Damn'it Company!―畜生集団、或いは― 作:カラルラ
「はい、これ私のプライベートの連絡先。なにか困ったことがあったら、いつでも連絡してちょうだいね」
『うむ、大儀である!』
別れ際、ルシアからさらさらと電話番号が書かれた香りの良い紙を押し付けられると、ナナはそれを受け取るやいなや、弾かれたように空中庭園のカフェを飛び出した。
お使いのタイムリミットが迫っているという強迫観念に急き立てられた彼女の姿は、文字通り風のような速さでビルの谷間へと消えていった。
それを隣接するビルの屋上から確認したミケは、ホッと息を吐きながら高倍率デジタル望遠鏡を懐にしまった。そのままナナの追跡を再開し、彼女が無事に本来の目的である市場へお使いに向かったことがハッキリすると、ミケは踵を返した。
(おっと、あまり遅くなると『ナナちゃんをストーキングしていた』ことがバレてしまいますね)
先程まで嬉々として手を振っていた己の変態行為を全力でしらばっくれるため、ミケはナナよりも先に、ショートカットを駆使して全速力で自宅へと帰還した。
◆ ◆ ◆
「ただいま戻りましたぁー!」
バタン、と勢いよく玄関のドアを開けてリビングに入ると、そこには出かけた時と1ミリも変わらない姿勢でソファに陣取るジェイクの姿があった。
「よう。適当に卵潰してマヨネーズと和えたディップ作ったから、そこにあるパンに塗って食っとけ」
ジェイクは空中に展開された複数のホログラム端末から一切顔を上げず、キーボードを叩く手も止めずに返事をする。
普段なら画面すら見ない超ドライな対応だが、ミケは「返事を返すだけマシ(機嫌が良い方)」だと分かっていたので、態度の悪さにはツッコまずに話を続けた。
「聞いてくださいよジェイクさん! 私がナナちゃんをこっそり見守っていたら、何があったと思います!?」
「ナナと目が合った」
「大っ正解! ……って、なんで分かるんですか!? いやいや、それとはまた別に凄いことがあったんですよ! ナナちゃんのスカウト! 引き抜き現場を目撃したんです!」
バンバンとテーブルを叩いて力説するミケに対し、ジェイクはピタリとタイピングの手を止めた。
「……会話を直接聞いたのかよ?」
「いえ、さすがの私も読心術は出来ないですし、音声が拾えないぐらい遠くから監視してたので、内容は全く聞いてないですけど」
「解散!」
「酷い! ジェイクさんは半年間ずっとナナちゃんと一緒に居たんですよ!? 引き抜かれるかもって聞いて、何も思わないんですか!」
悲痛な声を上げるミケ。しかし、ジェイクは鬱陶しそうに肩を回すと、深々とため息をついた。
「エンゲル係数の増加曲線が! ちょっと馬鹿にならなくなってきてる!」
「えっ」
「あいつ、放っておいたら冷蔵庫の中身ブラックホールみたいに吸い込むじゃねえか。養うこっちの身にもなれ」
「……それは……あの子も成長期ですし、いいじゃないですか……」
ミケは急に声のトーンを落とし、スッと目を逸らした。ナナが爆食いしている横で、自分も同じようにジェイクの飯を爆食いしているという『思い当たり』が多すぎたからだ。
「成長期ぃ〜〜〜?」
ジェイクがジロリと、初めてホログラム越しにミケを睨みつけた。
「俺から見て、アイツは推定・人造生命だぞ。あんな完全にデザインされた身体に、成長期なんて不安定な概念がある訳ねえだろ。アレで完成形だ」
「いや、それはそれで『合法ロリ』という夢があるので良しとしましょう!」
「お前は本当にブレねえな。……というかミケ、お前も一緒に飯食ってたよな? タダで。俺が呆れてる横で、ふざけて『ナナちゃん、もっとご飯が欲しい時はこうするんですよ!』とか、物乞いのポーズを教え込んでたよな?」
ジェイクの冷酷な指摘に、ミケは滝のような冷や汗を流した。
「いやぁ……なんだか、もう何年も前のような気がします。懐かしいですね、あの頃は……」
「数日前までの記憶を風化させようとするな。今ここで、数ヶ月分のお前の食費を全部まとめて請求してやろうか? おぉん?」
「全面降伏致します!! どうかツケでお願いできませんでしょうか!!」
ミケは一切の躊躇なく、流れるような動作で床にスライディング土下座を決めた。
「許す」
「ジェイク様のご厚意に、深く感謝いたします!」
