湿った闇が重く垂れこめる隠し施設の深奥。
松明の火光すら飲み込むような異様かつ重圧的な気配が、通路を進む七人の皮膚をじわじわと刺していた。
ひんやりとした壁面に刻まれた古代文字のような魔力ラインは、奥へ進むにつれて微かな脈動を始め、毒々しい紫と漆黒の光を放っている。
「……みなさん、足元と側面に注意してください。ここから先は、ただの古い研究所じゃありませんよ。空気中の魔導濃度が急激に跳ね上がっています」
イサミは歩みを止めず、多機能ベルトのポケットから小型の魔導反応測定器を取り出した。
カチカチと不吉な音を立てて針が振り切れそうになっている。
「イサミくん、なんか……すごく嫌な匂いがする。お鼻がムズムズするよ……」
ココが小さな鼻をヒクヒクさせながら、手に持った杖をぎゅっと握りしめた。
その大きな瞳には、無邪気さの中にも天才魔法使いならではの鋭い警戒の色が宿っている。
「ええ……。魔法の残滓と、重金属、それに……腐敗した血のような匂いですねぇ。まったく、商売柄いろんな倉庫を見てきましたけど、こんなに悪趣味なディスプレイは見たことがありません」
イサミがそう呟き、明かりを前方に掲げた瞬間、七人の視界が途方もない空間へと開けた。
そこは、まるで円形劇場のように巨大な地下大ホールであった。
天井は遥か高く、影が黒々と落ちている。
そして、その広大なホールの壁沿いや床一面には――途方もない数の「刃」が乱立していた。
両手で持つような巨剣、曲身のサーベル、古代の儀式用ナイフ、細身のレイピア、暗殺者の毒短剣、装飾過多な儀礼剣――。
何百、何千という種類の武具が、まるで無数の墓標のように石床へ突き刺さり、あるいは陳列棚に無造作に転がされていた。
それらすべてから、不気味な気配が立ち上っている。
「な……なによこれ……! 刀剣の墓場……ううん、武器庫……!?」
クロエが大剣を構え直しながら、息をのんだ。勝ち気な彼女の表情にも、生理的な悪寒が走っているのが見て取れた。
「……ただのコレクションではないわね」
プリモが冷徹な紫水晶の瞳で、床に突き刺さった短剣を一瞥する。その整った側顔は凛として美しいが、細剣の柄を握る指先には一切の隙がない。
「どれもこれも、強力な付与が込められ……そして暴走し、途中で『破棄』された失敗作の群れよ。この施設で生み出され、捨てられた惨劇の証拠……」
「ひっ……! こ、こんなにたくさんの武器……が…っ! 気持ち悪い……頭が痛くなってきちゃいました……っ」
ムラサキはおどおどと身を縮め、自分の調合ポーチを両手で抱え込んだ。
「大丈夫だよ、ムラサキ! ココの魔法でバリア張ってあげるからね!」
ココがすかさずムラサキの前に立ち、ポンポンと胸を叩く。
「……イサミ様。あちらをご覧くださいませ……っ」
パントンが、イサミの袖を控えめに、しかし強い力で引いた。
彼女の深青の瞳が見つめる先――ホールの最奥、円形の中央祭壇を囲むようにして配置された「異常な装置」へと全員の視線が集まった。
それは、他の雑多に捨てられた武器とは明確に区別された空間だった。
巨大な透明な結晶質の円筒容器。
それが整然と「九本」、円環を描くように立ち並んでいる。
容器の内部は、気泡を孕んだ怪しく揺らめく緑と紫の特殊培養液で満たされていた。
そして、その液体の中に――静かに浮かんでいたのだ。
それぞれ異なった形状を持つ「九本の武具」が。
「……あれは……!?」
イサミが目を細める。
ある容器には、脈動する肉片のような鉱石が組み込まれた禍々しい大剣。
