裏テラスでの熱を帯びたやり取りを終え、リビングへ戻ってきたイサミとクロエ。
「はーい! というわけで、無事戻ってきましたよ〜!」
イサミがチャラチャラとした調子で両手を広げて見せると、ソファで愛剣のお手入れを再開していたクロエが「バカ言んじゃないわよ」とプイと横を向いた。しかし、その耳たぶはまだ微かに熱を孕んで赤く染まっている。
「お帰りなさいませ、イサミ様」
メルティが美しい所作で深々と頭を下げ、アメジストの瞳を輝かせる。
エリスもまた、完璧な受付嬢の微笑みをたたえながら、一同の真ん中にある重厚なローテーブルへと一冊のバインダーを置いた。
「さて、みなさん。作戦の基本方針も固まったところで、改めて依頼の決行日時についてお伝えしておきますね」
エリスの凛とした声に、リビングの空気がキュッと引き締まった。
「今回の『グラン・グリフォン討伐』ですが……決行は**『3日後』**となります」
「3日後……! 思っていたよりもすぐですね」
イサミが目を丸くすると、エリスは頷きながら手元の羊皮紙を示した。
「ええ。ヴァルシュタイン家側の現地調査隊とギルドの観測班が山岳地帯の陣形を完了させるのが、ちょうど3日後の朝となります。それまでは、グラン・グリフォンの警戒範囲外で待機となるため、私たちが直接動くのは3日後の早朝出発ということになります」
「なるほど〜! 3日間の猶予があるなら、道具屋としても備品の準備や買い出しがバッチリできますね!」
イサミはちゃっかりとした笑顔を浮かべ、目にお金マーク(¥)を浮かべるような仕草を見せた。
「というわけで! 出撃までの3日間は、それぞれ今できる最高の準備を進めましょう! 無駄な怪我や消耗は避けて、万全の状態で金貨60枚を稼ぎに行きますよ〜!」
イサミの明るい掛け声に、メンバーたちもそれぞれの表情で応じる。
「よし! じゃああたしとココは、体を鈍らせない程度にギルドで軽く調整用のクエストを受けてくるわ。Cランク以下の浅い階層なら怪我の心配もないしね」
クロエが愛剣をサヤに収めながら立ち上がると、隣でスコーンを頬張っていたココも「ココも行くー! 火力調整の練習してくるね!」と元気に杖を掲げた。
「お気をつけて行ってらっしゃいませ、クロエ様、ココ様」
「私はエリス様のお手伝いですわ! ヴァルシュタイン家との追加契約書の写し作成と、クランの会計帳簿の精査……イサミ様のお役に立てるよう、完璧に仕上げてみせますわ!」
メルティは気品あふれる立ち姿で胸を張り、アメジストの瞳に情熱を滾らせる。彼女にとって、イサミの力になることこそが生き甲斐なのだ。
「ふふ、頼りにしていますよ、メルティさん。では、私たちは事務室へ行きましょうか」
エリスが優しく微笑み、メルティと共に奥の事務室へと消えていく。クロエとココも「じゃあ、行ってくるわね!」「行ってきまーす!」と元気に大通りへ繰り出していった。
静かになったリビングで、イサミはひとり大きな木製テーブルに腰を下ろした。
「さてさて……道具屋のお兄さんも、お仕事開始と行きますか!」
羊皮紙と羽ペンを取り出し、イサミは『グラン・グリフォン討伐用・備品買い出し表』を書き進め始める。
(グラン・グリフォンといえば、高い飛行能力と強力な前脚の爪、そして咆哮による衝撃波が厄介な大型魔物……。正面からぶつかるクロエさんの負担を減らすには、高濃度煙幕玉と、足留め用の粘着ネット弾が大量に必要ですね)
羽ペンを滑らせながら、頭の中で瞬時に計算を弾き出す。
(ポーションの在庫も補充しておかなきゃ。街の薬局で買い叩いて、現地でクロエさんたちに1.5倍で売りつける……っと。へへ、これもポーター不要の安心出張サービス料ですからね〜!)
