街というものは、人が集まれば集まるほど「欲」と「怠惰」と「無駄」がうごめくようにできている。
交易都市コパンドンCITY。
午後の日差しが石畳を柔らかく照らし、噴水広場からは子供たちの歓声と、露店から漂う香ばしい串焼きの匂いが風に乗って運ばれていた。
昨日ギルドでの初仕事を上々に終えたイサミは、街の目抜き通りに面したオープンカフェのテラス席で、のんびりと木苺の果汁を浮かべた冷たい紅茶を啜っていた。
「ふぅ〜……。やっぱり、汗をかいた後の冷やし紅茶は五臓六腑に染み渡りますねぇ」
背中には、相変わらず自分の体躯ほどもある巨大なリュックサック。
それを椅子の隣にドカリと鎮座させ、イサミは優雅に脚を組んで頬杖をつく。
見た目はチャラチャラとした美しい少年。
通行人の町娘たちがちらちらと視線を送ってくるが、イサミの内心にあるのは甘酸っぱい恋心などではなく、完璧に弾き出された「収支計算」だけだった。
(クロエさんとココさんからの初回回収額は、金貨2枚と大銀貨8枚……。出張手数料1.5倍を適用したとはいえ、仕入れ値と簡易煙幕の破棄分、それに僕の労力を考えたら、まだまだ『純利益』としては伸ばし甲斐がありますねぇ)
イサミはお茶目に口角を上げると、懐から小さな革手帳を取り出し、ソロバンを弾くような指つきで数字をペンで書き込んでいく。
「さてさて、次の『太っ腹なお客様』を探さなきゃですね。あの二人も可愛い良顧客ですけど、一組のパーティだけに依存するのはリスク管理として落第点。『歩く道具屋』の事業展開としては、同時に複数の顧客を抱えてこそ、真の不労所得……じゃなくて、安定収入が得られるというものです!」
イサミは悪戯っぽくウインクを一発飛ばすと、紅茶を飲み干し、巨大なリュックをくいっと担ぎ直して立ち上がった。
向かうは、二度目となる冒険者ギルド。
昼下がりのギルドは、午前のクエストを終えたパーティや、これから夕刻に向けて一稼ぎしようと目論む冒険者たちで、午前中とはまた違った熱気に包まれていた。
「やぁやぁ、みなさんお疲れ様です〜!」
イサミはギルドの重厚な扉を叩くように開けると、抜群の愛嬌と通る声で挨拶を振りまいた。
「手ぶらで快適、安心と安全をお約束する出張道具屋、イサミですよ〜! ポーションの重さに悩んでいるパーティはありませんか〜? 今なら初回出張費無料で、現地後払いシステムやってますよ〜!」
しかし、ギルド内にたむろする荒くれ者たちは、イサミのそのチャラついた姿と巨大リュックを見て、鼻で笑うばかりだった。
「ケッ、なんだあのガキ。道具屋かポーターか知らんが、色目使って商売しようとしてんじゃねえよ」
「おいおい、あんなデカいリュック背負ってダンジョン入ったら、一瞬で魔物の餌食だぞ?」
「ハハハ! 自分の身も守れねえようなガキを連れてく余裕なんてねえよ!」
あちこちから飛んでくる心ない罵倒と冷笑。
普通なら凹むか腹を立てるところだが、イサミの瞳には欠片ほどのダメージも浮かんでいなかった。
どころか、彼の頭の中では冷徹な「品定め」が急速に行われている。
(ふむふむ、あの斧使いの集団はプライドばかり高くて財布が軽そう。あの魔法使いのパーティは……身内意識が強すぎて新参者を受け入れないタイプですね。……おや?)
