翌日
爽やかな朝の光が、クランホーム『陽だまりの翼』の広々としたリビングに差し込んでいた。
「——というわけで皆さん! 昨日我がクランに舞い降りた、とっても心強い新メンバーを紹介しますよ〜!」
イサミのチャラチャラとした朗らかな声がリビングに響き渡る。
テーブルを囲むように集まったクロエ、ココ、エリス、そしてメルティの視線が一斉に注がれ、イサミの背しろに隠れるように立っていた少女は「ひえっ……」と肩を跳ねさせた。
綺麗な紫色のボブヘアに、東方の面影を残す素朴で可愛らしい袴風の作業着。
背中には自身の背丈ほどもある大きな薬草採取用リュックを背負った少女——ムラサキである。
「あ、あの……! 私、薬師をしているムラサキと申します……! 気持ち悪いお団子しか作れませんけど……昨日イサミさんに拾っていただきました……! 精一杯がんばりますので、よろしくお願いします……っ!」
深々と頭を下げ、おどおどと大きな手提げ鞄を抱きしめるムラサキ。
「あら、可愛い妹分が入ってきたじゃない! あたしはクロエ、前衛の剣士よ。よろしくね、ムラサキ!」
クロエがニッコリと爽やかな笑みを向け、力強く手を差し出すと、ココもスコーンを口に含んだまま「ココだよ! 魔法使い! ムラサキちゃん、よろしくねー!」と元気いっぱいに手を振った。
「メルティ・レ・オルデンブルクと申しますわ。法務や会計など、事務全般を担当しております。どうぞ『メルティ』とお呼びくださいね。素晴らしい調合技術を持つ貴女の加入、心より歓迎いたしますわ」
メルティが優雅にお辞儀をすると、エリスもまた母親のような温かな微笑みを浮かべて前へ出た。
「管理事務を担当しているエリスです。何か困ったことや、調合室の備品で必要なものがあったら遠慮なく言ってくださいね。これからよろしくお願いします、ムラサキさん」
「みなさん……っ! ありがとうございます……っ!」
温かい歓迎に、ムラサキの紫色の瞳がじんわりと涙で潤む。
以前のクランでは「役立たず」「泥団子作り」と罵られて追い出された彼女にとって、この優しさは身に沁みるものだった。
そこへ、イサミがへらっとお茶目な笑みを浮かべながら間に入った。
「あ、ちなみにですねムラサキさん。ひとつだけ覚えておいてほしいことがありまして!」
「は、はいっ! 何でしょうか、イサミさん!?」
背筋をピンと伸ばすムラサキに、イサミは人差し指をチッチッと振ってみせた。
「僕自身はですね、この『陽だまりの翼』の正規メンバーじゃなくて、あくまで『出資者兼ゲスト』という立場なんですよ〜! 頼れる冒険者兼、皆さん専属の出張道具屋イサミくん、とお見知りおきを!」
「えっ……!? せ、正規メンバーじゃないんですか……!?」
ムラサキがぽかんと目を丸くする。
こんなにもクランの中心にいて、全員から絶大な信頼を寄せられている美少年が、ただの「ゲスト」だという事実に驚きを隠せない様子だ。
「ふふ、立場は『ゲスト』ですけれど、イサミくんはこのクランの『主』みたいなものですから、気にしなくて大丈夫ですよ」
エリスがクスクスと可憐に微笑むと、クロエも「そうそう! あたしたちの大事な『道具屋さん』なんだから」とイサミの肩をポンと叩いた。クロエのその瞳には、「特別な男」に対する愛おしさと誇らしさが満ちている。
イサミはへらへらと愛嬌のある苦笑いを浮かべつつ、自身の腰に大きな道具袋を装着した。
「さてさて! ムラサキさんの自己紹介も一通り終わったところで……僕、ちょっとギルドに行ってきますね!」
「あら、ギルドへ? 買い出しではなくてですか?」
エリスが首をかしげると、イサミは目にお金マーク(¥)を浮かべるようなチャラい笑みを深めた。
「ええ! 明後日のグラン・グリフォン討伐に向けた情報収集と、あとは出張道具屋としての仕入れの根回しですよ〜! ギルドの顔役に顔を売っておけば、現地でのポーションの相場跳ね上げ(※1.5倍〜2倍)もスムーズにいきますからね!」
