Damn'it Company!―畜生集団、或いは― 作:カラルラ
遊び疲れ、歩き疲れた一行が最後に休憩がてら選んだのは、コンプレックス内の映画館だった。
暗闇の中で上映されていたのは、都市の富裕層とスラムの貧困層という埋めがたい身分差を越えた恋愛の果てに、二人が真実の愛を貫くために全てを捨て、過酷な荒野へと駆け落ちする……という、古典的で王道のラブロマンス映画である。
壮大なオーケストラと共にエンドロールが終わり、劇場が明るくなると、ミケとルシアの二人は「あのシーンが良かった」「愛の力ですね」と、目元をハンカチで拭い、涙ぐみながら楽しく感想を言い合っていた。
ナナもまた、映画の主人公たちをこっそりと自分とジェイクの境遇に置き換え、ポァーッと頬をリンゴのように赤らめながらロマンチックな余韻に浸っていた。しかし、ふと隣を見ると、ジェイクだけは何処か冷めきった、底冷えするような酷薄な目を真っ暗になったスクリーンに向けていたのだ。
『ジェイク? ……映画、面白くなかった?』
ナナが不安げに尋ねると、ジェイクはゆっくりと首を振った。
「いや、映画としては面白かったさ。ただ……あのオチが『めでたしめでたし』で締め括られてるのが気に入らねえ」
「あら、どうしてですか? 全てを捨てて愛を選ぶなんて、ロマンチックじゃないですか」
ミケが不思議そうに口を挟むが、ジェイクは憮然とした表情で話を続ける。
「周りから祝福されなかった愛が、最終的に幸福に終わるとは到底思えない」
「まーたそんなひねくれた事を……。愛があれば過酷な環境だって乗り越えられる、そういうテーマの映画でしょう?」
「じゃあ聞くが、あの駆け落ちした二人の間に子供が産まれたら、そいつは幸せになれる環境なのか?」
ジェイクの低く、あまりにも冷酷な響きを持った声が、ミケの反論をピシャリと遮った。
「身分も金も、帰る場所すら捨てて荒野に逃げ込んだ二人だ。医療も教育もまともに受けられない極限の場所で、あの二人に『子供を育てきる能力』があるのか? 親のエゴで作られた『真実の愛』とやらの皺寄せを喰らうのは、いつだってその間に生まれてくる何も知らない子供だろ」
「それはっ……! うーん。そうかもしれませんが、そうない可能性だってあります。だからめでたしめでたしと書かれるのでしょう?」
つらつらと早口が止まらないジェイクに対して、今度はミケが諭すように言葉を返していく。
「厳しい環境を生き抜く算段も立てず、社会からただ逃げただけの連中に、新しい命を背負う力はねえよ。綺麗事だけで命は繋げねえ」
「確かにその論は正しいかもしれませんが、あなたがそれを言いますか? ナナちゃんを助けたあなたが」
「何のことだか。俺は命を背負った覚えはねえぜ?」
あまりにも現実的で、感情が滲むジェイクの言葉に、ミケは「まったくこの人は……」呆れたように押し黙ってしまった。隣のルシアもまた、彼の壮絶な生い立ちの一端を察したように、気まずそうに目を伏せる。
……が、話の文脈をそこまで深く理解していないナナが、二人の間にひょっこりと首を突っ込んだ。
『ジェイク、フィクションはフィクションだよ?』
「……いや、それはそうだが」
『映画とお話は別なの。一緒にしちゃいけないんだよ』
「そ、そうだな……?」
『……』
ジト目でじーっと真顔で見つめてくるナナの無言の圧力に、ジェイクの強固な持論がガラガラと音を立てて崩れていく。
「……まぁ、ちょいと大人げないと言うか……せっかくの映画の後に、夢を壊すような発言だったかもな?」
ジェイクはナナの視線に完全に折れ、頭をガリガリと掻いた。決して「ナナを休ませるための遊行なのにこれは良くなかったな」とか、「最初に子供のように楽しむつもりだったのに自分から水を差すのは違ったかもな」などと口にする男ではないが、バツの悪そうな顔が全てを物語っていた。
