『歩く道具屋、怒涛の繁忙期と甘い寄り道の誤算』
コパンドンCITYの街角を走る秋風は、どこか澄んだ冷たさを孕んでいた。
街全体がどこかそわそわとした活気に満ち溢れている。
それもそのはず、この時期はコパンドン周辺の主要ダンジョンで魔物の活性期と素材の「旬」が同時に重なる、冒険者ギルドにとって一年で最も忙しい『秋の繁忙期』の真っただ中だった。
「はいはい! ご指名ありがとうございますっ! 『歩く道具屋』イサミ出張サービス、ただいまご予約枠が埋まりかけておりますよ〜っ!」
ギルド前の広場。巨大なリュックを背中に背負ったイサミの声が明るく響き渡る。
ここ数日のイサミの需要の跳ね上がり方は、自分自身の予想すら上回る異常な事態となっていた。
地道な口コミ、そして何より先日の大雨で見せた「困った時に現地で欲しいものが即座に出てくる」という圧倒的な利便性の評判が、中堅から新人の冒険者たちの間で一気に広まったのだ。
『あいつを連れて行くと荷物が減る』
『ピンチの時に完璧なタイミングでバフや回復薬を出してくれる』
『ちょっとお値段は張るけど、それ以上の討伐効率が出る』
噂が噂を呼び、今やイサミのスケジュール帳はギッシリと文字で埋め尽くされていた。
新規の冒険者パーティーからのオファーが次々と舞い込み、まさに引く手あまた状態。断る理由など商人であるイサミには一微塵もない。
「イサミくん! 午後からの西の森の討伐、なんとか同行頼めないか!?」
「イサミさんっ、予算なら弾みます! 私たちのダンジョン調査についてきてください!」
「あはは! みなさん順番ですよ〜! 利益率の高い順……じゃなくて、ご予約が早い順にお受けしておりますからねぇ〜っ!」
お茶目にウインクを一発飛ばし、ソロバンをジャラジャラと高速で弾きながら、イサミは新規顧客たちと次々に契約を交わしていく。
「ふふふ……! 繁忙期、万歳! 需要の爆発、万歳ですねぇ! 稼げる時に極限まで稼ぎ倒す……これぞ商人の醍醐味です!」
瞳の奥で「¥」の光をギラギラと閃かせ、イサミは満面の笑みを浮かべていた。
しかし——
「……ふぅ」
太陽が完全に西の空へ没し、街に夜の静寂が降り降りてきた頃。
コパンドンCITYの裏路地を歩くイサミの足取りは、いつもの軽快なステップとは程遠いものになっていた。
(……さすがに、1日3件のフル同行アタックは……身体にきますねぇ……)
本日のイサミの稼働実績——
1件目(早朝〜午前):新規の脳筋戦士パーティーと「東の地下水道」アタック。予備ポーションの大量売り付けに成功。
2件目(正午〜夕刻):中堅の弓手グループと「赤土の谷」での素材採集。高価な獣除けの香油を完売。
3件目(日没前〜夜):慌てん坊の新米パーティーの救出兼ダンジョン脱出サポート。足元を見た緊急出張料をしっかり徴収。
朝から晩まで休みなく巨大なリュックを担ぎ、険しいダンジョンや野山を走り回り、なおかつ頭の中では常に「利益率」と「顧客心理の操作」の計算を秒単位で回し続けたのだ。
いくら体力に自信があり、頭の回転が速いイサミとはいえ、人間である。
疲労は確実に肉体と脳を蝕んでいた。
(純利益としては……金貨1枚分……圧倒的……大勝利……ですが……)
視界が、ぐにゃりと揺れる。
足元が異様に重い。まるで泥の中を歩いているかのような感覚。
背中のリュックが、いつもの倍以上の重量で肩に食い込んできた。
(あはは……頭が、ポヤポヤしてきました……。脳の糖分が完全にゼロです……。母さんに知られたら『自己管理もできない三流ですよ〜』って……冷たく微笑まれちゃいますねぇ……)
思考が上手くまとまらない。
意識が遠のき、世界がフワフワとした薄皮一枚隔てたような感覚に包まれる。
膝の力が抜け、イサミの華奢な体が傾いた。
「っと……あ、あれ……?」
ガシャアン!