「ちょっと、相変わらず抜け目ないんだから……」
クロエが呆れつつも可笑しそうに笑う。
「ムラサキさん、昨日見せてもらった『世色癌』の試作品、僕が買い出しから戻ったら本格的に量産体制の相談をしましょうね!」
「は、はいっ! 頑張ってたくさんお団子……『世色癌』を丸めておきますっ! イサミさん、行ってらっしゃいませ……っ!」
ムラサキが見せる健気でパッと明るくなった笑顔に見送られながら、イサミは「はーい、行ってきまーす!」とチャラチャラ手を振り、朝の陽射しが眩しいコパンドンCITYの大通りへと足を踏み出したのだった。
♢
朝の柔らかな日差しが降り注ぐコパンドンCITYの大通り。各々の準備のために動き出した仲間たちを見送り、イサミは自慢の大きな道具袋の帯をグッと締め直した。
「よしっ! ギルドでポーション相場の噂を仕込んで、あわよくばヴァルシュタイン家の動向も探っちゃいますか〜!」
チャラチャラとした軽快な足取りで、露店が立ち並ぶ石畳の道を歩いていく。
自称『歩く道具屋』、その実体はクロエたちのクランのゲスト出資者である美少年商人。イサミは通りすがる行商人の荷台や、露店に並ぶ怪しげな素材へ目敏く視線を走らせ、頭の中で瞬時に計算を弾いていた。
(ムラサキさんが作ってくれる固形回復薬『世色癌』……ありゃ本当に革命的ですよ。ガラス瓶の重さがゼロで割れないってだけで、冒険者の生存率は段違い。相場の2倍……いえ、命がかかってますから現場なら3倍で売っても感謝されちゃいますね、へへへ!)
目にお金マーク(¥)を浮かべそうになりながらニシシと鼻の下を伸ばしていると、ふと、人混みの向こうから異様な存在感を放つ人影が歩いてくるのが見えた。
——さらりと揺れる美しい青い髪。
そして何より目を引くのは、その可憐な額の中心で神秘的な輝きを放つ、一粒の鮮やかな真紅のクリスタル。
「ん……? あの青い髪に、額の赤いクリスタル……『カラー』族……?」
人間を強く警戒し、基本的には人里に降りてくることすら珍しい神秘の種族・カラー。額のクリスタルは彼女たちの象徴であり、赤く澄み渡るその輝きは、彼女が清らかな処女である証でもあった。
通常、カラーといえば冷淡で閉鎖的な性格の者が多いはずなのだが——
その青髪のカラーの少女は、なぜか小さな木製の手さげ看板をぶんぶんと振り回しながら、ウキウキとした足取りで街を行き交う人々へ話しかけていた。
「はーい! 誰か私と一緒に森のクエストに行ってくれる人、いませんか〜? 今なら超優秀な弓手(私!)がついてきますよ〜っ!」
「……えぇ?」
イサミは思わず足を止め、目を丸くした。
彼女の名はミラ・カラー。カラー種族としては異例中の異例、驚くほどノリが軽くて陽気な、珍しいタイプの少女だった。
「あっ、そこの君! めっちゃいい装備……じゃなくて、すごく動きやすそうな格好してるじゃない!」
イサミが物珍しそうに眺めていると、ミラの赤いクリスタルが陽の光を反射してキランと光り、すさまじい速度で距離を詰められてしまった。
ふわ寄りと漂うのは、森の澄んだ葉の香りと、ほんのり甘い花の匂い。
「はーい、こんにちはー! 私はミラ・カラー! 気軽にミラって呼んでね! 君、冒険者さんでしょ? 今から暇?」
「ひやぁっ!? ち、ちょっとちょっと! 近いですからミラさん!」
イサミはおどおどと手を振って大袈裟に一歩後退りしてみせた。お茶目でチャラい表情を貼り付けつつ、脳内では瞬時に相手のスペックと立ち位置を計算する。
(カラー族の弓手……! カラーの射撃技術は人間とは比べ物にならないって聞きますし、こんな街中で出会えるなんて相当なレア人材ですよ。それにしても、カラーにしてはノリが軽すぎませんかぁっ!?)
