「……うわぁ。思ってた以上に、殺伐としてますねぇ……」
イサミは背中にパンパンに膨らんだ巨大な出張道具袋を担ぎ直し、眼前に広がる光景を見渡して苦笑いを浮かべた。
そこは、王都から馬車でふた日ほど移動した先にある、深い森の境界線に設営された『作戦現地拠点』だった。
広大な平原を削り取って突撃で作られた陣地には、無数の幕舎(テント)が立ち並び、空には料理の煙と泥の匂い、そして独特の鉄臭い熱気が立ち込めている。
「……ひどい泥臭さね。軍の正規兵だけじゃなくて、色んなクランの奴らが入り乱れてるわ」
隣で腰の剣の柄に手を置きながら、前衛のクロエが鋭い視線を巡らせる。
彼女の言葉通り、行商人の目から見ても、現場の空気は最悪と言ってよかった。
立派な全身鎧に身を包み、腕組みをして威張り散らしている正規軍の兵士たち。
その周りを、豪華な装飾の施された武具を身に纏い、優越感に満ちた顔で歩く『大手クラン』の精鋭たち。
そして、そのさらに外縁――泥まみれの粗末な幕舎が身を寄せ合う区域には、使い古された武具を必死に手入れし、不安と疲労に満ちた顔で固まっている『中小クラン』の冒険者たちが溢れていた。
「……完全な階級社会になっておりますわね」
整った軽甲冑の隙間から事務服を覗かせたメルティが、氷のように冷ややかな瞳で吐き捨てた。手に抱えた厚い書類カバンをぎゅっと抱え直す。
「中央の豪奢な天幕群が軍と大手クランのエリア。外縁の雑多な泥地が、わたくしたちのような下請け・孫請けの集積地……。露骨すぎて、吐き気がしてきますわ」
「ひぅ……っ、みんな、すごく怖い顔でこっちを見てます……っ」
特大のリュックを背負った薬師のムラサキが、怯えたようにイサミの服の裾をぎゅっと掴んだ。
リュックの中からは、彼女が徹夜で作り上げた大量の特製秘薬(世色癌など)が、カチャカチャと小さな音を立てている。
「大丈夫ですよ、ムラサキちゃん。私たちがついていますからね」
「うんっ! ムラサキちゃん、何かあったらココが魔法でドカーンって追い払ってあげるからね!」
包容力あふれる笑顔でムラサキの肩を抱くエリスと、大きな魔法杖を胸に抱いて胸を張るココ。
二人の優しさに、ムラサキはほっと胸を撫で下ろしながらも、緊張した面持ちで小さく頷いた。
「それにしても……本当に大勢の人が集まってるんですねぇ。これは良い経験になりそうです!」
イサミはチャラチャラとした声を出しながら、心の中で素早く周囲の人間と物資の動向を観察していた。
兵士たちの表情、冒険者たちの武具の消耗具合、天幕の周囲に積み上げられた物資の量。
(……ふむ。大手や軍の連中は高価な物資を独占していますが、外縁部の中小クランにはろくな回復アイテムも予備の武具も行き渡っていないですね。補給線は完全に途絶えているか、意図的に絞られている……。想像以上の『市場』ですねぇ)
イサミが一人で「¥」の形に目を輝かせかけていると、中央の一際大きな天幕の前から、甲高い銅鑼の音が響き渡った。
『――集合! 協力要請に応じたすべてのクラン長、および代表者は、中央本部天幕前に集まれ! 繰り返す、作戦伝達を行う! ただちに集合せよ!』
ドスの効いた正規軍の兵士の声が、魔法で拡声されて拠点中に響き渡る。
「……ちっ、始まったわね。行くわよ、みんな」
クロエが忌々しそうに息を吐き、彼らは顔を見合わせて中央本部へと足を進めた。
中央本部の天幕前には、百人はくだらない冒険者たちが集まっていた。
だが、その集団はあからさまに二分されていた。
前方に陣取るのは、ピカピカに磨かれた鎧を着て、余裕の笑みを浮かべる『一次請け』の大手クランの面々。
彼らはまるでピクニックにでも来たかのように談笑し、後ろに集まる中小クランの冒険者たちを見下ろしている。
そして、その背後に押し込められているのが、イサミたちを含む『二次請け』『三次請け』の冒険者たちだ。
誰もが重苦しい表情を浮かべ、不満と不安を隠しきれずにいる。
天幕の前に設置された一段高い演壇に、豪奢な甲冑を着た男が登ってきた。
正規軍の将校と思われる中年男と、その隣に並ぶ、金糸の刺繍が施された豪華なマントを羽織った男。
後者の胸元には、王都でも屈指の大手クランの紋章が輝いていた。
「静粛に!」
軍の将校が厳めしく声を張り上げる。周囲のひそひそ話が一瞬で収まった。
