とある日。
王都の活気とはまた一味違う、どこか混沌とした熱気と享楽の匂いが漂う街――『コパンドンCITY』。
この街の象徴でもある巨大な中央広場は、朝から目眩がするほどの色彩と音響に包まれていた。
色鮮やかな万国旗が頭上を覆い、露店からは香ばしい串焼き肉や甘い果実酒の香りが立ち上っている。太鼓や笛の賑やかなお囃子が鳴り響き、普段は険しい顔をした冒険者も、怪しげな商人も、市民たちも、みな一様に酒杯を掲げて踊り明かしていた。
ーーーそう、今日は年に一度開催される『コパンドンCITY大感謝祭』の当日であった。
広場の一角、最高の立地を確保して設営された大きな露店。
その看板には、大きく『クラン・道具屋・合同店』と書かれている。
「は、はーいっ! いらっしゃいいらっしゃいなのですっ! 特製、回復薬入りフルーツポンチに、ムラサキさんの特製ハーブ焼きですっ! 一杯たったの銅貨5枚ですよ〜!」
看板娘として店頭に立つのは、見習いとして加わった少女――のんだ。
いつかの薄汚れた布切れ姿から一転、エリスとメルティが新調してくれた可愛らしいエプロンドレスに身を包み、目を輝かせながら一生懸命に声を張っている。
「あらあら、のんちゃん、とっても上手ですよ。はい、冷たいハーブティーでも飲んで少し休憩しなさいね」
「エリスさんっ! ありがとうございます……っ! わたし、みんなとお祭りのお手伝いができて、すっごく楽しいですっ!」
包容力あふれる笑顔でエリスがのんの汗を拭い、隣ではメルティがパチパチと素早い手つきで算盤と帳簿を弾いている。
「素晴らしい……! コパンドンCITYの祭り需要、恐るべしですわ! 手軽に買えるお値段に設定したお陰で回転率が凄まじく、本日の売上累計は既に目標を達成しておりますわ!」
「ガハハ! おいおいお嬢さん、 こっちの薪割りや荷揚げは任せときな!」
「チッ、ガッツ、声が大きいのよ。……ほら、道具屋。注文の追加の木箱、運んできてやったわよ」
専属契約メンバーとして加わった豪快な大剣使いガッツと、短刀を腰に差した手練れのルーシーも、文句を言いながらもしっかりと店の護衛と力仕事を手伝っていた。
店は大盛況。誰もが小銭を握りしめて笑顔で祭りの熱気を楽しんでいる。
――ただ1組、店の奧で怪しげな作業に没頭している二人組を除いては。
「……ふふふ。ムラサキさん、フィルター部分の目詰まりはどうですかね?」
「は、はいっ! イサミさん、フィルター部分は完璧です……っ! 活性炭と魔導薬草を三層構造で充填しましたから、致死性の毒ガスも催涙スモークも、ろ過効率九九・九%以上を叩き出せます……! どんな極悪なガス罠でもこれさえあれば完全無効化できちゃいます……っ!」
店の奥のテントスペース。
そこでは、ゲスト道具屋のイサミと、薬師ムラサキが、車輪のような机の上に怪しげな試作品を広げ、頭を突き合わせていた。
普段はおどおどとしているムラサキだが、調合の話題になると一転して瞳をキラキラと輝かせ、オタク特有の早口になっている。
二人の手元にあるのは――祭りの『お面』であった。
しかし、お祭り売店で売られているような可愛らしい狐のお面や、格好いい英雄の面とは根本的に異なっていた。
それは、安価な薄革とブリキで作られた、異様かつ不気味な『ガスマスク型のお面』であった。
