街道を渡る風は心地よく、緑豊かな木々がサラサラと音を立てて揺れている。
どこかの街でひと仕事を終えた一人の少年が、長閑(のどか)な一本道を軽快な足取りで歩いていた。
背中には、彼自身の体躯ほどもある巨大なリュックサック。
中には多種多様なポーション、応急処置の包帯、解毒薬、果ては戦闘用の高価な各種爆雷や粘着ネットまで、ありとあらゆる物資がパンパンに詰め込まれている。
重さでまともに歩くことすら困難なはずの量だ。
しかし、少年の足取りには一切の重たさがない。
まるで羽根でも背負っているかのように、ぬかるんだ土を踏みしめてリズミカルに進んでいく。
「いやぁ〜、さすがに2倍はふっかけすぎちゃいましたか。失敗失敗っ!」
整った顔立ちにチャラついた笑みを浮かべ、少年——イサミはポンと自分の頭を叩いた。
「『最初から2倍なんて欲張っちゃダメですよ〜?』って、前に母さんにも口を酸っぱくして言われてたのになぁ……。うーん、やっぱり商売は焦っちゃダメですね」
酸いも甘いも噛み分けた母の教えを破り、先ほどの街で出会った裕福そうな初心者パーティ相手に調子に乗って2倍の価格を提示した結果、見事にドン引きされて逃げられてしまったのだ。
「ま、これも良い経験(お勉強)ってことにしましょう! よしっ! 次のお客さんには素直に1.5倍でいって、後から『現地特別出張保証料』って名目でじわじわ上乗せすることにしましょ!」
反省したかと思えば、即座に新たな回収プランを思いつく。
その瞳には、ちゃっかりとした輝き——まるで「¥」のマークのような煌めきが浮かんでいた。
イサミの生業は、冒険者にして自称『歩く道具屋』。
危険なダンジョンや魔物の巣窟へ潜る冒険者たちにとって、回復薬や予備の装備といった「物資の重量」は常に頭を悩ませる課題だ。
だからといって荷物持ち(ポーター)を雇えば、戦闘能力のないポーターの身を守るという新たなリスクとコストが発生する。
そこに目をつけたのが、このイサミである。
『重たいポーションを持ち歩く必要は一切なし! だって僕が全部現地で供給しますから! 自分の身は自分で守れるので、ポーターを護衛する手間もゼロ! 手ぶらで快適、安心と安全をお約束する出張道具屋ですよ〜!』
抜群の愛嬌と軽妙なトークで営業をかけ、相場の1.5倍という絶妙な高値で物資を売りつける。
世渡り上手で憎めない彼のキャラクターも手伝って、この「歩く道具屋」ビジネスはなかなかどうして、実に実りの多い商売なのだった。
「……おや?」
楽しそうに独り言をこぼしながら街道を進んでいたイサミは、ふと足を止めた。
街道の脇に広がる鬱蒼とした茂みから、ガサガサと不穏な葉擦れの音が響く。
次の瞬間、低く濁った唸り声とともに、鋭い牙を剥き出しにした大型の魔物『フォレスト・ウルフ』が2体、躍り出てきた。
街道を通りかかる旅人を狙う、害獣の類だ。
「おわぁっ!? ちょっとちょっと、魔物ですかぁ!? 僕みたいな弱小道具屋を狙うなんて、野蛮すぎますよ〜!」
イサミは情けない声を上げながら、大袈裟に両手を上げて後ずさる。
背中の重そうなリュックを盾にするように身をかがめ、腰の短剣に手を伸ばすものの、その手はプルプルと震えており、いかにも不慣れで腰が引けている。
狼たちは、イサミのその「弱々しい立ち回り」を視界に収めた。
一歩、また一歩と足取りを緩め、完全にイサミを『容易く狩れるカモ』だと認識する。
威嚇の声を上げる必要すら感じないのか、無防備に舐めきった足取りで距離を詰めてくる。
「わ……っ! こ、これでも食らいなさいってば!」
半狂乱になったフリをしながら、イサミはリュックのサイドポケットから小瓶を取り出し、足元へ投げつけた。
破裂音とともに巻き起こる煙幕。
しかし、投げ方が下手くそだったのか、煙幕は狼たちの視界を中途半端に遮る程度でしか効果を発揮しない。
(……うーん、一番安物の簡易煙幕玉、ちょっと湿気てましたか。ま、雑魚相手ならこれで十分すぎるんですけどねぇ)
煙の中で、イサミの内心は恐ろしいほど冷静だった。
パニックを起こしているように見える無駄なバタバタとした動き。
それらはすべて、狼の注意を逸らし、間合いを誤認させ、攻撃パターンを『単調な力任せの跳びかかり』へと誘導するための緻密な仕込みだ。
これぞ、かつての伝説の女剣士の戦術………らしい……。
幼い頃から母親に徹底的に叩き込まれた、心理と間合いを完全に支配する狡猾な罠だ。
狼の1体が、痺れを切らしたように足裏で地面を蹴った。煙を突き抜け、無防備に見えるイサミの喉元を目指して一直線に空中へ跳び上がる。
「勝った」と確信した狼の瞳。
相手が完全に隙を見せ、自らの勝利を疑わないその瞬間——
イサミのチャラついた瞳から、おちゃらけた光がスッと消え去った。
(——。)
跳躍の頂点、空間に縫い付けられたかのような一瞬の静寂。
イサミの踏み込みは、残像すら残さない爆発的な速度だった。
先ほどまでのモタつきが嘘のように、体躯を極限まで低く沈め、狼の錯覚の隙間へと滑り込む。
ギラリと閃く、一筋の銀光。
すれ違いざま、短剣が狼の首筋を寸分の狂いもなく断ち切っていた。
「……ッ!?」
声すら上げられない。着地と同時に崩れ落ちる1体目のウルフ。
残されたもう1体のウルフが、何が起きたのか理解できずに硬直する。
弱小な獲物だと思っていた存在が、一瞬で仲間を切り捨てて立ち上がったのだ。
あまりの緩急に、獣の本能すら処理が追いつかない。
イサミは爆発的な速度のまま、間髪入れずに次の動作へと移行——
(……あ、待てよ?)
——しかけて、ピタリと動きを止めた。
残る狼は、恐怖に尾を巻いて震えている。
イサミはスッと短剣を収めると、先ほど投げ損ねたフリをしたリュックから『高濃度粘着ネット』を引っ張り出し、混乱する狼の顔面へ無造作に投げつけた。
ベチャッ! と強烈な粘着液が狼を地面へ縫い付ける。
「きゃーっ! 助けてー! ……なんてね。ふぅ、あぶないあぶない」
イサミはポンポンと服の塵を払い、いつもの軽い笑顔に戻った。
本気を出して一瞬で仕留めるのは簡単だ。
だが、こんな街道沿いの雑魚相手に自分の真の実力を晒すのは、リスク管理の観点から言えば大赤字。
おまけに武器の刃を無駄に痛めることすら惜しい。
アイテムを使って逃げるか足止めする、それが一番安全で賢い選択なのだ。
「まったく、無駄な体力を使わせちゃって。やっぱり…街で失敗を引きずってるんですかねぇ……」
イサミは倒れたウルフから手際よく素材になりそうなパーツだけを剥ぎ取ると、再び大きなリュックを背負い直した。
「さて! 街道を抜ければ次の街ですね。今度こそ、頼もしくて太っ腹な『お客様』に出会えますように!」
少年はウインクを一発飛ばすと、軽い足取りで再び街道を歩き始めた。
『歩く道具屋』イサミの、ヘラっとした冒険はまだ始まったばかりだ。