全員が起きて一堂に顔を会わせたのは、既に昼近時間帯だった。
日が変わり、朝陽が昇り、それを以てそれぞれが『新しい一日が始まった』と認識した段になって、既に異常は日常へと顔を戻しているのだ。
未だその名残――、羞恥心によるものだろう赤ら顔だったりそれ以外の表情だったり――を浮かべている者もいないではないが、精々がその程度。須らく、全員が日常への回帰を果たしていた。
「さて。昨日のパーティーは諸々の顔を併せ持ったものになってしまったが、元来は中間テストの突破を祝しての祝勝会に本分を置いたものだった。
勝利を祝い、飲めや食えやでいっときを楽しみ、それを以てこれからの活力へと変換するのが目的だった。――そしてそれは、概ね達成されたものだと思う。
然るに、これをただの一回で終わらせるのは味気ないと俺は思う。終わらせても構わんと言えば構わんのだが、その場合は、むしろ活力を失うことになるのではないかと思っている」
そこで一旦言葉を区切った天嶺は、グルリと一同を見回した。
「おう! 九角の意見に賛成だ! もしも二度と行われないなんてことになったら、俺なんかみるみるやる気を失ってクラス落ちしちまう自信があるぜ!」
「俺もだ!」
天嶺の意を受けて、というわけでもないだろうが、池が堂々と言い放った。かと思えば、即座に山内も続いた。
「まあ、私もそういう部分はあるかな……」
「私も~。ぶっちゃけると、生でヤるか、コンドームを着けてヤるかってのは、そんだけ大きいと思うのよ」
「それ以外にも、結局のところコンドームは避妊の確率を上げるだけでしかないもの。私たちがどれだけ気を付けたところで、妊娠する時は妊娠するし……。
その危険性を完全に防げるってのは凄く大きいし、今時点でそれが可能なのは九角くんだけである以上、学生妊娠を危惧すれば、九角くんの協力を得るのは必須よ。
そりゃあ、個人的に協力を願うのも一つの手ではあるでしょうけれど、それが出来る人たちばかりではないでしょうし、出来たとしても何らかの対価は必要になるでしょう。特に九角くんのグループに直接属していない人は顕著でしょう。
それを思えば、九角くんが無償で用意してくれる場を無くすのは損の方が大きいわ」
そして、恵、麻耶、鈴音も続いた。特に鈴音は長口上をしてまで次回開催の意思を露わにしている。『安全なセックス』を望んでいるのは間違いなかった。
「まあ、そんなわけだ。理由がどうあれ、次回以降の開催を望む奴が一定数はいるみたいだからな。折を見て開催しようと思う。
ただし、それによって研鑽が失われてしまったら元も子もない。である以上、基本的には何らかの名目を付けようと思う。無難なのは、今回のように『祝勝会』だろうな」
天嶺は、特に池と山内を見ながら言葉を紡ぐ。
次回以降も参加したければクラス残留を果たせ。そのために日頃から努力を怠るな。……暗にそう言っているのだ。
「たしか、7月には期末テストがあるのだったな?」
「うん、そうだよ! ……で、期末テストが終わったら、夏休みを利用して新入生の皆を学校所有の無人島に招待するよ!」
天嶺が顔を向ければ、1-Bの担任である星之宮知恵は満面の笑みを浮かべて肯定し、補足を入れた。
「まあ、十中八九は特別試験とやらが行われるんだろうな。新入生全員が対象なんて、『どうぞ疑ってください』と言ってるようなもんだ」
「無人島ということは……アウトドア? それともサバイバル? 曲がりなりにも学校主催で生徒を対象にしている以上、最低限の安全確保は為されているでしょうけど……」
「パッと思い浮かぶのは『陣取り合戦』かな。占領したエリアの数で試験終了後にCPが配られ、学校側が予め用意した水や食料なんかは占拠したエリアの物しか利用できない……とかありそうじゃない?」
「否定はしないが、その場合、内容物が偏ったエリアを占拠した場合が大変だろう。食べ物は豊富だが水はない、なんてことになったら目も当てられない。そういう場合の救済処置もある筈だ」
「その場合は物々交換とかかな……? いやまあ、他クラスからエリアを奪い取れない場合を想定してだけど……」
「アウトドアなら任せてくれよ! 昔っから家族でいろんなとこにキャンプに行くことが多かったから、そこら辺に関しちゃ自信があるぜ!」
特別試験を前提としてそれぞれが意見を交わす中、池が自信満々に手を挙げた。
日頃からお調子者感が満載の池ではあるが、今回は見るからに自信が漲っている。
「マジかよ寛治! お前、そんな特技を持ってたのか!?」
「おうよ! 水が飲めるかどうかの判別、火の熾し方、食べられる木の実や野草の見分け方、薬に使える植物の知識、木登りに動物向けのトラップまで、一通りは実践で仕込まれてるぜ! もちろん、あり合わせのもんで作るアウトドア料理もバッチリだ!
