※この作品はR-18です。

イサミクエスト マックシム   作:勇者パンスト

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組織①

 

 

コパンドンCITYの裏路地に位置する、そのクランホームの朝は、静寂と日差しに満ちていた。

 

 

 

 

木漏れ日が窓枠を縁取り、古い木造建築の床に柔らかい光の斑点を作っている。

 

 

 

街の喧噪から一段下がったその場所は、冒険者たちが羽を休め、次の冒険へと想いを馳せるための大切な居場所だった。

 

 

 

 

 

「よしっ……お掃除、一生懸命がんばりますっ……!」

 

 

 

 

誰もいないリビングで、のんは小さな拳をギュッと握りしめた。

 

 

 

 

ゆるいウェーブのかかった柔らかな髪を揺らし、クランから与えられた清潔で見習いスタッフ服に身を包んだのんは、朝からクランホームの清掃に精を出していた。

 

 

 

イサミや他のメンバーたちが市場や街の仕入れ、それぞれの用事で出かけているこの時間は、のんにとって大切な仕事の時間だ。

 

 

 

 

かつて、ハニー(ハニワ)たちに「女神様」として崇められていたものの、より胸が大きくてピカピカした新女神の登場によって、段ボール箱に詰められてあっさりと捨てられた悲しい過去。

 

 

 

ドナドナされていく子牛のように震えていた自分を拾い上げ、こんなにも温かい居場所をくれたイサミやエリス、メルティたち。

 

 

 

 

 

(またあの冷たい段ボール箱に戻されたらどうしようって……時々すごく怖くなっちゃうのですけれど……ここにいられるなら、わたし、どんなお掃除だって頑張れるのですっ)

 

 

 

 

「ふふ……エリスさんたちが帰ってきたら、ピカピカの床でびっくりさせちゃいます……!」

 

 

 

 

 

のんはバケツの水で雑巾を絞ると、床にひざまずき、パチパチと目を瞬かせながら丁寧に床を磨き進めていった。

 

 

 

 

 

その腰には、いつもの通り――重厚で美麗な装飾が施された一振りの「剣」が下げられていた。

 

 

 

 

 

ハニーたちから貢ぎ物として貰った、ずっしりと重い謎の剣。

 

 

のん自身はその価値も恐ろしさも全く理解しておらず、「ただの重いお供え物の剣」だと思っている。プリモからは「直視するのも耐えられないほど気持ち悪い」と恐ろしいジト目で睨まれ、「絶対に抜いてはダメ」と約束させられているため、取扱いに気をつけながら大事に持ち歩いているものだった。

 

 

 

 

「……ん、廊下も綺麗にしないとでしょうか……?」

 

 

 

 

 

ぽやぽやとした仕草で頭の上にハテナマークを浮かべるように首をかしげ、のんは雑巾とバケツを持って廊下へと向かった。

 

 

 

 

その時だった。

 

カチャリ、と。

 

 

 

 

クランホームの表扉が、静かに開く音がした。

 

 

 

 

 

「あ……お帰りなさいませっ! わたし、今お掃除を――」

 

 

 

 

メンバーの誰かが帰ってきたのだと思い、のんは潤んだ瞳を輝かせてパッと振り向いた。

 

 

 

しかし――そこに立っていたのは、見知った温かい仲間の顔ではなかった。

 

 

 

 

 

「……え……?」

 

 

 

 

のんの声が、途中で小さく途切れた。

 

 

 

扉の隙間から滑り込むように入ってきたのは、頭から深々とフードを被った、異様な圧迫感を纏う四人の人影だった。

 

 

 

 

顔を隠す濃紺のローブ。

 

 

その隙間からは不気味なほどの無表情と、冷たい雰囲気が漂っている。温かかったクランホームの空気が、一瞬で凍りつくように冷えていく。

 

 

 

「あ、あの……どちら様でしょうか……? ここはクランホームなのですけれど……」

 

 

 

 

のんはバケツを両手でギュッと抱え込み、身を縮こまらせて問いかけた。

 

 

 

 

四人の影は、のんの問いかけに一切答えない。ただ、フードの奥の瞳が、一斉にのんの「腰元」――あの重厚な装飾の剣へと注がれた。

 

 

 

「……見つけた」

 

 

 

 

低く掠れた女の声が、フードの隙間から漏れた。

 

 

次の瞬間、女らしき人物が残像を残すほどの速度で踏み込んできた。

 

 

 

 

「ひゃうっ――!?」

 

 

 

 

