王都の市場は、今日も今日とて人々の活気と怒号、そして美味しそうな食材の匂いで溢れかえっていた。
昨日の今日で、クランには頼もしい(?)専属契約メンバーとしてガッツとルーシーが加わり、エリスやメルティを悩ませていた事務仕事や荷揚げの負担は改善されつつあった。
金庫の管理も、現場での物資搬送も順風満帆。
となれば、ゲスト道具屋であるイサミの今日のお仕事は――そう、「ぶらぶらと街を歩いて市場の調査をしつつ、美味しい甘味でも買い食いすること」であった。
「ふふ〜ん♪ 今日はいいお天気ですねぇ。クロエさんには『たまには羽を伸ばしてきなよ』って言われましたし、ココさんへのお土産にあの店の焼き菓子でも買って帰るとしましょうか」
イサミはチャラけた笑みを浮かべ、両手を頭の後ろで組みながら、王都の賑やかな大通りから一歩外れた路地裏へと足を踏み入れた。
大通りの喧噪が遠のき、静まり返った裏路地。
日陰になった雑多なゴミ集積場の脇を通りかかった、まさにその時だった。
「……ん?」
イサミの鋭い観察眼が、路地の隅にぽつんと置かれた「大きめの段ボール箱」を捉えた。
ただの廃棄ゴミなら気にせず通り過ぎるところだ。
しかし、その段ボール箱は――微妙にモゾモゾと動いていた。
それどころか、箱の側面には下手くそな文字で『拾ってください』と炭で殴り書きされている。
(捨て犬……? いや、このサイズの箱だと、捨て豚か何かですかね……?)
好奇心をくすぐられたイサミは、足音を殺してそっと段ボール箱へ近づき、上部の隙間を覗き込んだ。
「……あ」
「……あっ」
箱の中にすっぽりと収まっていたのは――犬でも豚でもなく、一人の人間の「女の子」だった。
名前は、のん。
ゆるいウェーブのかかった柔らかな髪に、どこかぽっとした、守ってあげたくなるような愛らしい容姿の少女である。
だが、その姿はあまりにも悲惨だった。
体には薄汚れた布切れのような服が一枚巻きつけられているだけで、抱え込んだ膝に顔を埋め、今にも消えてしまいそうな儚いオーラを漂わせている。
「えーっと……こんにちは?」
イサミが声をかけると、箱の中の少女――のんは、ゆっくりと顔を上げた。
その目はドナドナされていく子牛のように潤んでいた。
「……こんにちは。わたし……捨てられました……」
「見れば分かりますけど……なんでまた段ボール箱の中に? 君、人間ですよね?」
「はい……わたし、のんです。……ついさっきまで、あの子たちの『女神様』だったのですけれど……」
「あの子たち?」
イサミが首をかしげると、のんはぽつりぽつりと、事の顛末を語り始めた。
「……少し前まで、わたし、あの土でできた黄色い……お目目が点々の、ヘンテコな形をした子たちに拾われて……『女神様だー!』って、すっごく崇められていたんです……」
「……は?」
イサミの思考が、ピタリと止まった。
土でできた。
黄色い。
お目が点々の。
ヘンテコな形をした奴ら――。
その特徴の符合に、イサミの脳裏で母の悪魔のような笑顔と、幼少期に叩き込まれた「絶対の教え」が凄まじい精度でフラッシュバックした。
『イサミ、聞きなさい。ハニーはね……害虫以下のゴキブリです。 見かけたら1匹残らず叩き潰しなさい。わかりましたね。』
イサミの額に、ピキ……と青筋が浮かび上がった。
いつものチャラチャラとした笑みがすっと消え去り、瞳の奥に「害虫駆除業者」のような冷徹でドス黒い光が宿る。
「……のんさん。ちょっと詳しく聞かせてください。その『土でできたヘンテコな奴ら』……もしかして、壊すと『ハニホー』とか間抜けな声を上げる、あの不快極まりない頭巾野郎(ハニワ)どものことですか?」
「あ……はい。ハニワさんたちです。みんなで『女神様〜!』って毎日お供え物をしてくれていたのですけれど……今日、もっと胸が大きくてピカピカした『新しい女神様』がやって来たらしくて……わたし、用済みになって段ボール箱に詰められて、ここに捨てられちゃいました……」
「……なるほど」
イサミは深々と息を吐き出した。
のんに対する同情……ではない。
イサミの胸の中に渦巻いているのは、幼少期からの教育によって刷り込まれた、ハニーに対する根深い「強烈な嫌悪感」と「不快感」であった。
(害虫以下のゴキブリどもが……人様を勝手に女神扱いして、飽きたら段ボールに詰めて捨てただと……!? そもそもあいつら、硬い上に、魔法も通らないくせに、街の近くでチョロチョロしやがって……!!)