逆に言うと、教わってねえ物に関しちゃサッパリなんだけどな……。特に、向かう先は無人島だろ? 国内だって、場所によって植生や雰囲気なんかはガラリと様変わりするから、完全に通じる保証もねえ」
驚きを露わにする山内に、池は指折り数えていく。
一つ一つ、シッカリと言及していく辺り、決して根拠のない自信ではないのだろう。
その一方で、過信している様子も見られなかった。向かう先が無人島であることを根拠に、スキルや知識が通用しきらない可能性も挙げている。
「素朴な疑問なんだけど、それってホントに『家族のキャンプ』なの? 話を聞いてる限りだと、どうにも専門性を感じられてならないんだけど……」
姫野の呟きは、この場の大多数に共通する意見だった。
何と言うか、『フィールドワーク派の大学教授』だとか、『猟師』だとか、はたまた『忍者』だとか、どうにもそこら辺を彷彿とさせる物言いなのだ。少なくとも、『キャンプ』の範疇は優に超えているように感じられてならない。
加えて言うと、『植生』だの何だのは、普段の池からは全く想像も出来ない言葉だ。何せ、『時事問題』を『ジジイ問題』と発言するような男なのだから。――にも拘らず、ごく自然に『植生』という言葉を使っている辺り、よほど身近に感じているのは間違いないだろう。
「まあ、予想でしかないのですから、今から考え過ぎても疲れるだけでしょう。――それにしても、楽しみですね。無人島」
ニッコリ笑顔を浮かべて有栖が言った瞬間、僅かに教師両名の表情が歪んだ。
その表情を見逃さなかった者たちは思った。――ああ、これはただの無人島旅行じゃないな……。
ただの無人島旅行にしては、有栖に対する反応が妙だ。
有栖の病状を真っ先に心配してのことならば、不参加を仄めかしても構わない筈なのだ。教育機関として、生徒の安全性を最優先に考えるのは何もおかしなことではないのだから。
むしろ、たとえ有栖に恨まれることになろうとも、『健康面を鑑みて坂柳さんに参加許可は出せません』とでも、ハッキリと言うべきなのだ。
だと言うのに、それをしない。かといって、有栖の言葉に迎合するでもない。ただただ沈黙を保っている。――それは、教師陣に後ろめたいことがある証左と言えた。
教師として、或いは一人の人間として、どう答えても憚りがある。それ故の反応と考えれば、十分に頷ける。
だがまあ、知恵も佐枝も教師ではあるが、『高度育成高等学校』では末端の教師に過ぎない。上の指示に反抗するにも限度があるのが現実だ。である以上、この場で二人を責めるのも酷というものだ。
「まあ、そうだな。――だが、まずはその前にある期末テストを優先するべきなのも事実だ。またパーティーに参加したいのであれば、赤点を取らないことだな」
さり気なく期末テストへと話題を戻し、それから程なくして解散と相成った。
♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢
「ふわぁ……。ねむ……」
寮への帰路を、姫野はあくびを噛み殺しながら進んでいた。
シャワーを浴び、湯に入り、いくらか眠気を誤魔化すことは出来ていたが、誤魔化していただけだ。寝不足なのは事実なのだから、十分な睡眠を取らない限り、眠気が覚める筈がないのは道理である。若さで耐えるにも限度があるのだ。
しかし、如何せん宿泊場所が郊外に位置していただけあって、寮までの距離が長い。
十全な体調ではないことも相俟って、姫野は足が縺れてしまった。
(あ……ヤバ……)
思うものの、眠気が故か身体は反応してくれない。
徐々に地面が近付いていく。
(あ~、これ、痛いだろうなぁ~)
危機感は抱くものの、だいぶ思考も鈍くなっていた。
瞬間、横合いから伸びた手に、その身体が支えられた。
ガッシリとした、男らしい手だった。
「おい、大丈夫か?」
そして、掛けられる声。
回らない頭のまま、姫野は顔を上げる。
その仕草は、非常にノロノロとしたものだった。
「どう見ても大丈夫じゃなさそうだな……」