のんが反応する隙すら与えられない。風を切る音と同時に、女の手がのんの腰元へと一直線に伸びる。

 

 

 

 

カチン、と鋭い金属音が響いた。

 

 

 

 

「いやっ……! この剣は、プリモさんと抜かないって約束した大切な――っ!」

 

 

 

 

のんは咄嗟に両手で腰の剣を抱え込もうとした。

 

 

しかし、相手の腕力はあまりにも強大だった。

 

 

女の指先が強靭な力で鞘を掴み、ベルトの金具ごと力任せに引きちぎる。

 

 

 

 

ブチッと革が弾け飛ぶ音がして、のんの身体から大切な剣が奪い去られた。

 

 

 

 

「ああっ……! わたしのお供え物が……返してくださいっ……!」

 

 

 

 

のんは必死に手を伸ばしたが、女はすばやくバックステップを踏み、手に入れた剣の意匠を確かめるようにフードの奥で頷いた。

 

 

 

 

「目標の確保を確認。」

 

「よくやった」

 

 

 

 

残る三人の男らしき影が、じりじりと前に進み出てくる。

 

 

奪われた剣を掲げる女の背後で、三人の男たちは下卑た笑みを浮かべ、のんの全身を舐め回すような視線で睨みつけた。

 

 

 

のんは床に倒れ込んだまま、不安で胸を押し潰されそうになりながら、身を縮めて後ずさった。背中が壁に当たり、逃げ場がなくなる。

 

 

 

 

「ひっ……! あ、入ってこないでください……っ!」

 

 

「へへ……目的のものはあっさり手に入ったな」

 

 

「おいおい、こんな上物が転がってるなんて聞いてねえぞ。小柄で可愛らしい顔してやがる」

 

 

 

 

男らしき三人が、ゆっくりとのんを取り囲むように距離を詰めてくる。

 

 

その瞳には、生々しく醜悪な欲望が不気味に蠢いていた。

 

 

 

 

「や、やめてください……! わたし、何も持っていませんっ……!」

 

 

 

 

のんは潤んだ瞳に涙を溜め、怯えた表情で必死に身を護るように両腕を交差させた。

 

 

 

 

「いいじゃねえか。せっかくここまで忍び込んだんだ。仕事の『報酬』として、どうせなら少しばかり味見していっても罰は当たらねえだろ?」

 

 

「ククッ、そうだなぁ。どうせ後で消す目撃者だ。楽しんでからでも遅くはねえ」

 

 

「嫌です……っ! 来ないで……っ! イサミさん……! エリスさん……っ!」

 

 

 

 

 

 

のんが悲鳴を上げた瞬間、中央の男が飛びかかってきた。

 

 

 

 

「キャッ……!?」

 

 

 

 

強い衝撃とともに、のんは冷たい木造の床へと押し倒された。

 

 

男の太い腕がのんの両手首を床に叩きつけ、上から押しつぶす。

 

 

 

 

 

 

 

「うぐっ……! 放してください……っ! わたし、お掃除しないと……っ!」

 

 

「大人しくしやがれ! ギャーギャー騒ぐんじゃねえ!」

 

 

 

 

 

男の分厚い手が、のんの見習いスタッフ服の襟元にかけられた。

 

 

 

 

 

バリッ――!!

 

 

 

 

 

乾いた布地が裂ける音が、静かなリビングに不快に響き渡った。

 

 

 

 

のんの着ていた服の胸元が豪快に引きちぎられ、白い肌と華奢な肩が露わになる。

 

 

のんは恐怖と、「また居場所を奪われて捨てられるのではないか」という根深いトラウマでボロボロと涙を溢れさせた。

 

 

 

 

 

「嫌なのです……っ! いやああぁぁぁっ! たすけて……誰か助けてくださいぃっ!」

 

 

「へへっ、どんなに叫んだって無駄だ! 仲間は誰も帰ってこねえよ!」

 

 

 

 

 

男の顔が下品に歪み、晒されたのんの胸元へとその手が伸びる――。

 

 

 

 

 

次の瞬間。

 

 

 

 

ドゴォォォンッ――!!!!

