【R18版】貞操逆転世界のメンズエステで働くことになった 作:カラスあげます
金がない。
大学二年生、一人暮らし二年目。
俺――佐伯恒一(さえきこういち)の現状を簡潔かつ正確に表現するなら、その四文字に行き着く。
「……三千八百円か」
ボロアパートの自室で、使い古した財布を逆さにするようにして覗き込む。
出てきたのは、くたびれた千円札が三枚と、数枚の小銭。
給料日までは、あと丸々五日。銀行口座の残高も、これと大差ない惨状だった。
別に浪費家というわけじゃない。
パチンコも競馬もやらないし、ソシャゲに重課金しているわけでもない。
大学に通い、週に数日は居酒屋で汗を流し、たまに友人と安いメシを食う。ごく普通のキャンパスライフを送っているだけだ。
それなのに、家賃、光熱費、スマホ代、サークルの付き合いという名の生活費という名の底なし沼に、稼いだ先から金が飲み込まれていく。
「納豆と卵はある。……よし、五日間これだけで凌げば死にはしない」
冷蔵庫を閉め、俺はそのままベッドへダイブした。
ギシと嫌な音を立てるスプリング。天井のシミを見つめながら、溜息を吐く。
金が欲しい。切実に、心から。
そして、俺にはもうひとつ――この世界の「前提」に関する、小さな違和感があった。
俺はこの世界に生まれた普通の人間だ。異世界転生をしたわけでも、前世の記憶を持って生まれ変わったわけでもない。
俺自身の持つ貞操観念や「普通」の感覚は、昔から何ひとつ変わっていないはずだった。
だが、高校生から大学へと進むにつれ、俺以外の周りの連中の価値観だけが、まるで最初からそうだったかのように、いつの間にかすり替わっていったのだ。
取り残された俺の前に、それは拭い去れない決定的な違和感として立ちはだかっていた。
――この世界は、男女の価値観が根底から逆転している。
男性が女性に声をかけるのは「積極的で好ましいアプローチ」であり、女性が男性に声をかけると「ナンパか?」と警戒して身をすくめる。
恋愛においても、告白するのは基本女性。デートの店を選び、車で迎えに来て、奢るのも女性の役割だ。
性的な価値観だってそうだ。
大学の講義室の後ろで「先週末、新しく引っ掛けてさ」「やるじゃん、お前何人目よ?」なんて経験人数を誇らしげに語り合うのは女子グループだし、逆に男子同士は「俺、実はまだ経験なくて……」なんて顔を赤らめて囁き合っている。
最初は戸惑った。天地がひっくり返ったのかと思った。
だが、人間というのは恐ろしいもので、住めば都、慣れれば日常である。
大学生にもなった今では「まあ、そういう世界なんだろ」と受け入れて生きていた。
ただ、男女逆転世界だからといって、男であれば無条件でチヤホヤされてイージーモードになるかと言われれば――答えはNOだ。
「……俺じゃな」
スマホの暗い画面に映る自分の顔を眺める。
髪型はごく普通。顔立ちも、特別イケメンというわけでもなければブサイクでもない。大学の男子の中で並べれば、中の下か、せいぜい真ん中あたり。身長167センチ。
ただ、大学に入ってから密かに続けている自重トレのおかげで、脱げばそこそこ引き締まっている程度だ。
この世界でも、当然「イケメン」や「あざとい系男子」がモテの頂点に君臨する。俺のような「中身も見た目も普通の男」に、都合よく金持ちの美少女が寄ってくるなんてうまい話はない。
「はぁ……もっと手っ取り早く稼げるバイト、ないかな」
俺は寝転がったまま、スマホで求人サイトをスクロールし始めた。
居酒屋、コンビニ、家庭教師、倉庫作業。
提示されている時給はどれも1,200円〜1,300円程度。大学の講義と両立しながらこれだけで生活を激変させるのは、どう考えても無理だ。
その時、開けたままの窓の外から、妙に重低音の効いた賑やかな音楽が聞こえてきた。