「我々は王家直属正規軍、および協力クラン連合である! 諸君らが迅速に集結したことを称賛する! これより、森深くに発生した大規模な魔物の『群れ』に対する討伐作戦の全容、および配置を発表する!」
将校がチラリと横の男――大手クランのサブリーダーと思われる男に視線を送った。男はフッ、と嘲笑を交えた笑みを浮かべ、一歩前に出る。
「同志諸君」
芝居がかった朗々とした声で、大手クランの男が話し始めた。
「今回の魔物の群れは、大規模だ。だが安心したまえ! 我々をはじめとする王都の第一線クランが、全力を挙げてこの脅威を打ち砕く! 諸君ら中小クランの尽力も、国の平和のために役立てられることを誇りに思うといい!」
(……うわぁ、反吐が出るほどの選民思想ですねぇ)
イサミは心の中で思いっきり口を尖らせた。
横を見ると、メルティの額に青筋が浮かび、クロエの手が剣の柄を固く握りしめられている。
エリスは穏やかな顔のまま、静かに手帳を取り出して男の発言を細かくメモしていた。
「――では、各クランの配置を発表する!」
将校が巨大な羊皮紙の地図を広げ、声を張り上げた。
「まず、前線中央の主攻を担当するのは、我が正規軍の精鋭、および本隊である! 敵の主力を正面から破砕する!」
前方にいる大手クランの連中から、誇らしげな歓声が上がった。
「続いて、左右の側翼支援、および全軍の総指揮は、王都大手クラン連合が担当する!……そして」
将校の目が、冷たくイサミたち中小クランの集団に向けられた。
「最前線……敵群の真っ只中と接触する『最前線・逃走防止壁』、および『最前方補給路の死守』を担当するのは……勇敢に参加した中小クランの諸君である!」
――ざわっ!
その瞬間、後ろにいた中小クランの冒険者たちの間から、怒りと動揺の叫びが跳ね上がった。
「な……なにッ!?」
「冗談じゃないぞ! 最前線の『壁』だって!?」
「一番死びとが出るポジションじゃないか! 補給もろくに届かない最前線で、俺たちに逃げ道を塞げって言うのか!?」
「大手のお偉方は安全な中央で手柄を横取りする気かよ!」
怒号が飛び交い、今にも暴動が起きそうなほどの熱気が押し寄せる。
当然だ。
前線の『壁』とは名ばかりで、要するに敵の第一波を身を挺して受け止め、すり減っていくのを待つための『使い捨ての捨て駒』以外の何物でもないからだ。
だが、軍の将校は冷酷な目で彼らを見下ろし、腰の剣をガチャリと鳴らした。
「静粛にと言ったはずだ!」
ドオン! と将校が足を踏み鳴らし、軍の威圧感を放つ。
「これは王家直属正規軍の『正式な軍令』である! 不服を申し立てる者は、国家への叛逆とみなし、即座にクラン資格の剥奪および逮捕を行う!……意見のある者は名乗り出よ!」
重苦しい静寂が、叩きつけられるようにその場を支配した。
国家権力と軍隊という圧倒的な暴力を前に、貧しい中小クランの冒険者たちは、唇を噛み締め、拳を震わせながら黙り込むしかなかった。
「……ふん。雑魚どもが」
大手クランの男が、心底蔑むような目つきで彼らを見下ろす。
「分かったなら疾風のごとく持ち場につけ。お前たちに求められているのは、我々が本陣を突くまでの『時間稼ぎ』だ。せいぜい肉の壁として役に立って見せろ」
「……っ!」
クロエが目を見開き、一歩前へ踏み出そうとした。その背中に向けられた侮辱に、前衛剣士としてのプライドが激しく跳ね上がったのだ。
だが――。
そっと、イサミが彼女の腕を掴んで制した。
「……イサミ!?」
クロエが驚いて振り返る。イサミは彼女に向かって、チャラけた笑みを浮かべながら静かに首を振ってみせた。
「まあまあ、クロエさん。ここで怒っても一文の得にもなりませんよ〜」
「でもあいつら……! あたしたちを完璧に捨て駒扱いして……!」
「ええ、その通りです。完璧な捨て駒、最前線の押し付けです」
イサミはひそひそ声で、仲間たちだけに聞こえるようにささやいた。
「ですが、考えてもみてください。最前線に配置されるということは……僕たちが『現場のルール』を一番最初に作れるということです。大手や軍のバカどもから遠く離れた場所で、僕たちのやりたい放題ができるってことですよ?」
「……あ」
クロエがハッと目を見開く。
「それにですね」