「えへへ、ごめんごめん! いやね、ギルドで『コパンドン近郊の森での軽作業クエスト』を受けようとしたんだけど、一人だと『最低ふたり組で受注してください』って受付のお姉さんに断られちゃってさ〜!」
ミラはぷくーっと頬を膨らませて見せた。額の真紅のクリスタルが、彼女のコロコロと変わる感情に合わせて美しく揺れる。
「ちょうど森の奥でしか採れない特別な木の実と、ちょっとした魔物退治の依頼なんだけど……ねえねえ、君! ポーターか何か? 荷物持ちでも何でもいいから、一緒についてきてくれない!? 報酬はちゃんと山分けするからさ〜っ!」
「え〜? 僕ですかぁ? 僕みたいな弱小道具屋を前線に連れて行こうとしないでくださいよ〜! 普段ならお断りするところですが……」
イサミはへらっと愛嬌たっぷりの営業スマイルを浮かべると、目にお金マーク(¥)をチラつかせた。
(待てよ……? カラー族が探す森の木の実……それってムラサキさんの調合素材として使える激レア薬草の可能性大じゃないですか!? それに、カラーの弓技を間近で見られるなら、今後の魔物戦の参考にもなる……!)
「……ま、頼れる冒険者兼、専属の出張道具屋イサミくんとしては、困っている美少女を放っておくわけにはいきませんからね! 荷物持ち兼アイテムサポートとして、ご同行させていただきましょうかね〜!」
「ほんと!? やったぁ〜〜っ! 話がわかる〜! さすがイサミくんっ!」
ミラはパッと顔を輝かせると、イサミの手をがしっと掴んでブンブンと振り回した。
カラー特有のしなやかな肢体と、屈託のない弾けた笑顔。
イサミは「あはは、腕がもげちゃいますよ〜」とおどけてみせつつ、二人はギルドを一旦後回しにし、コパンドンCITYの門を出て近くの森へと向かうことになったのだった。
♢
コパンドンCITYの西門を抜け、緑豊かな木々が鬱僧と生い茂る郊外の森へと足を踏み入れむと、街の喧騒は一瞬にして消え去り、かわりに鳥の鳴き声と木々が風に揺れるざわめきが二人を包み込んだ。
「う〜ん! やっぱり森の空気は最高だね〜っ! 都会の排気と泥の匂いにはもうウンザリしてたから、生き返る心地だよっ!」
先頭を歩くミラ・カラーは、綺麗な青い髪をなびかせながら深呼吸をし、全身で森の気配を享受していた。
彼女の額で鮮やかに輝く真紅のクリスタルが、木漏れ日を反射してキラキラと幻想的な光を散らしている。
「あはは……ミラさんは元気いっぱいですこと。でもでも、ここは街のすぐ近くとはいえ魔物が出る危険地帯なんですから、あんまり浮かれちゃダメですよ〜?」
その少し後ろを、大きな道具袋を背負ったイサミが、チャラチャラとした調子で追頭する。
情けない笑みを浮かべ、いかにも「気弱な荷物持ち」といった歩調を崩さない。
「大丈夫大丈夫! 魔物が出てきたって、私の弓で一発だから! イサミくんは後ろで私の活躍を指を咥えて見ててくれればいいんだよ〜!」
ミラは背中に背負った木製の美しい長弓を軽く叩き、不敵にニシシと笑ってみせた。
(やれやれ……ノリが軽すぎるカラー族なんて初めて見ましたよ。まあ、カラーの弓技がどれほどのもんか、見学させてもらうとしますか)
イサミはへらへらとした笑顔の裏で、警戒の神経を研ぎ澄ませていた。
森の小道を奥へ奥へと進むこと十数分。目的地である「珍しい木の実」が群生するエリアへと差し掛かったその時だった。
草むらがガサガサと激しく揺れ、不気味な咆哮とともに姿を現したのは、体長二メートルを超える猛獣——小型の「フェザーウルフ」の群れだった。
鋭い爪と鳥のような嘴を持ち、しなやかな四肢で一瞬にして獲物を噛み殺す凶暴な魔物だ。しかも一頭ではなく、三頭。
「ひやぁっ!? で、出たぁ〜〜っ!? 魔物ですよミラさんっ! ちょっとちょっと、僕みたいな弱小道具屋を前線に立たせようとしないでくださいよ〜! ほら、高濃度煙幕玉投げときますから逃げますよっ!」
イサミは情けない大声をあげて頭を抱え、ポケットから自慢の煙幕玉を取り出そうとおどおどと身をすくめた。
弱小な道具屋としての「完璧な演技」である。
だが——
「え? 煙幕? なにそれ、そんなの必要ないってば!」
パンッ——!!