大きな丸いガラスレンズの眼筒部分。口元にはゴツゴツとした円筒状の濾過(フィルター)缶が突き出し、頭部全体を覆うゴムベルトが何本も走っている。どこからどう見ても、平和なお祭りの露店に置くような代物ではない。
「ふふふ……これですよこれ! 僕特注の『全自動ろ過機能付きガスマスク面』! 毒ガス罠や煙幕の中でも視界を確保しつつ、呼吸を完璧に保てる逸品です! お祭り価格!これさえあれば、敵が毒攻撃を仕掛けてきた瞬間にニヤリと笑って無双できますよ〜!」
「す、すごいですイサミさん……! 毒ガス罠を逆手に取るなんて素晴らしい発想です……っ! 私の配合した安価な魔導ろ過材も、この機構を通せば完璧に毒素を中和して、ただの芳香ハーブの香りに変換できます……っ!」
イサミとムラサキは、二人して「ヒヒヒ……」「ふふふ……っ」と怪しい笑い声を漏らしながら、最後の仕上げとしてキャニスターを『キュッ』と締め上げた。
そこへ、露店の見回りから戻ってきたメイン前衛の少女――クロエがやってきた。
赤髪をなびかせ、剣を背負ったクロエは、店の熱気とは明らかに異質な暗雲を漂わせるテント前でピタリと足を止めた。
そして、イサミとムラサキが恭しく掲げ持つ『それ』を目にした瞬間、派手に額へ青筋を立てた。
「……ちょっと、イサミ。ムラサキ。アンタたち、店の奧で何コソコソ怪しいことしてんのよ?」
「あ、クロエさん! 見てくださいよこれ! 僕とムラサキさんの共同開発による最高傑作、特注ガスマスク型のお面です!」
イサミはドヤ顔で、その禍々しく不気味なガスマスクをクロエの目の前へ突き出した。
「……は?」
クロエの動きが止まった。
彼女は半目で、眼筒が不気味に光る黒いマスクを見つめ、それからイサミのヘラヘラとしたチャラ顔を見つめ直した。
「……何よこれ。こんな不気味なお面、何に使うのよ!?」
クロエの容赦のない叫びがテント内に響き渡った。
「今日はお祭りよ!? みんな銅貨何枚かで可愛いきつねのお面とか、格好いい騎士のお面を買って楽しんでんの! なんでこんな、見ているだけで息苦しくなるような拷問器具みたいなのを飾ろうとしてんのよバカ!!」
「拷問器具とは失礼ですねぇ! これ、ただのお面じゃないんですよ!? 僕の仕掛けと、ムラサキさんの魔導調合技術が結集した、超高性能な防災・戦闘用お面なんです! 」
「あ、あの……っ! クロエさん、見た目は少し不気味かもしれませんけど……っ! これがあればどんな致死毒も催涙ガスも無効化できますし、性能から考えたらとってもお買い得なんです……っ!」
ムラサキもオタク特有の熱量で必死に弁明するが、クロエは「はぁぁぁ……」と呆れ果てた溜息を深く吐き出した。
「ハァ……。まったく、アンタたちは相変わらずね……。いい? ウチの店は今、のんちゃんやエリスさんのおかげで大繁盛してんの! そんな物騒で怪しいものを店頭に並べて、せっかくのお客さんを怖がらせたら承知しないわよ!?」
「あ、すみません……っ! 気持ち悪いお面を作っちゃってごしんなさい……っ!」
クロエに一喝された瞬間、ムラサキのスイッチが切り替わり、いつものおどおどとした気弱な状態に戻って身を小さく縮こまらせた。
「えぇ〜……絶対にマニアには売れると思うのになぁ……」
イサミが不満そうに口を尖らせていると――。
ドカァァァァンッッッ!!!!