 

 

 

 

 

クランホームの重厚な玄関扉が、凄まじい衝撃音とともに粉砕され、木片が嵐のように室内へと吹き荒れた。

 

 

 

 

「――てめぇら、ここで何やってやがる……っ!!」

 

 

 

 

地響きのような咆哮が、壁を揺らした。

 

 

 

 

舞い散る煙の向こうから現れたのは、巨大な体躯を怒りで打ち震わせる男――ガッツだった。

 

 

その手にはすでに巨大な大剣が握られており、その瞳は血走って真っ赤に染まっている。

 

 

 

 

 

そして、その傍らには、氷のような殺気を撒き散らすルーシーの姿があった。

 

 

 

 

「のんちゃん……っ!?」

 

 

 

 

 

服を破られ、涙を流して震えるのんの姿を目にした瞬間、ルーシーの瞳から完全な理性の光が消え失せた。

 

 

 

 

「あ……ガッツさん……ルーシーさん……っ!」

 

 

 

 

のんが涙に濡れた顔を上げ、ぽろぽろと零れる涙をぬぐいながら叫んだ。

 

 

 

 

「てめぇら……よくものんちゃんに手を出しやがったなあああぁぁぁっ!!」

 

 

 

 

 

ガッツが踏み込んだ足が、頑丈な床板を粉砕した。

 

 

 

巨躯からは想像もつかない爆発的な踏み込みで、のんを押し倒していた男へと一直線に肉薄する 。

 

 

 

ガッツの手から振るわれた大剣は、純粋な殺意の塊と化した巨鉄の嵐だった。

 

 

 

 

「ひっ……!? し、仕留め――」

 

 

 

 

押し倒していた男が慌てて立ち上がり、腰の短剣を抜こうとした。

 

 

 

 

だが、遅すぎた。

 

 

ドガァァァンッ!!

 

 

 

 

 

ガッツの放った超絶的な大振り一閃が、男の短剣ごと、その上半身を斜めに叩き潰した。

 

 

 

 

骨が砕ける不快な音が響く。男は悲鳴を上げる暇すら与えられず、壁際まで吹き飛ばされ、そのままピクリとも動かなくなった。

 

 

一撃粉砕。

 

 

 

 

 

「のんちゃん! 無事!?」

 

 

 

 

ルーシーが瞬時にのんの元へと駆け寄り、着ていた自らの羽織りを脱いでのんの破られた胸元を優しく包み込んだ。

 

 

 

 

「うっ……うわああぁぁん! ルーシーさん……っ! お供え物の剣が……奪われちゃったのですぅ……っ!」

 

 

 

 

のんはルーシーの胸に顔をうずめ、ボロボロと大粒の涙を零しながら激しく泣きじゃくった。

 

 

 

 

「大丈夫、大丈夫だからね……! 私たちが来たから、もう安心だよ……!」

 

 

 

 

ルーシーはのんをしっかりと抱きしめながら、冷徹な視線を残る三人の刺客へと向けた。

 

 

 

 

ガッツの一撃で仲間の一人が肉塊と化した光景を目にしても、フードの三人は動揺するどころか、不気味なほど冷ややかにその状況を受け止めていた。

 

 

 

 

「チッ……。想定より早い帰還だな」

 

 

 

 

奪った剣を抱える女が、冷静に声を漏らす。

 

 

 

 

「ガッツ……奴ら、ただ者じゃない」

 

 

 

 

ルーシーが短剣を構えながら警戒の声を上げる。ガッツは大剣の血を振り払い、巨大な体躯で三人の退路を塞ぐように立ちはだかった。

 

 

 

 

「逃がすかよ……! のんちゃんを傷つけ、この場所を荒らしたツケは、命で払ってもらうぞてめぇら!!」

 

 

 

 

ガッツが再び大剣を構え、踏み込もうとした――その時だった。

 

 

 

 

ガッツの一撃によって壁際で息絶えていたはずの、あの倒された男の体から、不穏な黒い力が湧き上がり始めた。

 

 

 

 

 

「……なっ!?」

 

「ガッツ、下がって!」

 

 

 

 

 

ルーシーの制止と同時に、倒れていた男の口から黒い血が溢れ出し、その肌が急激に土色へと変色していく。

 

 

 

男は自らの体内に仕込まれていた服毒、あるいは呪印を最期の瞬間に起動させ、

 

 

証拠隠滅のために「自害」を完璧に完遂したのだ。

 

 

 

 

 

ジュッ……という不快な溶解音が響き、男の遺体が急速に黒い泥のように崩れ去っていく。

 

 

 

 

 

「自分の命を……躊躇なく捨てただと!?」

 

 

 

 

 

ガッツが息を飲んだ一瞬の隙。

 

それを、残された三人は見逃さなかった。

 

 

 

 

 

「目的は達した。撤退する」

 

 

 

 

 

女が短く命じると、三人同時に懐から奇妙な黒い煙幕玉を床へと叩きつけた。

 

 

 

 

ボンッ!!