ギルドの奥、大型の討伐依頼が貼り出されている「Bランク以上専用掲示板」の前で、一際の異彩を放つ男女のペアが目にとまった。
男の方は、身の丈を超える大剣を背負った、ガタイの良い重戦士。
鋭い眼光と鍛え上げられた筋肉、そして全身に刻まれた数々の小傷が、彼が数々の修羅場を潜り抜けてきた熟練者であることを物語っている。
女の方は、体に極限までフィットした革の軽鎧を纏った、妖艶な雰囲気を漂わせる弓闘士。
豊満な胸元を大胆に覗かせ、腰には上質な長弓と、特殊な矢が詰まった矢筒を下げている。
二人の装備は手入れが行き届いており、醸し出す雰囲気は明らかに他の新人冒険者たちとは一線を画していた。
(……ほう? あの二人、装備の質感からしてかなりの上位冒険者ですね。金払いは良さそう……だけど、二人組(タッグ)でBランクの『赤嶺の巨岩竜』の討伐シートを見てる……?)
イサミの目が、目ざとく二人の立ち振る舞いを観察する。
「おい、ガッツ。本当にこの『赤嶺の巨岩竜』を受注する気か? 二人だけじゃ、討伐はできても予備の矢と回復薬の量がカツカツだぞ」
女弓闘士——ルーシーが、呆れたようにため息をつきながら大剣士の男——ガッツの肩を突いた。
「心配すんなって、ルーシー。俺の斬撃で一気にコアを割れば、長引かずに済む。ポーションだって、俺が背のうに持てる限界まで詰めていけば問題ねえ」
「ばか言わないでよ。あんたがポーションでパンパンになったリュック背負って、あの竜の火炎ブレスをかわせるわけないでしょ? 動きが鈍くなって潰されるのが落ちよ。……ちっ、腕の立つポーターでも雇えりゃいいんだけど、急な指名依頼で出す金にも限界があるし……」
ルーシーが不機嫌そうに舌打ちをし、美しい脚を組み替える。
二人の会話を、イサミは見逃さなかった。
(……はい、ターゲット補獲〜!)
イサミの瞳の奧で、ちゃっかりとした「¥」の輝きがキラリと閃く。
二人組のタッグパーティ。
実力は折り紙付きだが、役割分担が極端なため、物資の保持量と移動速度のトレードオフ(相克)に悩んでいる。
そして、無駄な人員を増やしたくないプライドの高さ。
まさに、自分のためにあつらえられたような「上顧客」ではないか。
イサミは口角をいたずらっぽく上げると、極めて自然な、どこか軽薄で親しみやすい歩調で二人の懐へと滑り込んでいった。
「やぁやぁ! お兄さん、お姉さん! なにやら高級そうな依頼の前で、魅力的なお悩みを抱えていらっしゃるみたいですねぇ〜?」
「……あ?」
大剣士のガッツが、不快そうに太い眉をひそめて振り向いた。見下ろす巨体と、圧迫感のある目力。
並の冒険者ならそれだけで気圧されるところだが、イサミはニカッと爽やかな笑みを崩さない。
「なにお前。ガキが首突っ込んでんじゃねえよ。用がないならあっち行きな」
「まあまあ、そう仰らずに! 聞く気はなかったんですけどぉ、お二人ほどの腕利きが『物資の重量』でお悩みだと耳に挟みまして! はい、そこで登場するのがこの僕! 旅の冒険者兼、自称『歩く道具屋』のイサミですよ〜!」
イサミは背中の巨大リュックをポンポンと叩いて見せた。
ルーシーが、細い眉をひそめてイサミを上から下まで品定めするように見つめる。
「歩く道具屋……? さっき入口でバカみたいな大声出してたガキね。あんた、あたしたちが何の依頼に行こうとしてるか分かって言ってんの? 『赤嶺の巨岩竜』よ? 辺り一面、灼熱の岩場と毒気で満ちた危険地帯。ポーターなんて連れて行ったら、一瞬で蒸し焼きよ」
「いえいえ、お姉さん! 勘違いしないでくださいね?」
