痛みがない。
むしろ、とても安らかな気持ちだった。
このまま、溶けて行きたい。
未練も、ない。
だから────
駄目だ。
私には、ある。大切な、
「レメディオス」
明るい。瞼が持ち上がる。
周りに広がっていたのは。色とりどりの花だった。水色、桃色、白、黄色。淡い光が天井から射し、水滴をキラキラと輝かせていた。
(綺麗……)
「レメ……? なんだって?」
そして、目の前には骸骨。漆黒の重厚なローブに身を包み、首を傾げていた。
「え……?」
「すまない。ここはナザリック地下大墳墓だ。体の調子はどうかな?」
「えと……好調です」
「そうかそうか。なら成功だな」
「あの……貴方、は?」
「私か? 私はアインズ・ウール・ゴウンだ」
アインズ・ウール・ゴウン。あの魔導王が、何故ここに。
「それにしても、君は……その、怖くないのか? 私が」
「……? よく分かりませんが、貴方が私を助けてくださったのでしょう? 命の恩人を恐れて失礼な態度を取る程私は混乱しておりませんので」
そう言うと、骸骨の彼は動きを止めた。
「ふむ……君は。うん。……まあいい。……君は一度死んだ。けれど、私が蘇生した」
死んだ。
その言葉で死の瞬間を思い出す。
胸を押さえた。
ぺた。
「……?」
肌だ。
すすす、と肩や腹にも手を滑らせるが肌だ。
つまり。裸。
「ひゃああ!?」
申し訳程度のシーツのような白いかけ布を引っ張った。
「あ」
骸骨の彼、アインズも気付いたようで顔を背けた。
「すまん。蘇生するのに服は邪魔だったからな。いや、すまん」
しっかりと見渡せば、自分は簡易的なベッドの上だった。
「すぐに服は用意させる。待っていてくれ」
そう言って彼は消えていった。おそらく転移だろう。
「はぁ……」
ため息が出た。
別に疲れた訳じゃない。何故か疲労もない。ポーションか何かの効果だろうか。
ただ、安心したのだ。
心から。
まだ、私には可能性がある。
翌朝。
目を覚ました時、最初に感じたのは柔らかな布団の感触だった。
「……ん」
昨日とは違う部屋だ。
壁には精緻な彫刻が施され、天井から下がる照明は宝石を散らしたように淡く輝いている。窓はないのに、部屋全体は朝の日差しに似た優しい光で満たされていた。
枕元には、水の入ったコップと、小さな呼び鈴。
そして。
「……服」
思わず胸元を押さえた。
ちゃんと着ている。
昨日着た白い寝間着だった。
昨日の出来事を思い出して、顔が熱くなる。
「もう……」
蘇生直後だったのだから仕方がないとは分かっている。
分かっているけれど。
あれは、恥ずかしかった。
ベッドから身体を起こす。
驚くほど軽い。
死ぬ前の身体はもっと重かった気がする。痛みもない。傷もない。
もしかして痩せたのかもしれない。
指先を握って、開く。
生きている。
その事実を確認するたび、胸の奥が不思議なほど温かくなった。
レメディオス。
今、どうしているだろう。
私が死んだあと。
あの子は。
そこまで考えて、胸の奥に鈍い痛みが走った。
「……会いたいな」
ぽつりと漏れた。
昨日から何度も浮かんでいる名前だった。
けれど、今すぐ聖王国へ戻れるわけではないらしい。
身体は問題なく動くように感じても、一度死んだ人間なのだ。魔導王曰く、何日かは経過を見た方がいいという。
それに。
自分が今どういう立場なのかも、まだよく分かっていない。
呼び鈴に手を伸ばす。
ちりん。
ほとんど間を置かず、扉が開いた。
「お呼びでしょうか、カルカ様」
現れたのは、整った顔立ちの若い女性だった。
完璧な姿勢。
完璧な微笑。
完璧……すぎて、少しだけ怖い。
「え、ええ……あの、おはようございます」
「おはようございます」
深々と頭を下げられた。
「朝食のご用意が整っております。お部屋で召し上がりますか。それとも、食堂へご案内いたしましょうか」
「食堂……」
少し考える。
「では、食堂へお願いします」
「かしこまりました」
用意された服に着替え、案内されるまま廊下へ出た。
そこで初めて、私は自分がいる場所の異様さを実感した。
広い。
とにかく広い。
床は鏡のように磨き抜かれ、壁には見たこともない絵画や彫刻が並んでいる。ところどころに立つ者たちは、人間とは明らかに違う姿をしている者も多かった。
角のある者。
翼のある者。
顔そのものが人ならざる形をしている者。