イサミは鞄のベルトを力強く握り締めた。
「のんさん」
「はい……?」
「そのハニワどもの住処……どこですか?」
「え……? えっ……と、ここから少し離れた森の奥の洞窟ですけれど……」
「よし。行きましょう。害虫駆除の時間です」
「えぇーっ!?」
イサミがのんを段ボール箱から引き上げようとした、まさにその時だった。
「――こんにちは。イサミ」
路地裏の入口から、涼やかで気品ある声が響いた。
振り返ると、そこに立っていたのは一人の凛とした美女だった。
露出度の高めな戦士の衣装から覗く、限界まで鍛え上げられたしなやかな肢体。不老長寿の種族「カラー」特有の神秘的な美貌と、腰に飾られた一振りの細剣。
カラーの凄腕の女剣士――プリモ・カラーであった。
「プリモさん……!」
イサミは思わず目を丸くした。
プリモはクールでストイックな佇まいのまま、静かにイサミへと視線を走らせた。その凛とした瞳には、どこか大人の余裕と優しさが漂っている。
「……どうしたの、イサミ。そんなに不機嫌な顔をして。あなたらしくもないわね」
「あ、いや……プリモさん。実はですね――」
イサミは隠すことなく、のんから聞いた事の顛末――ハニワ(ハニー)どもが人間の少女を勝手に女神扱いし、新顔がやって来たら段ボール箱に詰めて捨てたという暴挙を説明した。
静かに話を聞いていたプリモは、溜息を一つ吐き出すと、細身のレイピアの柄にそっと手を添えた。
「……人間の少女を拾い上げておいて、飽きれば段ボール箱に入れて捨てる……。実に浅はかで、理不尽な種族ね」
プリモのクールな瞳に、強固な信念と戦士としての冷徹な光が宿る。
「いいわ、イサミ。私も行きましょう。そのハニワたちの巣窟……叩き潰すわ」
「えっ!? プリモさんが同行してくれるんですか? 助かりますけど……いいんですか?」
「いいわ。それに、あのような理不尽な存在を放置しておくわけにはいかないわ。……イサミがなぜあなたがどれほどあのハニワたちを嫌っているかは分からないけれど」
プリモは頼れる年上のヒロインらしく、どこかイサミを気遣うような包容力のある笑みを口元に浮かべた。
「ふふ……心強いですねぇ!」
イサミはチャラついた笑みを浮かべつつも、心の中でニヤリと笑った。
ハニーは硬く、魔法のダメージに対する不条理な耐性を持っているが、カラー族本来の圧倒的な手数の超高速剣技と、イサミの罠や爆薬、短剣技を組み合わせれば、巣ごとすり潰すことは十分に可能だ。
「あの……お二人とも、なんだかすっごく怖い顔になってますけれど……大丈夫ですか……?」
のんがオロオロと二人を見上げる。
「大丈夫ですよ〜、のんさん!」
イサミは爽やかな笑顔でのんの頭をぽんぽんと叩いた。
「害虫は根絶やしにするのが一番ですからね♪ さあ、ハニワどもの住処へ案内してください!」
「行きましょう。……その害虫たちを一掃してあげるわ」
プリモは優雅にマントを翻し、細剣を握り直した。
こうして、ハニーを激しく嫌悪するイサミ、凛とした強さと優しさを兼ね備えたプリモ・カラー、そして捨てられた少女のんの三人は、ハニワの巣窟を完膚なきまでに破壊すべく、王都郊外の森へと踏み出していったのだった。
♢
王都の門を抜け、青々と茂る樹海へと通じる街道を三人の足音が踏みしめていた。
上空を覆う木々の隙間から木漏れ日が斑模様に差し込み、湿った土と若い葉の香りが鼻腔をくすぐる。どこかでのどかに鳥が囀っているが、街道を進む三人の空気感は、どこか奇妙な温度差を孕んでいた。
先頭を進むのは、カラーの剣士――プリモ・カラーだ。
露出度の高い涼しげな戦士衣装に身を包みつつも、その背筋は一本の研ぎ澄まされた鋼のように真っ直ぐに伸びている。