身を起こして窓の外を見下ろすと、夜の街をド派手なトラックが走り抜けていくところだった。
ネオンのようなLEDで彩られたトラックの荷台には、デカデカと文字が躍っている。
『高収入! 女性を癒やす極上のナイトワーク!』
「……夜職か」
この世界では、男性が女性客を相手にするナイトワークは別に珍しくない。むしろ、肉食系な女性たちの需要を受けて、かなり巨大な市場を形成している。
ホスト、レンタル彼氏、あるいはもっと過激な風俗店。
トラックの明かりが遠ざかっていくのを見送りながら、ふと、悪魔のような考えが頭をよぎった。
「……この世界なら、俺でもワンチャン稼げたりすんのかな」
口に出してから、自分で失笑する。
何を考えているんだ。俺が夜職? 冗談じゃない。
風俗なんてトラブルが怖すぎるし、ホストだって客の女たちと酒を浴びるように飲まされ、太客の執着に怯える羽目になるに決まっている。
だが、一度芽生えた欲望の芽は、貧困という肥沃な土壌でグングンと育っていく。
俺は吸い寄せられるように、検索フォームに指を走らせた。
『男性 高収入 夜 未経験』
検索結果には、怪しげなスカウトやホストクラブの求人がズラリと並ぶ。
その中で、ひとつの求人ページが俺の目を捉えた。
『メンズエステ』
「……メンズエステ?」
指が止まる。
メンズエステ。俺の知っているうっすらとした知識では、女性セラピストが男性客を癒やす店のはずだが――求人ページを読み進めて、思わず目を見張った。
『男性セラピスト大募集!』
『お客様は100%女性!』
『完全個室アロマトリートメント』
『未経験歓迎・しっかり研修あり』
「マジか……男性が施術する側がメインなのか」
やはりこの世界、女性客が男性セラピストに癒やし(あるいはそれ以上)を求めるメンズエステの方が市場として圧倒的にでかいらしい。
そして、その横に躍る太文字のキャッチコピー。
『日給6万円可能!』
「ろ、六万……!?」
思わず声が出た。
一日で六万。今の居酒屋バイトなら、十日間フルで入ってようやく届く金額だ。たった一日で、それが稼げる?
「いやいや、どうせ誇大広告だろ。トップ指名の奴がたまたま稼いだ最高額を書いてるだけだ……」
頭ではそう理解しつつも、スクロールする指が止まらない。
『風俗店ではありません。あくまでリラクゼーションを目的としたサロンです』
『アロマオイルを使用した全身トリートメント』
『完全予約制・マンション型店舗』
風俗ではない。酒も飲まなくていい。
個室で、女性客にマッサージをするだけ。
しかも、この世界では「男性から施術を受ける」ということ自体に価値を感じる女性客が山ほどいる。
「……それに、俺、身体は多少鍛えてるしな」
お腹をさする。腹筋はうっすらと割れている。
プロフィール写真くらいなら、それっぽく見せられるかもしれない。
それに――男として、本当にごくわずかな下心がなかったと言えば嘘になる。
この男女逆転の世界で、女性から「求められる」側の仕事。
ちょっとだけ、興味があった。
店名は『GOD SELENE SPA(ゴッドセレーネスパ)』。
白とゴールドを基調としたWebサイトは妙に高級感があり、怪しげな雰囲気を上手く消している。
「……まあ、話を聞くだけならタダだしな」
俺は半ば自棄っぱちに、応募フォームへ個人情報を打ち込んでいった。
名前、年齢、大学、連絡先。
志望動機の欄には、『接客経験を活かし、新たな分野で挑戦したい』と、就活生のような無難な嘘を添えて。
送信ボタンをタップ。
「ふぅ……さて、返事は明日か明後日か――」
ベッドにスマホを放り投げようとした、その瞬間。
ブブッ、と手元でバイブが震えた。
「うおっ、早っ!?」
送信からわずか二分。