「で、スカウト? 俺としては大歓迎。身体能力は一丁前なんだから、とっとと働いて自立してくれって思ったね」
空中に展開したホログラムディスプレイの青白い光に顔を照らされながら、ジェイクはキーボードを叩く手を止めることなく言い放った。
先ほどの土下座の姿勢からむくりと起き上がり、ちゃっかり卵ディップを塗ったパンを頬張りながら、ミケは不満げに唇を尖らせる。
「それは……そうなんですが……ジェイクさんの土地でナナちゃん働かせるとか……」
「さんざん失敗して自己肯定感も落ちたら考えてやるよ。今のアイツはゴメンだね」
現状のナナは、軍用ナノマシンによる万能感と根拠のない自信で完全に天狗になっている。ジェイクからすれば、まずは外の世界の理不尽に揉まれ、己の無力さや『現実』を知ってからが出発点だという、極めてドライで理にかなった見解だった。
「甲斐性なし」
パンを齧りながらボソリと呟いたミケの暴言に、ジェイクはピクリと眉を動かした。
「ツケ」
「ジェイクさんは海のように広く、女神のように慈悲に溢れた心を持っています!」
「なんでお前は反対なの?」
息をするように掌を返したミケの賞賛を完全にスルーし、ジェイクはディスプレイからわずかに視線を外して呆れたように首を傾げた。
「いやぁ……その…ナナちゃんに会いづらくなっちゃうじゃないですか?」
「会いに行きゃ良いだろ? 俺と違って表向きの立場がちゃんとあるんだからよ」
裏社会で泥水をすするジェイクとは違い、ミケは(不審者ムーブさえしなければ)自由に表の世界を歩ける身分である。物理的な距離など理由にならないはずだ。
「そうじゃないんですよ……ジェイクさんと一緒にいるナナちゃんを見ていたいと言うか……」
もじもじと指を絡ませながら、ミケは頬を染めて己の歪んだ性癖——もとい、尊き『見守り対象』としての理想の構図を告白した。
「随分と面倒くせぇ入れ込み方をしてんなぁ」
完全に理解の範疇を超えたミケの執着に、ジェイクが心底疲れたような深いため息をついた、その時だった。
バァァァン!!
勢いよく蹴り開けられた玄関の向こうから、エコバッグを肩に担いだナナが、凱旋するように踏み込む音が聞こえてきた。
「あっやば!」
ミケはそそくさと2階に登り、退避と着替えの為に隠れるのであった。
ルシアにご馳走になった高級パフェの余韻と、「肖像権の登録」といういかにも『上流階級の仲間入り』を果たしたかのような優越感に浸りきっている彼女の鼻息は、かつてないほど荒い。
『ミケから頼まれていたお使いの品だ。無事に持ち帰った私に感謝して受け取るが良い!』
ドンッ、とテーブルに置かれたエコバッグ。
ジェイクは無言でバッグの中身を覗き込んだ。指定した調味料や日用品が、一つ残らず完璧に揃っている。
「……お、ちゃんと指定したメーカーの奴買ってきたじゃねえか。偉いな」
『ふふん! 当然だ! そしてよく聞けジェイク、私は今日からお前の『スポンサー』に向けて偉大な第一歩を踏み出したぞ! いずれ莫大な富を築き、お前をひざまずかせて毎日私においしいご飯を作らせてやるからな!』
黄金の瞳をキラキラと輝かせ、腰に手を当てて高笑いするナナ。
その横で、胸元のロールが『やれやれ、この嬢ちゃんの誇大妄想はどこまで行くのやら』と呆れたような電子音を鳴らす。
「はいはい、そりゃあ楽しみだ。大物スポンサー様はお疲れだろうから、そこにあるパンでも食ってろ」
『うむ! 苦しゅうない!』
全く相手にされていないことにも気づかず、ナナは上機嫌でジェイクの作った卵ディップのパンにひったくるように食らいついた。
『……んーっ! やっぱりジェイクのご飯はおいしいな!』
「ミケから特大パフェ食ったと聞いてたが、よく入るもんだなその腹……」
『基礎代謝が常人の比じゃないからな。食費は覚悟しておけよ、保護者』
「だーれが保護者だ」
軽口を叩き合いながら、口の周りにマヨネーズをつけるナナに、ジェイクがペーパータオルを無造作に投げつける。
そんな二人のやり取りを、そっと降りてきたミケは部屋の隅で食い入るように見つめていた。
(ああ……! これです、これですよ! 傲慢なフリをして完全に餌付けされているナナちゃんと、それを適当にあしらうジェイクさんのこの空気感……! 最高です……!!)