一人でニシシと笑みを浮かべながら買い出し表をまとめていると——
トントン、と。
クランホームの重厚な木製玄関ドアから、控えめなノックの音が響いた。
「ん……? お客さんかな? クロエさんたちにしては早いし……」
イサミはペンを置き、チャラチャラとした愛嬌のある笑みを貼り付けながら玄関へと向かった。
「はーい! ようこそ! ……どちら様でしょうか〜?」
扉をギィと開けると、そこに立っていたのは——大きな薬草採取用のリュックを背負った、一人の若い女性だった。
「あの……すみません。こちら、新しい冒険者を募集しているとギルドの掲示板で見かけたのですが……」
おどおどとした様子でフードを深めにかぶり直し、ペコリと頭を下げる彼女。その大きな手提げ鞄からは、調合用のフラスコや乾燥薬草の甘い香りが漂っている。
「私、薬師(ポーション作り)をしている者なのですが……こちらのクランに、加入させていただけないでしょうか……?」
思わぬ『女性の薬師』の来客に、イサミの目にお金マーク(¥)が輝いた。
出撃前のこのタイミングで舞い込んだ新たな出会いに、少年商人の頭脳が高速で回転し始める。
「えっ……薬師(ポーション作り)さんですか!?」
イサミは目を丸くしたのも束の間、一瞬でビジネスモードのチャラく愛嬌たっぷりな笑顔を浮かべた。
自称『歩く道具屋』として現場でアイテムを売りつけるイサミにとって、自前で薬を作れる専属の薬師は喉から手が出るほど欲しい人材だ。
「はーい、大歓迎ですよ〜! 僕、出張道具屋のイサミと申します! ……あっ、面談や手続きは僕よりここの専属事務員さんがいますから、今呼んできますね! ちょっと待っててください!」
イサミはおどおどと身を小さくしている少女をリビングのソファへ案内すると、ダッシュで奥の事務室のドアを叩いた。
「エリスお姉さ〜ん! 大変です、クランの加入希望者さんが来ましたよ! しかも薬師の女の子です!」
「あら……? 募集を出したばかりでしたのに、もう来られたのですか?」
事務室から現れたエリスは、流石は元大手クランの凄腕受付嬢。
瞬時に気品ある笑みをたたえ、洗練された動作で書類とペンを用意すると、リビングの応接セットへと向かった。メルティもまた、興味深そうにその後に続く。
「はじめまして。クランで事務および管理を担当しております、エリスと申します。こちらへどうぞ」
「は、はじめまして……っ! ムラサキと申します……!」
深々と頭を下げた少女——ムラサキは、背負っていた大きな薬草リュックを大事そうに抱え直した。
少し眉根を寄せた不器用そうな表情と、薬草の香りがかすかに漂う雰囲気が特徴的な、素朴ながら可愛らしい女性だ。
エリスが手際よく温かいお茶を差し出し、形式上の面談が始まった。
「では、ムラサキさん。早速ですが、これまでの冒険者経歴や、お持ちの技能についてお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「はい……! 私はこれまでいくつかのパーティーやクランに所属していたのですが……どこに行っても、すぐにクビになってしまって……」
ムラサキはうつむき、キュッと自分のスカートを握りしめた。
「クビ、ですか? 薬師といえば、どのクランでも重宝される存在だと思いますが……」
エリスが不思議そうに首をかしげると、ムラサキは申し訳なさそうに手提げ鞄から小さな木箱を取り出し、テーブルの上へそっと置いた。
「実は……私、普通の『液体ポーション』が作れないんです」
「えっ? 液体が作れない……?」
イサミが思わず身を乗り出す。ムラサキが木箱の蓋を開けると、そこにはカラフルでコロコロとした**小さなお団子のような『固形物』**がぎっしりと詰まっていた。