別の容器には、液体の中でもなお青白い雷光を放ち続ける黒銀のナイフ。
また別の容器には、鳥の爪のような異形の刃を持つ漆黒の短剣。
そしてのんが持っていた、貢ぎ物の剣。
それらはすべて、ガラス管を通じて中央の巨大な魔導炉のような装置へと太いパイプで繋がれており、培養液の中で生きているかのように微かにドクン……ドクン……と不気味な脈動を繰り返していた。
「…………。あそこに並べられている九本の武具……どれもがイサミの短剣とは比較にならないほどの、途方もない意思と魔力を蓄えさせられているわ」
プリモが静かな声で分析する。
「ええ……僕もわかるくらいには……。すごいですねぇ」
イサミの言葉に、周囲の空気がさらに凍りついた。
いつものちゃっかりした顔は消え、イサミの瞳には冷静かつ鋭い買い付け屋――いや、冒険者としての冷徹な計算が宿っていた。
「……街の市場に流したら、国が一つ傾くどころか消滅するレベルの危険物ですよ、アレ。まったく、どんな狂人がこんなものを九本も培養してるんだか……」
イサミが溜息混じりに肩をすくめた、その時だった。
ずしん。
重厚な石床が、地鳴りのような響きとともに微かに震えた。
ずしん。
ずしん。
ホールの奥、培養容器の陰から――その「影」は静かに姿を現した。
重厚な漆黒の全身鎧。
関節部からは不気味な漆黒の霧が立ち上り、兜の奥には感情の一切を排した紅蓮の双眸が歪に光っている。
そしてその右腕には――九本の培養容器、そしてホール全体の怨念を束ねるかのように、怪しく輝くあの『装飾剣』が握られていた。
あの日、イサミたちを襲撃し、圧倒的な破滅の力を振るった「重鎧の刺客」その人であった。
「……出たわね、バカデカ鎧……!」
クロエが即座に踏み出し、剣を上段に構えた。
「あたしが派手に斬り込んで視線を引く!」
「ちょっと待ってください、クロエさん! 様子がおかしいです……!」
イサミが叫んでクロエの制服の裾を引いた。
前回の襲撃時、この重鎧は一切の言葉を発さず、機械のように無機質な殺意だけで斬りかかってきたはずだった。
だが――今回は違っていた。
重鎧の兜の隙間から、まるで何十人もの人間の声が重なり合ったかのような、擦れた二重三重のノイズ混じりの「声」が響き渡ったのだ。
『――――――――』
「……喋った……!?」
ミラが大弓の弦をギリギリと引き絞りながら、目を見開く。
『……我らの歩みを阻む虫ケラどもよ。……遅かったな』
重鎧がゆっくりと装飾剣の先を地面へと向けた。
それだけで、石床にザーッと亀裂が走り、周囲に転がっていた失敗作たちが共鳴するようにカタカタと震え出す。
『……質問に答える義務はないが、死にゆく者たちへ教えてやろう。……我らの名は『シン』』
重鎧の声には、感情というものが存在しなかった。ただ、古く冷たい事実を告げる機械の宣告のような響きがあった。
「『シン』……!!」
クロエが睨みつける。
『我らこそが『シン』の意思そのもの。……世界の理を書き換え、真の姿へと戻す者たちだ』
重鎧は一歩前へ踏み出した。その足元から黒いもやが広がり、九本の培養容器の液体が激しく泡立ち始める。
『お前たち弱者は、平穏を望む。平和を、安寧を、秩序を求める。……だが、それは偽りの停滞だ。世界が真に進化するためには、絶対的な力による淘汰と混沌が必要なのだ』
重鎧の兜の奥の紅蓮の光が、怪しく増幅する。
『弱き魔人、弱き魔王など……この世には不要』
「……はぁ? 弱き魔王は不要……?」
イサミは呆れたように首をかしげた。