皆、私が通るたびに恭しく頭を下げる。
「……」
思わず足取りが遅くなった。
「何かお気に障ることがございましたか?」
「い、いえ。そうではなくて……皆さん、私に随分丁寧なのですね」
「魔導王陛下がお招きした客人でございますので」
「客人……」
死体だった私を生き返らせて、そのうえ客人。
不思議な話だ。
食堂へ入る。
そして、私は思わず立ち止まった。
「……大きい」
長い。
とても長い机だった。
一体何人で食事をするつもりなのだろう。
その一番奥に、見覚えのある漆黒の姿があった。
「おはよう、カルカ殿」
アインズ・ウール・ゴウン。
魔導王。
私の命の恩人。
「お、おはようございます、魔導王陛下」
「うむ。よく眠れたかな?」
「はい。とても」
「それは良かった」
彼は満足そうに頷いた。
骸骨なので、表情はまったく分からない。
けれど何となく、嬉しそうに見える。
促されるまま席に座ると、すぐに料理が運ばれてきた。
焼きたてのパン。
卵料理。
果物。
温かなスープ。
どれも美しい。
「食欲はあるか?」
「ええ」
「無理はするな。蘇生直後だからな」
「ありがとうございます」
スープを一口飲む。
美味しい。
思わず頬が緩んだ。
「美味しいです」
「そうか」
魔導王が、また頷いた。
少し間が空いた。
私はパンをちぎる。
魔導王は動かない。
「……」
「……」
「……あの」
「なんだ?」
「魔導王陛下は、お召し上がりにならないのですか?」
「私は食事を必要としない」
「あっ」
そうだった。
アンデッドなのだから。
「す、すみません」
「いや、謝る必要はない」
また沈黙。
私は食べる。
魔導王は座っている。
「……」
なんだか。
落ち着かない。
「陛下」
「うむ?」
「私だけ食べていると、少し緊張します」
「……そうか」
「はい」
魔導王は少し考えた。
そして。
「では、何か話そう」
「話……ですか?」
「うむ」
妙に真剣な声だった。
「何が好きだ?」
「え?」
「食べ物でも、花でも、何でもいい」
唐突だ。
けれど、その問いがなんだか可笑しくて、私は小さく笑った。
「そうですね……花は好きです」
「花か」
「はい。特に淡い色の花が」
「ふむ」
「昨日、目が覚めた時に見えた花も、とても綺麗でした」
「……ああ」
魔導王が一瞬だけ黙った。
「気に入ったなら良かった」
「陛下が?」
「いや、私は……その……」
妙に歯切れが悪くなる。
「部下に任せただけだ」
「ふふ」
「何かおかしいか?」
「いいえ」
なんだか可愛らしい。
そう思ったけれど、さすがに口には出さなかった。
朝食が終わったあとも、魔導王はしばらく席を立たなかった。
「体調に問題がなければ、今日から少しずつこの場所を案内させようと思う」
「ありがとうございます」
「退屈だろう?」
「少しだけ」
「やはりか」
「でも、こんなに豪華なお部屋を用意していただいて、退屈だなんて言ったら罰が当たりそうですね」
「いや、退屈なものは退屈だ」
即答だった。
また笑ってしまう。
「陛下は、思ったより面白い方ですね」
「……面白い?」
「はい」
魔導王は固まった。
「それは褒めているのか?」
「もちろんです」
「そうか……
何故だろう。
少しだけ肩の力が抜けたように見えた。
その日の午後、私は中庭へ案内された。
地下とは思えない。
青空が広がっている。風まである。
「本当に地下なのですか?」
「そうだ」
並んで歩く。
花壇には見たこともない花が咲いていた。
「綺麗」
しゃがみ込んで、その一輪を覗き込む。
「これは何という花ですか?」
「……」
返事がない。
振り返る。
魔導王は花を見つめていた。
「陛下?」
「今、確認する」
「確認?」
何か見えない相手と会話しているのか、しばらく黙った後。
「……月光百合というらしい」
「月光百合」
白い花弁が、淡く青みを帯びている。
「素敵ですね」
「気に入ったなら、部屋に飾らせよう」
「そんな、そこまでしていただかなくても」
「客人なのだから構わん」
「陛下は、とても親切なのですね」
「……」
また止まった。
「どうしました?」
「いや」
魔導王は少しだけ視線を逸らした。
「そう言われることは、あまりなくてな」
その言葉が意外だった。
「そうなのですか?」
「ああ」
「私はそう思いますけれど」
「……そうか」
その声が、ほんの少しだけ柔らかく聞こえた。