リュックの重みに引っ張られ、路地裏の壁にドスンと肩をぶつける。
視界が上下に揺れ、足がもつれて石畳の上に倒れそうになった——その時。
「ちょっと!? なにやってんのよ、あんた!!」
鋭い、しかしどこか焦りの混じった聞き覚えのある声が響き、イサミの体が横からガシッと力強く支えられた。
「へ……? おねぇ……さん……?」
イサミが重い瞼をうっすらと開けると、目の前に広がっていたのは、鮮やかな赤毛と、心配そうに眉を寄せた少女の顔だった。
クロエだ。
18歳の勝気な女性剣士。普段なら引き締まった革鎧に小剣を挿している彼女だが、今はクエストを終えた後なのか、ラフな私服姿だった。
「『お姉さん』じゃないわよ! クロエよ! ちょっとイサミ、あんた顔色真っ青じゃない! 一体どうしたのよ!?」
「あ……クロエさん……。ふふ……こんばんわぁ……。今日も……お美しいですねぇ……」
へらりと締まりのない、眠気眼(まなこ)の笑顔を浮かべるイサミ。
いつものチャラい態度とはまるで違う、どこか幼く、完全に毒の抜けた「ポヤポヤ」とした雰囲気に、クロエは思わず毒気を抜かれた。
「な、なによ急に気味の悪い……! って、ちょっと、すごい汗じゃない! 体も熱いし……あんた、まさか朝からずっと仕事して倒れかけてるの!?」
「ええとぉ……今日の3件目の……お客様がですねぇ……迷子になっちゃって……それを追いかけて……ダッシュしたら……なんだか……世界がクルクルって……」
「3件!? あんたバカじゃないの!? いくら金好きだからって、1日に3件もダンジョン同行受ける奴があるか!!」
クロエは呆れ果てたように叫んだ。
しかし、自分を支えるイサミの体が、小刻みに震えていることに気づくと、その表情はすぐに強い心配の色へと変わった。
「はぁ……もう、本当手がかかるんだから! ほら、つかまりなさい! 支えてあげるから!」
「えぇ〜……? 悪いですよぉ……。僕、道具屋ですから……肩代償(出張費)をとられちゃいます……」
「バカなこと言ってないで黙って歩きなさい! あんたのそのデカいリュックはあたしが持ってあげるから!」
クロエは手際よくイサミの背中から巨大なリュックを引っぺがすと、自分の肩に担ぎ直した。
「うぐっ……! 重っ!! あんた、いつもこんな重いもん背負って歩いてたの……!?」
「ふふ……商人の夢と……金貨が詰まってますからねぇ……」
「はいはい、夢ね! いいから足動かす!」
クロエはイサミの華奢な腕を自分の首に回させ、腰を抱きかかえるようにしてしっかりと支えた。
イサミから伝わってくる体温と、甘いハーブのような汗の匂い。
普段は生意気でチャラいことばかり言っている少年だが、こうして密着すると、自分よりも頭一つ小さく、男としては頼りないほど華奢であることが嫌でも伝わってくる。
(ほんと……生意気なクセに、体はただの男の子じゃない……)
クロエの頬が、夜風とは違う熱でほんのり赤くなった。
「イサミ、あんたの安宿どこよ? 送っていってあげるわ」
「安宿……? ええとぉ……西区の……なんとか通りの……パタパタ……」
「どこよそれ! 伝わらないわよ! はぁ……ダメだわ、完全に脳が煮えてる」
クロエは溜息をついた。この状態で夜の街をウロウロ探すのは危険すぎる。
「……仕方ないわね。あたしたちの部屋に来なさい。ココは今夜、ギルドの資料室で夜通し調べものしてるからいないし……あたしの部屋で休ませてあげるわ」
「えぇ〜……? クロエさんの……お部屋……? ふふ……それって……『お泊まりイベント』ですかぁ……?」
「茶化してないで歩く!! 放置して道端で野垂れ死なれたら、あたしのCランク昇格計画が頓挫するんだからね!」
クロエは赤い顔を背け、ぷいっと横を向くと、半ばイサミを引きずるようにして自分の宿へと歩き出した。
◆
コパンドンCITYの裏通りにある、中堅冒険者向けの質素だが清潔な旅籠。
その二階の一室。
カチャリ、と鍵が開き、クロエはイサミを抱え込むようにして部屋の中へと運び込んだ。
「ふぅ……! 重かった……。あのリュック、絶対に岩でも詰まってるわ……」
クロエはイサミの巨大リュックを部屋の隅にドサリと置くと、肩を回しながら息を吐いた。
そして、そのまま意識が飛びかけているイサミを、自分のベッドへとゆっくり腰掛けさせた。
「ほら、イサミ。横になりなさい。水持ってきてあげるから……」
部屋の中には、一人分のベッドと簡素な机、そしてクロエの予備の武具や衣類が整然と並んでいる。女の子の部屋らしい、どこか甘く甘酸っぱい香りが漂っていた。
ベッドの柔らかい感触に包まれ、イサミの頭はさらに心地よい眠気と体温の高さでポヤポヤと混濁していく。
(あ……あたたかい……。いい匂いがします……)
イサミの重い目蓋の裏で、混濁した思考が都合よく歪み始めていた。
(あれ……? 僕、今……どこにいるんでしたっけ……? クロエさんのお部屋……? 二人きり……?)