「……悪かったってミケ、マジレスで空気悪くしてゴメンって……」
「いや良いですけどね? ジェイクさんがその辺融通効かない人だってよく知ってますし? でも、ナナちゃんの気分を盛り下げるような事してほしくなかったって言うか?」
「……なぁミケ、珍しく俺がポンコツ晒したからって楽しんでないか?」
「あ、バレました?」
テヘペロ、と言わんばかりのあざとい笑みを浮かべるミケに、胸元のロールは心底呆れたように電子音を鳴らした。
『ナナ嬢、あの害獣の道化具合だけは絶対見習うなよ』
(うん……)
◆ ◆ ◆
すっかり日が落ち、色とりどりのネオンが街を照らす帰り道。
ルシアが滑らかに運転するステルス車の中は、静かな夜の空気に包まれていた。ある意味ではナナ以上にこの遊行を満喫していたミケは、助手席で舟を漕ぎながらうたた寝をしている。その後部座席で、窓の外を流れる眩い光の帯をただ静かに眺めていたジェイクが、ぽつりと溢した。
「……良くない癖だと分かっているが、俺はどうしても『愛』という概念を見ると、評価が辛くなるんだ。まあ、捻くれ者なんだなコイツ、と気にしないでくれると助かる」
それは静かな独白だった。
隣に座るナナは、ジェイクのそのひどく寂しそうな横顔をじっと見つめていた。
彼の言う「皺寄せを喰らう何も知らない子供」とは、一体誰のことだったのだろうか。どんな生き方をしてきたらそんな事を語る大人になるのだろう。
(私は……ジェイクにとって、どういう存在になりたいんだろう)
自分を『兵器』でも『厄災』でもなく、ただの一人の不器用な少女として扱ってくれた彼。
時に冷たく突き放すようでいて、誰よりも現実的に、そして論理的に自分を守ろうとしてくれる不器用な背中。
ナナは膝の上に乗せた、今日自分で選び、彼に似合うと褒められたヘアピンの包みをそっと両手で握りしめる。流れる都市の光に断続的に照らされる男の横顔を見つめながら、少女はまだ輪郭すら持たない、答えの出ない思いの渦の中で、静かに物思いに耽るのだった。
——そして、夜の街を走り去るステルス車と、歩道でちょうどすれ違う1人の男がいた。
黒髪黒目の実直そうな青年。彼は片手に地図アプリを開いた端末を持ち、もう片方の手には大事そうに魔法少女フィギュアの箱を抱えている。
顔を上げては周囲の道や高層ビルの風景を確かめ、首を傾げて手元のホログラム地図に視線を戻すその様は、どこからどう見ても完璧なお上りさんとしか言いようがない。だが、彼の身に纏う禁欲的で上質な服と、皮膚の裏に隠し切れない刃物のような異様な気が近寄りがたく、幸か不幸か、道案内を申し出る善人も、カモにしようと近づくスラムの悪党も現れなかった。
そうして迷子同然で歩く内に、突如として端末の地図アプリを押しのけ、暗号化された通話の通知がホログラムで湧き上がった。青年は少し慌てた様子で周りを見回すと、人気の無い路地裏のベンチへと素早く辿り着き、フィギュアの箱を膝の上に大事に抱えて通話に出た。
「もしもし、こちら勇者です」
『おう、こちらは指揮役。博士の捜索は完全に空振りだ、プレハブごと木端微塵に爆破されてやがった。全く踏んだり蹴ったりって奴だな。そっちはどうだった?』
インカムから聴こえるのは、世慣れた軽薄さと苛立ちを隠そうともしない男の声だった。青年——勇者は膝の上の箱に手を添えたまま、静かに口を開く。
「……被検体一派は今日一日、ワンダーグリップコンプレックスで過ごしたようです。後ほど合流した際に、彼等の特徴を捉えた似顔絵を描きます。それから……完全に偶然でしたが、件の被検体に遭遇して直接会話も出来ました」