画面には、店舗側からのメッセージが届いていた。
『ご応募ありがとうございます! ぜひ一度お会いしたく思います。つきましては、明日の夕方、○○駅前の喫茶店でお話できませんか?』
とんとん拍子すぎる展開に、一気に心臓が跳ね上がった。
「マジかよ……本当に面接行っちゃうのか、俺……?」
だが、ポケットの中の三千八百円が、冷たく俺の背中を押していた。
◇
翌日。指定された駅前の老舗喫茶店。
俺は一応、派手すぎない無地のシャツに黒のチノパンという、清潔感を意識した服装で店に入った。
店内に視線を走らせると、奥のボックス席に座っている一人の女性と目が合った。
(……え)
思わず、足が止まる。
そこにいたのは、めちゃくちゃ綺麗な大人の女性だった。
年齢は三十代半ばくらいだろうか。
派手なメイクや夜職っぽいギラついた雰囲気は一切なく、落ち着いた雰囲気を纏っている。肩にかかる黒髪と、すっと通った鼻筋、そして柔らかく笑う薄い唇。
だが――何より目を引いたのは、その「肉体」だった。
薄手のニットを着ているのだが、そこから浮き出る身体のラインが、とにかく艶めかしい。
細身というわけではない。胸元から腰、そして太腿にかけて、豊満でむっちりとした丸みがある。服の上からでもわかる柔らかそうな肉感。
普通の普段着のはずなのに、溢れ出るフェロモンが隠しきれていない。
(な、なんだこの人……凄まじいな……)
慌てて視線を胸元から顔へ戻す。
「佐伯くん?」
彼女が、優しく鈴を転がすような声で俺を呼んだ。
「あ、はい! 佐伯恒一です」
「はじめまして。GOD SELENE SPAの店長をやっている、神崎(かんざき)です。座って」
「あ、失礼します」
対面に腰を下ろすと、ふわりと甘いアロマのような良い香りが漂ってきた。
「飲み物、好きなの頼んでね。奢るから」
「あ、じゃあアイスコーヒーで……ありがとうございます」
注文を終えると、神崎さんは頬杖をつき、じっと俺の顔を観察するように見つめてきた。その瞳に射抜かれ、俺は思わず背筋を伸ばす。
「ふふ、そんなに緊張しなくて大丈夫だよ。固い面接じゃないから」
「あ、はい……」
「大学二年生だよね? 一人暮らし?」
「そうです。居酒屋でバイトしてるんですけど、ちょっと生活費が厳しくて……」
「大変だよねぇ、今の学生さんは。うちに応募してくれたのは、やっぱり……『日給6万円』に惹かれたから?」
クスッと悪戯っぽく笑う神崎さん。
隠しても仕方がない。俺は腹を括って頷いた。
「……ぶっちゃけ、そうです。背に腹は代えられなくて」
「いいよ、正直で。そういう男の子、嫌いじゃないな」
神崎さんはアイスコーヒーにストローを挿しながら、身を乗り出してきた。胸元のニットが少し引っ張られ、豊かな隆起が目の前に迫る。毒毒しいまでの色気だ。
「うちの仕事、どんなことするか分かってる?」
「えっと、女性のお客様にオイルマッサージをする……んですよね? 求人には風俗店じゃないって書いてありましたけど」
「うん、基本的にはリラクゼーションサロン。でもね、オイルを使って密室で一対一で施術するわけだから……やっぱり、距離感はすごく近くなるよ」
「距離感、ですか」
「そう。お客さんによっては、ちょっと過激なスキンシップを求めてきたり、距離感がバグってる人もいる。そういう時、上手くあしらったり、逆に喜ばせたりできる度胸が必要かな」
神崎さんは、ふっと意味深な笑みを浮かべた。
「じゃあ……その、どこまでが『OK』なんですか? 風俗的なサービスとかは……」
俺が恐る恐る尋ねると、神崎さんはくすりと微笑み、人差し指を自分の唇に当てた。
「ふふ……まあ、そのへんはねぇ」
「……そのへんは?」
「働き始めれば、そのうち分かるよ」
「……」