乾いた高音が森に響き渡った。
次の瞬間、イサミの思考が一瞬フリーズした。
ミラの手にいつの間にか長弓が握られていた。
弦を引き絞る動作すら目視できない。
一瞬の残像。
彼女の手元から放たれた一本の矢は、空気を引き裂く重低音とともに一直線に走り——先頭のフェザーウルフの眉間を完璧に穿ち抜いていた。
「ガァっ……!?」
即死である。
倒れる間すら与えられず、魔物は突進の勢いのまま地面を転がった。
「え……?」
イサミが目を丸くする間にも、ミラの「人間技ではない弓術」が爆発した。
通常、弓矢というものは姿勢を正し、狙いを定め、弦を引き絞って放つものだ。
だがミラの動きには「溜め」が一切存在しない。
流れるような体捌きで背の矢筒から矢を抜き取るやいなや、ほとんど構えもせずに連続で弦を弾く。
シュババババッ!!
「ギャンっ!?」
「グオッ!?」
残りの二頭のフェザーウルフの目と喉元に、正確無比な精度で矢が吸い込まれていく。
一切の無駄がない、あまりにも美しく恐ろしいまでの連射性能。
人間の射手ならば熟練のCランク冒険者であっても一呼吸に一発が限界のところを、ミラは一秒の間に三本の矢を射ち尽くしていた。
「ふ〜う! 楽勝楽勝っ! ほらね、言ったでしょ? 私に任せておけば安全だって!」
ミラは弓をクルリと回転させて背中に収め、額の真紅のクリスタルを誇らしげに輝かせながら、えっへんと胸を張った。
衝撃的な弓技を目の当たりにしたイサミは、冷や汗をかきながらへらへらと拍手を送った。
「す、すご〜い! さすがカラー族の射手さんです! 強い、強すぎますよミラさん〜!」
口では絶賛しつつも、イサミの頭脳(商人脳)は即座に別の不都合な事実に思い至っていた。
(……待ってくださいよ? ミラさんが強すぎる……というか、弓一本で全部瞬殺されちゃったら……僕の出張道具屋としての出番、ゼロじゃないですかーっ!?)
イサミは手元のアタッチメントと道具袋を見つめ、ガックリと肩を落とした。
(高濃度煙幕玉も、足留め用の粘着ネットも、回復ポーションすら一枚も売れない……! 僕がわざわざここまで荷物持ちとしてついてきて、得られるのはなにもなし……。これ、アイテムの損耗はないとはいえ、時間と労力を考えたら**『だいぶ赤字』**ですねぇ……!)
目にお金マーク(¥)を浮かべるどころか、ガチの落ち込みを見せる少年商人。
出張価格1.5倍〜2倍のぼったくり利益を見込んでいたイサミにとって、同行者がノーダメージかつ完璧すぎる戦力を持っているというのは、営業面において致命的な誤算だったのだ。
(はぁ〜あ。これじゃただの散歩ですよ。……ん?)
その時だった。
嘆きかけていたイサミの背後、わずか数メートルの至近距離で、草むらが「カサリ」と微かな音を立てた。
(……気配!?)
