実の所。
初めて夜智王と遭った時のことを良く覚えては居ないのだ。
寒村の依頼。
山中の洞窟で氷漬けになっていた大蛇。
警告に現れた眷属と思しき蛇を殺した事で、激昂した夜智王と戦い、敗れた。
不死の蓬莱人と、尋常ならざる生命力をもつ蛇。
大蛇と人、自力の差、先に体力が尽きたのは妹紅だった。
そこからの記憶は曖昧で。
地中の洞穴に引きずり込まれた所……そこで記憶は途切れている。
◆
人里離れた山間の一軒家に、美しい夫婦が住み着いたのは、戦国の世がそろそろ終わろうかという頃だった。
夫は蛇妖の夜智王。
妻は藤原妹紅、蓬莱の薬を飲み、死ねなくなった少女。
不死の身となり、千年近い時が流れ、心が死に、生ける屍に成りかけていた妹紅。
不憫に思ったのか?それとも過去の償いか?あるいは好色な性ゆえか……
蛇は妹紅に暗示をかけ、夫婦として暮らし始めたのだ。
「痛っ」
ぶすり、思い切り指に突き刺した針の痛みに妹紅は顔を歪めた。
はぁ、と憂いを吐き出し、慣れた手つきで指先に布を巻きつけ血止めする。
お世辞にも少女には「針子の才能が有る」とは言えなかった、いささか不器用な上、既に夜も更け、灯りは囲炉裏の炎と、燈台の揺らめくそれだけ。
日中でも不如意な手先だけに、こうして指を穴だらけにするのも道理であった。
「……」
今日は夫が居ない。
月に数度、山中で採れた山菜や竹で編んだ籠などを売り、山では手に入らいない物を買う為に里に出向いているのだ。
寒がりの夫の為に綿入れをこしらえてやろう、そう思い立ったのは昨年の秋のことだった。
夫に知られればろくなことにならないので、里に出向いている間にすすめてきたわけだが……
秋が過ぎ、冬が終わり、春がやってきて、ようやく服の形になってきた。
しかし、ひどい出来だ。
縫い目は不揃いだし、心なしか形も歪んでいる気もする。
もう、今年の冬用に仕立て直した方がいいかもしれない。
そう思った時だった。
「おおい、帰ったぞ、お前、開けてくれ」
夫が帰ってきた。慌てて櫃に針道具と綿入れを押し込み、深呼吸をして息を整えてから戸のつっかえ棒をはずす
「ただいま」
「おかえり、お前さま」
「何も無かったか?」
「無い」
笑顔で問う夫に、ぶっきらぼうに妻は返す。
籠一杯の山菜は米や味噌、そして酒に変り、夫はそれを笑顔で取り出して、ほれ大量だ、と自慢する。
「やはり孟宗がよい値で売れたなぁ、旬の内にもう一度行って来るとしよう」
一方の妻は苦い顔でる。
「泊まって来いと言ったろう」
近くの町とは言うが、何里も先。
恐ろしく健脚の夫でも帰宅はいつも深夜になる。
後の時代には戦国時代と呼ばれた頃である、治安など無いに等しい。
夜盗、野武士、獣、挙げればきりが無い。
もっとも、蛇妖の夜智王は、そのどれよりも危険な生き物であるが、妹紅はそれを知らない。
「危ないのは、そなた一人ここに残すことの方だろう?」
「私は、平気だ」
「何より、わしがそなたと離れていると寂しいからな」
「なっ!」
直接的な夫の物言いに、妻が真っ赤になる。
新婚でもあるまいに、気恥ずかしい、止めて欲しい。
「それより、何を櫃に隠したのだ?」
「なっ!なんでもない!」
夫の帰宅に慌てて隠したモノ。
よくよく見れば布の端が櫃からはみ出していた。
櫃に覆いかぶさり隠す、もう手遅れだが、そうせざるをえない乙女心。
そんな妻をひょいと抱き上げ、手を取る夫。
「針はわしがやると、いつも言っておろうに」
白魚のような、綺麗な指には血の滲んだ包帯。
嫌になるくらい察しの良い夫が恨めしい。
「すぐ、治る」
「そういう問題ではなかろう」
「こ、こら、何を」
包帯を解き、夫の唇が妻の傷口にそっと接吻する。
「っ!」
ぴりっと、雷に打たれたような感覚が指先から全身に走る。
「や、やめろ」
「こうすると、早く治るだろう?」
「けだもの、じゃ、ないんだぞ、っ!」
慰撫するように妻の指先を、夫は接吻し、舌で舐めて、口に含もうとした。
「いいかげんに……しろっ!」
どんっ、っと妻が夫を突き飛ばす。
眦に涙を浮かべ、手を守るように背を向けて、拒否の体勢。
まるでハリネズミである。
「ひどいなぁ、半日もそなたと離れていた寂しさを埋めようとしただけだろう」