風に優雅になびく髪と、限界まで鍛え上げられたしなやかな肢体。
手にした細身のレイピアの柄に軽やかに手を添え、涼やかな視線を油断なく周囲の雑木林へと走らせていた。
「のん。……足元に気をつけなさい。このあたりの根は突起が多くて、転びやすいわ」
「は、はいっ……! プリモさん、ありがとうございます……っ」
プリモの凛とした、けれどどこか温かみのある声に、彼女の後ろをトコトコとついていく少女――のんは、ぺこりと頭を下げた。
薄汚れた布切れを巻きつけたような姿ではあるが、先ほど段ボール箱の中で震えていた頃に比べれば、少しだけ落ち着きを取り戻している。
そして、その最後尾を「はぁぁ……」と深々と溜息を吐きながら歩いているのが、ゲスト道具屋のイサミであった。
「……ふぅ。僕、今日は美味しい焼き菓子を買って、拠点でクロエさんたちとぬくぬくお茶会をする予定だったんですよ? なんで休日に、害虫駆除の出張作業なんてしなきゃいけないんですかねぇ……」
「ブツブツ言わないの、イサミ。あなた自身が『駆除の時間だ』と言って張り切っていたのではないかしら?」
プリモが振り返ることなく、くすりと小さく微笑みを漏らした。
普段は冷静沈着でストイックな彼女だが、イサミのいつもの減らず口に対しては、年上のヒロインらしいどこか達観した包容力のある対応を見せる。
「それとも何? 道具屋のあなたには、私と歩くこの道中すら苦行だと言うのかしら?」
「いやいや! プリモさんと一緒に歩けるなんて男子冒険者なら喉から手が出るほど羨むシチュエーションですよ! ただですね……相手が『あの頭巾ども』ってのが最高にテンション下がるんです!」
イサミは肩に担いだ道具鞄のベルトをギチギチと引っ張った。
「あいつら、魔法は一切効かないわ、剣で斬っても爆薬で吹き飛ばしてもダメージは通りにくいわで、もう存在自体が不条理の塊じゃないですか! 母から『害虫以下のゴキブリです』って教わった意味が、大人になればなるほど骨身にしみますね……!」
「ふふ、お母様の教えは随分と過激なのね」
プリモはくすりと笑い、それからすっと表情を引き締めた。
「でも、あなたの言う不条理さには同意するわ。カラーの秘術すら弾くあの奇怪な耐性は、美しさや規律とは程遠い理外の代物。……だからこそ、私が来たのよ。いくらダメージが軽減されようと、私の超高速の連撃を叩き込めば、どれほど頑丈な土塊とて砕け散るわ」
「さすがプリモさん! 頼もしすぎて後光が見えますよ〜!」
イサミがへらへらと手を合わせる。
ダメージが通りにくいなら、何回でもの攻撃を叩き込めばいい。
カラー族本来の魔力と鍛え抜かれた肉体を持つプリモの超高速レイピアは、まさにハニー殺しの天敵と言えた。
そんな二人のやり取りを、間のんがパチパチと目を丸くしながら見上げていた。
「……あの、イサミさん、プリモさん」
「ん? どうしたんですか、のんさん?」
「あ、あの……わたし、戦いとかは全然できないのですけれど……。一応、これ……持ってきたんです」
そう言って、のんは自分が抱え込んでいた風呂敷のような包みをゴソゴソと解き始めた。
そこから現れたのは――一振りの、重厚な装飾が施された『剣』であった。
サイズはのんの華奢な体に不釣り合いなほど立派で、鞘にはくすんだ金色の装飾が施されている。
「ん? なんかすごそうな剣ですね。どこで手に入れたんですか?」
イサミは呑気に首を傾げた。
「あ……はい。これ、わたしがハニワさんたちに『女神様』って崇められていたときに、ハニワさんたちがどこからか掘り出してきて、お供え物……貢ぎ物としてくれた剣なんです。使い方もわからないし重いのですけれど……ハニワさんたちをやっつけるのに、少しでも役に立つかなって……」
