膚なきまでに死んでいる。
「あ」
「おいおい、あ、ではないぞ。やめてくれ」
だが、なんでもなかったように二つに裂けた夜智王が見る見るウチにくっつくと、立ち上がる。
「まったく、何をするのだ、いきなり。死んだでわないか」
「再生する程度の能力…蛇らしい厭らしい能力だわ」
「言っておくがな死なないわけではないのだぞ?あんまり死ぬと閻魔や死神がうるさいのだ勘弁してくれ」
「ちなみに幻想郷担当の閻魔は四季映姫よ」
「げ。飛び切りに喧しい奴ではないか、これは迂闊には死ねんな…」
やれやれと夜智王は肩を竦める。
「さてどれだけ口説いてもやらせてくれんスキマの相手も飽いたし、咽喉も渇いた。鬼でも捕まえて旧交を温めるか」
ウワバミなどというように蛇は好色と同時に酒好きである。
御多分にもれず酒好きである夜智王は、同じく種族的に酒好きである鬼を適当に見繕うつもりらしかった。
だが
「居ないわよ鬼」
紫の言葉に驚愕《びっくり》する夜智王。どういうことだと説明を要求する。
鬼達は旧地獄である地底に移り住んだり、あるいはいずこかに去った、と説明する紫。
「今地上にいるのは伊吹萃香だけ」
「伊吹萃香……ああ、山の四天王のあの子鬼か。少しは育ったか?」
変化は無いわねと紫が言うと、夜智王は深く嘆息する。
「酒は兎も角ああもチンチクリンでは抱く気にならんなぁ」
「あんたの脳みそって、酒と女以外無いの?」
「無い。と言いたい所だが、男も有る」
「……平和でいいわね」
ともあれ一匹の蛇が幻想郷にやってきた。
4年前の文章とか、見返すと引きつけを起こしそうです……