コパンドンCITYの昼下がり。
昨日、Bランクパーティであるガッツとルーシーから『赤嶺の巨岩竜』討伐の出張代金として、金貨5枚と大銀貨4枚という巨額の利益を回収したイサミは、文字通りホクホク顔で街の目抜き通りを歩いていた。
二日間の通算純利益、金貨7枚と大銀貨12枚。
仕入れ値や消費した特殊薬品の補充コストを差し引いても、この街にやってきてわずか四十八時間で叩き出した収支としては、極めて優秀、いや大成功と言って良い数字だった。
「ふ〜ふ・ふ〜ん♪ 今日も良い天気、お金も入って万々歳〜♪」
イサミは機嫌よく鼻歌を口ずさみながら、いつものように背中に自分ほどもある巨大なリュックサックを背負い、軽快な足取りで石畳を打つ。
すれ違う町娘たちにチャラく片目を瞑ってみせると、「あら、可愛いボウヤ」「どこの子かしら」とクスクス笑いが起きる。
表向きは、愛嬌たっぷりでチャラチャラとした、どこにでもいそうな美少年。
だが、その愛らしい瞳の奥にある彼の頭脳は、恐ろしい精度で「次回以降のビジネスプラン」と「市場調査」を回転させていた。
(よしよし、クロエさんとココさんという『新人枠』の固定客、そしてガッツさんとルーシーさんという『上位陣枠』の太客。毛色の違う二組の顧客ラインを短期間で確保できたのは、リスク分散の観点から見ても非常に良い成果ですねぇ)
イサミはお茶目に口角を上げると、歩きながら懐から革の手帳を取り出し、小さなペンでサラサラとメモを走り書きしていく。
(ですが……油断は大敵です。ガッツさんたちのような上位冒険者は、一度の遠征で得られる利益こそ大きいですけれど、その分次の依頼までのインターバルが長い。一方、クロエさんたちは毎日のようにダンジョンへ通うけれど、一回あたりの購買力には限界がある……。となると、次に狙うべきは……『安定した継続購買力』を持ち、かつ『価格交渉で一切の妥協をしない高額商品を買ってくれる特別な客層』……)
イサミの思考は、すでに先を見据えていた。
市場の喧騒の中にいる者だけでなく、街の影に潜む「事情を抱えた者」こそが、時に破格の利益をもたらす顧客になり得るのだ。
(まあ、急いで探し回る必要もありませんかね。道具屋の基本は、果実が熟して木から落ちてくるのを待つような『観察』と『タイミング』ですから。今日は少し、商品の補充と街の地理の把握を兼ねて、普段は行かないエリアを散歩してみましょうか)
イサミは手帳を懐へしまい込むと、巨大なリュックをくいっと背負い直し、コパンドンCITYの「中央広場」から一本折れた、静かな通りへと足を向けた。
◆
コパンドンCITYは、交易の拠点として発展した活気溢れる商業都市だ。
しかし、大通りを数本隔てた西側の区画は、賑やかなギルド街や露店街とは打って変わって、静寂と穏やかな空気が支配する落ち着いた住宅街となっていた。
古い石造りの建物が立ち並び、街路樹の緑が鮮やかな影を落としている。
その通りを進んだ先に、街の喧騒から完全に切り離されたかのような、広大な『市民公園』が存在していた。
中央に大きな噴水があり、周囲には季節の花々が咲き誇る美しい公園。
お昼過ぎのこの時間帯、本来ならば近所の子供たちが走り回っていたり、買い物帰りの主婦たちがベンチでお喋りに花を咲かせていたりするような場所だ。
しかし、今日の公園は不思議なほど静まり返っていた。
噴水が水を噴き上げる涼やかな音と、木々の葉が風に揺れて鳴るサササ……という擦れ音だけが、のどかに響いている。
「ふ〜ん……ここが西区の公園ですか。静かで、なかなか良い雰囲気ですねぇ」
イサミは背中の巨大リュックを軽く弾ませながら、公園の敷地内へと足を踏み入れた。
木漏れ日が石畳の上に斑(まだら)な模様を描いている。
イサミはリュックの重みを感じさせないしなやかな歩調で、敷地内をゆっくりと散策し始めた。
彼の表面上の表情は、珍しい風景を楽しむただのお気楽な旅の少年のものだ。
だが、その内部にある「道具屋の眼」は、公園内のあらゆる違和感、異物感、そして人間の気配を克明にスキャニングしていた。
(……おや?)