イサミは人差し指をチチチと振って、お茶目にウインクしてみせた。
「僕はただの『荷物持ち(ポーター)』じゃありません! 冒険者ライセンスを所持した『出張道具屋』です! 重たいポーションも、巨岩竜の火炎を和らげる冷却剤も、高価な特効薬も、全部この僕が現地へ持ち込みます! お二人は完全手ぶらで、万全の戦闘力を発揮するだけでいいんですよ〜!」
「……手ぶらだと?」
ガッツがピクリと反応した。
「そう! 手ぶらです! お兄さんは重たいリュックを背負わずに全力で大剣を振り抜ける! お姉さんは矢の残量を気にせず、軽やかに身を躍らせて矢を放てる! そして、自分の身は自分で守れるので、お二人が僕を護衛する手間もゼロ! どうです? 夢のような話でしょう〜!」
イサミは自信満々に胸を張り、両手を広げてみせた。
ルーシーは冷ややかな目でイサミを見つめ、フッと鼻で笑った。
「うまい口調ね。でも、そんな都合の良い話があるわけないでしょ。日当はいくら取る気? あたしたち、無駄な金を出せるほど甘くないわよ」
イサミは待っていましたと言わんばかりに、ニヒッとちゃっかりした笑みを深めた。
「日当? そんな野暮なものはいただきませんよ〜! 無料(タダ)です! 完全タダ!」
「「タダ……!?」」
ガッツとルーシーが同時に声を上げる。
「ええ! ただし……現地で僕から購入していただくアイテムの代金は、街の相場の『1.5倍』とさせていただきます! 出張保証料と、安心の命の保険代ってことで……ね?」
「……1.5倍だと?」
ガッツの額にピキッと青筋が浮かぶ。
「ふざけんなガキ! 足元見てんじゃねえぞ!」
「お兄さん、お兄さん! 落ち着いてください!」
イサミは手をお手上げのように広げ、お姉さんたちをからかうような悪戯っぽい表情を浮かべた。
「考えてもみてくださいよ? ポーターを1人雇う日当、事前大量購入のリスク、そして何より『重さによって戦闘力が落ちて怪我をするリスク』……それらを全部僕が肩代わりするんです。使った分だけ後払い。怪我をせずにサクッと討伐して金貨を稼げるなら、1.5倍なんて実質タダみたいなものじゃないですか〜?」
「……チッ」
ガッツは言葉に詰まった。イサミの言っていることは、あまりにも屁理屈のようでいて、完璧なロジックが通っていたからだ。
ルーシーが、ふっと妖艶な笑みを浮かべてイサミに近づいてきた。指先でイサミの顎をちょんと突く。
「へぇ……口の減らない可愛いボウヤね。でも、あんた本当に『足手まとい』にならないでしょうね? もし足引っ張ったら、アイテム代どころか、あんたを肉壁にして逃げるわよ?」
「ひやぁ〜! お姉さん、目が笑ってなくて怖いです〜!」
イサミは情けない声を上げて大袈裟に身をすくめて見せた。
「でもご安心を! 逃げ足と生存能力だけは、うちの厳しい母さんにみっちり仕込まれましたからね! 絶対に足は引っ張りませんよ〜!」
「……ふん。面白いわ。ガッツ、乗ってみない? どうせ物資の限界で悩んでたんだし、この生意気なボウヤを試してみるのも悪くないわよ」
ガッツはしばらく腕を組み、イサミを睨みつけていたが、やがて重い溜息を吐いた。
「……分かったよ。ただし、泣き言を言っても絶対に助けねえからな!」
「はいはーい! ご注文成立、ありがとうございますっ! 頼れる命の保険屋さん、イサミにお任せください〜!」
イサミはお茶目に敬礼してみせた。
(よしっ! Bランクパーティの顧客確保! 巨岩竜の討伐なら、高価なバフ薬や冷却剤が飛ぶように売れますねぇ……ふふふ、今日の利益は過去最高更新ですよ!)