それから数日。
私と魔導王は、毎日のように顔を合わせるようになった。
朝食の席。
中庭。
図書室。
時には、魔導王の執務室。
最初は体調確認だけだった。
「具合は?」
「良好です」
「痛むところは?」
「ありません」
「食欲は?」
「あります」
そんな会話ばかり。
けれど、いつの間にか。
「昨日読んだ本なのですが」
「うむ」
「この国の農業政策、とても興味深いですね」
「そうか?」
「はい。聖王国でも参考にできそうです」
「ならば写本を用意させよう」
「よろしいのですか?」
「構わん」
とか。
「陛下、このお菓子、美味しいです」
「そうか」
「食べられないのが残念ですね」
「……そうだな」
「どんな味だと思います?」
「何?」
「想像です」
「……甘い」
「それは誰にでも分かります」
「……そう言われても困る」
「ふふふっ」
とか。
そんな、どうでもいい話をするようになった。
魔導王は、不思議な人だった。
恐ろしい姿をしている。
圧倒的な力も持っている。
けれど、時々妙に人間臭い。
私が冗談を言うと困る。褒めると黙る。
何かを尋ねると、時々妙に長く考える。
そして、困っている人を見ると、思っていたよりずっと素直に手を差し伸べる。
「陛下」
ある日、私は尋ねた。
「何だ?」
「どうして、私を蘇生してくださったのですか?」
静かになった。
魔導王はしばらく答えなかった。
「き……気まぐれだ」
「気まぐれ?」
「ああ」
「そうですか」
それ以上は聞かなかった。
理由が何であれ。
私は生きている。
それだけで十分だった。
「なら、その気まぐれに感謝します」
「……うむ」
「それから」
「まだあるのか?」
「はい」
私は笑った。
「陛下とお話しできるようになったことにも」
魔導王は、完全に動きを止めた。
「……それは」
「はい?」
「……いや。何でもない」
「そうですか?」
「うむ」
少し間を置いて。
「私も、君と話すのは嫌いではない」
その言葉が、妙に嬉しかった。
「それは光栄です」
「そういう堅い言い方はやめてくれ」
「では……嬉しいです」
「うむ」
私は笑った。
魔導王も、笑ったような気がした。
顔は骸骨なのに。
不思議だった。
そして、その夜。
ベッドに入ってから。
私は久しぶりに、聖王国のことを考えた。
国や民。戦争。復興。
そして。
「レメディオス……」
胸の奥に違和感。
あの子は今、どこにいるのだろう。
私が死んだと思っている。
どんな顔をしているだろう。
泣いただろうか。
怒っただろうか。
それとも。
無理をしているだろうか。
その想像だけで、胸が苦しくなった。
「……早く」
会いたい。
それは、国に帰りたいという気持ちとは少し違った。
もっと個人的な。
もっと我儘な。
ただ一人に会いたいという気持ちだった。
私は胸元に手を置いた。
「待っていてね、レメディオス」
まだ、この感情の名前を。
私は知らない。
翌日も、その次の日も。
私は変わらず、魔導国で穏やかな時間を過ごしていた。
身体の調子は驚くほど良かった。
むしろ、死ぬ直前よりもずっと軽い。
食事も取れる。歩ける。眠れる。
そして何より。
夢を見ても、もうあの悪魔の姿を見ることはなかった。
代わりに。
「レメディオス!」
幼い日の声が聞こえた。
少し先を走っている少女の背中。
焦げ茶色の髪が跳ねている。
「待って! 速いわ!」
「カルカ様が遅いんですよ!」
「だって、ドレスなんだもの!」
「じゃあ脱ぎますか?」
「脱げないわよ!」
そんな夢だった。
目を覚ましてから、私は枕に顔を埋めた。
「……懐かしい」
七歳の誕生日。
私が初めて、レメディオスと出会った日。
それから、何度彼女の背中を見ただろう。
城の廊下。庭。訓練場。馬上。戦場。
いつも、彼女は私より少し先を歩いていた。
私は、それを追いかけていた。
「……あれ?」
ベッドの上で身体を起こす。
胸の奥に、妙な引っかかりがあった。
何か。
今まで、ちゃんと考えたことがなかった。
レメディオスは私の騎士だった。
友人だった。
誰より信頼できる人だった。
大切な人だった。
それで十分だと思っていた。
けれど。
「……背中」
私はぽつりと呟いた。
どうして私は、あの子の背中ばかり覚えているのだろう。
その日の午後。
私はアインズ陛下の執務室にいた。
理由は特にない。