イサミの背筋に、冷たい気配が走る。
ミラは少し離れた場所で目標の「木の実」を摘み取るのに夢中になっており、こちらに完全に背を向け、鬱蒼とした大木の陰に入っていた。
(よし、ミラさんからは死角……! どんな魔物か知りませんが、念のためおどおど逃げる演技をして——)
イサミがいつもの気弱な道具屋を演じようと身をすくめ、チラリと視線を背後へ向けた——その瞬間だった。
そこにいたのは、黄色い円筒形の土の胴体に、虚無の点のような目を開けた土人形。
手に短い剣を握りしめ、「ハニー♪」と素っ頓狂な声をあげて立ち尽くす、あの不快極まりない造形物。
——ハニー。
その姿を目に捉えた瞬間、イサミの脳裏に、幼少期から母によって幾度となく叩き込まれた**至高の金言(呪い)**が激しくフラッシュバックした。
『いいですか?イサミ。ハニーなんてものはですね、この世で最も害悪なゴミ! ゴキブリ以下の泥人形なんですよ!! 見つけたら一秒でも早く、跡形もなく粉砕してください! 一粒の塵も残しちゃ駄目ですからねッ!!』
(……ハニー……っ!!!!)
幼い頃から毎日のようにその怨嗟を聞かされて育てられたイサミにとって、ハニーは魔物ですらない。**「この世で最も不潔で不快な、見つけ次第絶対殺殺対象の害虫(ゴミ)」**であった。
ゴキブリを見るかのような激痛レベルの生理的嫌悪感と、殺意。
(ミラさんからは……見えてない……よし!!)
スイッチが入った。
普段のちゃっかりしたお茶目な顔も、弱小道具屋の情けない演技も、一切合切が吹き飛んだ。
イサミの瞳が、凍りつくような冷絶な殺気で満ちる。
「死ねゴキブリがぁぁぁッ!!!!」
声すら出さぬ無音の怒号。
爆発的な超踏み込み。イサミの足元で地面が爆発したかのように土煙が弾けた。
母から仕込まれた殺戮術。そして旅立つ時に渡された短剣。
不潔な泥人形に対する純粋な絶対殺意を乗せ、イサミは限界を超えた超高速領域へと突入する。
「ハニ……!?」
ハニーが間抜けた顔をイサミへ向けたその一瞬には、すでにイサミはハニーの至近距離に肉薄していた。
シャキシャキシャキシャキシャキンッッ!!!!
袖口から滑り出た一刃の短剣が、人の目では視認不可能な超高速の連続刺突と斜断を描く。
一本の短剣から放たれたとは思えない、数十枚の刃の嵐。
「ハニッ!? ハニ……っ!?」
「粉砕! 滅絶! !!」
硬いはずの土の胴体が、イサミの憎悪を込めた精密な連続微細断ちによって、まるで豆腐のように切り刻まれていく。首を落とし、胴体を八つ裂きにし、四肢を細切れにし、最後は核となる土の心臓部を短剣の柄頭で**ドギャッ!!**と叩き潰した。
「ハニー」と呼ばれていた不快な物体は、微塵切りにされた黄色い土の粒子へと変貌し、空中で爆散した。
「ハァ……ハァ……っ! 汚らわしい…………ッ!」
短剣を滑らかに袖口へ収め、ハニーの破片すら服につかないよう風圧で弾き飛ばすイサミ。
額にはうっすらと青筋が浮かんでいたが、すぐさま周囲の気気を確認する。
ミラはこちらを振り返っていない。木の実を収穫するのに夢中だ。
(……ふぅ。危ない危ない。ハニーへの殺意で正気を失うところでした……。母さんの教え通り、死角で即座に完全粉砕できて良かったです……)
すーっと息を吐き出し、一瞬で「チャラチャラとした愛嬌たっぷりの美少年商人」へと表情を切り替えるイサミ。
「はーい、ミラさ〜ん! 木の実の収穫、順調ですか〜? 僕、後ろで小石につまずいて転びそうになっちゃいましたよ〜っ!」
何事もなかったかのようにへらへらと手を振るイサミの足元には、塵となったハニーの残骸が、虚しく森の風にさらわれて消えていくのであった。