 

 

 

 

強烈な爆発音とともに、不透明な漆黒の煙が室内を一瞬で満たす。視界と魔力感知を強烈に遮断する特殊な煙幕だった。

 

 

 

 

 

「なっ……くそっ! ゲホッ……!」

 

「ガッツ! のんちゃんを守って!」

 

 

 

 

 

ガッツが大剣を振り回して煙を吹き飛ばそうとするが、視界が晴れた時には――割れた窓枠と粉砕された玄関の向こうに、すでに人影はなかった。

 

 

 

 

 

静まり返ったクランホーム。

 

 

 

 

 

荒らされた室内に残されたのは、崩壊した玄関と、床に散らばった衣類の破片、そして……のんの悲痛な泣き声だけだった。

 

 

 

 

「うっ……ぐすっ……イサミさん……エリスさん……ごめんなさい……わたし、ダメな子なのです……っ!」

 

 

 

 

 

大切な居場所を荒らされ、お供え物の剣を奪われてしまったのんは、ルーシーの腕の中で小さく身を縮こませ、ぽろぽろと涙をこぼして泣き続けのだった。

 

 

 

 

 

♢

 

 

 

 

 

 

 

コパンドンCITYの目抜き通りは、昼時に向けて人通りが増し始めていた。

 

 

石畳の上を馬車の車輪が乾いた音を立てて転がり、行き交う商人や冒険者たちの喧噪が街全体に満ちている。

 

 

 

その人波をぬうようにして、イサミとエリスは並んで歩いていた。

 

 

 

 

「……ふぅ。今日のギルドの受付、相変わらず混んでましたねぇ。新入りの冒険者登録の時期と被っちゃったみたいで、報告書一枚出すのに随分待たされちゃいましたよ」

 

 

 

 

イサミは首の後ろを手でさすりながら、隣を歩くエリスに苦笑いを向けた。

 

 

肩には仕入れを終えた小さな革袋がいくつかつるされている。

 

 

 

エリスは腕に抱えた買い物籠を軽く抱え直すと、柔らかい微笑みを返した。

 

 

「ふふ、お疲れ様でした、イサミくん。でも、ちょうど良かったじゃないですか。こうして市場の帰りに街で鉢合わせして、一緒に帰れるのですから。」

 

 

 

 

買い物籠からチラリと覗くのは、新鮮な根菜類と丁寧に包まれた上質の肉だ。

 

 

 

 

「おっ、シチューですか! それは楽しみですねぇ。のんさん、エリスさんのシチューを食べるといつもぽろぽろ嬉し涙を流しながら喜ぶから、作り甲斐があるでしょう?」

 

 

「ええ、本当に美味しそうに食べてくれるから、私まで嬉しくなってしまって。……帰ったら、のんちゃんにもお野菜を切るのを手伝ってもらおうかしら。」

 

 

 

 

エリスの瞳には、包み込むような温かい母性と優しさが宿っていた。

 

 

 

イサミもまた、どこか目を細めて頷く。

 

 

 

 

「……のんさん。最初の頃に比べたら、笑顔も増えましたし。……僕が段ボール箱から拾ってきた時は、ドナドナされる子牛みたいに怯えてましたからねぇ。クランの皆が優しく接してくれたおかげですよ」

 

 

 

「イサミさんが助け出して連れてきてくれたからですよ。……あ、ほら、もうすぐホームが見えてきましたわ」

 

 

 

 

世間話を交わしながら、二人は賑やかな大通りから一本入った、静かな裏路地へと曲がった。

 

クランホームがある区画だ。

 

 

 

 

だが――路地に踏み込んだ瞬間、イサミの足がピタリと止まった。

 

 

 

 

「……イサミくん?」

 

 

 

エリスが不思議そうに首をかしげた。

 

 

 

 

「……変ですね」

 

 

 

 

イサミの目が、一瞬で職人・冒険者としての鋭い光を帯びる。

 

 

 

 

鼻腔を突くのは、香辛料や焼きたてのパンの匂いではない。

 

 

焦げた木材の匂い、異物感のある怪しい薬品の残滓、そして――かすかに漂う、生々しい鉄の匂い。血の匂い。

 

 

 

 

 

「エリスさん、後ろに」

 

「え……?」

 

 

 

 

 

イサミの声からいつもの軽薄なトーンが完全に消え去っていた。足音を殺し、低い姿勢で敷地の角を曲がる。

 

 

 

 

そして、二人の視界にクランホームが飛び込んできた。

 

 

 