「へぇ〜! ハニワどもがそんな上等そうな剣を掘り出してきたんですか。見た目は結構高値で売れそうですけどねぇ」
イサミはいつもの商人らしい顔で、へらへらとアゴを触っている。イサミにとっても、のんにとっても、それはただの「ハニワに貢がれたちょっと立派な剣」にしか見えていなかった。
――だが。
「……ッ!?」
先頭を歩いていたプリモ・カラーの足が、ピタリと止まった。
プリモの顔が一瞬でジト目になった。
彼女は咄嗟に眩ましを覚えたように美しい額を片手で押さえ、優雅な立ち姿をわずかに崩して半歩後ずさった。
「プリモさん……? どうしたんですか?」
急に足を止めたプリモに、イサミは不思議そうに眉をひそめた。
プリモはゆっくりと振り返ると、不快感を隠しきれない鋭い眼光で、のんの手にある剣――そして、イサミの腰にある『短剣』を交互に睨みつけた。
「……イサミ。あなたの……それ……」
「え? 僕の短剣ですか?」
イサミは自分の腰の短剣を指差した。
「あなたのその短剣……私、苦手だって言ったの覚えてる?」
「あはは……まあ僕の短剣は嫌って言ってましたねぇ……」
イサミは苦笑いしながら肩をすくめた。
だが、プリモのジト目の視線は、イサミの短剣を見てはいなかった。
彼女の視線は、のんが抱えている重厚な剣へと固着している。
「……のん、あなたが持っているその剣……」
「 え……? わたしの剣ですか……?」
のんはパチパチと目を瞬かせ、自分の抱える剣を見つめた。
のんには何も感じない。
イサミも「ん???」と首を傾げている。
何がそんなにプリモを刺激しているのか、二人には全く理解できていなかった。
「のん。……その剣、少しだけ鞘から抜いてみなさい」
「あ……はいっ! わかりました!」
のんはコックリと頷くと、重い柄を握り締め、素直に『シャリ……』と数センチだけ剣を鞘から引き抜いた。
「――ん、やっぱり嫌。気持ち悪いわ」
「ええっ!? プリモさん、本当にどういうことですか?」
イサミにも、のんにも、その剣からは何の気配も禍々しさも感じ取れない。
ただの静かな金属の剣にしか見えないのだ。だが、プリモだけが顔に嫌悪感を丸出しにし、まるで汚物を見るかのように身を捩らせている。
「ご、ごめんなさいっ! わたし、何か悪いことしちゃいましたか!?」
理由のわからないのんは半泣きになりながら、慌てて『ガチャンッ!』と剣を鞘へ押し戻した。
「はぁ…………」
剣が鞘に収まると、プリモは荒い息を吐きながら、ゆっくりと身体を起こした。
だが、その美しい瞳には、隠しきれないほどの強い拒絶と嫌悪の色が刻み込まれていた。
「のん。……その剣を抜くことは、二度と許しません」
「ひっ……! プリモさん……!?」
「イサミの短剣を見るだけでも気持ち悪くなるのに……その剣から感じるものは、私には耐えられないわ。見ているだけで虫酸が走るほど不快なの……!」
「えぇ〜……僕の短剣、なにがそんなに嫌なんですかねぇ……?」
イサミは腰の短剣をさすりながら、心底不思議そうに首をひねった。
のんも「???」とハテナマークを頭の上に浮かべながら、首を傾げている。二人にはプリモがなぜそこまで嫌悪し、拒絶しているのかがさっぱり分からない。
しかし、プリモの決意は固かった。
彼女はすっと二人の前に立ち塞がると、優雅な動作で腰の細身のレイピアを抜いた。
*チャキン……*と、澄んだ美しい金属音が森に響き渡る。
「ハニワの巣討伐は……すべて『私』が引き受けるわ」
プリモは凛とした、けれど拒絶の籠もった強い瞳で二人を振り返った。
「イサミ、あなたもその短剣や小細工を使う必要はないわ。そしてのん、あなたはその剣を絶対に抜かないと約束しなさい。……あの不快な気配を感じるくらいなら、害虫の群れなど私一人で一瞬で切り刻んで見せるわ」