本当に、特にないのだ。
最初は体調確認のために呼ばれていただけだった。
けれど最近では、どちらからともなく話すようになっていた。
アインズ陛下は机に向かい、何やら大量の書類を処理している。
私は向かい側の長椅子に座って本を読んでいた。
「……」
「……」
静かだった。
けれど、不思議と居心地は悪くない。
ページを一枚めくる。
少しして、アインズ陛下が低い声を出した。
「カルカ殿」
「はい?」
「さっきから、同じページを読んでいないか?」
「……」
私は本を見る。
確かに。
十五分くらい同じページだった。
「考え事を?」
「少し」
「聖王国のことか?」
「……それもあります」
「それも?」
私は本を閉じた。
少し迷う。けれど。
アインズ陛下なら、話してもいいような気がした。
「人のことを考えていました」
「人?」
「はい」
「……レメディオス、だったか」
思わず目を見開いた。
「覚えていらしたのですか?」
「蘇生直後に君が名前を呼んでいただろう」
「……そうでしたか?」
「覚えていないのか?」
「全然」
恥ずかしい。
私は両手で顔を覆った。
「私、そんなに真っ先に名前を……」
「うむ」
「……忘れてください」
「無理だな」
「陛下」
「事実だからな」
なんだか少しだけ楽しそうだ。
「もう」
頬を膨らませる。
するとアインズ陛下は、ほんの少し黙った。
「……それほど大切な者なのだろう」
私は手を下ろした。
「はい」
即答だった。
自分でも驚くほど。
「とても」
「ふむ」
「子供の頃からずっと一緒でした。私が王女だからと遠慮することもなくて。勝手に手を引いて走っていったりして」
「大胆だな」
「ええ。本当に」
思わず笑う。
「昔から、真っ直ぐで。考えるより先に身体が動く人でした」
話しているうちに、次々と記憶が浮かんできた。
「でも、優しいんです」
「そうか」
「すごく不器用だけれど」
「うむ」
「人のためなら、自分が傷つくことなんて気にしないような人で」
そこまで言って。
胸が、少し痛くなった。
あの子は今も、そうなのだろう。
私がいなくなったあとも。
誰かのために、自分を後回しにして。
「……心配なのか」
アインズ陛下の声。
私は頷いた。
「はい」
「なら、戻ればいい」
「え?」
「身体に問題はない。もう数日様子を見れば、帰還について考えてもよいだろう」
心臓が大きく跳ねた。
「本当ですか?」
「ああ」
思わず立ち上がった。
「ありがとうございます!」
「う、うむ」
「アインズ陛下!」
机の前まで駆け寄る。
「本当に、ありがとうございます!」
「近い近い」
「あっ」
慌てて一歩下がった。
「すみません」
「いや……まあ、喜んでいるなら何よりだ」
「はい!」
嬉しかった。
心から。
もう一度、レメディオスに会える。
そう思っただけで、胸が熱くなる。
「……」
「どうした?」
「いいえ」
私は胸元に手を置いた。
この感じ。
どうしてなのだろう。
その夜。
眠れなかった。
悪夢のせいではない。
ただ、眠れない。
私は寝台を抜け出し、窓のない部屋の中を歩いた。
テーブルの上には、昼間もらった花が飾られている。
淡い青の花。
それを見ていたら。
また、あの日を思い出した。
七歳の誕生日。
バルコニー。
月。
そして。
『王女じゃないカルカ様は、すごく素敵ですよ』
あの言葉。
私は、あの日のことをずっと覚えていた。
レメディオス本人は覚えているだろうか。
たぶん、あまり覚えていない。
あの子はそういう人だ。
自分が誰かに与えたものに、驚くほど無頓着で。
私がどれだけ救われたかも。
どれだけ嬉しかったかも。
たぶん知らない。
「ふふ……」
それが、少し可笑しかった。
そして。
少し悔しかった。
私は彼女のことを、こんなに覚えているのに。
十一歳の頃。
城の裏手にある訓練場。
私は遠くから、彼女を見ていた。
「はあっ!」
木剣を振るう。
転ぶ。
立ち上がる。
また振るう。
相手は年上の少年だった。
体格も違う。
それでもレメディオスは何度でも向かっていった。
「もうやめた方がいいんじゃない?」
隣にいた誰かがそう言った。
けれど私は首を横に振った。
「きっと、まだやるわ」
その通りだった。
レメディオスはまた立った。
泥だらけで。
膝を擦りむいて。
それでも。
笑っていた。
私は、あの背中が好きだった。
──好き?