内心で目にお金マークを浮かべながら、イサミは二人の後ろをついて行った。
◆
コパンドンCITYの南に位置する『赤嶺(せきれい)の山脈』。
荒々しい赤茶けた岩肌が露出し、至る所から熱気と硫黄の匂いが立ち込める危険地帯だ。
「暑いわね……。やっぱりここはいつ来ても嫌な場所だわ」
ルーシーが汗ばんだ額を拭いながら、不快そうに眉をひそめる。
「へへっ、お姉さん! そんなこともあろうかと、用意してありますよ〜!」
イサミは背中の巨大リュックからスルリと小瓶を取り出すと、二人に向かって差し出した。
「特製『清涼メントールポーション』! 飲むだけで体内からひんやり涼しくなり、熱中症や発汗による体力消耗を防ぎます! 街なら中銀貨5枚のところ、出張価格で中銀貨7枚と銅貨5枚になりまーす!」
「手際が良すぎて腹が立つわね……」
ルーシーは文句を言いながらも薬瓶を受け取り、一気に飲み干した。
「……ん! んぁ……っ、なにこれ、すごい冷たさが駆け抜ける……! 汗が一気に引いていくわ!」
「どれ、俺にもよこせ!」
ガッツも一気に煽り、感嘆の声を漏らした。
「うおっ……! 全身の熱気が吹き飛ぶみてえだ! すげえなこの薬!」
「ふふん、でしょう〜? 歩く道具屋のラインナップに抜かりはありませんよ!」
イサミはニカッと鼻高々に胸を張る。
(よしよし、出足から清涼ポーション2本分の売上ゲットです)
一行は赤嶺の入り口を抜け、さらに奥の岩場へと進んでいった。
ゴツゴツとした岩壁と鬱蒼とした枯れ木が乱立する迷宮のような道。巨岩竜の棲み家とされる『断崖の谷』までは、まだしばらく歩く必要があった。
しばらく進んだところで、ガッツが足を止めた。
「おい、ルーシー。ちょっと休憩にしようぜ。この先は本格的な竜の縄張りだ。装備の最終チェックをしておきたい」
「そうね。ボウヤ、あんたもそこで休んでなさい」
「はーい! お任せくださーい!」
イサミは言われた通り、近くの大きな岩の陰にリュックを下ろし、どっかりと腰掛けた。
「俺はあっちの茂みの奥で、少し風に当たってくる」
「あたしも行くわ。装備の調整を手伝って頂戴」
ガッツとルーシーは、二人で連れ立って街道から少し外れた鬱蒼とした茂みの奥へと消えて行った。
(ん……? 装備のチェックなら、ここでやればいいのに……)
イサミは首を傾げたが、すぐに「まあ、二人だけの作戦会議でしょうかね」と深く追及するのをやめた。顧客のプライベートに踏み込まないのも、プロの道具屋としての嗜みだ。
イサミは手帳を取り出し、ここまでの経費と売上の計算を始めた。
「清涼ポーション2本で、中銀貨15枚の売上……仕入れ値は……ふむふむ、利益率は約40%。悪くない滑り出しですねぇ。この後の巨岩竜戦で、どこまで高価な冷却バフ玉を売りつけられるかが勝負所……」
カリカリとペンを走らせていた、その時だった。
風に乗って、茂みの奥から微かな「音」が聞こえてきた。
「……んっ……あ……ガッツ……そこ、ダメ……」
「……くっ、ルーシー……お前、こんな場所で……」
「……だって……あんたが……冷やす薬なんて飲むから……体が熱くなっちゃったじゃない……」
「……言い訳すんな……ハァ……ハァ……」
衣類が擦れ合うカサカサという音。
荒い息遣い。
そして、明らかに戦闘や装備チェックとは異なる、湿り気を帯びた艶っぽい喘ぎ声。
「……おや?」
イサミはペンを止め、パチクリと目を瞬かせた。
耳を澄ますまでもない。茂みの隙間から、ちらりと見えた。
服を半ば崩したルーシーが、岩に背を預け、ガッツの太い首に回した手で彼を引き寄せている姿が。
真昼の太陽が注ぐ灼熱の岩山で、二人は情熱的に唇を重ね合い、互いの肌を貪り合っていた。
(……あー)
イサミの思考が、一瞬だけ停止した。