突如として、広場の中心から凄まじい爆発音が響き渡り、大地が大きく揺れた。
「きゃああああっ!?」
のんが思わず小さな悲鳴を上げてエリスにしがみつき、祭りの歓声が一瞬で悲鳴と怒号へと変わる。楽しげなお囃子が途絶えた。
「な、何事ですの!?」
メルティが驚いて帳簿を抱え直し、ガッツが咄嗟に大剣を抜いて表へ飛び出した。
「おい! 広場の真ん中で何か煙が上がってるぞ!」
イサミとクロエたちも慌ててテントから飛び出し、広場を見通せる場所へと駆け寄った。
広場の中央、大噴水のあたりから――モコモコと不気味な『ド紫色の濃煙』が爆発的に広がり、あっという間に広場全体を飲み込もうとしていた。
「ゴホッ……!? な、なんだこの煙……! 頭が……痺れ……っ!」
「毒だ! 毒ガスだぁぁぁッ! 逃げろ――」
煙を吸い込んだ市民や冒険者たちが、次々と千鳥足になり、その場に倒れ伏していく。
そして、その紫煙の中から、下品な高笑いとともに怪しげな武装集団が姿を現した。
「ヒャッハー! 祭りのおめでたい頭を吹き飛ばしてやるぜ!」
「コパンドンCITYの金目のものを残らず奪え! この特製『痺れ催涙毒ガス』の前には、どんな凄腕冒険者もただのゴミ屑だぁッ!」
山賊か悪徳冒険者くずれの集団だ。祭りの混乱に乗じて、広場全体に広域毒ガスを撒き散らし、略奪を働こうという腹積もりらしい。
「くっ……毒ガス攻撃だなんて、なんて卑劣な……っ!」
クロエが剣を構えようとするが、風に乗って流れてくる紫煙の匂いを嗅いだ瞬間、ウッと顔を歪めて口元を押さえた。
「く……視界が奪われるし、息が吸えない……! これじゃ近寄れないわ……!」
ガッツやルーシーも、風下から攻め寄せる毒煙に苦戦を強いられ、前線を押し下げられている。
「きゃうう……っ! 煙が目にしみます……っ!」
のんも目をしばたたかせて怯えていた。
広場が絶望的なパニックに包まれかけた――その時。
「……ふふふ。……ヒヒヒヒ」
クロエの隣で、不気味でチャラけた笑い声が漏れた。
振り返ったクロエの目に飛び込んできたのは――。
先ほど自分が「何に使うのよ!」と吐き捨てた、あの『特注ガスマスク型のお面』を頭にスッポリと装着し、眼筒のガラスレンズを不吉にキラーンと光らせているイサミの姿であった。
「イ、イサミ……!? アンタ、それ……!」
「いやぁ〜、クロエさん。人生、何が役に立つか分からないものですねぇ?」
ガスマスクのフィルター越しに、イサミの籠もった、しかし完璧に余裕に満ちた声が響く。
「ムラサキさん! 予備のマスクをクロエさんたちに!」
「は、はいっ! み、皆さんこれをつけてください……っ! 予備は全員分用意してありますから……っ!」
ムラサキが素早い手つきで、ガッツ、ルーシー、クロエ、そしてエリスたちの分まで予備のガスマスク型お面を手渡していく。
「な、何よこれ! 息苦しいし見た目も最悪じゃないのよ!」
クロエは文句を言いながらも、背に腹は代えられないとばかりにガスマスクを頭から装着した。
装着した瞬間――。
「……え?」
クロエの目が丸くなった。
先ほどまで鼻を突いていたド臭い毒ガスが、マスクを通した瞬間、スーッとした爽やかなハーブの香りへと完全にろ過されていたのだ。
視界も特殊ガラスレンズによって、濃煙の向こう側がはっきりと見透かせる。
「す、すごい……! 全然息が苦しくない……!? 煙の向こうも見えるわ!」
「ガハハ! こいつは凄ぇや! 毒ガスなんざただの風じゃねぇか!」
ガッツがガスマスク姿で豪快に大剣をぶん回す。
「ふふふ、言ったでしょう? 歩く道具屋と天才薬師の合作を舐めててもらっちゃ困りますねぇ!」
イサミはガスマスクの目元をニヤリと歪め(レンズ越しにはただ不気味に光って見えるが)、腰の短剣と特製スモークバクダンを手に取った。
「さあみなさん! 毒ガスを撒いて調子に乗っている害虫どもに……『ガスマスク集団』の恐怖を教えてあげましょうか!」
「す、スモークに毒薬を混ぜ込むなんて……薬師にも許せませんっ! 皆さん、やっちゃってください……っ!」
「……チッ、格好悪いけど……やるっきゃないわね!」
クロエは剣を構え直し、ガスマスクを装着した異様の集団の先頭に立って飛び出した!