「なぜ指を舐める必要がある」
「じゃぁ、何ならいいのだ?乳とか尻とか足のほうが良かったか?」
後ろから抱き付いてきた夫に抱きすくめられ、ひうっっと妻は息を飲む。
春先の夜気で冷えた体だというのに、妻の体は火が着いたように真っ赤になり、かっかと熱を持ち始める。
「どれも良くない!放せ!」
夫を振りほどき、まったく、この男は!と憤慨する。
妻ははぁと嘆息して、妙に体をもじもじさせつつ、どこか怒った口調で言い放つ。
「お前さまは何もしなくていい!……そうだな膝枕してやるから、おとなしく――」
妻が言い切る前に、夫がわが意を得たり、とばかりに顔面から妻の太ももに飛び込む。
「逆だ!嗅ぐな!舐めるな!ひうっ!」
ぐきっ!と危険な音と共に夫の顔の向きを矯正する妻。
ぎゃぁ!と悲鳴が聞こえたが気にしない、この程度でどうこうなる夫でもない。
「痛いな……折れるかと思ったぞ」
「だまれ」
「はい」
「まったく……ご苦労だったな、お前さま」
呆れながらも、夫をねぎらう為にそっとその頭をなでる。
質素な生活だというのに、少しも艶を失わない夫の髪は絹糸のような手触りで、撫でている方も心地好い。
こんな辺鄙な所で隠れ住むような器量ではないのだ、この夫は。
つい先ほど、深々と太い針を突き刺した指には、もう傷など残っていない。
もっと大きな傷でも同じだ、異常に怪我の治りが早い、それだけではない、髪も爪も伸びない、まるで時の止まったような体。
夫は、そんな自分の為に、こうやって……
ちゅ
「あっ、何を」
「何やら、つまらんことを考えておろう?」
身を起こした夫が妻を抱き寄せて接吻する。
逃げようにも、しっかり抱きすくめられ、果たせない。
「考えてなんか、ない」
「嘘だな」
「つまらないことじゃ、ない……」
「考え違いだぞ、そなた。わしはそなたを独り占めしたから、他の男の目に触れさせたくなくて、こうして山で生きているのだからな」
何せそなたは、とても可愛らしい女子だからな。
嘘か、真か、そう言って夫は笑った。
◆
「妹紅、妹紅、起きろ」
「おまえさま?……」
あれ?風呂?
「あ?かぐやは?」
「母屋に寝かして来た。大丈夫か?ちゃんと声もかけたし、そなたも返事しておったろう」
「ちょっと、わたしも、のぼせたみたいだ」
「ほれ水だ、ゆっくりな」
夜智王が手渡した杯を受け取り、良く冷えた清水を飲み下す。
ほぉっと深く吐息が吐き出される。
夜智王との過去。
忌まわしい陵辱と淫蕩の記憶と、幸せな生活の記憶。
「そろそろ、そなたもあがれ。のぼせて死んだら姫に笑われるぞ」
そう言って夜智王はひょいっと妹紅を抱き上げる。
普段の妹紅だったら、怒っただろう。
だが、懐かしい思い出に浸ったせいか、黙って夜智王に身を委ねる。
長い永い生の中で、幸せだった、ほんの一時。
「寝ながら百面相をしていたが、どんな夢を見ていたのだ?」
女の寝顔を眺めるのが好き、これがこの蛇の数多い悪癖の一つだ。
冷たい声音で妹紅が反撃にでる。
「お前と初めて会った時の夢だった」
う、と夜智王が呻く。
「あの時は、その……なんだ…」
夜智王が情けない顔で、へどもどと言い訳を口にする。
「なぁ“お前さま”」
「……なんだ?」
懐かしい呼び方に、性悪蛇が優しい夫に戻る。
「なんで、あんなことを?」と問おうとし、妹紅はその言葉を飲み込んだ。
訪ねて、何の意味がある?
数年夫婦として過ごし、心を取り戻し始めた妹紅の暗示は段々と解けていった。
蓬莱人であるがゆえか、あるいは最初からそういう暗示だったのか。
戸惑いながらも、あまりに幸せな日々に妹紅は、何も知らない妻を演じ続けた。
夜智王は気がついていたはずだ。
御伽噺として幻想郷の話をしたのは、いずれくる別れの後、異形や異能のモノが生き難くなった時代に、妹紅が困らぬ為だったのだろうか。
夜智王が家を空けたある日。
妹紅は、妹紅に親を殺された妖怪に襲われ、死んだ。
無論、不死の呪いは彼女に永劫の生を強いた。
何かが、妹紅の中で、ぷつりと切れてた。
帰宅し、惨状に息を呑む夜智王に妹紅は、暗示の解けた“ふり”をした。
怒りのままに自分に暗示をかけて弄んだ!となじり、夜智王を打ち倒し、その場を逃げるように去った。
問うて、どうする?