「ちょっとちょっと、重鎧さん。急にスケールのデカい思想を語り出しましたねぇ。僕らみたいな一介の道具屋や冒険者には、そんな大層な世界征服の論理なんて関係ありませんよ?」
『関係はある。……なぜなら、お前が手にしている「それ」も、混沌の扉を開くの鍵なのだから』
重鎧の視線が、イサミの腰元――『短剣』へと注がれた。
『……過去。神にすら届く剣を作り上げた伝説の鍛冶師が存在した。……その剣はあまりの威力を恐れられ、歴史の闇へと破棄され、幾つもの概念と意思へと分解・封印されたという』
重鎧がゆっくりと装飾剣をかかげる。
『我らは……過去数年にわたり世界に散らばったその「失敗作」と「残留思念」のすべてをかき集めようとした。あの九本の容器に眠る特別適合体も、お前が持つ初期触媒も……すべてはただ一つの目的のためにある』
重鎧の声が、重なり合い、地鳴りのようにホール全体に反響した。
『神をも殺す伝説の剣を……残留思念をかき集めて完全復活させる。……それが我ら『シン』の至高の悲願』
「神をも殺す剣の……復活……!?」
ムラサキが青ざめて悲鳴を上げた。
「そ、そんな恐ろしいものを復活させたら……世界中の人たちが……! た、たくさんの街が吹き飛んじゃいます……っ!」
「ドカーンってレベルじゃないよ……! 世界が丸焦げになっちゃう!」
ココが怒りで頬をふくらませ、杖の先からバチバチと火花を散らした。
『然り。世界は一度、破滅と混沌によってリセットされねばならぬ。』
重鎧が装飾剣を水平に構えた。
シュアアアア……と、重鎧の身から解き放たれた漆黒の魔力が展開されていく。
空気そのものがズシリと重くなり、全員の肌に強烈な圧迫感が襲いかかった。
『……話は終わりだ。……死んでもらうぞ』
無機質で、絶対的な殺意の宣告。
「……させるかぁぁぁっ!!」
クロエが咆哮した。
「あんたらが何を復活させようと知ったこっちゃないのよ! 」
クロエの身体が弾けるように地を蹴った。
前衛剣士としての爆発的な瞬発力。
剣に限界までの闘気を込め、一直線に重鎧の首元めがけて最速の一撃を叩き込む!
「喰らいなさいっ!!」
ガギィィィィィンッ!!!!
甲高い金属音がホールに響き渡った。
だが――。
「なっ……!? 嘘……でしょ……!?」
クロエの目が見開かれた。
力任せに振るわれた剣は、重鎧の首元に届くどころか――重鎧に阻まれ、刃がピクリとも進まなかったのだ。
衝撃波すら発生しない。
クロエの放った渾身の物理ダメージが、まるで最初から存在しなかったかのように完璧に「吸収」されていた。
『……無駄だ』
重鎧が静かに装飾剣を横一文字に払おうとする。
「クロエさん、下がって!!」
イサミの悲鳴のような叫びと同時に、プリモが目にも留まらぬ速度で飛び出し、クロエの襟首を掴んで強引に後方へ引き戻した。
ズサアァァァッ!!
直後、クロエが立っていた場所の空間が、縦に真っ二つに裂け、背後の巨石の柱が豆腐のように綺麗に切断されて崩れ落ちた。
「ハッ……ハッ……! なに……今の……!? あたしの斬撃が……完全に弾かれた……!?」
クロエが冷や汗を流しながら、息を荒らげる。
「気をつけて、クロエ……!」
プリモが細剣を構えながら、油断なく重鎧の動きを注視する。
「……生半可な物理・魔法攻撃では、傷一つ付けられないわ!」
「そんなのズルじゃん! ココも手伝う! えーいっ!!」
ココが杖を振りかざし、高威力の爆発魔法を唱えた。
「ドカーンと吹き飛びなさーいっ! 『Fレーザー』!!」
ドゴォォォォォンッ!!
