Damn'it Company!―畜生集団、或いは― 作:カラルラ
いくら貴重で極めて効果の高い薬湯であろうと、人体が一度にかける汗の量には物理的な限界がある。同時に、用意した湯桶の水量で安全に受け止められる毒素や廃棄物の量も無限ではない。
ましてや、本来この薬湯はフィジカルアデプトが己の肉体を限界まで追い込む、過酷な「修行」に用いられる劇薬のような代物なのだ。今の少女の脆弱な肉体に合わせて相応に薬効を抑え、かなり薄めてはいるものの、それでも湯がドロドロのタール状に変わり、廃棄物の許容量の限界が来るのは思いの外早かった。
「ちっ、もう飽和したか」
ジェイクは舌打ちを一つすると、黒く濁りきって悪臭を放つ湯に両手を突っ込み、脇を抱えて少女の身体を一気に桶湯から引き上げた。滴る泥水のようなものをタオルで手早く拭い、ラボの奥にある診察台のような硬い寝台に横たえる。
まずは水差しを使って、荒い呼吸を繰り返す彼女の口元に少しずつ水分を取らせ、脱水を防ぐ。それから彼はラボに併設された無骨な厨房へ向かい、栄養剤を溶かし込んだ糊のような薄い粥を手早く作った。
長きにわたる異常な改造と絶食同然の扱いにより、少女の消化器官が致命的なまでに弱りきっているのは目に見えて明らかだった。しかし、それでも無理やりに胃腸を働かせる事に慣れさせていかねば、人間としての根本的な快復は見込めない。
ジェイクは作ったばかりの粥を椀に一杯分だけよそい、それが適温に冷めるまでの間、寝台に横たえた少女の身体をじっくりと揉み込み、指圧で物理的な刺激を少しずつ与えていくことにした。萎縮した筋肉と強張った関節をほぐし、血行、代謝、内臓機能をほんの少しずつでもマシにしていく為の、極めて地道な作業だ。
だが、この整体にはもう一つ、少女の命を繋ぐためのより重要な意味があった。
薬湯の力で体内に残留し、肉体を汚染している違法な薬物を排出していくと、やがて痛覚を強制的に感覚制限しているナノマシンまでもが体外へ抜け落ちてしまう。そうなれば、常人の数千倍に跳ね上がった感覚で全身の「激痛」を味わうことになり、即座に痛覚ショック死を引き起こすのは火を見るより明らかだった。
それを防ぐため、ジェイクはこのマッサージの最中、東洋魔術の『点穴』の要領で己の練り上げた魔力を指先から少女の神経の束へと直接流し込んでいく。そして、過敏になりすぎた神経回路を、魔術的に一本ずつ殺して削っていくのだ。
それは例えるなら、剥き出しになった極細の導線に、少しずつ粗い紙やすりをかけて強引に摩耗させ、感覚を意図的に鈍くなるように磨き潰していくような荒業だった。
(改造で500から3000倍にまで引き上げられた異常な感度を、せめて5から10倍程度まで無理やり落とせば……まあ、ショック死はしないだろう。たぶん)
ジェイクは眉間に皺を寄せながら、極めて大雑把、かつ専門的な計算のもとに魔力のメスを振るう。
が、そんなジェイクの純粋な医療行為であるはずの指圧や魔力の流し込みでさえ、現在の狂った少女の身体にとっては極上の刺激以外の何物でもなかった。焦点の合わない瞳を見開いたまま、彼女の身体が小さく跳ね、制御不能な反応が一度、強く走る。
「……シーツ、また換えなきゃならねえな」
ジェイクは短く悪態をつきながらも、手を止めなかった。衛生状態を維持する手間が増えることに辟易しつつ、彼は冷徹に整体と神経の切断を続けていった。
終わりの見えない地獄のようなデトックスと、神経を焼き切る荒療治。胃腸を叩き起こすための流動食の給餌。そして、治療のたびに繰り返される制御不能な反応。
3週間後に初めて瞬きが焦点を結びかけた。
1ヶ月を過ぎ、粥を自ら嚥下できるようになった。
治療のたびに発生する発狂と絶頂のループから抜け出したのは実に2ヶ月後という、1人で闘うには途方もない月日を要した。
そのような過酷極まるワンオペ介護と言って何ら遜色ない生活が始まって、2ヶ月半が経過した頃。
少女がようやく泥のような「自然な睡眠」を取れるようになったことで、ジェイク自身もラボのソファで数時間の仮眠を取れるようになっていた。