頭が熱い。脳のブレーキが完全にバカになっている。
普段ならどれほど誘惑されようと「利益とリスク」を冷静に天秤にかけるイサミの鉄の理性が、極度の疲労と高揚感によって跡形もなく溶け崩れていた。
(クロエさん……。普段はツンツンしてるのに……僕を部屋に連れ込んで……優しくしてくれて……)
イサミのポヤポヤとした頭の中に、思春期の男の子特有の、そして普段は徹底的に抑圧している「ちゃっかりとした欲」が、怪しく浮かんできた。
(……えっち、ですか〜? これって……僕を『食べちゃう』ためのイベントですか〜っ……?)
「イサミ? ほら、お水……って、ちょっと、なんでそんな顔で見て——」
コップに水を入れて振り返ったクロエ。
その瞬間だった。
ガタッ!!
「きゃっ!?」
ベッドから素早く飛び出したイサミが、クロエの腕を掴んだ。
コップが床に落ち、澄んだ水を撒き散らす。
「イ、イサミ!? なにを——」
クロエが驚きに目を見開いたときには、すでに遅かった。
ドサッ!!
イサミの体の重みがのしかかり、クロエはベッドの上へと押し倒されていた。
「くっ……!? い、イサミ……っ!?」
クロエの視界一面に、イサミの顔が迫る。
いつもはお茶目で生意気な少年の顔。だが今の彼の瞳は、熱っぽくトロンと潤み、どこか危険な色気を帯びてクロエを見下ろしていた。
「イサミ……あんた、なに……っ」
「クロエさん……。ふふ……可愛いですねぇ……」
「な……っ!?」
クロエの顔が一瞬で爆発したように真っ赤になる。
「ば、バカなこと言ってないでどきなさいよ! あんた熱で頭がおかしく——」
「ん……っ」
「んんっ!ーーーーーー!??!?」
クロエの言葉は、最後まで紡がれることはなかった。
イサミの柔らかく熱い唇が、クロエの唇を完璧に塞いでいた。
(〜〜〜〜〜〜っっっ!??!?)