「ヒャッハー! 毒煙で全滅……って、ぬあぁぁぁ!? なんだあいつらはぁぁぁ!?」
毒煙の向こうから現れたのは、不気味な黒いガスマスクを装着し、平然と呼吸をしながら爆走してくる謎の異形集団であった。
「な、なんで毒ガスが効いてねぇんだ!? しかも見た目が怖すぎるだろぉぉッ!?」
「遅いわよッ!!」
ズバァァァンッ!!
クロエの一閃が襲撃者の大剣を叩き折り、ガッツの豪快な一撃が群がる山賊どもを吹き飛ばす!
視界と呼吸を完全に確保したクロエたちにとって、毒煙の中で油断しきっていた山賊などただの的に過ぎなかった。
さらに最後尾から、イサミとムラサキが息の合った連携で特製道具を投げ込む。
「はいそこ、おかわりですよ〜♪ 毒ガスの上に僕特製煙幕を上書きしておきましたからね〜!」
「げはっ!? 前が見えねぇえええ!? 」
わずか数分の出来事であった。
広場を恐怖に陥れようとした暴徒どもは、完璧な防毒装備を整えたガスマスク集団の手によって、一匹残らず叩きのめされ、縛り上げられて御用となったのだった。
嵐のような騒動が過ぎ去り、ムラサキの特製中和剤によって広場の毒煙もすっかり綺麗に消し去られた。
事態を収拾したコパンドンCITYの警備兵や市民たちから、盛大な拍手と歓声が送られる。
「すごいぞお面集団!」
「あの怪しいお面、めちゃくちゃ強いじゃないか!」
「おい道具屋! あの黒いお面、俺にも売ってくれ! 祭りの記念に買うよ!」
なんと、襲撃事件をきっかけに、先ほどまで「不気味」と叩かれていた特注ガスマスク型お面が、大人気商品として街の冒険者や市民たちに飛ぶように売れ始めたのだ。
「はいっ! まいどありですっ!」
のんが目を輝かせながら元気に商品を渡し、イサミはほくほく顔でジャラジャラと小銭を金庫へ放り込んでいる。
その隣で、無事にガスマスクを外したクロエが、呆れと感心が混ざったような複雑な表情でイサミとムラサキを見つめていた。
「ハァ……。まさか、あんな不気味なお面が本当に役に立って、しかもお祭りの売り切れ商品になるなんてね……」
「ふふふ、だから言ったでしょうクロエさん? 商人の眼光に狂いはないんですよ〜! お財布に優しい価格設定もバッチリです!」
「あ、あの……クロエさん、すみません……っ! 私のお面、役に立って良かったです……っ!」
おどおどと頭を下げるムラサキに、クロエは「はいはい」と肩をすくめつつも、口元に小さく優しい笑みを漏らした。
「ふふっ、ムラサキは謝らなくていいわよ。今回はアンタとイサミの変人コンビに救われたのは事実なんだから。……ありがとね、ふたりとも」
「あ、はいっ……! 私、イサミさんとクロエさんのお役に立ててすっごく嬉しいです……っ!」
ムラサキはパッと表情を明るくして嬉しそうに頷き、イサミもチャラついた笑みを浮かべた。
「おや、クロエさんから素直なお礼を聞けるなんて、明日は槍でも降ってきそうですねぇ?」
「一言余計よバカ!!」
*ポカッ!*とクロエの拳がイサミの頭にクリーンヒットし、広場に賑やかな笑い声が響き渡った。
お祭りの熱気は最高潮を迎え、小銭をどっさりと稼ぎ出したイサミ達の愉快でちゃっかりとした一日は、コパンドンCITYの夜空に打ち上がった大輪の花火とともに、どこまでも賑やかに続いていくのであった。