(お昼の最中に……こんな茂みで……なるほど、タッグパーティってそういう『タッグ』でもありましたか)
イサミの顔から、一瞬でお茶目なおちゃらけた光が消え、至極「無」の表情になった。
普通なら、年相応の少年であれば顔を真っ赤にして狼狽えるか、気まずそうに逃げ出す場面だろう。
あるいは、覗き見の背徳感にドギマギするのかもしれない。
しかし、イサミという少年は、そういう意味での「世間一般の情緒」が著しく欠落していた。
彼を育て上げた母が、そういう青臭い反応を許さない極めてドライで現実的な教育を叩き込んだからだ。
(……まあ、大人の嗜みに口を挟むのは野暮ですからね)
イサミは完璧な「スルー」を決め込んだ。
動揺するどころか、嫌悪感すら示さない。ただ冷静に、視線を自分の手帳へと戻した。
(というか……さっき僕が売った『清涼メントールポーション』、体は冷えるけど、血行が良くなりすぎて逆に発情作用(媚薬効果)が微かに副産物として出ちゃうんですよねぇ。……あ、原因僕ですか? いやいや、需要と供給が合致したってことで、むしろ感謝してほしいくらいです)
イサミは「ふぅ」と小さなため息をつくと、ペンを走らせる音すら殺し、完全に気配を消して手帳の計算を再開した。
茂みの奥からは、さらに激しくなる打撃音と衣類の擦れる音、そしてルーシーの甲高い歓喜の悲鳴が聞こえてくる。
「っ……あぁんっ! ガッツ……すごい……っ!」
「ルーシー……ッ! お前……締め付けすぎだ……!」
(うーん、ガッツさん、大剣士だけあって下半身のスタミナもBランクですねぇ。ルーシーさんも弓闘士の柔軟性が活きてます。……あ、ダメダメ。思考が無駄な方向に行ってる)
イサミは頭を振り、無の境地でソロバンを弾き続けた。
約二十分後。
ガサガサと茂みが揺れ、息を整えたガッツと、どこかすっきりとした艶やかな表情のルーシーが戻ってきた。
ルーシーの髪は少し乱れ、胸元の革鎧が心なしか緩んでいる。
「ふぅ……すまん、待たせたなイサミ。装備の調整に手間取った」
ガッツが何事もなかったかのように、爽やかな(?)汗を拭いながら声をかけてくる。
「いえいえ〜! 全然問題ありませんよ〜!」
イサミは一瞬で「いつものお茶目でチャラい美少年」の笑顔を貼り直し、クルリと振り向いた。
「お二人とも、すごく『エネルギー』が充填されたみたいで良い顔をしてますね! これなら巨岩竜なんて一ひねりですよ〜!」
「っ……!?」
ルーシーが一瞬、ビクッと肩を揺らし、怪しむようにイサミの顔を覗き込んできた。
「あんた……何か聞いたの?」
「え? 何かってなんです? 僕はここでずーっと、売上の計算に夢中でしたけど?」
イサミは一切の動揺を見せず、完璧な無知の瞳(ウインク付き)でルーシーを見つめ返した。その仕草には一切の嫌みも、動揺も、隠し事の気配すらない。完璧な「プロの対応」だ。
ルーシーはしばらくイサミの顔を凝視していたが、やがてフッと力を抜いて笑った。
「……ふん、ならいいわ。さあ、行くわよ。討伐をサクッと終わらせて、街に帰りましょ」
「おう! 巨岩竜をぶち殺すぞ!」
ガッツが大剣を担ぎ直し、雄叫びを上げる。
(よし、完全スルー成功。プロの道具屋は顧客の秘密を追求しないのです)
イサミは内心でニヤリと笑い、再び巨大リュックを背負って二人の後ろを追った。
◆
『断崖の谷』。
そこは、周囲を数百メートルの赤茶けた絶壁に囲まれた、巨大な摺り鉢状の空間だった。地面にはゴツゴツとした赤岩が転がり、中央には大量の骨が散らばっている。
「来たわね……あそこよ」
ルーシーが指差した先。
谷の中央で、まるで巨大な岩塊そのものが丸まっているかのように眠っていた存在が、一行の気配を察知してゆっくりと動き出した。
ズズズズズ……ッ!!