真っ赤な炎がレーザーとなり、重鎧を包み込んだ。
ホール全体が激しく揺れ、煙が立ち込める。
「どう……!?」
ミラが身を乗り出す。
だが、煙が晴れたそこに立っていた重鎧は――埃一つついていなかった。
『……弱者どもの足掻きか』
重鎧は平然と一歩前へ踏み出す。
「うそ……ココの最大威力の魔法が……全然効いてない……!?」
ココがショックで目を丸くした。
「イサミさん、 あいつの防御力、桁違いすぎます……っ!」
ムラサキが怯えながらも、必死に調合薬の瓶を取り出した。
「ふふ……やっぱり一筋縄ではいきませんねぇ」
だが、そんな絶望的な状況にあっても、イサミの唇には不敵な笑みが浮かんでいた。
「イサミ……? あんた、こんな状況で何笑ってんのよ!?」
クロエが驚いてイサミを見る。
「いえね、クロエさん。相手が『無敵』だの『伝説の剣』だのイキがっていればいるほど……それをカラクリと道具でギャフンと言わせた時の爽快感がたまらないじゃないですか」
イサミはちゃっかりとした笑みを深め、ベルトから三個の特殊な錬金カプセルと、自作の煙幕玉を取り出した。
「プリモさん、ミラさん、パントンさん! 奴の【防御】は全方位を完全にカバーしているわけじゃありません! 攻撃の『瞬間』、装飾剣へ魔力を集中させる一瞬だけ、防御の密度にムラができます!」
「……なるほど。攻撃は最大の隙、というわけね」
プリモが察しの良さを見せ、可憐で冷徹な笑みを浮かべた。
「イサミ! 私たちはどうすればいい!?」
ミラが大弓を構え直す。
「パントンさんとミラさんは遠距離から奴の視界を奪ってください! ムラサキさんは高濃度痺れ薬を煙幕に混ぜて散布! ココさんは僕の合図に合わせてください!」
「了解っ! ココ、イサミくんの指示通りにする!」
「は、はいっ! 私の毒煙幕、持っていってくださいっ!」
ムラサキが素早く投擲用のカプセルをイサミに手渡した。
「そしてクロエさんとプリモさん……僕が奴の足元を崩した瞬間に、九の容器の『供給パイプ』を叩き切ってください!」
「……! なるほどね!」
クロエの目が輝いた。
「あのバカデカ鎧、あの九本の培養容器から魔力を供給されてるなら……」
「 ……さあ、反撃と行きましょうか!」
イサミが叫ぶと同時に、投擲玉を床へ叩きつけた!
ポンッ! パァァァンッ!!
一瞬にしてホール全体に、目も開けられないほどの濃密な高濃度煙幕と、ムラサキ特製の痺れ薬の粒子が充満した。
『……無駄な足掻きを』
重鎧が装飾剣を振り払い、風圧で煙幕を吹き飛ばそうとしたその瞬間――!
「イサミ様の邪魔は……させません……っ!!」
パントンが長弓を引き絞り、蒼い光を纏った一矢を解き放った!
チュインッ!!
矢は重鎧の兜の隙間――防御の薄い視界部分へ正確に突き刺さり、重鎧の体勢がわずかに崩れた。
「今です! ココさん!」
「えーいっ! ちっちゃいドカーン!!」
ココが放った極小の圧縮魔力弾が、装飾剣の柄と重鎧の手首の接合部――魔力供給の瞬間の「継ぎ目」へと正確に着弾した!
バチチチチッ!!
「……グ……ガ……!?」
重鎧の無敵結界に、一瞬だけ目視できるほどの「歪み」が生じた!
「もらったぁぁぁっ!!」
「そこね……!」
クロエの剣と、プリモの細剣が同時に閃いた!
二人の狙いは重鎧本体ではない――重鎧の背後に伸びる、九本の培養容器へと繋がる巨大変導パイプ!!
ドカァァァンッ!! ザシュゥゥゥッ!!
破断音とともに、緑と紫の培養液が噴出し、九本の容器の光が激しく明滅し始めた。
『……ヌ……ガァァァァッ……!?』
重鎧から立ち上る漆黒の霧が乱れ、無敵結界の威力が明確に減衰していく。
「ハハッ! 見ましたか重鎧さん! どんなにすごい防御でも、コンセントを抜かれちゃひとたまりもないでしょう!」
イサミはちゃっかりとした笑みを浮かべ、腰の短剣を逆手に持ち替えた。
「さあ……ここからが本当の始まりですよ!」
イサミの宣言とともに、七人の絆と知恵が紡ぐ反撃の狼煙が、地下大ホールに力強く立ち上ったのだった。
♢
破断された魔力パイプから、ドクドクと不気味な泡を立てて怪しい培養液が溢れ出していた。
緑と紫の毒々しい液体が石床の亀裂を滑り、生温かい蒸気を立ち上らせる。
九の円筒容器の中で眠る「異形の失敗作たち」は、供給を断たれたことで怪しい脈動を弱め、まるで苦悶するようにその身を蠢かせていた。
「やった……! やったよイサミくん! パイプ切れた!!」
ココが小さな身体を躍らせ、手に持った魔法の杖を掲げて歓声をあげた。
「ふぅ……手応えありね! これであのズルいバリアも形無しよ!」
クロエが剣を肩に担ぎ直し、強気な笑みを浮かべて鼻を鳴らす。
その額には汗が光っていたが、先ほどまでの圧倒的な絶望感は綺麗に払拭されていた。
「イサミさん、凄いです……っ! あんなにガチガチだった魔力波動が、半分以下まで落ちています……っ!」
ムラサキもおどおどとした態度を崩し、胸の前で小さな拳をぎゅっと握りしめた。
「……油断は禁物です。」
背後から大弓を構えたまま、ミラが冷徹な声で警告を発する。
その鋭い眼光は、煙幕の向こうに佇む巨大な漆黒の重鎧から片刻も離れていない。
「ええ……ミラの言う通りよ。バリアの強度は確かに落ちたけれど、あの怪物の気配……攻撃力に関しては少しも衰えていないわ」
プリモが細剣の柄を握り直し、イサミを一歩かばうように前へ出た。
紫水晶の瞳が、冷たく冴え渡っている。
「イサミ、私の後ろから離れないで。あの鎧……何か別の『計算』をしているわ」
「ええ……僕もそう思いますよ、プリモさん」
イサミは額の汗を袖で拭いながら、多機能ベルトの試薬ホルダーを素早く点検した。
イサミの脳内もまた、猛スピードで回転していた。
(……とはいえ、おかしい。普通、自分の絶対的な防御手段。…もっと複雑にしたり、するはず……。なのに……簡単すぎる……!)
