疲れた日
夕闇が街道の端から静かに押し寄せ、街の街灯にポツポツと淡い魔導光がともり始める刻限。
「あ〜……死ぬ……。マジで死にますよ、僕は……」
普段の軽快な足取りはどこへやら、地面に足を引きずるようなズザザ……という不穏な音を立てて、イサミは歩いていた。
背中には、いつものように大人一人がすっぽり収まるほどの巨大な道具袋。
だが今日のそれは、心なしか普段の倍以上の重量感を醸し出し、イサミの細い肩を容赦なく押し潰している。
それもそのはずである。
朝からプリモ・カラーとの黒嶺山脈での大型魔物・狂乱大角鹿(バーサーク・ガルム)討伐に付き合わされ、彼女の規格外すぎる剣術の余波で飛び散る岩片を避けるだけで命を削り、さらに帰りがけに立ち寄った別の採取地で、商魂を抑えきれずに大量の希少鉱石と薬草を限界まで抱え込んでしまったのだ。
「自業自得……いやいや、これはビジネスですよビジネス! ポーションの重さで腰を痛めずに済んで、ポーターの護衛に気を揉む必要もないんですよ? この安心感と快適さ込みなら破格のサービス価格ですって! ……そう自分に言い聞かせないと、今すぐこの街道で横になって永遠の眠りについちゃいますよ……」
愚痴をブツブツとこぼしながら、イサミは街の少し落ち着いた区画にある、見慣れた二階建ての建物へとたどり着いた。
イサミがゲストとして贔屓にしている、大切な仲間たちが拠点としているクランのホームである。
「た、ただいま戻りましたよ〜……」
掠れた声を絞り出し、イサミは力なく重い木の扉を押し開けた。
普段なら、この時間帯は誰かが依頼で出かけていたり、あるいは訓練場にこもっていたりと、全員が揃っていることなど滅多にない。
だが、扉をくぐった瞬間、イサミの耳に飛び込んできたのは、いつになく華やかで賑やかな喧騒だった。
温かい湯気と、肉とハーブが煮込まれる芳醇な香りが充満するリビング兼食堂。
そこには、大鍋を挟んでドタバタと立ち回るリーダーのクロエ、天真爛漫に口を出すココ。
ソファに座っているのは、姿勢を正して紅茶を飲んでいるメルティ、そしておどおどとそれを聞いている薬師のムラサキの姿があった。
さらには、少し離れたカウンター席で帳簿を付けながら、その喧騒を愛おしそうに微笑みながら見守っている最年長のお姉さん、エリスの姿まである。
「……おや?」
イサミはドアノブを掴んだまま、ポカンと口を開けた。
「……珍しいですねぇ。今日は全員揃ってるんですか?」
玄関でドサリと巨大な道具袋を床に降ろすと、部屋中の視線が一斉にイサミへと注がれた。
「あ! イサミくん! おかえりなさーい!」
真っ先に振り向いたのは、魔法使いの少女ココだった。
真っ赤な大きめのエプロンを揺らし、パッと花が咲いたような笑顔でイサミへと駆け寄ってくる。
「イサミくん、お仕事お疲れ様! ココも頑張って、火加減を調整してお肉ドカーンって焦げないように見張ってたんだよ! えーいっ、お疲れ様ー!」
「ただいまです、ココさん。ふふ、元気そうでなによりですよ」
イサミが優しく頭を撫でると、ココはえへへ〜と胸を弾ませるように嬉しそうに頷いた。
「たく……相変わらずちゃっかりしてんだから!」
エプロン姿のまま、包丁を手にしたクロエがズカズカと歩み寄ってくる。
勝ち気な口調だが、イサミの全身を心配そうに検分する視線には、深い愛着が滲み出ていた。
「……ほらイサミ、突っ立ってないで早く座りなさいよ!」
「ただいまです、クロエさん。いやぁ、今日はちょっと出張販売のハシゴをしすぎましてね……肩と腰がバキバキですよ……」
イサミはリビングの長椅子へとたどり着くと、崩れ落ちるようにバタンと倒れ込んだ。ソファのクッションに顔をうずめ、「ふはぁぁぁ……」と生気の抜けた溜息を漏らす。
「あらあら……。 イサミ様にお褒めいただけるような完璧なお出迎えをしなければなりませんでしたのに……! 私、感無量……ではなく、痛恨の極みですわ……」
即座に反応したのは、メルティだった。