 

 

「……なっ!?」

 

 

 

 

エリスの手から、買い物籠が崩れ落ちた。ゴロゴロと石畳の上を転がる野菜や肉。

 

 

 

クランホームの玄関扉は、まるで内側から爆破されたかのように無残に粉砕され、木片が庭に散乱していた。

 

 

窓ガラスは割れ、室内からは重苦しい静寂と、不穏な煙の匂いが立ち上っている。

 

 

 

 

 

「ホームが……!? のんちゃん!!」

 

「エリスさん、待ってください!」

 

 

 

 

 

焦って飛び出そうとするエリスの腕を、イサミが制した。

 

 

自身も内心の動揺を抑え込みながら、目線で周囲の死角を即座に確認する。

 

伏兵の気配はない。

敵はすでに立ち去った後だ。

 

 

 

 

 

イサミは腰のポーチから即応の仕掛けバクダンと短剣を同時に引き抜き、砕けた扉の隙間から一足飛びに室内へと躍り出た。

 

 

 

 

「ガッツさん! ルーシーさん! のんさん!」

 

「イサミ……!? エリス……!?」

 

 

 

 

荒れ果てたリビングの奥から、ガッツの太い声が響いた。

 

 

 

室内は惨状を極めていた。

床板は踏み荒らされて剥がれ、壁には巨大な打撃痕。

 

 

そして部屋の隅には、黒い泥のように溶解した「何か」の残滓が不気味な煙を上げている。

 

 

 

 

だが、それ以上にイサミとエリスの視線を射抜いたのは、部屋の中央に座り込む二人の姿だった。

 

 

 

 

ルーシーが、床にへたり込む少女を抱きしめている。

 

 

 

 

その少女――のんは、クランから与えられた見習いスタッフ服の胸元を豪快に引きちぎられ、白い肌と華奢な肩を露わにしていた。

 

 

ルーシーが脱ぎ捨てた羽織りを必死に巻き付けられながら、ドナドナされる子牛のように身体を小さく丸め、ぽろぽろと大粒の涙を流して激しく震えている。

 

 

 

 

「のんちゃんっ……!!」

 

 

 

 

エリスは転がるようにしてのんのもとへ駆け寄せ、床にひざまずいた。

 

 

 

 

「のんちゃん! のんちゃん! 大丈夫!? どこか怪我は!? 何があったの!?」

 

「あ……エ、エリスさん……っ! うっ……うわああぁぁぁんっ!!」

 

 

 

 

 

エリスの姿を見た瞬間、のんは張り詰めていた糸が切れたようにエリスの胸へと飛び込んだ。

 

 

 

 

 

「エリスさん……ごめんなさい……ごめんなさいです……っ! わたし……お掃除頑張ろうとしたのに……居場所を守れなくて……っ! ハニーさんたちからもらったお供え物の剣も……奪われちゃったのですぅ……っ!」

 

「いいの、いいのよのんちゃん! あなたが無事で……生き替わっていてくれただけで十分よ……っ!」

 

 

 

 

エリスはのんの破かれた服の胸元を目にし、顔を痛みに歪ませながら、愛おしむようにその頭を強く抱きしめた。

 

 

身体の震えが、のんの受けた恐怖の凄まじさを物語っている。

 

 

 

 

 

(服が破られている……男に押し倒された痕跡……)

 

 

 

 

エリスの胸に怒りと悲しみが交差する。

 

これ以上、この荒れ果てた惨状の中にのんを留め置くことはできなかった。

 

 

 

 

 

「イサミくん………! 私、のんちゃんを部屋へ連れていきます! 服を着替えさせて、身体を休ませないと……!」

 

 

「……ええ、お願いします、エリスさん。のんちゃんを頼みます」

 

 

 

 

 

 

イサミの声は、驚くほど静かだった。

 

 

エリスはのんを抱きかかえるように立ち上がらせると、怯える少女に優しく声をかけながら、二階ののんの部屋へと連れて上がっていった。

 

 

階段を上るのんの背中は小さく、今にも消えてしまいそうだった。

 

 

 

 

二人が階段の奥へ消えていくのを見届けた後。

 

 

 

 

イサミはゆっくりと振り返り、リビングに残されたガッツとルーシーへと視線を向けた。

 

 

 

 

チャラついた態度は欠片もない。

 

ただ、状況を整理するための冷徹な思考だけが、彼の頭脳を高速で回転させていた。

 

 

 

 

 

 

「状況を説明してください。僕たちが帰ってくる直前ですね。敵の構成は?」

 