そう――重鎧は動いていなかった。
管を斬られ、高濃度の毒煙幕を浴びせられ、パイプからダラダラと液体が漏れ出している惨状の中にあって、重鎧はただ静かに……兜の奥の紅蓮の双眸をゆっくりと動かし、周囲の状況を「観察」していたのだ。
重鎧の思考は、狂信者というよりもむしろ、冷徹な詰将棋を打つ指し手に近かった。
(……観察、完了)
兜の闇の奥で、無機質な思考の歯車が噛み合っていく。
(……前線に突撃役の剣士が1人。側面に精密な牽制を行う細剣使いが1人。遠距離から正確に結界の薄い箇所を狙う射手が1人。……そして背後に予備の射手が1人、魔法使いの子供が1人、薬剤師の女が1人……)
重鎧の目が、ゆっくりと七人の陣形をなぞる。
(……特に、前線で連携を取る『カラー』が少なくとも三人……。さらにあの道具屋の手元には、我が組織すら把握しきれていない奇妙な魔導具や調合薬品が無数にある……)
重鎧は、装飾剣を握る右手の手甲を微かに震わせた。
それは恐れではない。
絶対的な計算と「安全趣向」に基づく、冷酷なリスク計算だった。
(……未知数が多すぎる。このまま近接戦を続ければ、あの道具屋の策略によって、予期せぬイレギュラーをもたらされる可能性がある。……1度、装飾剣を全力で振り抜いたところで……この七人を同時に、かつ確実に即死させられる保証はない)
重鎧の思考は、さらに深層へと潜っていく。
我が組織『シン』が過去数年にわたって探し求め、失敗作を重ねてまで追ってきた「神にも届く伝説の剣」。
その復活のために必要な初期触媒は――。
わかっている分は「短剣」を除き全て回収済みだ。
他の失敗作は、まだ見つけ出せていないという厳然たる事実。
(……しかも、あの短剣は短剣であることからして『小さい』)
重鎧の冷徹な眼光が、イサミの腰元へ注がれる。
(……極小の触媒。万が一にも、戦局の乱れによってあの短剣が破損・消滅すれば、『シン』の悲願は永久に潰える可能性がある……)
重鎧にとって最も回避すべきリスク。
それは「短剣という絶対的な希少触媒を、不確定な戦闘によって損なうこと」――それだけだった。
ならば――取るべき選択肢は、最初から一つしかなかった。
『――――――まあいい』
重鎧の口から、重なり合ったノイズ混じりの声が漏れた。
『このまま……始めよう』
「え……!?」
イサミの背筋に、強烈な悪寒が走った。
「みんな! 下がって――っ!!」
重鎧は一切の予備動作なく、手に持っていた怪しげな『装飾剣』の柄頭を、ドスッ……と力任せに石床へと突き刺した!
ゴォォォォォォォォォン……ッ!!!!
重厚な振動とともに、巨大な「黒紫色の魔法陣」が石床を這い回って急激に広がっていく!