呆れを露わに呟く人物は、姫野の見知った相手だった。――と言うより、つい先刻まで同じ場所にいた。
「え~と、三宅くん……だっけ?」
「ああ。三宅明人だ。今朝の様子から怪しいとは思っていたが、案の定だったか……」
姫野の質問に答え、三宅は深々と溜息を吐く。
「寮まで背負われて行くのと、抱きかかえられて行くの、どっちがいい?」
「……は? いや、どっちも遠慮したいんだけど……」
「お前が健康ならそれもありだったがな。今のを見ては流石に却下だ。その状態のお前を放置するのは寝覚めが悪いし、横を一緒に歩いていっても、いつ転ぶか分からないから気が気じゃない」
三宅の言葉は道理だった。
少なくとも、一般的な善性を持っていれば、今の状態の姫野を心配するのは当然だろう。
極論、何の根拠もなく、『寮までは大丈夫だろう』と安易な決断を下して帰路に就いた姫野が悪いのは明らかだった。――姫野が望む望まないは別として、他にも選択肢があったのは間違いないのだから。
「じゃあ、背中に負ぶってもらっていい? 流石に、お姫様抱っこしてもらうのは勘弁。まだよく知りもしない相手となれば尚更だね」
「そうか。じゃあ、負ぶされ」
根負けして姫野が言えば、三宅は姫野に背中を向けてしゃがんだ。
姫野はその背中に素直に身体を預けた。羞恥心が無いわけではないが、このまま独力で帰るのが厳しいのは理解している。
さっきは三宅に止めてもらえたが、次に足が縺れたときはどうなるか分かったものじゃない。
「……重くない?」
「否定すれば嘘になるが、女子とはいえ人ひとりの重量としては軽い方だろ」
三宅の返答は、何とも困るものだった。
普通に考えて、10kgの米袋だって重いのだ。当然、高校生女子である姫野の体重は、米袋の何倍もある。である以上、重くて当然なのだ。
少女漫画然り、ドラマ然り、恋愛を題材にした作品では、男が女を背負う場面は珍しくもない。むしろ、テンプレートとすら言えるだろう。
そしてその際に、女の方が『重くない?』と質問し、男の方が素直に『重い』と答えたら、女が怒るのもテンプレである。『そこは嘘でも軽いと言うものでしょーっ!』とかのセリフが付いていればまだマシな部類である。
姫野の場合、該当シーンを眼にしては、『いや、重くて当然じゃん。それで怒るとかどうなってんの? 情緒不安定……?』などと度々ツッコミを入れていたものだったが、よもや自分が当事者になるとは思ってもいなかった。
まして、多分に羞恥心によるものではあるが、テンプレそのままのセリフを自分が言うことになるとは、尚のこと思っていなかった。
部外者が当事者の心情を理解することの難しさを、今この瞬間、姫野は未だかつてないほどに実感していた。
これで三宅にただ『重い』とだけ言われていたなら、自分は間違いなくショックを受けていただろう。――一人の女子として、姫野はそう思った。
そしてそう考えれば、三宅の返答は何ともベターで無難なものではあるが、同時に気遣いに満ちたものなのかもしれなかった。
「気を遣ってくれてありがとう」
「おう。怒られなくて何よりだ。……実は、怒られるんじゃないかと、ちょっとだけ不安だった」
三宅の気遣いに姫野が礼を言えば、三宅は少しばかりの茶目っ気を出しながら安堵の息を吐いた。
「寮に着いたら起こすから、それまでは寝ていていいぞ?」
「流石にそれは――と、拒否する余裕も無さそうだ。ゴメンだけど、お願いするね?」
「おう」
或いは、幼心を刺激されたのか。
思いの外に安心感を得た姫野は、三宅の背に揺られながら、程なくして寝息を立てた。
まあ、休日とはいえ、そして学校からでないとはいえ、寮への道のりだ。
寮へ近付くほど、当然ながら注目される機会が増えた。
中には端末のカメラを向けてくる者もいる。
両手が塞がっているし、姫野を背負っているしで、三宅に出来るのは精々が睨み付けることくらいだった。『肖像権の侵害』に対する抵抗としては極々微弱なものだったが、どうやら相手はそう受け取らなかったらしい。
「あぁ! なにガンくれてんだ、てめえ!」
などと、如何にも分かりやすいチンピラムーブをかましてくる始末だ。