「……ああ」

 

 

 

 

 

ガッツが大剣を床に突き立て、悔しさに顔を歪めながら口を開いた。

 

 

 

 

「敵は四人だ。フードで顔を隠した集団……気配を消してこの家に侵入しやがった。俺とルーシーが買い出しから戻った時には、すでにあの野郎どもがのんちゃんを押し倒して……服を破いていやがった」

 

 

 

 

ガッツの拳から、血が滲むほどの力が込められる。

 

 

 

 

 

「俺が1人を大剣で叩き潰した。だが……倒されたそいつは、証拠隠滅のためにその場で毒か呪印を使って自害しやがった。あそこにある黒い泥がそれだ。……普通の強盗やチンピラじゃねえ。訓練された暗殺者か、組織の捨て駒だ」

 

 

 

 

 

続いて、短剣を握りしめたままのルーシーが悔しそうに歯噛みした。

 

 

 

 

 

「残りの三人は特殊な魔導煙幕を使って逃走したわ。奪われたのは……のんちゃんが腰に下げていた『あの重厚な装飾の剣』だけ。他の貴重品や金品には目もくれていなかった。明確に、あの剣だけをターゲットにした襲撃よ」

 

 

「……なるほど」

 

 

 

 

 

イサミは顎に手を当て、即座に思考を整理し、事実を組み立てていく。

 

 

 

【事実整理】

 

目的:金品ではなく、のんが所持していた「ハニーからのお供え物の剣(つよい武器)」の強奪。

 

実行部隊:フードの四人組。個々の戦闘力が高く、捕縛された瞬間に自害する死士(隠蔽工作の徹底)。

 

退路:魔導煙幕を使用した迅速な撤退。手際からして、コパンドンCITY内にあらかじめ用意されたアジト、あるいは潜伏拠点が存在する。

 

 

 

 

 

 

「敵は最初からあの剣の価値……あるいは異質さを知っていた。そして、僕たちが不在のタイミングを正確に狙った……」

 

 

 

 

イサミは不気味な黒い泥の残滓に近づき、しゃがみ込んで匂いを嗅ぎ、残留魔力を分析する。

 

 

 

 

 

「……コパンドンCITYにいる裏組織の関与、あるいはそれに類する闇の勢力ですね。仕込み毒の成分に、裏市場で出回る特殊な鉱物薬が混ざっています」

 

「……裏組織!?そんなの本当にいるのか!!」

 

 

 

 

 

ガッツが咆哮した。

 

 

 

 

「クソッ……! のんちゃんはただ、家を守ろうと一生懸命にお掃除をしてただけなんだぞ!? それを……あんな健気な子を押し倒して、服を引きちぎって……笑っていやがったんだ!!」

 

 

「落ち着いてください、ガッツさん」

 

 

 

 

イサミの手が、ガッツの巨大な腕を制した。

 

 

その手は冷たかった。

 

 

 

 

ガッツとルーシーは、思わず息を呑んだ。

 

 

 

サミの顔には、何の感情も浮かんでいなかった。激昂するでもなく、声を荒げるでもない。

 

 

だが、その瞳の奥――暗く沈んだ黒い双眸には、底知れない、漆黒の怒りの炎が渦巻いていた。

 

 

 

静かな、静かな、絶対的なブチギレ。

 

 

 

 

 

「……イサミ?」

 

 

 

 

 

ルーシーが恐る恐る声をかける。普段、どんな危機的状況でもお調子者の笑みを崩さず、のらりくらりと立ち回るあのイサミが、完全に「殺し屋」あるいは「冷徹な仕掛け人」の顔になっていた。

 

 

 

 

「のんさんは……自分を救ってくれたこの居場所を失いたくなくて、また段ボール箱に戻されるのが怖くて、毎日一生懸命にお掃除をしてくれていたんです」

 

 

 

 

 

イサミの声は、静かに、低く、室内に響いた。

 

 

 

 

 

「そんなあの子の踏みにじられた恐怖。泣き声。そして、このクランホームを荒らされた怒り。……全部、きっちり清算させてもらいます」

 

 

 

 

 

イサミは腰のポーチを締め直し、短剣の柄をカチリと鳴らした。

 

 

 

 

「逃がしませんよ。絶対に」

 

 

 

 

その言葉には、相手がどんな組織だろうと、世界の果てまで追い詰めて物理的に叩き潰すという、狂気すら孕んだ絶対の意志が込められていた。

 

 

 

 

