八重子は唾液だらけになった詩帆の肉体を台の上に載せると特製の
四肢を切り取ったところで玄関の扉が外から叩かれた。館に人がたずねてきたのだ。八重子が鋸を持ったまま扉を開けると外にはひとりの大柄な男が突っ立っていた。
「右腕を交換してくれ」
男はぶっきらぼうにそう言った。八重子はうなずき、男を手術室に導いた。先ほど切り取ったばかりの詩帆の右腕を寝室から持ってきて男に見せ、これと取り替えると説明する。男は焦っており、なんでもいいという調子で八重子の提案を了承した。八重子から見ても男は明らかに尋常でないようすだった。まるで何者かに追われているかのようだ。
八重子は男に全身麻酔をかけて右腕を切断し、そこに詩帆の右腕を繋いだ。銀色の針と糸で接合面を
やがて男は目覚めた。一回り以上小さくなったおのれの右腕を眺め、指先が動くのを見て安堵した。男は先ほど人を殺したのだと八重子に説明した。殺した際に相手の体にナイフを突き立てた右手が、呪わしく思えて仕方がなかったと告白した。
「いくら
でも今は右手が新しくなったので清められた気がする。男はそのように言って八重子に感謝を示し、翌日に多額の金を支払ってから館を退去した。八重子は残った男の右腕を黒いビニール袋に入れてゴミ箱に捨てた。
八重子は寝室でバラバラになった詩帆の遺体を眺めながら過ごした。血の匂いがうっすらと空気中をただよっている。八重子はスマートフォンを無線でスピーカーに繋ぎプラシーボの「トゥエンティ・イヤーズ」という曲を再生した。気怠くて
無。
無だけが有る。
八重子はソファに腰かけたまま半分は覚醒し半分は眠っていた。夢の中で八重子は詩帆に会った。詩帆は
それが日課だった。
詩帆。
インターフォンの音が館じゅうに鳴り響き八重子は目を覚ました。また客が来たらしい。八重子はソファから立つと寝室を出て玄関へいった。
訪問客は八重子と同じぐらいの歳の娘だった。近くにある高校の制服を着ており、髪は長く、地味な印象の顔をしていた。八重子は相手を観察したが、髪には枝毛が多くあまり整えられていないようすだった。八重子は彼女を居間に通して椅子に座らせた。
女子高生は自分の左腕が気に入らないとしきりに言い放った。彼女は自分自身が嫌なんだと訴えた。自己の存在の根本が気に入らない。おのれを
女子高生が言った。「私は世界の全部を否定したいんです。自死を決行する前に何者かを殺したい。でもその対象が何かをつかめないんです。私はひとまず余裕を得たい。考えるため、行動を起こすための準備の余裕を得たい。だからまずは自分の肉体を否定するんです」
女子高生は本当は左腕だけでなく四肢も顔面も取り替えたいのだと主張した。自分を自分でなくすために。しかし金がないので今回は左腕だけを交換するということらしい。
八重子は依頼を了承し、女子高生を手術室に通して麻酔をかけて寝かせた。さっと左腕を切り落とし詩帆のそれを繋ぐ。
手術のあいだはプラシーボの「メッズ」をくりかえし再生した。良い曲だと八重子は思う。自己の否定というテーマにふさわしい曲だ。
八重子は手術室から女子高生を運び病室のベッドに寝かせた。そこで彼女が起きるまで待った。
待っているあいだ八重子は過去に思いを馳せた。かつての客には徐々に自分の体を別のものに変えていく人たちがいた。腕を変え足を変え、やがては顔面までも他人のものに交換してしまうと、彼らは芯から幸福そうな笑みを浮かべたものだ。八重子の認識ではあの人たちはもはや人間ではなかった。世界の裏側へと踏み入れた者として彼らはこの世から姿を消し、やがては人々の記憶からも消えていった。まるで最初から地上に存在していなかったかのように。
女子高生は目覚め、翌日に料金を支払ってから帰っていった。
八重子は寝室に戻りベッドの上の詩帆の遺体を眺めた。すでに両腕が欠けていた。大切な友人の部分的な消失を眼前にしておのれの体温が低下したような気がした。だがその冷気は八重子にとって喜びでもあった。冷たさが気持ちいいと思う。それは満月の夜に湖に身を浸すかのような気分だった。透き通った水に濡れる心地の良い冷たさ。
インターフォンが鳴る。今度の客は女性の二人組だった。片方は成人男性並みに背が高く凛々しい顔立ちをしていた。もう一方は小柄で異国の姫のようにおとなしくて可愛らしい。
二人の女性が人体のカタログを希望したので八重子はタブレット型のコンピュータを渡した。ブラウザで
客の女性たちが選択したのは少女の双子の体だった。聞くと彼女たちは恋人同士なのだが互いを愛するあまり、まったく同じ見た目になりたいのだと言う。手術のための金が充分に貯まったのでこの館に来たらしい。
依頼は全身の交換だった。これは大仕事になると八重子は思った。朋華社に電話をして二人の助っ人を依頼する。同時に商品の人体も運んでくれるように注文した。
交換先の人体の選定には注意がいった。客の二人は背丈がかなり違ったからだ。彼女たちが選んだ双子の体はそのまますべては使えないと八重子は説明した。同じ見た目になりたいなら身長はこの高さになり、そのための交換先は一部は別の人間のパーツになるということを、八重子は丁重に説明した。客は二人とも納得してくれたので、朋華社からの助っ人と商品が届いてからすぐに八重子は二人の客を手術室へと導いた。
手術は三人がかりで十三時間に及んだ。病室に二人の客を寝かせて丸三日が経った。
二人の女性は今ではほぼ同じ見た目になっていた。ショートヘアで顔の
おかげで館を退去する際に二人が玄関に並んださまは、ひとりの女性が鏡の前に立ったときの光景と変わりがなかった。まったく同じ人が二人いるのだ。二人の女性は同じ声で同じ台詞を同時に唱和した。「ありがとうございました。この体、とっても気に入ったわ」。二人の女性はそっくりの笑顔を作ってからお辞儀をしたが、二人のお辞儀は体を傾ける角度さえも完璧に同じであったから、八重子は目の前の光景に現実感を覚えることができなかった。
最後に二人の女性客は戸籍を変更して名前も同じものにするつもりだと言ってから、館を辞去した。
朋華社からの助っ人たちも去っていった。彼らを見送りながら八重子は「この世界には何もない」と思った。何ものも本当には存在しないのだ。
無。