(もうすぐ中間テストだってのに、なんで俺は今こんな状況にいるんだろう)
目の前にはテレビ画面に映し出されたポーカーの役判定アプリ。手元には使い古されたトランプ。そして、向かい側にはパーカー姿で正座する雪澤柊佳。
彼女の部屋は想像よりずっと片付いていた。本棚には恋愛小説がびっしり。机の上には可愛らしい文房具。でも全体的に暗めのトーンで統一されていて、まさに柊佳のイメージ通りの空間だった。
ことの始まりは三日前。
「罰ゲームの期間、とりあえず一ヶ月ってことになったけどよ」
「一ヶ月も雪澤の彼氏とかダルすぎだろ」
「でももう引くに引けねえじゃん。雪澤、マジでお前のこと好きみたいだし」
友達との会話で気づいた。俺は柊佳にちゃんと説明すべきだと。罰ゲームのことは言えないにしても、「友達から始めよう」くらいの距離感を提案すればいい。
で、土曜日。
「家に遊びに来てほしい?」
昼休み、手作り弁当(もちろん俺の分まで作ってきてくれた)を食べながら、柊佳は目を丸くした。
「彼氏彼女って、家に行き来したりするものかなって思って……。あ、いや、無理にとは言わないけど」
「いいよ。行く」
あっさりOKした俺を、柊佳は信じられないものを見るような目で見つめた。
「ほ、本当に? 部屋、片付けなきゃ……」
「片付いてるだろ、いつも」
「な、なんで知ってるんですか!?」
「いやなんとなく」
こうして俺は土曜の午後、柊佳の家のインターホンを押すことになった。
「お、お邪魔します……じゃなくて、いらっしゃいませ!」
「どっちだよ」
「ご、ごめんなさい緊張してて……」
玄関で出迎えた柊佳は、さすがに学校よりはラフな格好だった。でもやっぱりパーカー。しかも今日はグレーのスウェット素材で、ふわふわしている。
「親は今日いなくて……お茶とお菓子なら用意してあります」
「おう、ありがと」
通された部屋で、俺は早速本題を切り出そうとした。
「あのさ、雪澤さん」
「は、はい」
「俺たち付き合い始めたばかりだし、無理に恋人っぽく振る舞わなくてもまずは友達みたいに」
「あっ!」
柊佳が急に声を上げた。
「友達から始めるってことですよね。私もそう思ってました」
「え?」
「だからこれ、読みました」
柊佳が本棚から取り出した本。『友達から恋人になるための10のステップ』。
「ステップ3:一緒にゲームを楽しむ、だそうです」
「はあ」
「なので、ポーカーしませんか?」
なぜポーカー。
「恋愛の指南書に書いてあったんです。ギャンブルには男女の駆け引きが詰まってるって」
「どんな指南書だよ」
「だ、だめですか……?」
上目遣いで見つめられると弱い。というか、この流れで断れるわけがない。
「……わかった。やろう」
まあ、普通にポーカーするだけなら問題ないだろ。適当に遊んで、それとなく友達路線で行こうって話をして。
ところが。
「あの、罰ゲームにしませんか?」
「は?」
「負けた方が、勝った方の言うことを聞くっていう……」
「いや別に普通に」
「お、お願いします! せっかくなので……その……スキンシップ的なことも……」
柊佳の顔が真っ赤になる。どうやら例の本に「ステップ4:スキンシップの練習をする」とか書いてあったんだろう。
(まあ、俺が勝てばいいだけの話だしな)
「わかった。ただし内容は俺が決めるから」
「はい!」
こうして始まったポーカー対決。
正直、俺はポーカーにはそこそこ自信があった。親父が麻雀やトランプ好きで、小さい頃から付き合わされてたからだ。柊佳はおそらく初心者。楽勝だろう。
実際、最初の数ゲームは俺の連勝だった。
「また負けた……」
「じゃあ罰ゲーム。今度こそ、友達から始めるってことで」
言いかけた時、柊佳が突然顔を上げた。
「も、もう一回だけお願いします! 今度こそ勝ちますから!」
その目が妙に真剣で、俺は思わず頷いてしまった。
運命のラストゲーム。
配られた手札を見て、俺はニヤリとした。フルハウス。そうそう負ける手じゃない。
「bet」
「コール」
柊佳も珍しく自信ありげだ。まあブラフだろう。
カード交換の後、最終ベット。
「ショーダウン」
俺が手札を開く。
「フルハウス」
柊佳はしばらく手札を見つめていたが、おずおずとカードを開いた。
「……ロイヤルストレートフラッシュ」
「はあ!?」
奇跡としか言いようがない役だった。しかもダイヤで揃えてやがる。
「私、こういうのだけは運が良くて……」
「いやいやいや、そんなレベルの話じゃ」
「あの、それで……」
柊佳はもじもじと指を絡ませながら、消え入りそうな声で言った。
「罰ゲーム……何をすればいいですか」
「え」
「なんでもします、から……」
(な、なんでも?)