記憶の中の自分の言葉に、思考が止まる。
「……好き」
声にしてみる。
胸の奥が熱くなった。
違う。
違わない。
もう一度。
記憶を辿る。
十五歳。
遠征から戻ったレメディオス。
鎧は傷だらけだった。
それなのに、私を見るなり。
「カルカ様! ご無事ですね!」
そう言って笑った。
まず私ではなく、あなたでしょう。
そう思って。
怒って。
それなのに。
私は、あの笑顔を見て泣きそうになった。
十七歳。
夜遅くまで会議が続いた日。
廊下へ出ると、壁にもたれてレメディオスが眠っていた。
私を待っていたらしい。
起こすのが可哀想で。しばらく、その顔を眺めていた。
どうして。そんなことをしていたのだろう。
そして、もっと前。
七歳。
「逃げますよ!」
手を掴まれた。
私は驚いて。
でも。
嬉しくて。
あの時からずっと。
私は。
「あ……」
ようやく。
気づいた。
私はずっと。
レメディオスの背中を追っていた。
強くなりたいと思った。
立派な王女になりたいと思った。
あの子に恥じない自分でいたいと思った。
あの子が振り返った時に。
笑っていたかった。
あの子に。
見ていてほしかった。
「……そういうことだったのね」
胸に手を置く。
鼓動が速い。
「私」
声が震えた。
「わたし……レメディオスのこと……好きなんだ」
言葉にした瞬間。
今まで散らばっていたものが、全部ひとつになった。
あの日の月。
握られた手。
訓練場の背中。
傷だらけの笑顔。
眠っている横顔。
名前を呼ぶ声。
全部。
「……ずっと」
今さら気づくなんて。
「ずっと……」
遅すぎる。
死んでから。
生き返ってから。
ようやく。
「ばかね、私」
笑ってしまった。
少しだけ涙が出た。
翌朝。
「アインズ陛下」
「うむ?」
朝食の席。
私はいつもより少しだけ姿勢を正した。
「相談があります」
「何だ」
「私、恋をしていたみたいです」
「……」
アインズ陛下が完全に停止した。
「……陛下?」
「いや」
「?」
「突然だな」
「私も昨日気づいたばかりなので」
「そうか」
「はい」
「……レメディオスか?」
「はい」
即答した。
アインズ陛下は、少しだけ天井を仰いだ。
「そうか……」
「どうしてそんな反応なんです?」
「いや。納得しただけだ」
「何に?」
「蘇生直後から名前を呼んでいた理由に」
「あっ」
またそれだ。
「もう忘れてくださいと言ったでしょう」
「無理だ」
「意地悪ですね」
「事実を言っているだけだ」
「ふふ」
笑う。
それから私は、少しだけ真面目になった。
「戻ったら、伝えようと思います」
「気持ちを?」
「はい」
口にすると、少し恥ずかしい。
けれど。
もう迷わなかった。
一度死んだ。
だから分かる。言える時に言わなければ。伝えられる時に伝えなければ。
次があるとは限らない。
「振られたらどうする?」
「……」
考えた。
「泣きます」
「うむ」
「たくさん泣いて」
「うむ」
「それでも、傍にいます」
アインズ陛下がこちらを見る。
「恋人になれなくても?」
「はい」
その答えだけは、迷わなかった。
「だって、大切な人であることには変わりませんから」
「……そうか」
「でも」
「何だ?」
「できれば、好きになってもらえたら嬉しいです」
「それはそうだろうな」
「ふふ」
「笑うところか?」
「いいえ」
私は天井を見上げた。
もうすぐ。
帰れる。
レメディオスに会える。
この気持ちを伝えられる。