地鳴りのような音とともに立ち上がったのは、全長十メートルを超える巨大な竜——『赤嶺の巨岩竜』!
全身を装甲のような厚い赤岩で覆い、その隙間からはマグマのような赤橙色の光が漏れ出ている。
「グルアアアアアアアアッ!!」
咆哮一閃! 衝撃波が谷全体を揺らし、バラバラと小石が頭上から降ってくる。
「へぇ〜! すごい迫力ですねぇ!」
イサミは壁際に退避しながら、お茶目に目を丸くしてみせた。
「イサミ、下がってろ! 巻添えで死んでも知らんぞ!」
ガッツが大剣を構え、地を蹴った! Bランク冒険者らしい、重厚かつ爆発的な踏み込み。
「ルーシー! カバーを頼む!」
「任せなさい! !!」
ルーシーが弓をしならせ、矢を放つ! 鋭い疾風を纏った矢が、巨岩竜の目元を的確に射抜いた!
ギャアッ!? と巨岩竜が体勢を崩す。その隙を逃さず、ガッツが躍り上がった!
「シネぇぇぇっ! !」
ドガァァァンッ!!
巨大な大剣が巨岩竜の脳天へと叩きつけられる! 凄まじい衝撃音が響き渡り、火花が飛び散った。
しかし——
キンッ!! と甲高い金属音が響き、ガッツの大剣は巨岩竜の厚い岩甲冑に阻まれ、浅い傷をつけるにとどまった。
「なっ……硬ぇ!? 刃が通らねえ!?」
「グルアアッ!!」
巨岩竜が怒りに狂い、太い尻尾を猛烈な勢いで薙ぎ払った!
ドガッ!!
「ぐはっ……!?」
直撃こそ免れたものの、ガッツは尻尾の風圧と岩の破片に吹き飛ばされ、地面をゴロゴロと転がった。
「ガッツ! 今助け——」
ルーシーが次の矢を番えようとした瞬間、巨岩竜の喉元が赤く発光した。
(おっと、あれは……!)
イサミは壁際で冷徹に分析する。
(火炎ブレスのチャージ! あの速度だと、ルーシーさんの位置は完全に射程圏内。ガッツさんは体勢を崩していてカバーに入れない……)
「ルーシー、逃げろっ!! ブレスが来る!!」
ガッツが叫ぶが、ルーシーの足元は砕けた岩くずで滑り、即座の跳躍ができない!
「きゃっ……!?」
巨岩竜の口が大きく開かれ、超高熱の火炎流が放たれようとした、その瞬間——
「ひやぁぁぁっ!? 大変だぁぁぁっ! お姉さん、伏せてくださぁぁい!」
イサミが情けない大声を上げながら、半狂乱になったフリをして転がるように間に入り込んだ!
そして、リュックのサイドポケットから取り出した特大の小瓶を、巨岩竜の口元に向かって全力で投げつけた!
パァンッ!!
弾けたのは、超高濃度の『耐火冷却ガス玉』!