ホール全体を飲み込むほどの巨陣。
そこに刻まれていたのは、怨念と歪みを凝縮した不気味な幾何学模様だった。
「な、なに……!? なにが起きてるの!?」
「ひやぁぁぁぁっ! 魔法陣から……うじゃうじゃ黒い手が……っ!?」
ムラサキが悲鳴を上げ、ココが必死に展開した魔力壁すらも、魔法陣から立ち上る黒い霧に触れて溶けるように侵食されていく。
「……古代の降霊錬成陣……!? いいえ、九本の容器の残留思念と、ホール全体の怨念を一気に集積させる『強制注入の陣』……!?」
プリモが険しい表情で細剣を構えた。
『逃げ場はない』
重鎧の声が轟く。
『お前たち七人の命、そしてこの場の数千の怨念……すべてをこの陣で煮詰め、剣の触媒へ注ぎ込む』
「くっ……! そんな悪趣味な鍋で煮込まれてたまるかぁぁぁっ!!」
クロエが剣を振りかざして躍り出ようとしたが、踏み込みかけた足元から黒い影の棘が突き上がり、間一髪でパントンの矢がそれを弾いた。踏み込みすら許されない絶対の死域――。
(落ち着け……落ち着けイサミ! 必ず『構造上の欠陥』があるはずだ……!)
イサミの目が猛スピードで周囲を観察する。
壊れたパイプ。
溢れる培養液。
転がる失敗作の剣。
そして――重鎧が突き立てている『装飾剣』と、自分の腰の『短剣』。
(……そうか! あの魔法陣!)
イサミはハッと息をのんだ。
「プリモさん! あの魔法陣は、僕の短剣にも共鳴しています! 相手が僕らを煮殺す気なら……短剣を直接あいつの至近距離まで持ち込んで、陣を破ります!」
「……! なるほどね……イサミの短剣なら!!」
プリモは即座に理解し、迷うことなくイサミの前に立った。
「私が行くわ、イサミ。私の背中から絶対に離れないで!」
「プリモさん……!」
「ふふ……死なせはしないわよ」
プリモが可憐な笑みを浮かべ、仲間たちへ叫んだ。
「クロエ! ミラ! パントン! ココ! ムラサキ! 私たちが飛び込む瞬間に全火力で牽制を! 魔法陣の中心へ突っ込む『一筋の道』を作り出しなさい!」
「「「「「了解っ!!」」」」」
全員の全霊の一撃が交差する中、プリモはイサミを庇いながら、黒い手が群がる魔法陣の中央――重鎧の懐へと一直線に躍り出た!
「行きますよ……重鎧さん!!」
イサミが腰から引き抜いた『短剣』を、突き立てられた装飾剣の至近距離へと掲げた――その瞬間!!
バチチチチチチチッ――!!!!
「……ヌ!? ……ガ……ア……!?」
重鎧の兜の奥で、初めて絶叫に近いノイズが走った。
イサミの狙い通り、ホール中の膨大な怨念と魔法陣の全エネルギーが、至近距離に持ち込まれた「短剣」へと一気に集中。
しかし、その許容量は重鎧の冷徹な計算をも遥かに超えていた!
短剣が青白い暴走光を放ち、魔法陣の幾何学模様が歪に歪曲し始める!
「えっ……! !」
イサミが叫んだ、まさにその時であった。
ドグゥゥゥゥンッ……!!
過負荷に耐えきれなくなった魔法陣は、崩壊・消滅するのではなく――「時空の歪み」という最悪の暴走事故を引き起こしたのだ!
「キャッ……!? 空間が……歪んで……!?」
イサミを背中で庇っていたプリモの身体が、突如として空間に開いた漆黒の『亀裂』へと引きずり込まれそうになる!
「プリモさんっ!!」
イサミは咄嗟に短剣を握りしめたまま、プリモの手を強く掴み取った!
「イサミ……ダメ、離れて――っ!」
「離すわけないでしょう!!」
二人の足元で、失敗した魔法陣が禍々しい次元の渦となって弾けた。
「イサミくん―――っ!?」
「イサミっ!? プリモ―――っ!?」
遠くで叫ぶココやクロエたちの悲鳴のような声が、遠のいていく。
眩い光と漆黒の渦がイサミとプリモの視界を塗りつぶし、二人の身体は地下ホールの空間から綺麗さっぱりと掻き消えて(ワープして)しまうのだった――。