頭の中に一瞬よぎったのはダボダボのパーカーの下に隠されたという噂のスタイルのこと。いや待て、俺は友達路線を提案するつもりでここに来たんだ。そもそも罰ゲームで付き合い始めたっていうのに、さらに罰ゲームで何かさせるなんて。
「いや、罰ゲームはナシで」
「だめです!」
柊佳は食い気味に反論した。あまりの剣幕に俺はたじろぐ。
「ルールはルールです。彼女として、負けた罰は受けてもらわないと。さもないと私、私……」
目に涙をため始めた柊佳を見て、俺は完全に降参した。
「わ、わかった。じゃあ……じゃあ……」
俺は深く考えず、口から出まかせを言った。
「おっぱい揉ませて」
「はい?」
一瞬の沈黙。
言った瞬間、後悔した。何言ってんだ俺は。
「ごめん今のナシ!」
「いいですよ」
え?
柊佳は俯いたまま、小さく頷いた。
「私、白石くんの彼女だし……そういうのも、そのうちあるかなって……むしろ、こんな見た目でよければ……」
「い、いいの?」
「はい。その代わり、目は瞑っててください。私の顔なんか見たら、白石くんが萎えちゃうかもしれないから」
(いや、顔見せろよ。というか、なんでそんな自己評価低いんだ)
でも引くに引けなくなった俺は、ごくりと唾を飲み込んだ。
「じゃ、じゃあ……失礼します……」
なぜか敬語になる俺。
柊佳は正座したまま、ぎゅっと目を閉じた。長い前髪のせいで表情はよく見えないけど、耳が真っ赤だ。
俺はおそるおそる手を伸ばす。
パーカー越しに触れたそれは、想像以上に柔らかくて想像以上に大きかった。
(な、なんだこれ。こんなに隠してたのかよ……!)
片手では到底収まらないボリューム。指が沈み込むような弾力。これはもしかして、いや絶対に。
「んっ……」
柊佳が小さく声を漏らした。その声が妙に色っぽくて、俺の心臓が跳ね上がる。
(やばいやばいやばいやばい)
「も、もういいだろ! 罰ゲーム終了!」
「ふぁい……」
柊佳はへにゃりとその場に崩れた。顔を手で覆って、耳どころか首まで真っ赤だ。
「私、変な声出しましたか?」
「い、いや」
「よかった……白石くんこそ、気持ち悪くなかったですか? 私みたいなのにおっぱい揉まれて……」
「そんなわけないだろ! むしろ」
言いかけて、口をつぐむ。
(むしろめっちゃ柔らかかったし興奮したわアホ)
なんて言えるわけがない。
「え、むしろ?」
「な、なんでもない」
気まずい沈黙が部屋を包む。
「あの」
「なに」
「私も罰ゲーム、していいですか」
「は? お前勝っただろ」
「勝ったからこそ、です。彼女としての特権というか……」
「な、なにを……」
柊佳は立ち上がると俺の隣にちょこんと座った。そして、おそるおそる俺の肩に頭を預けてくる。
「……彼女が彼氏にもたれかかるのは、普通ですよね」
パーカーのフードの部分が俺の腕に当たる。ふわりとシャンプーの匂いがした。花のような、甘い香り。
「しばらくこのままでいていいですか」
「……いいよ」
なんで俺はこんなにドキドキしてるんだ。罰ゲームだろ。遊びだろ。友達路線に持ち込むつもりだったんだろ。
なのに今、俺の胸は確かに高鳴っていた。
パーカーの隙間から見える柊佳の横顔。いつも前髪で隠れているけど、近くで見ると本当に整った顔立ちをしている。長いまつげ、すっと通った鼻筋ほんのり色づいた唇。
(こいつ、もしかしてめちゃくちゃ美人なんじゃ……)
「白石くん」
「ん?」
「心臓の音、すごく速いです」
「うるさい」
「私もです。聞こえますか」
柊佳が俺の胸に手を当てる。逆に俺の心臓はさらに暴れ出す。
「ば、ばかやめろ」
「……えへへ」
初めて聞いた柊佳の笑い声。意外に可愛い。
こうして俺の「友達路線に切り替える」計画は、見事に玉砕したのだった。
帰り際、柊佳は玄関まで見送りに出てきた。
「今日は来てくれてありがとうございました」
「おう」
「また……遊べますか」
「……考えとく」
そう言って踵を返そうとした時、柊佳が俺の袖を引いた。
「あの」
「ん?」
「これ」
差し出されたのは小さな袋。
「明日の分のクッキーです。あと来週のテスト勉強、よかったら一緒に……」
「わかったわかった」
袋を受け取って、俺は早足で柊佳の家を後にした。
家に着いて、クッキーを齧りながら考える。
(俺、柊佳のこと、どう思ってるんだ?)
最初はただの罰ゲームだった。でも今は、明日もアイツに会うのがちょっと楽しみになってる自分がいる。
ポケットの中のスマホが震えた。
\\\\<雪澤柊佳: 今日は本当にありがとうございました。私、白石くんの彼女でよかったです。おやすみなさい\\\\>
「だからそういうストレートなのやめろって……」
俺はベッドにダイブして、枕に顔を埋めた。
友達路線は、とりあえず延期だ。