♢
「ふ〜うっ! 採れた採れた〜っ! 見て見てイサミくん、目的の『月光の実』、大豊作だよ〜っ!」
木々の陰からひょっこりと顔を出したミラ・カラーは、両手いっぱいに抱えた青光りする木の実を掲げて、無邪気な満面の笑みを咲かせた。
額に鎮座する真紅のクリスタルが、彼女の弾けるような歓喜と同調するように、キラキラと眩しく揺れている。
「わあぁ〜! 本当ですね、ミラさん! すっごい量です! 頼れる弓手さんは採集作業も一流ですね〜っ!」
イサミは一瞬前の「殺戮者」の顔など微塵も感じさせず、お茶目でチャラい営業スマイルを完璧に張り直して手を叩いた。
「へへ〜ん、当然でしょ! カラーの森の知恵を舐めてもらっちゃ困るな〜! よーし、これで今日のクエスト目標は完全クリア! 思ったより早く終わっちゃったし、さっさと街に戻って報酬山分けにしようか〜っ!」
「はーい、大賛成です! 僕みたいな弱小道具屋は、早く街の安全な場所に帰りたいですからね〜!」
軽快な調子で会話を交わし、二人は青々と茂る森の小道をコパンドンCITYへ向かって歩き始めた。
先頭をルンルンとした足取りで進むミラと、その後ろを大きな道具袋を背負っておどおどと追従するイサミ。
一見すれば、強靭で可憐なカラーの弓手に守られた、気弱な行商人の少年という絵面そのものだ。
しかし——。
街への帰路、木々が少しずつ疎らになりかけた街道の手前で、ミラがふと足を止めた。
「ねえねえ、イサミくん」
「はい? なんですかミラさん? もしかしてまた魔物ですかぁ!?」
イサミは大袈裟に肩を竦め、頭を抱えるフリをしてみせた。
だが、振り向いたミラの表情には、先ほどまでの無邪気な笑顔とは一味違う、どこか意地悪で悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。
額の真紅のクリスタルが、妖しくチカチカと光を放放っているように見えた。
「でさぁ……ハニーのこと、そんなに嫌いなの?」
「……………………え?」
イサミの動きが、完全にピタリと止まった。
お茶目な笑顔のまま固まるイサミ。脳内で何かが猛スピードで逆回転を起こす。
(え? いま、なんて言いました……? ハニー……? え? 見られてた……!? いや、でも僕、完璧に死角に入ってましたよね!? 視線も気配も、絶対に届かない位置で処理したはずじゃ——)
冷や汗が背中をダラリと伝い落ちる。
弱小道具屋の面皮が、今にもペリペリと剥がれ落ちそうになるのを必死で耐えながら、イサミはへらへらと愛嬌のある苦笑いを引きつらせた。
「や、やだなぁミラさん! ハニーって、あの黄色い土人形の魔物のことですか〜? 僕、そんなの見てませんよ〜? さっき小石につまずいてドタバタしちゃっただけ……」
「ううん、見てないよ」
ミラはあっけらかんと言い放ち、自身の尖った綺麗な耳を指先でぽんぽんと叩いてみせた。
「目では見てない! 私、木の実摘むのに夢中だったし! でもね〜、カラーって耳も鼻もすっごく良いし、森の中の『気配の揺らぎ』にはめちゃくちゃ敏鋭なんだよね〜」
ミラはイサミへ一歩近づくと、悪戯っ子のように覗き込んできた。
「さっきまで『ひやぁ〜助けてくださ〜い』って弱々しい気配だった君がさ、急に『殺すッ!!』みたいな、森の猛獣も裸足で逃げ出すレベルのヤバい絶対殺意を破裂させたでしょ? で、次の瞬間に『ハニー♪』って間抜けな気配が微塵切りになって消えた。……隠せてるつもりだったの、イサミくん?」
「〜〜〜〜っ!?」
イサミは絶句した。
(カラーの野生の勘……っ! 視覚の死角をとったところで、気配の爆発までは隠しきれていなかったなんて……っ!)