「ガッツさん、ルーシーさん。街の裏情報網と、素材屋経由の追跡ルートを即座に割り出します。……のんちゃんを傷つけた奴らには、死ぬより恐ろしい地獄を見せてあげましょう」

 

 

 

 

 

壊された玄関の外から差し込む太陽の光が、イサミの冷たい横顔を照らし出していた。

 

 

 

 

 

 

♢

 

 

 

 

 

 

 

 

荒れ果てたクランホームの玄関前に、慌ただしい複数の足音が近づいてきていた。

 

 

 

 

「ちょっと、これどういうこと!? 玄関扉が粉々に吹き飛んでるじゃない!」

 

 

「な、なにこれ……! ホームがドカーンって壊れてるよー!?」

 

 

 

 

甲高い悲鳴混じりの驚愕の声が、静まり返っていた路地に響く。

 

 

帰ってきたのは、街での用事や情報収集を終えて戻ってきたクロエ、ココ、メルティ、そしてムラサキの四人だった。

 

 

 

 

真っ先に壊れた玄関から飛び込んできたクロエは、荒らされたリビングと、床に散らばった木片、そして壁に残る打撃痕を目にして息を呑んだ。

 

 

そのすぐ後ろで、ココは天真爛漫な瞳を丸くして怯えたように耳を伏せ、メルティはメガネの奥の瞳を鋭く細めて室内の違和感を即座に察知する。

 

 

最後に入ってきたムラサキは、抱えていた薬草の鞄をキュッと握りしめ、おどおどと身を縮こまらせながら異臭に眉をひそめた。

 

 

「イサミ……! ガッツさん、ルーシーさん! これは何があったの!? 敵襲!?」

 

 

 

クロエが声を張り上げ、腰の剣に手をかける。

 

 

 

 

「な、なにが起きたのですか……!? 泥棒……でしょうか……っ!?」

 

 

 

 

 

ムラサキが怯えたように室内を見回す中、メルティは冷静に足元へ視線を落とした。

 

 

 

「お静かに。……床の破壊痕はガッツ様の大剣によるもの。そしてあそこにある黒い泥は、最上級の暗殺者が使う服毒の残滓ですわ。明らかな対人戦闘……それも、訓練された組織の襲撃ですわね」

 

 

 

 

四人の視線が、部屋の中央に立つイサミへと集中した。

 

 

 

その時、二階へと続く階段から、静かな足音が聞こえてきた。

 

 

降りてきたのはエリスだった。その顔には色濃い疲労と、痛々しいほどの悲しみが刻まれている。

 

 

 

 

「エリスお姉さん……。 のんさんは?」

 

 

 

 

イサミが声をかけると、エリスは静かに首を横に振った。

 

 

 

 

「……ええ。私のベッドで、泣き疲れてようやく眠りにつきましたわ。精神的なショックが大きすぎて、身体も冷え切っていたけれど……怪我そのものは命に関わるものではありません。ただ……」

 

 

 

 

エリスは唇を強く噛み締め、言葉を詰まらせた。

 

 

 

 

「……あんな子が……恐怖に晒されたと思うと、胸が張り裂けそうです。……『また段ボール箱に戻されるんじゃないか』って、泣きながら何度も謝られてしまって……」

 

 

 

 

エリスの言葉に、その場にいた全員の空気が一瞬で凍りついた。

 

 

クロエの顔から余裕が消え、メルティの手が手帳を固く握りしめ、ココの瞳に怒りの涙が浮かび、ムラサキの表情が固まる。

 

 

 

 

 

「…まぁでも…全員揃いましたね」

 

 

 

 

 

静寂を破ったのは、イサミの低く冷たい声だった。

 

 

 

 

いつものチャラついた笑みも、軽薄な口調も一切ない。

 

 

イサミは部屋の中央に置かれた丸テーブルの前に立ち、全員の顔を見回した。

 

 

 

 

 

「エリスお姉さん、のんちゃんを看病してくれてありがとうございます。……みんな、座ってください。今から何があったのか、改めて状況を説明します」

 

 

 

 

 

全員が重苦しい空気の中でテーブルを囲むように席についた。

 

イサミは短剣の鞘をトントンと指先で叩きながら、冷徹なまでに整理された事実を語り始めた。

 

 

 

 

 

「まず結論から言います。襲撃者は四人組のフードを被った集団。目的は金品でも僕たちの命でもなく――のんちゃんが持っていた『ハニーたちからのお供え物の剣』、ただ一つです」

 

「あの剣……!?」

 

 

 

 

 

クロエが目を見開く。

 

 

 

 

 