「は、はいっ……! 約束します! 絶対に抜きません……っ!」
のんは理由も分からぬまま、プリモの迫力に押されてぶんぶんと激しく首を振った。
「いやぁ〜、プリモさんがそこまで言うなら、僕としては願ったり叶ったりですよ! 全部戦ってくれるなら大助かりです!」
イサミは「やれやれ」と肩をすくめ、チャラついた笑みを浮かべた。
「僕は後ろでのんさんの護衛をしつつ、プリモさんのかっこいい戦いっぷりを見学させてもらいますね〜♪」
「ふふ……調子のいいことばかり言って。でも、それでいいわ」
プリモは口元にほんのりと、頼れる年上らしい包容力のある笑みを浮かべ直した。
「イサミ、もしもの時は……のんを連れて、迷わず引き返しなさい。……行くわよ」
気高きカラーの凄腕剣士――プリモ・カラーを先頭に、理由の分からぬまま首を傾げるイサミとのんは、ハニワどもの巣窟である暗い洞窟へと、再び歩みを進め始めたのだった。
♢
ーーーーー湿り気のある冷気と、カビ臭い土の匂いが充満する地下洞窟。
王都郊外の森の奧深くに隠されたその巨大な空洞こそが、大量のハニワ(ハニー)どもが蠢く巣窟であった。
「新しい女神様、バンザーイ!」
「前の女神は段ボール箱に詰めて捨てたぞー!」
松明の怪しい光に照らされた洞窟の広場では、土でできた黄色い、お目が点々の不条理な頭巾野郎どもが、ヘンテコなダンスを踊りながら大騒ぎしていた。
――だが。
洞窟の入口から足を踏み入れた「一人の美しき戦士」によって、瞬時に粉砕されることとなる。
「……ハニワの群れ。言葉も通じぬ理不尽な害虫ども……」
洞窟の暗闇の中に、凛とした気品あふれる涼やかな声が響き渡った。
そこに立っていたのは、不老長寿のカラー族が誇る凄腕の女剣士――プリモ・カラーだ。
露出度の高い美しい戦士衣装から伸びる、限界まで鍛え上げられたしなやかな肢体。
その腰からは、太陽の光を吸い込んだかのように眩しく煌めく一振りの細身のレイピアが引き抜かれていた。
その背後では、道具屋のイサミと、理由も分からぬまま重厚な剣を抱えたのんが、安全な岩陰からひょっこりと顔を出している。
「プリモさん、気をつけてくださいね〜! あいつら本当に打たれ強さだけは異常ですから!」
「……イサミ、あなたはその短剣を抜かないでちょうだい。本当に」
プリモは振り返ることなく、冷徹かつ静かな声で告げた。
彼女の意識の中にあるのは、イサミの短剣やのんの剣に対する「生理的な拒絶反応」と、それを上回るカラーの戦士としての圧倒的な自負だ。
「ハニホー……? ハニホー!」
「囲めー! 捕まえろー!」
異変に気づいたハニワどもが、短く不格好な手足をバタバタさせながら、津波のような大群となってプリモへと押し寄せてくる。
その数、およそ20。
しかし――プリモ・カラーの辞書に「苦戦」という文字は存在しない。
「――遅いわ」
プリモの澄んだ瞳が、不吉な黄色い大群を冷ややかに捉えた。
シュッ……!!
空間が爆ぜた。
プリモの姿が、一瞬で視界から消え去る。
「ハニホー……!?」
ハニワどもが間抜けな声を上げた瞬間には、すでに遅かった。
「カラーの秘術と私の剣技……その身で味わいなさい……はぁぁっ!!!」
洞窟内に吹き荒れたのは、文字通りの殺戮の暴風であった。
プリモの手から繰り出される細身のレイピアは、肉眼では視認することすら不可能な超高速の連撃へと昇華していた。
ダメージがどれだけ軽減されようが、そんなものは関係ない。
攻撃の絶対数が、相手の耐久値という概念そのものをオーバーフローさせる!
ドドドドドドドドドドドドドドドドドドッッッ!!!!