煙に巻くような答え。だが、その瞳の奥には、素人男を罠に誘い込むような妖しい光が宿っていた。
「とりあえず、うちは人気が出れば一日10万以上稼ぐセラピストも普通にいるから。佐伯くん、身体も引き締まってるし、顔立ちも清潔感あるから……鍛えればかなり化けると思うよ?」
「じ、十万……」
一日で十万。そんな世界があるのか。
喉の奥がカラカラに乾くのを感じた。
「どうする? やってみる?」
「……やりたいです。よろしくお願いします!」
「はい、採用! じゃあ、今から早速、お店(ルーム)見に行こっか。軽い研修もやっちゃおう」
「え、今からですか!?」
「百聞は一見に如かず、でしょ? 行こう」
神崎さんは優雅に立ち上がると、伝票を持ってレジへと向かった。その安産型のみっちりとしたヒップラインを目の当たりにし、俺はごくりと唾を飲み込んだ。
◇
喫茶店を出て、駅から徒歩五分ほど。
大通りを外れた静かな住宅街の中に立つ、築年数の経ったごく普通のマンションの前に到着した。
「……ここですか?」
「そう、302号室。うちの店舗のひとつ」
「あの……これ、普通の賃貸マンションですよね? ここで営業して警察とか近隣から文句言われないんですか……?」
俺が懸念を口にすると、神崎さんはあっけらかんと言い放った。
「まあ、そのへんは上手くやってるから大丈夫大丈夫♪」
(ほんとうに大丈夫なのかな……)
一抹の不安が頭をよぎるが、引き返すタイミングは完全に逃していた。
エレベーターで三階へ上がり、302号室のドアを開ける。
カチャリ。
「どうぞー」
足を踏み入れると、中はシンプルなワンルームだった。
余計な家具はなく、部屋の中央にはドカンと厚手の防水施術マットが敷かれている。棚には大量のタオルと、アロマオイルのボトル。
「うちはマンション型の省スペース店だからね。無駄な経費をかけてない分、セラピストへのバック率が高いの」
「なるほど……」
「よし、じゃあ佐伯くん。まずはシャワー浴びてきて」
神崎さんは部屋の隅にある棚から、用意されていた着替えの袋を取り出した。
「えっ、シャワーですか? 今から?」
「当たり前でしょ。研修でオイル使うんだから。服に付いたら落ちないよ? はい、これに着替えて」
渡された袋を受け取り、中身を確認する。
上が、かなり生地の薄い半袖Tシャツ。
写真や文面から想像していた以上に、薄い。
そして、下は――
「…………は?」
俺の動きが固まった。
手の中にあったのは、黒い、明らかに布面積の異常に少ない布きれ。
「あの、神崎さん」
「ん?」
「これ……なんですか? パンツ……ですか?」
「そうだよ? メンズエステ用の施術パンツ。ブーメランタイプ」
神崎さんはニコニコと、当然のように頷いた。
「え、これ……ほぼ紐じゃないですか!? 履いたら横とか丸見えというか、股間が強調されまくりますけど!?」
「男子セラピストはみんなこれ履いて施術するの。お客さんにオイルがつかないようにね。あと……やっぱり、女性客も目の保養に来てるんだから、スタイルが見えた方が喜ぶでしょ?」
「喜ぶって……そんな、こんな細くて頼りないパンツ……」
「ほらほら、モジモジしない! シャワー浴びて、それ履いて出ておいで。お姉さんがミッチリ、オイルマッサージの基礎を『身体で』教えてあげるから」
神崎さんは妖艶な笑みを浮かべ、俺の背中をポンと叩いた。
薄手のTシャツと、絶望的に細くて頼りない黒のブーメランパンツ。
手の中の布きれを見つめながら、俺は冷や汗を流していた。
金のために飛び込んだ、高収入メンズエステの世界。
……俺は、とんでもない世界に足を踏み入れてしまったのかもしれない。
「……マジかよ」
絞り出すような小さな呟きと共に、俺のメンズエステ研修は幕を開けた。