「ええ。奴らは僕たちが仕入れや用事で不在になるタイミングを正確に狙って侵入しました。留守を守ってお掃除をしていたのんちゃんを力ずくで押さえつけ、腰からあの剣を奪い取ったんです」

 

「……待ってください、イサミ様」

 

 

 

 

メルティが冷徹なお嬢様口調で割り込んだ。その眼鏡の奥の瞳には、静かな激怒が宿っている。

 

 

 

 

「『押さえつけた』だけではありませんわよね? エリス様の様子や、のんちゃんの部屋の状況……それに、この惨状。具体的に何があったのか、誤魔化さずに全て話してください」

 

 

 

 

 

イサミは一瞬、眉間にしわを寄せたが、逃げることなく言葉を続けた。

 

 

 

 

 

「……刺客の男どもは、剣を奪った後、のんちゃんを押し倒し……服を引きちぎって暴行を加えようとしました。間一髪のところでガッツさんとルーシーさんが踏み込み、一人を叩き潰して阻止しましたが……のんちゃんが受けた恐怖と屈辱は、計り知れません」

 

「――っ!?」

 

 

 

 

 

クロエが勢いよく立ち上がり、椅子が大きな音を立てて倒れた。

 

 

 

 

 

「なんて……なんて汚い真似を……っ! 」

 

「ずるい大人だーっ! イサミお兄ちゃんたちの家を荒らして、のんちゃんをいじめるなんて……ココ、絶対に許さないんだからねっ!」

 

 

 

 

 

ココが小拳を強く握りしめ、天真爛漫な顔を怒りで真っ赤に染めて叫んだ。

 

 

 

 

「あ、あの……! 私の作れる『猛毒弾』や『濃縮麻痺薬』……全部使ってくださいっ……! あんなに健気にお掃除をがんばっていたのんちゃんを傷つけるなんて……私、絶対に許せません……っ!」

 

 

 

 

普段はおどおどとしているムラサキが、薬師としての情熱と激しい怒りで瞳を怪しく光らせ、早口でイサミに訴えかけた。

 

 

 

 

「まあ……。 なんて恐ろしいことを……っ! 」

 

 

 

メルティも剣の柄を強く握りしめ、気品ある佇まいの中に静かな殺意を燃やす。

 

 

 

 

「……追跡の目星はついているの、イサミくん?」

 

 

 

 

エリスが包容力の中に冷徹な決意を秘めた声で尋ねる。イサミは冷たい双眸を怪しく光らせた。

 

 

 

 

「……ありますよ、エリスお姉さん。あの毒の成分、それに逃走時に使われた煙幕の粒子……コパンドンCITYの裏市場でとある組織が出回らせている特定の素材です。……僕の『歩く道具屋』としての仕入れルートと情報網を使えば、奴らの潜伏先なんてすぐ割り出せます」

 

 

 

 

イサミは立ち上がり、全員の顔を一人一人しっかりと見据えた。

 

 

 

その全身から溢れ出しているのは、仲間を、そして自分たちの温かい居場所を泥足で踏みにじられたことに対する、絶対的なブチギレの殺意だった。

 

 

 

 

 

「……僕は絶対に逃がしません」

 

「……ふん、当たり前じゃない!」

 

 

 

 

クロエが倒れた椅子を戻し、勝ち気な笑みを浮かべながら剣の柄を固く握りしめた。

 

 

 

「正面から派手に斬り込んであげるわ!」

 

 

「ココも爆発魔法でドカーンってお仕置きしちゃうんだからねっ! イサミお兄ちゃん、一緒に行くよっ!」

 

「ええ、イサミ様。徹底的に叩き潰しましょう、組織ごと二度と立ち上がれないように!」

 

 

「私のお団子弾も……精一杯頑張ります……っ!」

 

 

「……のんちゃんの大切なものと笑顔を取り戻すために。行きましょうか、イサミくん」

 

 

 

エリスも優しく、けれど絶対に退かない強固な決意の笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

「ええ……行きましょう」

 

 

 

 

 

イサミは腰の短剣を確かめると、静かに、しかし恐ろしいほどの執念を込めて呟いた。

 

 

 

 

 

「絶対に逃がしませんよ。……ホームと、のんちゃんを傷つけたツケは、血と絶望で支払ってもらいます」

 

 

 

 

壊された玄関の外、コパンドンCITYの街並みに不穏な暗雲が立ち込め始めていた。

 

 

仲間たちの怒りの炎を背に、イサミたちの反撃の追跡劇が、今まさに始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

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