己の食費のツケも忘れ、密かに感涙に咽ぶミケ。
静かな隠れ家は、今日も騒がしくも奇妙な日常の温かさに包まれていた。これから襲い来る出来事までのわずかな猶予であるとも知らずに——。
◆ ◆ ◆
その頃、喧騒に包まれた大通りを歩いていたルシアは、自身の網膜デバイスに突如として割り込んできた最優先の着信アラートに気づき、思わず足を止めた。
視界を明滅させるのは、緊急時のみに使用される真紅のシグナル。足早に行き交う人々の流れから逃れるように外れ、路肩のベンチに腰掛ける。そして、視界の隅に表示された『発信者の名』を確認した瞬間、彼女の背筋を一気に冷たい汗が伝った。
『ヴィクトル・ヴァルハイム』
ルシアが属する巨大な一族の長にして、この都市における支配者の一人。彼が、末端の、それも現場で実務をこなすだけのエージェントに過ぎないルシアに直通で電話を寄越すなど、通常では絶対にあり得ない事態だった。
一体何があったというのか。先の任務での失敗か、あるいは何らかの粛清か——。
無数の最悪なシナリオが脳裏を駆け巡り、心臓が早鐘を打つ。だが、ルシアはきっちり2秒だけを使って深く一呼吸し、荒れ狂う心を強制的に落ち着かせた。プロフェッショナルとしての冷徹な仮面を被り直し、意を決して暗号化通信を繋ぐ。
「はい、ルシアです」
『——ルシア。君の名前で、ある少女の”肖像権”の最高レベル申請が行われたな。その件で話がある』
ノイズ一つないクリアな音声。荒々しさなど微塵もない静かな語り口でありながら、空間そのものを支配するような、有無を言わせぬ絶対的な威圧感を伴うヴィクトルの声が鼓膜を打つ。
「はい」
(ナナちゃんのこと……? どうしてトップが直接……!?)
内心の激しい動揺を一切表に出さず、ルシアは短く応じた。
『まず、対象の人物と遭遇した経緯について教えてくれたまえ』
話の意図が全く見えない。だが、こちらに後ろ暗い事は何もないはずだ。ルシアは記憶を整理し、淀みなく正直に事の顛末を答えていく。
『ふむ。君がスラム区域を調査中にゴロツキの集団に囲まれた所を、件の人物が助けに来た、と』
「はい。極めて高い身体能力と戦闘能力を持っていました。胸元の高性能AIによる補助を考慮しても、出力と反応速度の大部分は、彼女自前の肉体によるものだと思われます」
『そして、ゴロツキ達がその人物にターゲットを移した。彼等の探し人だったという訳だね?』
「はい。明確に彼女の身体的特徴を口にしておりました。特定の組織から、捕獲のオーダーが出ていたものと推測されます」
『状況を切り抜けたその後、君は彼女に対して歓談を持ち掛け、肖像権の取得を推奨し、君が主導する形で申請した。間違いないかね?』
「間違いありません」
一拍の沈黙。通信越しで息遣いすら聞こえないというのに、ヴィクトルの底知れぬ思考の気配だけが重くのしかかってくる。
『彼女と歓談したと言ったね? 君から見た彼女の印象を、率直に話して欲しい』
ルシアは少しだけ目を伏せ、あのカフェでのやり取り——美味そうにパフェを頬張る愛らしい姿と、スラムで見せた凄惨な暴力のギャップを思い返した。
「……極めて無邪気で、世間知らずです。あれほどの圧倒的な暴力を振るえる肉体を持ちながら、精神年齢は幼く、ひどくアンバランスな印象を受けました。まるで、特定の目的のためだけに『デザイン』されたかのような……」
『特定の目的、か』
「はい。加えて、彼女は『ジェイク』という名の庇護者に対し、異様なまでの執着と対抗心を抱いていました。彼女の行動原理のすべては、その男に向けられていると言っても過言ではありません」