完璧だと思っていた自分の弱者演劇が、最初から完全に筒抜けだったという事実。
イサミの顔からチャラチャラとした余裕が消え去り、頭を抱えてガックリと肩を落とした。
「……あ〜あ。完璧に隠せてると思ったのに、道具屋のお兄さんの面目丸潰れですよ〜……」
イサミはへろへろと情けない溜息をつくと、観念したように頭をかいた。
いつもの丁寧で敬語混じりのチャラい口調は維持しつつも、自嘲気味な苦笑いを浮かべる。
「……まぁ、白状しますとね。嫌いなんですよ。嫌いというか……もう、存在そのものが虫唾が走るほど生理的に無理なんです」
「へえ〜! やっぱり!」
「母に幼い頃から『ハニーは見つけ次第、一粒の塵も残さず殺滅してくださいっ』って叩き込まれて育ったんですよ。だから……人の目が届かないと分かった瞬間、つい身体が勝手に全精力を注ぎ込んで粉砕しちゃうんです」
普段のちゃっかりした商人らしからぬ、本気で不快そうな表情を浮かべるイサミ。
すると、それを聞いたミラの瞳が、ポンッと弾けたように輝いた。
「あははははっ! な〜んだ、そういうことだったんだーっ!」
ミラは大爆笑しながらイサミの背中をパシパシと力強く叩いた。
「いや〜、すっごくわかるよイサミくん! 実はね、私たちカラーもハニーのこと、みーんな大ッ嫌いなんだよね!!」
「えっ……? カラー族の皆さんも、ハニーが嫌いなんですか……!?」
思いがけない言葉に、イサミは目を丸くした。
「当たり前じゃない! あの黄色くて不気味な土人形、森のキレイな景観を台無しにするし、わけのわからない動きで絡んでくるし、何より可愛くない! カラーの森に迷い込んできたら、みんなで総出で射ち落として粉々にするんだから!」
ミラは額の真紅のクリスタルを誇らしげに輝かせ、フンと鼻を鳴らした。
「だからね、さっきのイサミくんの怒涛の連続斬り、気配だけで『最高にスカッとするな〜!』って思ってたんだよ! あんなゴミ人形、跡形もなく消し飛ばして当然でしょっ!」
「ミ、ミラさん……っ!」
イサミの目が、一瞬でパッと輝いた。
この世界において、あの害虫・ハニーに対する激しい殺意をここまで理解し、全肯定してくれる存在に巡り合えるとは。
母の教えを理解してくれる同志を得たかのような、妙な感動がイサミの胸に沸き起こる。
「最高ですねミラさん……! 僕、カラーの皆さんとこんなに心が通じ合えるなんて思ってもみませんでしたよ〜っ!」
「でしょでしょ〜!? ハニーを躊躇なく惨殺できる人に悪い奴はいないからねっ! よーし、イサミくん! 君のこと、一気に気に入っちゃったぞ〜っ!」
ミラはガシッとイサミの肩を抱き寄せ、ニシシと弾けた笑顔を見せた。
カラー特有のしなやかな肢体から漂う澄んだ森の香りに、イサミは一瞬ドギマギしつつも、ちゃっかりとしたお茶目な笑みを取り戻した。
「へへ、光栄ですね〜! 頼れる弓手さんに気に入っていただけたなら、出張道具屋としても大収穫です!」
「あはは! じゃ、ハニー撲滅同盟の成立を祝して、街に戻ったら美味しいものでも奢ってよ、イサミくん!」
「えぇ〜!? なんで僕が奢る側なんですか!? 報酬はヤマワケって言ったじゃないですか〜!」
「細かいこと気にしないのっ! ほら、さっさと歩いた歩いた〜!」
ワイワイと賑やかに笑い合いながら、二人はコパンドンCITYの正門を目指して街道を歩んでいく。
予期せぬ「ハニー嫌い仲間」としての意気投合。
そして、カラー族の圧倒的な弓技と気配察知能力を間近で体感したこの出会いが、さらなる大きな波乱と展開を呼び寄せることなど、この時のイサミはまだ知る由もなかった。