超低温のガスが一瞬で大気を凍らせ、巨岩竜の喉元で燃え上がろうとしていた火炎を、着火直前に強引に鎮火・冷却した!
ボフッ……と不発の煙が巨岩竜の口から漏れ出る。
「ガハッ……!? ゲホッ!?」
ブレスを喉元で強制消化された巨岩竜が、激しい不完全燃焼を起こして悶絶する!
「ふ、ふえ……!? 火炎が……消えた!?」
ルーシーが目を見開いて呆然とする。
「お姉さん! ボサッとしてたら丸焼きになっちゃいますよ〜! ほら、特製『跳躍の風ポーション』! 足取りが羽根のように軽くなる最高級品です! 今なら出張価格で大銀貨5枚!」
イサミはパニックを起こした演技を維持したまま、ルーシーの手に強引に小瓶を握らせた!
「えっ、ええっ!? 飲むわよ、飲めばいいんでしょ!?」
ルーシーが一気に煽ると、彼女の脚に眩い風の粒子が纏わりついた。足元の滑る岩くずなどまるで存在しないかのように、彼女の体が軽やかに空間を跳ねる!
「すごい……! 足場が気にならない……!?」
「お兄さんも! ほら、甲冑の上からでも傷を癒やす『特効スプレーポーション』です! ポイッとな!」
イサミは転がっていたガッツに向かって、的確に薬瓶を投げつけた。ガッツが受け取って体に吹き付けると、打撲の激痛が一瞬で引き、全身に力が満ちあふれていく。
「な……痛みが消えた!? 力が戻ってくる……!?」
イサミの投与したアイテムは、単なる回復薬ではない。巨岩竜の攻撃パターンと二人のコンディションを完璧に計算した、超高精度のバフ・デバフアイテムだ。
(さて……お膳立ては完了、ですよ)
イサミは転びかけたフリをして巨大な岩の影に隠れながら、冷徹に計算する。
(ブレスを潰されて喉元が熱暴走している巨岩竜。脚力を強化されて自在に位置取りができるルーシーさん。体力が全快したガッツさん)
「ルーシー! 奴の首の関節隙間を狙え! あそこなら岩が薄い!」
「分かったわ! 『風穿ちの連矢』!!」
風のポーションで超跳躍を得たルーシーが、空中から隙だらけになった巨岩竜の首筋へ向けて、正確無比な三連射を放った!
チュチュチュンッ!!
矢が肉深くまで突き刺さり、巨岩竜が痛みにのたうち回る! その喉元、マグマのように赤く光るコアが完全に露出した!
「ガッツ! 今よっ!!」
「おうぁぁぁぁっ!! !!」
全回復したガッツが、全身の筋力を込めて跳躍! 大剣を上段から一気に振り下ろした!
ドカァァァァンッ!!
コアを直撃した大剣が、巨岩竜の体躯を真っ二つに叩き割る!