胸が、また大きく鳴った。
今度は私が。
あの人の手を取る番だ。
──────
「だからね、レメディオス……私、貴女のことが好きなの」
「わ、私もお慕いしております!」
泣きべそをかきながらレメディオスは叫んだ。
「そ、そうじゃなくてね……き、キスとかしたり……」
「それで、それでカルカ様がここに居てくださるなら……っ!」
眉を下げ、レメディオスはちゅっと私の左頬にキスをした。
「ひゃ、レメディオス……っ。そういうことではなくて……」
可愛い。けれどこの子分かってない。
ぐすぐすと鼻をすするレメディオスの肩に手を当て、私は向き合った。
「あ、のね、好きっていうのは……く、唇にキスしたいとか……えっちなことしたいとか……そういう"好き"で……」
顔から火が出そうだった。
だけどそれ以上にレメディオスが耳まで赤くなっていくのを見て、私は落ち着いた。
「あ………………」
「だいじょうぶ? レメディオス……」
揺すっても反応はない。完全に、処理しきれずに固まっている。
「カルカ様が……私と……きす? カルカ様が……私と……えっちな……」
「あまり……繰り返さないでちょうだい……」
「私も……カルカ様と、キス……したいです」
「え?」
「……まだ、好きとかよく分かりません。でも、一度……してみてもいいですか?」
ずび、と鼻をすすり、レメディオスは渡したハンカチで顔を拭った。
「いい、の?」
こくりと頷かれた。
「私、初めてです」
鼓動が高鳴っていく。視線が揺れる。
(キスする時ってどこを見ればいいの?)
レメディオスの胸、腰、太もも。どこも危ない。かと言って顔なんか見れない。目を瞑るしかない。
「レメディオス……目を瞑って」
レメディオスはきゅっと強く目を閉じた。それを見届け、私は彼女の両頬に手を添える。そして、
「ん……」
彼女の鼻から甘い息が抜けた。
「もう、いちど……」
それは本当に小さく呟かれた。
けれど私はそれを聞き逃さなかった。見逃さなかった。
「うん」
もう一度。角度を変えて口付けた。
「ん、ふ」
また、レメディオスの吐息がかかる。
「もっと」
幼い声で聞こえたそれに私は我慢が効かなくなり、また角度を変えて続けた。レメディオスの唇は柔らかかった。
「ふあ……んんっ……かるか、さま」
「レメディオス……んうっ……すき、すき……」
「かるかさま……」
へたりとレメディオスが私の胸に倒れ、肩に顎を乗せて来た頃。私はようやく我に返った。
「レメディオス……!? ごめんなさい! 私ったら……」
せっかくキスを許可して貰えたのに、初めてが酸欠ってとても嫌な思い出にしてしまったかもしれない。
「はぁ……こんなの初めてです……気持ちよかった、です。はぁ……カルカ様、もっと……してください」
茶色の髪を乱して、頬を上気させ、レメディオスは私のローブを掴んだ。
「……レメディオス……っ」
ぎゅう、と思わず抱き締めた。
なんて可愛いんだろう。
「??」
柔らかな頬に擦り寄り、背中を撫でた。
「かるかさま……?」
「大好きよ、レメディオス」
「わ、わたしも……カルカ様のこと……好きですよ?」
「でも、レメディオスのはそういうんじゃないでしょう?」
「……なら、カルカ様のお気持ちに応えられるように、努力します!」
拳を握り、彼女はふんと鼻息を荒くした。
「うふふ」
何だか頑張る方向が変な気もするけど。
「楽しみに待ってるわ」
最後に、その無防備な唇に軽く触れるように口付けた。