クロエの頭の中が真っ白に弾け飛ぶ。
初恋も、男手も知らない18歳の一卵性ツンデレ剣士にとって、それは人生初の「キス」だった。
イサミの唇は驚くほど柔らかく、そして熱かった。
疲労で熱を帯びた息がクロエの鼻腔をくすぐり、甘いハーブの香りが脳を痺れさせる。
「ん……ふ……っ」
「〜〜〜っ! ん、んん……っ!」
イサミはポヤポヤとした頭のまま、吸い付くようにクロエの唇を貪った。
18歳の少女の、甘くて柔らかい感触。
いつも自分に強がり、怒鳴り散らしている勝気な剣士が、自分の下で小さく身悶えしているという事実が、イサミの壊れた理性をさらに加速させる。
「ふは……っ。クロエさん……柔らかいです……」
唇が離れると、一条の銀の糸が引いた。
クロエは荒い息を吐きながら、瞳をうるうるさせてイサミを見上げている。肩を小さく震わせ、抵抗する力すら失っていた。
「あ……あんた……なに、やって……っ」
「ふふ……『歩く道具屋』の特別サービスですよ〜……」
イサミはニヒッと悪戯っぽく笑うと、そのまま熱い手をクロエの私服の裾から、スルリと内部へ滑り込ませた。
「ひゃぁっ!?」
クロエが小さく悲鳴を上げる。
指先が触れたのは、剣士として鍛え上げられつつも、女の子らしいしなやかさと柔らかさを保ったクロエの引き締まったお腹、そして細い腰回りだった。
「や……っ、イサミ、だめ……そこっ……!」
イサミの手のひらが、クロエの肌を優しく愛撫していく。
ポカポカと温かいイサミの手が触れるたび、クロエの体に心地よい痺れが走り、背筋がゾクゾクと震えた。
「クロエさん……肌、すごくスベスベです……。いつも固い革鎧を着てるのに……こんなに女の子なんですねぇ……」
「う、うるさい……っ! 言わないで……っ!」
クロエは恥ずかしさのあまり両手で顔を覆った。だが、イサミの手を振り払うことはできなかった。
胸の奥が甘く疼き、熱い吐息が口から漏れ出してしまう。
イサミの手は、さらに上へと——クロエの豊かな膨らみの根元へと、ゆっくりと滑り登っていく。
「ん……クロエさん……僕……なんだか……すごーく……っ」
イサミはクロエの首筋に顔をうずめ、熱い吐息を吹きかけながら、彼女の体を抱きしめた。
クロエの胸の鼓動が、トクトクと激しくイサミの胸に伝わってくる。
「イサミ……っ。あんた……本当に……バカ……っ」
クロエは観念したように目を閉じ、イサミの背中にそっと手を回した。
生意気な年下の男の子。自分を翻弄し、お金を巻き上げるちゃっかり者。
なのに……こんなにも愛おしく、胸が苦しくなるのはなぜなのだろう。
(もう……好きにしなさいよ……バカイサミ……)
クロエが体から力を抜き、イサミの次なる愛撫を受け入れようと、そっと唇を重ね直そうとした——その時。
すぅ……すぅ……。
「……え?」
クロエの首筋にあたっていたイサミの規則正しい、穏やかな息遣い。
体の力が、完全に抜けた。
「……イサミ?」
クロエが恐る恐る目を開けると——
そこには、クロエの胸の上に顔を埋めたまま、気持ちよさそうに、完全に爆睡しているイサミの姿があった。
「……」
部屋の中に、沈黙が流れる。
すぅ……すぅ……ふにゃ……。
イサミはクロエの胸に頬を寄せ、満足そうな、幼子のような寝顔でスヤスヤと眠りこけている。
その手は、しっかりとクロエの服の中に突っ込まれたままだ。
「………………」
一秒。
二秒。
三秒。
クロエの顔が、これまで生きてきた中で一番真っ赤に染まった。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっっっ!!!!」
恥ずかしさと、焦燥感と、やり場のない感情が一気に爆発する。
「なっ……なんなのよそれぇぇぇぇぇぇぇっっっ!!??!?」
クロエの悲鳴のような叫びが、夜の部屋に虚しく響き渡った。
「押し倒して! キスして! 服の中に手を入れておいて……その途中で寝るってどういうことよバカぁぁぁぁぁっ!!」
クロエはイサミの肩を掴んで揺さぶろうとした。
だが、スヤスヤと幸せそうに眠る少年の顔を見ると、どうしても強く押し退けることができなかった。
「うぅ……っ! バカ! バカバカバカ!!」
クロエは涙目になりながら、自分の胸の上で丸くなるイサミの頭を、ポンポンと優しく叩くことしかできなかった。
イサミの髪は柔らかく、日差しとハーブの香りがした。
「……なによこれ。あたしのファーストキス……奪っておいて……」
クロエは真っ赤な顔のまま、ベッドの上で横たわった。
体の上には、ぐっすりと眠りこけるイサミ。
服の中に残されたイサミの手の温もりが、いつまでも消えずに残っていた。
「……明日起きたら、絶対に……絶対にタダじゃおかないんだからね……っ」
クロエは恥ずかしそうに唇を噛み締めながら、胸の上のイサミの背中にそっと毛布をかけてあげた。
窓の外では、コパンドンCITYの夜空に綺麗な月が浮かんでいた。
怒涛の繁忙期の中、ちゃっかりと(?)大事件を引き起こした『歩く道具屋』の夜は、こうして静かに過ぎていくのだった。