凄まじい爆発音とともに、巨岩竜の巨躯はただの崩れた岩塊となり、ガラガラと崩れ落ちていった。
谷全体に、再び静寂が戻る。
「ハァ……ハァ……やったか……!?」
ガッツが大剣を地面に突き立て、肩で息をする。
ルーシーも軽やかに着地し、安堵の溜息を漏らした。
「や、やりましたねぇお兄さん、お姉さんーっ! いやぁ、一時はどうなるかと思いましたよ〜! 僕、怖くて心臓が止まるかと思いました!」
イサミは半泣きのフリをしながら、岩の影からひょっこりと顔を出した。
ガッツとルーシーは、顔を見合わせた。
そして、ゆっくりとイサミの方へと歩み寄ってくる。
「……おい、イサミ」
ガッツが不気味なほど静かな声で尋ねる。
「お前……さっきの冷却ガス玉、投げたタイミングが完璧すぎねえか? それに、あのブレスの予兆……熟練の冒険者でも見切るのが難しいんだぞ?」
ルーシーも強い眼差しでイサミを見つめる。
「それにあたしたちに渡したあのポーション……ただの道具屋が持ってるレベルの代物じゃないわ。あんた、一体何者なの?」
(おっと、やっぱりBランク冒険者だけあって、察しが良いですねぇ)
イサミは内心でヒヤリとしつつも、顔には完璧なお茶目な笑みを貼り付けたまま、首を大きく振ってみせた。
「なぁに言ってるんですかぁ! 僕はただ、お客様に死なれちゃ売上の回収ができないから、夢中でリュックの中身を投げ散らかしただけですよ〜! いやー、奇跡的に当たって良かったぁ!」
「……本当に?」
「本当も本当、大マジですよ〜! ほら見てください、僕の手、恐怖でこんなに震えてますから!」
イサミはあえて手をプルプルと震わせてみせた。完璧な演技だ。
ガッツはしばらくじっとイサミの顔を見つめていたが、やがて「ハハッ!」と豪快に笑い出した。
「まあいいや! 理由はどうあれ、お前のおかげで命拾いしたし、巨岩竜も狩れた! 感謝するぜ、ガキ……じゃなかった、イサミ!」
「ふふ、そうね。あんたの道具屋システム、想像以上に助かったわ」
ルーシーも満足そうに微笑んだ。
「いえいえ〜! お役に立てて光栄です! ……というわけで!」
イサミは待ってましたとばかりに、リュックからソロバンを取り出し、ジャラジャラと弾き始めた。その目には、隠しきれない「¥」のマークが浮かんでいる。
「今回の売上のご精算で〜す!
清涼メントールポーション2本、特大耐火冷却ガス玉1個、跳躍の風ポーション1本、それに特効スプレーポーション1本!
出張手数料1.5倍を適用いたしまして……合計で、金貨5枚と大銀貨4枚になりますっ!」
「「ぶっ……!? 額が高すぎ!!」」
ふたりの叫び声が、赤嶺の谷に虚しくこだました。
◆
数時間後。
無事に巨岩竜の素材を回収し、コパンドンCITYへ戻ってきた一行。
ギルドでBランク依頼の莫大な報酬を受け取ったガッツは、泣く泣くイサミに金貨5枚と大銀貨4枚を手渡した。
「うぅ……俺たちの取り分が……」
「まあまあ、お兄さん! 怪我もなく、無事にBランクの難関依頼を達成できたんですから安いくらいですよ〜! 命の値段と考えたら、実質タダみたいなものです!」
ホクホク顔で金貨を懐に仕舞い込むイサミ。
「あんたのそのちゃっかりした性格、本当にむかつくわね……」
ルーシーは毒気を抜かれたように苦笑いした。
「でも、まあ……悔しいけど、あんたの『歩く道具屋』、クセになりそうだわ。手ぶらで動けるのがあんなに楽だなんて思わなかった」
「おう、またデカい依頼が入ったら声かけるぜ!」
ふたりは晴れやかな笑顔をイサミに向ける。
「本当ですかぁ? いやぁ、そう言っていただけると道具屋冥利に尽きますねぇ!」
イサミはいたずらっぽくウインクしてみせた。
「じゃあお兄さん、お姉さん! 次の依頼の際も、ぜひこの『歩く道具屋イサミ』をご指名くださいね! 今ならリピーター割引で……特別に1.45倍にしておきますから!」
「安くなってないだろ!!」
ガッツの元気なツッコミが、コパンドンCITYの夕暮れの街頭に響き渡る。
イサミはちゃっかりとした笑顔を浮かべながら、ずっしりと重くなった懐をポンポンと叩いた。
(ふふふ、やっぱり『歩く道具屋』ビジネスは最高ですねぇ。次はどんな太っ腹なお客さんに出会えますかねぇ……?)
夕日に照らされる街を背に、イサミのお茶目でチャラい冒険は、これからも続いていくのだった。