哀れみか
償いか
どちらも、嫌だ。
「なんでもない」
「今宵の妹紅は意地が悪いな」
「自業自得だ」
自分でできると、服を着せようとする夜智王から襦袢をひったっくて羽織る。
逃げるように風呂場から母屋へと、乱暴に戸を開けて侵入する。
「あら妹紅さん、お久しぶり」
「永琳」
「うちの姫がお邪魔をしてしまったみたいで、ごめんなさいね」
白皙の肌を朱に染め、ぐったりと寝ている輝夜を、ゆるゆると団扇で扇いでやっている銀髪の女性。
永遠亭の薬師、月の賢者、表立って動くことは滅多にないが、幻想郷でも指折りの実力者。
八意永琳。
何故ここに?思わず立ちすくんだ妹紅の後ろからひょっこり夜智王が顔出す。
「月の賢者殿、姫は大丈夫かな?」
もう大丈夫そうね、と永琳は扇ぐの止める。
そして何やら含みのある笑顔を夜智王に向けた。
「“蛇王”殿、私は今はただの薬師です、ですからどうぞ永琳とお呼びになって」
そう申し上げたわよね?と永琳はにこりと笑う。
夜智王も笑みで返す。
湯で火照ったはずの身体がぶるりと震えるほどの寒さを妹紅は覚える。
「貴方こそ、わしを蛇王などと曰う、民も國もとうにない……この身はただの蛇よ」
貴方ほどの“知恵者”が解らぬはずはなかろう?
「あらやだ、ただの蛇?」
「左様」
「ふふ」
「はっは」
互いに冗談が過ぎる、とばかりにコロコロと笑う。
知り合いなのか?それも相当古い知り合い?
妹紅は、妙にどろどろとした夜智王と永琳のやり取り(共に笑顔だというのに、ひどく不穏だった)にぶるりと震える。
「まぁ、そういうことにしておきましょうか……」
ひょい、と意識の無い輝夜を軽々と永琳は抱えた。
「どうぞ永遠亭にも遊びにいらして『夜智王殿』姫が迷惑をおかけしたお詫びをします」
「さして迷惑ではなかったが……姫によしなにな『八意殿』」
「ええ、では、また」
「ではまたな」
空々しい笑みのまま、別れの挨拶を交わす。
「……はぁ」
永琳が去り、ようやく室内の緊張が解ける。妹紅は思わず大きく息を吐く、そんな妹紅に夜智王が苦笑を向けた。
「やれ、まいったまいった“こわい”お方だ」
「どういう関係なんだよ」
「うん?なんだやきもちか?」
「ちがう」
会うたのは実のところ初めてだ、ただ「色々と」噂には聞いていたのでな。と夜智王は言葉尻を濁した。
「のぼせた姫を連れて母屋にきたら、あの笑顔で八意殿が待っていたのだ。肝が冷えたぞ」
「それは……怖いな」
普段は穏やかで、以外に茶目っ気のある永琳だが、この幻想郷で敵に回してはいけない人物の筆頭。
まして輝夜が絡めばなおのことだある。
「すっかり湯冷めしてしまったし、妹紅。暖めておくれや」
そう言い、夜智王は妹紅を抱きしめる。
「な、なんでそうなる、こら、離せ」
「妹紅は暖いな」
どくん、どくん、と心の臓が跳ねる音が耳に響く。
「こら、やめろ、やちおう!」
口から吐き出される拒否の言葉とは裏腹に、肢体から力が抜けていく。
夜智王の腕が妹紅の柳のような腰へと回され、しっかりと抱きしめる。
きゅっと妹紅は胸が締め付けられるような感触に支配される。
無造作に女を抱きしめる蛇、ただそれだけのことが、孤独な蓬莱人にとってどれ程の喜びか。
「……するのか?」
「いや、今宵はもう休もう、そなたも疲れておろう?」
ほっとしたような、がっかりしたような。複雑な感情は妹紅の胸に去来する。
「そなたが「どうしても」と言うのなら――」
「だまれ、燃やすぞ」
「火事は困るな」
まったく困った様子のない笑みを浮かべ、夜智王は妹紅の身体を離すと、そっと手をとって寝具へと招く。
もはや抵抗する体力も気力も失い、ふらふらと妹紅は寝具へともぐりこんだ。
「おやすみ、良い夢をな」
「お前も寝ろ」
一日に何度も無防備な寝顔を眺められるのはごめんだ、そんな思いで妹紅は身体ごと顔を背けた。
しかし、いつ振りかわからない暖かく柔らかな寝具の魔力が、急速に妹紅の意識を奪う。
「(ま……たまには……いい……か)」
随分とご無沙汰しております作者です。
生きてました。
色々と事情はあるのですが個人的なものですので割愛
なんとか完結まで頑張りたい所存です。
なおしばらく暗い話が続きますので、おまけの方でいちゃいちゃする予定で執筆中です。
PS コミケに行かれる方は熱中症や事故などお気をつけください(8/11)