イサミの隣で、エリスがふんわりとした柔らかい微笑みを浮かべながら、手帳を閉じた。
「不当な配置転換、および危険度の度を越した押し付け……。後で軍と大手クランに提示する『現場緊急対応費』および『危険手当』の請求書に、ばっちり理由として書けますね」
「ふふっ……流石ですわ、エリス様」
メルティが手で口元を隠し、妖しい瞳を輝かせる。
「書類上の不備と、指導層の不当な命令権限の乱用……後で完膚なきまでに叩きのめすための『証拠』が、向こうから勝手に積み上がっていきますわ」
「よーし! ココも最前線でドカーンって暴れて、あの威張ってる大人たちをギャフンと言わせてあげる!」
「あ、あの……私、最前線で怪我をした人たちを、いっぱい助けて見せます……っ!」
怒りに震えていた仲間たちの顔から、悲壮感が消えていく。代わりに宿ったのは、不敵で、頼もしく、そしてどこか『商売気』に溢れた怪しい熱気だった。
「……たく。あんたたちといると、どんな絶望的な状況でも泥沼の稼ぎ場に見えてくるわね」
クロエが呆れたように息を吐いたが、その唇には力強い笑みが戻っていた。
「分かったわ。文句は言わない。……言わない代わりに、最前線で徹底的に『仕事』をしてやるわ!」
作戦伝達が終わると、イサミたち中小クランは、追われるように指定された最前線の防衛ポイントへと移動を開始した。
そこは、深い森の樹海と平原が接する、緩やかな傾斜地だった。
木々は途切れ、視界は開けているものの、足元は深い泥とぬかるみに覆われている。
陣地構築のための木柵も半端にしか作られておらず、とても『防衛拠点』と呼べる代物ではなかった。
「……ひどい場所ね。足場は最悪、遮蔽物もなし。ここへ魔物の群れが雪崩れ込んでくるわけね」
クロエが泥を踏みつけながら、周囲を観察する。
彼らの周囲には、同じように最前線へと追い立てられた中小クランの冒険者たちが、数十人ほど集まっていた。だが、彼らの表情には全く覇気がない。
「……終わりだ。こんな場所で大群を受け止めるなんて無茶だ……」
「補給のポーションも、一人につき一本しか配られてないんだぞ……! どうやって戦えってんだよ……!」
「大手クランの連中は、俺たちが全滅するまでの時間を測ってるだけだ……」
絶望と諦めが、最前線全体をどんよりと覆っていた。
挨拶を交わそうにも、誰もが自分の死を覚悟したような暗い目をしており、とてもまともな会話ができる雰囲気ではない。
「イサミくん……みんな、すごく不安そうですね」
エリスが悲しそうに周囲を見渡す。
「ええ、無理もありません。戦力も足りず、物資もなく、ただの捨て駒として配置されたんですから。パニックの一歩手前ですよ」
イサミは背中の巨大な道具袋をドサリと足元に降ろした。
重厚な音を立てて泥に沈む袋。
その中には、彼らが数日間で準備した『勝利と生存のための全物資』が詰まっている。
「……だからこそ、僕たちの出番なんですよ」
イサミはバッと道具袋のファスナーを開け、中のアイテムを整頓し始めた。
「クロエさん、前線の配置確認をお願いします。魔物が来たら、まずはうちのクランが第一波を完璧に受け止めますよ」
「任せなさい!」
クロエが愛剣をスラリと抜いた。その銀色の刃が、朝の光を受けて鋭く輝く。
「あたしたちは、理不尽なシステムなんかに潰されたりしない! 全員、生きて帰って、あの大手のアホどもにでっかいツケを払わせてやるわよ!」
「「「オーーーッ!!!」」」
彼らの力強い声が、どんよりとした最前線の空気をビシッと切り裂いた。
泥にまみれた最最前線。
使い捨ての捨て駒として配置されたこの場所で、イサミたちの反撃と、圧倒的な『出張道具屋』の開店準備が、静かに完了したのだった。
♢
深い森の深遠から吹き寄せる風が、湿った土と腐葉土の匂いを容赦なく戦場へと運んでいた。
木々の葉がざわざわと蠢き、小鳥たちのさえずりは疾風のように掻き消えている。
「――来ます!」
ムラサキの甲高い、悲鳴にも似た叫び声が、重苦しく湿った最前線の空気を鋭く引き裂いた。
薬師としての鋭い嗅覚と、日常的な調合作業で培われた特有の敏感な五感が、風上から急速に漂ってきた異様な獣臭と、どろりとした密度の高い殺気を完璧に捉えていたのだった。
特大のリュックサックを背負った彼女の華奢な体が、生理的な恐怖と緊張で小さく打ち震える。