「はにほーーー!?!?」
「はにッ!?」
「あいやあああッ!?」
銀色の閃光が交差し、洞窟全体が眩い斬撃の網目に包み込まれる。
切断され、砕け散り、粉砕されていくハニワどもの黄色い土塊。
壊れたハニワから放たれる自爆の爆風や「ハニーフラッシュ」の不快な光すら、プリモの超高速の剣技によって発生した衝撃波がすべてを吹き飛ばし、彼女の肌に触れることすら許さない。
「そこよ……! これで終わりよっ!」
――――ズバババババババンッッッ!!!!
プリモが優雅に着地し、細剣を『チャキン……』と美しい動作で鞘へと納めた。
直後、洞窟内のハニワの大群が、一斉に「あいやー……」という虚しい断末魔とともに、ただの黄色い砂埃となって一瞬で崩れ去った。
残されたのは、静まり返った洞窟と、塵一つついていないプリモの美しい佇まいだけであった。
「……ふぅ。手応えのない相手ね。」
プリモは髪をそっと払うと、何事もなかったかのように振り返った。
まともな苦戦すら存在しない。文字通りの「完全なる圧倒(殲滅)」であった。
岩陰で見学していたイサミとのんは、開いた口が塞がらない。
「あ……あばばばば……」
イサミは冷や汗を流しながら、引きつった笑みを浮かべた。
(相変わらず強すぎるでしょうプリモさん!!? ハニーの大群を、ただの圧倒的な『手数(物理)』で力押し粉砕するとか……やっぱりカラーの戦士って頭のネジ飛んでますよーーーッ!?)
「す……すごいです……! プリモさん、カッコよすぎます……!」
のんは目をキラキラと輝かせ、壊れた土の山を見つめた。
「さあ、行きましょう。不愉快な害虫の巣は滅ぼしたわ。こんなじめじめした場所、長居するものではないわね」
プリモは凛とした佇まいのまま、二人を促して洞窟を後にした。
ーーーーーそれから数刻後。
無事にコパンドンCITYへと帰還した三人は、夕暮れ時の赤橙色に染まる街並みを歩いていた。
「はぁ……無事に害虫駆除も終わりましたし、プリモさんの無敵の強さも見られましたし、満足満足です!」
イサミは肩の後ろで両手を組み、爽やかに笑った。
だが、プリモの足がふと止まる。
彼女の視線は、イサミの隣をトコトコと歩く少女――のんに注がれていた。
「……イサミ。一つ、大事なことを忘れていないかしら?」
「ん? 何ですかプリモさん?」
「この子……のんの行先よ」
「あ……」
イサミは思わず声を漏らし、のんを見下ろした。
のんは相変わらず、薄汚れた布切れを纏い、自分には扱えない重厚な(そしてプリモが激しく嫌悪する)剣を抱え、不安そうに身を縮こまらせている。
ハニワの巣を壊したことで、彼女を脅かす存在はいなくなった。
しかし同時に、彼女には帰る家も、身寄りも、頼れるあても何一つないのだ。
「わたし……これから、どうしたらいいのでしょう……。また段ボール箱に戻ったほうがいいでしょうか……?」
のんはドナドナされていく子羊のような潤んだ瞳で、ポツリと呟いた。
「ダメよ」
プリモが即座に、けれど優しい声で遮った。
「人間の少女が段ボール箱で暮らすなんて、美しくないわ。……イサミ、あなた、何か良い考えはないの?」
「うーん……僕のお世話になっているホームで引き取るにも、うちの拠点は女子の比率が高すぎてエリスさんやメルティさんに怒られそうですしねぇ……」
イサミはアゴを擦りながら、うーんと腕を組んだ。
だが、その時イサミの頭の中に、昨日の「ある出来事」が閃いた。
(……待てよ? 完全に黒字運営になったは良いものの、事務仕事や出張道具屋のサポートで『人手が足りない』って、エリスお姉さんたちが悲鳴を上げてましたよね……?)
今日から専属契約としてガッツとルーシーが加わったが、彼らは力仕事や護衛、探索がメインだ。店舗での細やかな雑務や、料理の手伝い、掃除、あるいはイサミたちの出張のサポートをしてくれる「見習いスタッフ」が居れば、さらに完璧なのではないだろうか?