「許可も取らずに勝手に人のことを撮ってるんだ。そりゃあ、睨みつけもすると思いますが? むしろ、『肖像権の侵害』に対する抵抗としては極々微弱なものだと思いますが、先輩の認識は違うんで?」
三宅は怯むこともなく、正論で言い返した。――言い返してしまった。
こういうのも『昔取った杵柄』と言うのかもしれないが、姫野を背負っている現状では間違いなく悪手であった。――言い返してから、三宅はそのことに思い至った。
そも、正論で怯むような相手ならば、ガンくれてやった時点で突っかかってはこない。
「ナマ言ってんじゃねえぞ、後輩が! まずは先輩相手にガンつけたことを謝んのが筋だろうが!」
案の定、話が通じない部類だった。
そうと思いつつ、三宅にも相手を責め切れない理由があった。
周りに人は多く、無断撮影に洒落込んでいる者もいなくはなかったが、全員がそういうわけでもないのだ。
状況的に仕方ない部分があるとはいえ、突っかかってきたこの相手がカメラを向けていなかったのだとしたら、非はそんな相手を睨みつけた三宅の方にも存在する。――まあ、ごく普通の良識を持っていれば、三宅の行動に理解を示すものだとは思うが……。
「そういうお前は、まず先輩らしい行動を取るべきだな。状況を見れば、彼の行動には理解を示す余地が余りある。……大方、Eクラスにでも落ちたのだろうが、その不満を後輩にぶつけるのは筋違いだと思うがな」
「げ!? 鬼龍院……!?」
「こんな美少女を捕まえて、げ、とは失礼だな。げ、とは……。
ああ、後輩くん。私は生徒会役員の鬼龍院楓花だ。コイツの相手は私がするから、君は寮に帰っていいぞ!」
お互いに知り合いなのか、先輩同士でコミカルなやり取りが行われる。
だが、それも束の間。鬼龍院が三宅を見やって帰寮を促す。
「1-Dの三宅明人です。ありがとうございます。お言葉に甘えさせて頂きます」
三宅は鬼龍院の言葉に甘え、挨拶と礼を告げて、再び寮へと向けて足を動かすのだった。
『よう実』って、所々でキャラ設定に矛盾が起こったり、設定が変更されるのが大きな特徴の一つだと思ってます。
池の『ボーイスカウト』なんかは最たるものですね。
三巻だと『ボーイスカウト経験がない』って言ってるんですが、以降の巻ではいつの間にかボーイスカウト経験者になってます。
本作の場合、こういう明確な矛盾が発生するものに関しては、基本的には最初に出た設定の方を採用します。
つまり、本作の池にボーイスカウト経験はありません。池のアウトドア能力や知識は、あくまでも『家族とのキャンプ』で培ったものです。
結果、池の家庭環境が謎めいたものになりました。
その一方で、『三宅が弓道を始めた理由』のような例もあります。
一年生の7巻では『中学の時に世話になった先輩が弓道部だった。だから俺もはじめてみようと思っただけだ』と言ってます。
ただ二年生編の6巻だと、独白で『弓道を始めたのも適当にテレビで見ていて、暇つぶしにやってみようと思っただけ』となってます。
これは理由こそ異なりますが、併用できないわけではありません。物事を始めるのに、理由が一つだけとは限らないわけですしね。
複数の理由が重なって、初めて手を付ける場合もあると思います。
『中学の時に世話になってた先輩が弓道部だったから興味はあったんだが、暇なときにテレビを見てたら弓道やってるのが流れて、俺もやってみるかと思った』。……こんな感じですね。
なので、本作では二つの理由を併用しています。
あとは、『Eクラス』落ちになったのが一年生だけとも限りませんので、モブ先輩を登場させて該当者になってもらいました。
原作の1巻で須藤に絡んだ先輩のように、上級生にも不良は存在しますので。
モブ先輩は三宅が女子を背負っていることに対する僻みもあって絡んだわけですが、本作の三宅はヤクザに絡まれた挙句に刺された経験もありますので、そこらの不良に怯むことはないんですよね。
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