その声を皮肉な合図にするかのように、鬱蒼と茂る樹海の奥深くから、地の底を直接揺らすような不気味な地鳴りが押し寄せてきた。
バリバリ、バキバキと、樹齢数百年を数えるであろう大木が押し倒され、へし折られる破壊音が連続して響き渡る。
次の瞬間、森の濃厚な闇を強引に押し開いて姿を現したのは、尋常ではない規模と密度を誇る魔物の大群であった。
「なっ……なんだあれは!?」
「オークにゴブリン……っ! それだけじゃない、大ツノのウルフまで混ざってやがるぞ!」
「聞いてないぞ! こんな規模の群れだなんて……話が違うじゃないか!」
周囲の防衛ポイントに配置されていた中小クランの冒険者たちから、次々と悲痛な悲鳴が上がった。
軍と大手クランによってあらかじめ用意されていた防衛柵は半ば腐りかけ、泥の中に足をとられるような劣悪な足場。
ろくな作戦伝達も挨拶すらも交わせないまま最前線の『捨て駒』として集められた彼らは、まともな連携どころか自陣の配置すら満足に保てていない。
ただ迫り来る死の恐怖に顔を引きつらせ、腰を抜かしかけていた。
「全員、持ち場を絶対に離れるな! 陣形を崩したら一気に踏み荒らされて呑み込まれるぞ!」
どこかの中堅クランのリーダーらしき男が、顔に青筋を立てて必死に剣を振り回しながら叫ぶ。
しかし、津波のように押し寄せる魔物の咆哮と足音の前には、その必死の声も虚しくかき消されていった。
恐怖のあまり武器を落とす者、後方のぬかるみに足を滑らせて転倒する者、パニックを起こして逃げ出そうとしては不揃いな陣形で互いの足を引っ張り合う者たち。
最前線は一瞬にして壊滅寸前の混沌へと叩き落とされようとしていた。
だが、そんなパニックに陥る周囲の冒険者たちとは対照的に、イサミたちの動きには一切の迷いも無駄もなかった。
「クロエさん、正面の第一波をお願いします! ココさんは後方からの視界確保と微調整の牽制、ムラサキさんは落ち着いて薬品の準備を!」
「任せなさい!」
イサミの迅速かつ的確な指示に、前衛剣士のクロエが力強い声で即答した。
彼女は泥に深く沈む足元を意に介さず、力強く土を踏みしめると、愛剣の柄を固く握りしめて滑らかな動作で引き抜いた。
銀色の刀身が曇天の薄光を反射し、鋭い軌跡を描く。
「あたしたちの邪魔をする奴は、魔物だろうが国家だろうが叩き斬る!……行くわよ!」
地面の泥を跳ね上げ、疾風のごとき速度で前線へ跳び出すクロエ。
先頭を切って猛進してきたのは、丸太のような太い棍棒を振り上げた巨大な個体のオークだった。
涎を撒き散らしながら振り下ろされる痛烈な一撃。
しかし、クロエはその圧倒的な質量攻撃に対して正面からぶつかるような野蛮な真似はしない。
す、と体をわずかに捻り、絶妙な紙一重の踏み込みで棍棒の軌道を見切る。
激しい衝撃音とともに地面の泥が爆発するように舞い上がるが、すでにクロエの身体はオークの懐深くに潜り込んでいた。
刃の角度を最小限に微調整し、流れるような一連の剣さばきで相手の力を利用しながら攻撃を受け流す。
そしてすれ違いざま、相手の厚い皮膜と肉を易々と切断し、頸脈を一閃した。
ドスン――。
大量の血を噴き上げながら、巨大なオークが絶命して泥の中に崩れ落ちる。
「 一撃かよ……!?」
「なんだあの女剣士……身のこなしが半端じゃないぞ!」
恐怖で固まっていた周りの冒険者たちが、呆然と息をのんだ。だが、クロエの真骨頂はここからだった。
倒れたオークの巨体を踏み台にして跳躍すると、群れの密度の高い部分へと果敢に飛び込んでいく。
鮮やかな剣舞のごとき足さばきで、立ち塞がる魔物の隙を突いては的確に息の根を止めていく。その動きには一切の無駄がなく、
泥まみれの戦場において一人だけ異次元の美しさを放っていた。
「ココ、右方向から回り込もうとしてるゴブリンの小隊を止めて!」
「了解だよ、クロエちゃん! 弾けちゃえっ!」
後方で待機していたココが、自身の身の丈ほどもある大きな魔法杖を高く掲げた。
先端に埋め込まれた宝石が、真っ赤な炎の輝きを宿して激しく発光する。
放たれたのは、威力を絶妙にコントロールした小規模な火爆破だった。
過剰な爆破で味方を巻き込むことなく、狙い過たずゴブリン集団の中央へ着弾させる。
ドォン!