『なに? ……おいおい、それは一応朗報だが、被検体以外に顔を見られちゃ居ないだろうな?』
「一人見られました。男性としては少々体格に乏しい男です」
『……チッ、まあ良い。で、被検体の様子はどうだった? 薬物漬けか? 洗脳でもされてたか?』
「身体健康。意思良好。感情豊富。自我自立。『操られている』『支配されている』『脅迫、或いは強迫されている』等など、いずれの懸念にも該当しないと私は判断しました。彼女は現状、何処までも真っ当に生きています」
『あっそう。……けっ、俺にとっちゃ何一つ面白くねえ話だ。報告を聞いた上層部から何言われるか分かったもんじゃねえ。憂鬱だねぇ……。まったく、今回は各派閥の連中の我が儘と要望が面倒くさいったらありゃしねえぜ。……ま、お前にとっちゃ朗報か? 積極保護派だもんな、お前は』
「……そうですね」
言葉短く答える一方で、青年の心は深く揺れていた。
被検体と呼ばれたあの少女。元を辿れば、自分と己の背負う神器が生み出してしまった歪み、厄災の影。であるならば、自分が責任を持って手元に引き取り、聖北教会という絶対的な権威と組織の力で保護、管理するべきだ——ずっとそう信じて疑わなかった。
しかし、今日見かけた少女の姿。仲間と戯れ、失敗に落ち込み、自分の見繕った服に歓喜し、自分の不甲斐なさを助けて自慢げに胸を張っていたあの笑顔。それを目の当たりにしてしまった今、彼女を連れ戻すことが本当に『正義』なのだろうか?
『となると……チッ、やりたくねえが正攻法しか無くなったか。治安組織だとかここの教会支部に根回しして、堂々と行動する大義名分と作戦の主導権を握ってから、連中に引き渡しを交渉しにいく。今後の予後を考えると、コレが一番波風立たずに丸くなっちまうな』
「……それが常道です」
『だからやりたくなかったんだよ、こんな面倒くさい役割! つーか誰だよ、被検体に肖像権を取らせて公的な盾を作らせた奴は! お陰で考えてた強硬策も拉致プランも全部パーだ、くそったれが!』
「バチが当たったんですよ。不当な手段を画策するからです」
『ほー? 言うようになったなーお前もなー。じゃあ代わるか? お前が俺の代わりに狸どもの相手をする交渉役代わるか? んん?』
「いや、それはちょっと……ご遠慮します」
『だろうな! まあ良い、報告ご苦労。さっさとこっちの仮拠点に帰って来いよ。じゃあな』
プツリ、と一方的に通信が切れ、ホログラムの画面は再び元の不案内な地図アプリへと戻った。
青年は深く息を吐き出すと、膝の上の魔法少女フィギュアの箱をそっと撫でた。これを渡した時の、大切な家族の喜ぶ顔が目に浮かぶ。同時に、あのアミューズメント施設で見た、自分に誇らしげな笑顔を向けてくれた少女の姿が、鮮明に脳裏に焼き付いて離れなかった。
「……助けてもらった上に、諭されてしまったな」
ぽつりと呟いた青年の言葉は、夜風に溶けて消えた。
彼らは決して、少女を道具として利用している悪人などではないのだろう。むしろ、己の存在を賭けて彼女の『日常』を守ろうとしている者だと見えた。そして少女もまた、彼らを心から信頼している。
だが、それでも自分には、教会の一員として、そして『勇者』として果たすべき責務がある。正攻法での交渉——それはすなわち、お互いの譲れぬ領分をかけた、一歩も引けない対話と相成るだろう。
手元の箱に目を落とす。青年の脳裏に、今日これを手に入れてくれた少女の顔と、彼女に付き添う隙の無い男の顔が浮かんだ。
「——再会は近い。迷っていては勇者の役割は務まらない……」
青年は静かに立ち上がると、フィギュアの箱を抱え直し、背筋を正した。
地図アプリが示す目的地のアイコンを見つめ、迷いの消えたまっすぐな足取りで、ネオンの光が織りなす夜の都市の中へと歩みを進めていった。