着ている事務服の袖を捲り、甲斐甲斐しくイサミの側に跪くと、イサミの靴を丁寧に脱がせ、その細い肩を愛おしそうに優しく揉み始めた。
「わたくしのイサミ様を、これほどまでに疲弊させるだなんて……。 私にお任せくださいませ。イサミ様……」
「……あー…。ありがたいですぅ〜……」
イサミが顔をふせたままお礼を言うと、カウンターの奥からしとやかな足取りでエリスが歩み寄ってきた。
「ふふ、おかえりなさい、イサミくん。お疲れ様でした。」
包容力にあふれる微笑みを浮かべ、エリスは温かいハーブティーの入ったコップをイサミの手に握らせた。その指先がさりげなくイサミの手の甲を優しく撫でる。
「……それよりイサミくん。とっても疲れているみたいですね? ……今夜も『おねだり』します……?」
「エリスお姉さん……! ありがたいですけど、今はその……体力がですねぇ……」
イサミがハーブティーをズズッと啜ってタジタジになっていると、奥から小皿を持ったムラサキがおずおずと近づいてきた。
「あ、あの……イサミさん……っ! こ、これ……『世色癌』の技術を応用した疲労回復のお団子なんです……っ! 瓶も割れないし、口にポンって含めば疲れも吹き飛ぶ優れもので……あ、すみません、喋りすぎちゃいました……っ! 召し上がってください……っ」
「おお! ムラサキさん特製のお団子ですか! いただきます!」
イサミがパクッと口に含むと、爽やかなハーブの香りと程よい甘みが口いっぱいに広がり、身体の奥からじんわりと活力が湧いてくる。
「ん〜〜〜っ! 美味しいです! さすがムラサキさん、天才薬師ですねぇ!」
「ひぅあっ……!? た、天才だなんて……そ、そんな……っ! 私のお団子を『すごい』って言ってくれたのは、本当にイサミさんが初めてです……。私、イサミさんのために精一杯頑張ります……っ!」
ムラサキはお団子頭を揺らしながら、顔を真っ赤にしてモジモジと照れてみせた。
「……ちょっとイサミ! あたしの前で鼻の下伸ばしてんじゃないわよ!」
クロエがむっと頬を膨らませ、イサミの隣にドカッと腰掛けた。
「……ふん、いいわよ。……そこまで本気で疲れてるの?大丈夫?」
「……大丈夫です〜」
イサミが苦笑しながら手を伸ばしてお礼を言うと、クロエは少し照れたように「ふんっ」と顔を背けた。
「さあ皆様。イサミ様もご帰還されたことですし、晩餐の準備を整えましょう。」
メルティの号令で、テーブルの上に出来立ての料理がずらりと並べられていく。
ゴロゴロとした大きめの肉と野菜がたっぷり入ったハーブ煮込み。
香ばしく焼き上げられたカントリーパン。
ムラサキが摘んできたフレッシュハーブのサラダ、そしてココが火加減を完璧に調整した濃厚なポタージュスープ。
「よし、珍しく全員揃ったわね!」
クロエが木コップを高く掲げ、誇らしげに胸を張った。
「「乾杯〜〜〜!!」」
カチャン、と木コップが合わさる心地よい音が部屋いっぱいに響き渡る。
「わーい! ココの爆発魔法級に美味しいスープ、イサミくん、いっぱい飲んでね!」
ココがスープを口に含み、幸せそうに頬を緩めながらイサミに微笑みかける。
「ふむ……肉の煮込み具合も悪くないわね。火加減を弱火にした効果かしら……」
クロエも満足そうに肉を頬張り、メルティは「私にお任せくださいませ、隠し味のハーブも完璧でございますわ」と優雅に微笑む。
「ふふ、イサミくん。たくさん食べて、しっかり体力を回復させてくださいね?」
エリスが隣で優しく肉を切り分けてくれ、ムラサキも「お、おかわりもありますからねぇ……っ」と嬉しそうに頷いている。
イサミは温かいポタージュスープを一口含み、フゥと深く息を吐き出した。
優しい野菜の甘みが、今日一日の過酷な戦闘や緊張感を綺麗に溶かしていく。
(……はぁぁ、落ち着きますねぇ……。やっぱり、みんながいると……)
愛する少女たち、そして信頼できる仲間の温かい笑顔に囲まれながら、自称・歩く道具屋の美少年は、心からの幸せを噛み締めて静かに微笑むのだった。