爆風と炎が巻き起こり、数体のゴブリンが一気に吹き飛ばされた。
悲鳴を上げて散り散りになるゴブリンたち。
単に敵を倒すだけでなく、群れの進行ルートを強制的に狭め、クロエが対処しやすいように誘導する見事な魔法制御力であった。
「ひぅ……っ、お、落ちついて……爆破瓶、投げます……っ!」
後方に陣取る薬師のムラサキもまた、震える手でリュックから自家製の特殊薬品――強烈な衝撃波を発生させる爆発瓶を取り出し、正確なアンダースローで投擲した。
魔物たちの足元でパリンと瓶が割れ、甲高い炸裂音とともに強い衝撃波が広がる。
ダメージを与えることよりも相手の体勢を崩すことに特化したその調合薬品は、最前線に押し寄せる大群の進行速度を物理的に大きく削いでいった。
「な、なんだあいつらは……! 」
自分たちが生き残ることで精一杯だった周囲の中小冒険者たちは、目の前で繰り広げられる無駄のない戦闘に目を奪われていた。
個々の実力、そして信頼と計算の上に成り立つ完璧な立ち回り。
それらが噛み合ったクロエ達の戦闘力により、第一波として勢いよく突撃してきた魔物の群れは、拍子抜けするほど呆気なく撃破され、その死骸が泥の上に積み重なっていった。
しかし――。
「……ふぅ。やっぱり、一筋縄ではいかないわね」
クロエが血振りをし、愛剣の刀身からねっとりとした魔物の返り血を払い落としながら、厳しく眉をひそめた。
「魔物一匹一匹の強さ自体は大したことないわ。しっかり対処すればあたしたちの敵じゃない。……でも」
「……ええ。数が、あまりにも多すぎますね」
イサミが真剣な表情で、いまだに黒々とした不気味な威圧感を放っている森の奥深くを見据えた。
倒しても、倒しても。
屍の山を築いてもなお、樹海の暗闇からは新たなゴブリンやオーク、凶暴な魔獣たちが絶え間なく湧き出してくる。
まるで地表の割れ目から無限に溢れ出てくる黒い油のように、終わりというものが全く見えてこない。
イサミたちの圧倒的な奮闘のおかげで、周囲の中小クランたちは奇跡的に第一波による全滅という最悪の事態を免れることができた。だが、果てのない数の暴力と終わりの見えない恐怖の前に、彼らのスタミナと戦意は、刻一刻と、そして確実に削り取られ始めていた。
「おい……これ、いつまで続くんだよ……」
「いくら倒しても減らねぇぞ……! 俺たちの体力が持つわけがない……!」
「補給のポーションだって、もう使い切っちまったクランがいるんだぞ……!」
重く湿った泥の匂いとともに、絶望と焦燥が再び最前線全体を包み込んでいく。
まともに息を整える時間すら与えられない状況下で、周囲の冒険者たちの膝がガクガクと震え始めていた。
「イサミくん」
エリスがイサミの横にそっと寄り添った。
その瞳には、周囲の状況を冷静に分析する知性と、仲間への深い信頼が宿っている。
「ええ、言わんとしていることは良く分かっていますよ、エリスお姉さん」
イサミは背中に担いだ巨大な出張道具袋のベルトをきゅっと締め直し、チャラけた笑顔の裏に秘めた不敵な笑みを浮かべた。
「魔物自体の質は楽勝。だけど総数は無限大。……ふふ、道具屋(ぼく)にとっては、これ以上ないくらい素晴らしい『長期戦』になりそうじゃないですか!」