再びの沈黙。しかし今度は、通信の向こうからヴィクトルの微かな——しかし確かな『笑い声』が聞こえた。冷酷な支配者が、極上の獲物を見つけたかのような響きだった。
『ジェイク・ダミット。荒野に根を張る規格外のフィジカルアデプトか。なるほど、線が繋がった』
「……ご存知なのですか?」
『いや、私にとってもつい先ほど網にかかったばかりのイレギュラーだよ。だが、非常に興味深い存在だ。——ルシア、君の独断による肖像権の保護申請は、我がヴァルハイム家にとって極めて有益な『投資』となった。君の機転と判断を高く評価しよう』
思いがけない賛辞に、ルシアはわずかに目を見開いた。一族のトップから末端が直接褒められるなど、一生に一度あるかないかの出来事だ。
『引き続き、彼女——ナナとの接触を維持したまえ』
「それは、監視対象として、でしょうか」
『いや、良き友人、良き相談相手としてだ。彼女は間もなく、この都市の裏側で大きな台風の目になる。だが、彼女の背後にいる男を無用な警戒で刺激するのは下策だ。君はこれまで通り、彼女に善意を持って接し、信頼関係を築きなさい。経費はいくらでも使って構わない』
「……承知いたしました」
『質問はあるかね?』
ルシアは一瞬躊躇したが、己の身を守るため、そしてあの少女の危うさを知るために踏み込んだ。
「……彼女は、何者なのですか? 私が踏み入って、触れてはならないラインを知っておきたいのです」
『道理だ。現場を任せる以上、君には話しておくべきだろうな。決して他言するなよ』
ヴィクトルの声が、一段と低く、冷ややかになる。
『……彼女の身体の大元は、古代文明が神に対抗するために作った生物兵器。文字通りの”龍”だ。それが、現代の勇者が振るう神器の力によって肉体が変質し、あのような少女の姿になったと思われる。彼女は半年前、この都市から忽然と姿を消し行方不明になっていたが……今日、君が正規のルートで肖像権登録をしたことで、その存在が再びシステム上に掘り起こされた』
「……!!」
あまりの事実に、ルシアは息を呑んだ。古代の生物兵器、龍、勇者の神器。おとぎ話のような単語の羅列だが、ヴィクトルが冗談を言うはずがない。あの無邪気な少女の正体は、文字通りの『厄災』そのものだったのだ。
『裏で捜索はされていたため、少女が都市に戻った以上はいつか明るみに出ただろう。登録の件については気にするな。だが、すでに嗅ぎつけた『いくつもの組織』が都市の検問を通過してきている。警戒を怠るな。この後、速やかに本邸に来て自らの装備を整えるように。以上だ』
プツリ、と通信が切れ、路上のクラクションや人々の喧騒が再びルシアの耳に雪崩れ込んでくる。
ベンチに座ったまま、ルシアは手元の端末を見つめ、溜まっていた息を長く吐き出した。
(台風の目……あの、パフェを食べて喜んでいた無邪気なナナちゃんが)
スラムで彼女を狙っていたゴロツキたちは、氷山の一角に過ぎなかった。
彼女を完璧な兵器のように仕立て上げ、荒野に潜む『ジェイク・ダミット』という得体の知れない男。それに直接目を付けたヴァルハイム一族の支配者。そして、都市に迫り来る無数の組織。
事態は、ルシアが想像していたよりも遥かに深く、底なしの暗部で動き出しているらしい。
これから直面するであろう命懸けの重圧に胃が痛む思いだったが——同時に、あの危なっかしくて愛らしい少女と、経費でいくらでも遊べる『大義名分』ができたことに、ルシアはほんの少しだけ口角を上げるのだった。