公園の中央、巨大なガジュマルのような古木の木陰。
そこに設置された、少しペンキの剥げかけた古い木製のベンチ。
そこに、「一人の少女」がぽつんと佇んでいた。
イサミの足取りが、わずかに、しかし気取られない程度に緩やかになる。
その少女は、この静かな公園の風景の中で、あからさまに『浮いて』いた。
年齢はイサミと同年代か、ほんの少し年上……十五、六歳といったところだろうか。
彼女が身に纏っているのは、一見すると地味な紺色のドレスだった。だが、イサミの肥えた眼は一瞬で見抜いた。
生地の織りの細かさ、袖口に残る上質なレースの裁縫跡、そして胸元を飾っていたであろう「大きな宝石の勲章」を取り外した後の、微かな縫い目の痕跡。
それは、かつて確実に『本物の高級仕立て屋』で作られた、貴族や高貴な身分の者だけが着用を許される最高級のドレスだった。
しかし、そのドレスは今や何度も洗濯されたことで生地の端が薄くなり、全体的にくたびれて色褪せている。
そして、彼女の容姿。
艶やかな、流れるような銀糸の長い髪。
木漏れ日を浴びて透き通るような白磁の肌。
整いすぎているほどに美しい目鼻立ち。
間違いなく、生まれながらにして人の上に立つことを約束された『高貴な血筋』の造形だった。
だが、今の彼女を取り巻く空気は、あまりにも暗く、儚く、そして冷たかった。
少女はベンチに浅く腰掛け、背筋をピンと伸ばしたまま、微動だにせず噴水の水柱を見つめていた。
その膝の上には、細く白い両手が力なく重ねられている。
そして、その瞳。
深く澄んだ群青色の瞳。
そこには、年相応の少女が持つべき輝きや生気は欠片も存在しなかった。
ただただ、底のない深い絶望と、過去の栄華への未練、そして未来に対する諦絶(ていぜつ)だけが、灰色のモヤのように澱んでいる。
黄昏(たそがれ)。
まだ太陽は高い位置にあるというのに、彼女の周囲だけが、まるで世界の終わりの夕暮れの中に落ち込んでいるかのような、圧倒的な「黄昏の空気」を纏っていた。
(……へぇー)
イサミは、歩調を一切変えずにその横を通り過ぎながら、心の中で静かに呟いた。
(なるほど。『没落令嬢』……ですか)
一目見れば、全ての背景が手に取るように分かった。
かつては名のある貴族か大商人の家に生まれ、蝶よ花よと育てられたのだろう。
だが、何らかの理由——政争の敗北、家の破産、あるいは当主の急死といったよくある悲劇によって家は崩壊し、地位も財産も失った。
着るものすら売らざるを得ず、過去の栄光の残骸のような服を着て、こうして街の片隅の公園で、行き場のない時間を潰している。
少女の足元には、古びた革の小さな手提げ袋が一つ落ちていた。
それが、彼女の所有する「全ての財産」なのだろう。
少女は、イサミが近づいてくる気配にも、巨大なリュックを背負った少年が横を通り過ぎていくことにも、一切反応しなかった。
視線すら動かさない。
彼女の意識はここにはなく、遠い過去の温かな思い出か、あるいは暗い底なしの虚無の中に閉じこもっているようだった。
普通なら。
ここでチャラい少年として「やぁやぁお姉さん、こんなところで何してるの〜?」と声をかけるか。
あるいは、困っている美少女を見て親切心から「大丈夫ですか?」と手を差し伸べるのが、一般的な『ヒーロー』の行動だろう。
しかし。
イサミは——一切、声をかけなかった。
声をかけるどころか、視線すら直接合わせなかった。
ただの「通りすがりの見知らぬ通行人」として、完璧な無関心を装い、少女の前をスーッと通り過ぎていく。
なぜなら、イサミ昔から嫌というほど叩き込まれていたからだ。
『いいですか?イサミ。プライドを打ち砕かれて、絶望の底にいる「元・特別な人間」に、安易な同情や気安さで近づいちゃダメですよ?。彼女たちが一番過敏に反応するのは「同情される屈辱」だ。野次馬や偽善者の声かけは、彼女たちの心を閉ざさせるだけですから』
『商売人として関わるなら、彼女たちが「ただの可哀想な女の子」から「自らの意志で何かを欲する客」に変わる瞬間を見極めなきゃいけません。熟していない果実に手を触れたら、傷ついて腐るだけですからね〜』
イサミの内心は、完全に冷徹な「プロの道具屋」のそれだった。
(……今はまだ、ダメですかね〜)
すれ違いざま、風が少女の銀髪をふわりと持ち上げた。
かすかに漂う、高価な香水の遠い残り香。
そして、彼女の乾いた唇が、音にならない声で何かを呟いたような気がした。
だが、イサミは振り返らない。
(今の彼女は、自分の不幸と絶望に溺れている最中。ここで声をかけても、追い払われるか、警戒して二度とこの公園に来なくなるだけ……。……『第一回遭遇』としては、存在の確認と状態のチェックだけで十分合格点です)
イサミはお茶目な笑顔の仮面を崩さないまま、トコトコと軽やかな足取りで噴水の脇を通り抜け、公園の出口へと向かって歩いていく。
少女は、イサミが去っていったことすら気づいていないご様子で、ただじっと、剥げかけたペンキのベンチの上で、冷たい木漏れ日を浴び続けていた。
(没落令嬢……。地位を失い、財を失い、それでもあのピンと伸びた背筋と、上質な服への執着……。彼女の中には、まだ捨てきれていない『矜持(プライド)』が残っている)
公園を出て、再び賑やかな大通りへと戻ってきたイサミは、人混みの中でニヒッと悪戯っぽい笑みを浮かべた。
(矜持が残っている人間は、生半可なことでは絶望に屈しません。そして……一度「生きる理由」や「逆転のきっかけ」を見つけた時、とてつもない執念と購買力を発揮する……)
イサミは手帳を取り出すと、ページの隅に小さくペンで記した。
『西区の公園・銀髪の少女(元貴族?)・要観察』
「ふふふ……楽しみですねぇ。あの果実がどんな風に熟して、どんな『お買い物』をしてくれるのか……」
イサミはお茶目にウインクを一発飛ばすと、チャラチャラとしたいつもの歩調で、次の仕入れ先である魔法薬店へと向かって歩き出した。
太陽の光が、歩く道具屋の巨大なリュックを眩しく照らし出していた。