「……よし! のんさん、僕についてきてください!」
「え……? どこへ行くのですか……?」
「僕がよくゲスト参加しているクランのホームです! 行く当てがないなら、『見習い』として働きながら暮らしてみませんか!?」
「ええっ……!? わたしが……ですか!?」
「いいアイデアね、イサミ」
プリモも口元に、包容力のある大人な笑みを浮かべた。
「あなたのいるクランなら、あの優しい女性たちもいるわ。この子を任せるには一番安全な場所ね。……私も見届けるわ」
♢
王都の一角に佇む、木造の温もりあふれるクランの拠点(ホーム)。
ガラガラと扉を開けると、店内では夕食の準備をしていたメンバーたちが一斉に振り返った。
「あ、お帰りなさいイサミくん! お買い物はどうだった……って、あら?」
エプロン姿のエリスが、おたまを持ったまま目を丸くした。
「イサミくん?……そちらの女の子と、カラーの剣士様は……?」
書類を手にしたメルティが、眼鏡をそっと押し上げる。
「ただいま帰りました〜! エリスお姉さん、メルティさん! 実はですね――」
イサミは今日の一連の騒動――街の裏路地で段ボール箱に入っていたのんを拾ったこと、ハニワどもに捨てられた経緯、そしてプリモの圧倒的な力でハニワの巣を完膚なきまでに滅ぼしたこと(※プリモが不快感を示した剣のくだりは適当にごまかした)を、面白おかしく説明した。
「……まあ! そんな酷い目に遭っていたのですか……!」
話を聞き終えたエリスの豊満な胸が、同情で大きく揺れた。彼女はすぐ様しゃがみ込み、のんの目線に合わせて優しく微笑みかけた。
「怖かったでしょう、のんちゃん。もう大丈夫ですよ」
「あ……はい……。」
「メルティさん、どうでしょう?」
イサミがメルティにチラリと視線を送る。
「ちょうど黒字化に伴う事務や店舗雑務の『人手不足』で悩んでましたよね? のんさん、すごく素直な子ですし、うちの見習いスタッフとして採用するのはどうですか? 住み込みなら食費と部屋代は給与から控除すれば良いですし!」
メルティは手帳を開き、素早く羽ペンを走らせると、完璧な令嬢スマイルを浮かべた。
「法務的にも、人道手的にも、そして我がクランの労働環境改善の観点からも……文句のつけようがありませんわ! 採用決定ですわね、イサミ様!」
「本当ですか……!? わたし、ここで働いていいのですか……!?」
のんは信じられないといった様子で、小さな手で口元を覆った。
「ええ、もちろんですよ」
エリスは優しくのんの手を握りしめた。
「今日からここが、あなたの新しいおうちです。まずは温かいお風呂に入って、美味しいシチューを食べましょうね」
「はいっ……! ありがとうございます……っ! わたし、お掃除も、お洗濯も、なんでも頑張ります……っ!」
のんの瞳から、ポロポロと大きな嬉し涙が溢れ落ちた。段ボール箱の中で孤独に震えていた少女に、ついに安心して眠れる「居場所」ができたのだ。
その温かな光景を、プリモ・カラーは壁に背を預け、どこかすっきりとした微笑みを浮かべて見つめていた。
「ふふ……良かったわね、のん。素晴らしい居場所が見つかって」
プリモはすっと立ち上がり、腰の細身の細剣を揺らしながら扉へと向かった。
「プリモさん、もう帰っちゃうんですか? 夕飯、食べていけばいいのに!」
イサミが声をかけると、プリモは振り返り、凛とした美貌に包容力のある笑みを浮かべた。
「気持ちだけ受け取っておくわ、イサミ。私はカラーの戦士……長居しすぎれば、あなたたちの賑やかな毒気に当てられてしまいそうだわ」
プリモはイサミに近づくと、頼れる年上のヒロインらしく、そっと彼の肩を優しく叩いた。
「イサミ。……今日のあなた、少しだけかっこよかったわよ。のんを捨て置かず、私の不機嫌にも付き合ってくれて……ありがとうね」
「へへ……プリモさんに褒められるなんて光栄ですねぇ!」
「ん……また、ね。」
プリモは優雅にマントを翻すと、夕闇が迫る王都の街並みへと風のように去っていった。
黒字運営の達成、頼もしい専属コンビ(ガッツ&ルーシー)の加入、そして可憐な見習いスタッフ(のん)の採用――。
賑やかさを増していくクランの夜は、温かなシチューの匂いと笑顔とともに、静かに更けていくのであった。