「私の実家……東方の古い調合術を継承している家系では、これが『ポーション』なんです。これを口に含んで飲み込めば、傷も塞がるし体力も回復するのですが……」
「これ、お団子……ですか?」
メルティがやってきて、アメジストの瞳をパチパチさせて覗き込む。
もちろん、この世界で「ポーション」といえば瓶に入った怪しい液体のことだ。
世色癌(せいしょくがん)という東方の伝承に存在する秘薬なのだが、この地において、そんなマニアックな固形回復薬の存在を知る者は誰一人としていなかった。
ムラサキは半泣きになりながら、肩を落とす。
「はい……。前のクランのリーダーにも『なんだこの得体の知れない泥団子は! 瓶に入った液体のポーションを作れない奴なんて薬師じゃねえ!』って怒鳴られて、一銭も払ってもらえずに追い出されてしまって……。どこに行っても『液体を作れ』って言われるんです……」
「なるほど……世間の常識と違う形をしているからと、正当に評価されなかったわけですね」
エリスは眼鏡の奥の瞳をすっと細め、同情と憤りを混じぜた息を吐いた。
ブラッククランの横暴を嫌というほど見てきたエリスにとって、技術や成果を見ず形式だけで人を切り捨てる連中は許しがたい対象だ。
「でも、ムラサキさん。この『お団子』……回復効果自体は本物なんですよね?」
イサミが目を輝かせながら尋ねる。
「はいっ! 効果は街で売っている高級な液体ポーションと同等か、それ以上です! それに……液体と違ってガラス瓶が割れる心配もありませんし、戦うかたわら口に放り込むだけで一瞬で効果が出ます!」
「……えっ!? 瓶が割れなくて、口に放り込むだけで一瞬で効くんですか!?!?」
イサミの脳内に、衝撃が走った。
(ちょっとちょっと……!? 瓶が割れない=持ち運びの重量が激減! 飲む時間もいらない=戦闘中の隙ゼロ! これ、出張道具屋の主力商品として喉から手が出るほど欲しい神アイテムじゃないですかーっ!?)
イサミの目にお金マーク(¥)が激しく点灯する。世間が無知ゆえに「泥団子」と切り捨てた宝の山が、目の前で涙目になっているのだ。
「す、凄すぎますね!ムラサキさん! ちなみに! ちなみにですが、戦闘とか自衛の方はどうなんですか!?」
「あ、戦闘ですか……!? 私は剣や魔法は使えませんが……薬草の調合過程でできた『自家製の爆薬』を敵に投げつけたり、麻痺粉や毒薬の煙を散布して相手の動きを止めることならできます……!」
「爆薬に! 毒に! 麻痺粉まで!!」
イサミは「ひぇ〜〜っ!」と大袈裟に手を叩いて歓喜した。
「完璧じゃないですか! 足留めもできて、爆発で牽制もできて、瓶の割れない最強の回復お団子まで作れるなんて! どこが使えない薬師ですか、超優秀な一等賞ですよ〜!」
「え……? ほ、本当ですか……!? 気持ち悪いお団子を作る変人だって、追い出されないんですか……!?」
「追い出すわけないじゃないですか! むしろここがクランへようこそですよ!ですよね!エリスお姉さん!」
イサミのちゃっかりとした絶賛に、ムラサキの瞳からぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「う……うぁぁあん……っ! ありがとうございます……っ! 私、精一杯がんばります……っ!」
「ふふ、ようこそ、ムラサキさん」
エリスも優しく微笑み、即座に採用通知の書類を用意した。メルティも「素晴らしい特異技能ですわ! 時代の先を行く先進的な調合術、お見事です!」と拍手を贈る。
(へへへ……金貨60枚の特級依頼の直前に、まさかこんな強力なサポートメンバーが手に入るなんて! 道具屋のお兄さん、ツキまくってますよ〜!)
こうして、新たな仲間『薬師ムラサキ』を迎え入れた。
グラン・グリフォン討伐に向け、出撃へのカウントダウンは着実に進んでいくのだった。