そんな、少しだけ平穏を取り戻しつつあったジェイクの元に、一台のバギーに乗って一人の人物が辺境のラボを訪ねてきた。
名前はミケ。頭からすっぽりと白い猫耳のついたフードをかぶる、白髪碧眼の少女である。自称・宗教関係者。外見は十代半ばにも見えるが、その実年齢は不詳だ。
「おじゃましま~す」
鉄扉を叩きもせず、暗証番号を勝手に入力して陽気に入ってきたミケの声に、ソファで微睡んでいたジェイクは深くため息をついた。
「……んだよ、ミケか。邪魔するなら帰れ〜」
「いやぁ、久しぶりですねジェイクさん!」
ミケはジェイクの素っ気ない態度など全く気にする素振りも見せず、ニコニコと笑顔を浮かべてラボの玄関口に立っていた。
「何の用事でこんな辺境までやって来たんだ?」
「用事が無くても来ていいでしょう? たまには親友の顔をみたいじゃないですかぁ♪」
「……いや、そう言ってお前が何の用事もなかった試しが……。まあ良いや、入って良いぞ」
ジェイクが重い腰を上げながら招き入れると、ミケはピタッと動きを止め、犬のようにクンクンと鼻を鳴らした。
「っしゃあ! この奥から漂う美少女の匂いの謎を解き明かす! 失礼しまーす!」
「マジで失礼な入り方する奴居る? ここに居たわ」
止める間もなく、バタバタとミケがコンクリートの廊下を走り抜け、一直線にラボの最奥の扉を開け放つ。
しかし、その数秒後。奥から「ヒッ」という短い息を飲む音が聞こえたかと思うと、ミケは数秒の不自然な静寂を挟んで、慌ただしくジェイクの元へと戻ってきた。顔から先程までの陽気な血の気が引いている。
「ど、どういう事ですかジェイクさん! あんな美少女を痛々しい姿で拉致監禁してるなんて! 私にも紹介して下さい!」
「紹介出来る個人情報なんて持ってねえよ!」
ジェイクは呆れ返って声を張り上げた。
「……えっ、じゃあ一目惚れで人さらいですか? ジェイクさんにしては、だいぶあり得ないムーブで驚くんですけど」
「お前の中で、普段の俺はどうなってんの?」
「性格が悪くて、善行というものに対して捻くれてる畜生」
「間違ってるわけでもないか……」
「否定できる程度に素直になって欲しいものなんですがねぇ。で、何処でどうやってあんな拾ってきたんです?」
「長くなるからお茶入れてくるわ。座ってろ」
ジェイクは疲れた首を鳴らし、厨房で安い合成茶を淹れると、ラボの作業台の前でパイプ椅子に座るミケにマグカップを渡した。そして、この2ヶ月半の経緯——スラムのアジトでの出来事、少女の異常な身体改造の全貌、そして延々と続く神経の鈍磨とデトックス治療について、淡々と説明をした。
全てを聞き終えたミケは、マグカップを両手で握りしめたまま、机に突っ伏して大層落ち込んでいた。フードの猫耳までが、シナシナと力なく垂れ下がっている。
「……まるで自分が聖職者みたいな落ち込み方するじゃん」
「まるでも何も、わたしゃ宗教関係者ですよ! 全くもう! 滅びろ世界! 滅びろ! 神を蹴落として私が一から再構成してやる!」
ミケはバンバンと机を叩き、半ば本気とも冗談ともつかない怒気を含んで叫んだ。
「やめろやめろ、俺は今ぐらいのクソみたいな世の中の方が生きやすいんだ! 本気でやりそうだから殴って止めるぞ!」
「うう〜〜、あなた以外には言いません〜こんな事〜!」
「俺のことをなんだと思ってるんだ」
「捻くれた甘え方をしても良い人」
「一応人扱いされていることに驚けば良いのか、甘えてる発言に疑問符を抱けば良いのか分からないのが今の俺だ」
「捻くれてますねぇ……」
「俺は正直者だからな」
「知ってますよ。もう少し処世を身に付けても良いと思いますけど?」
「やなこった」
「これですよ、これ」
ミケは呆れたように肩をすくめると、ふと作業台の隅に置かれた、厳重に封をされたガラス容器に目を向けた。中には、少女を浸した薬湯から抽出された、ドロドロの黒いタールのような廃液が保管されている。
「で、これがその薬湯に沈殿した廃液ですか。……これが一人の体からでてきたってマジです?」
ミケは容器に顔を近づけ、その禍々しい色と、封越しにすら漂ってきそうな腐敗臭を想像して顔を引き攣らせた。
「濃度を見るに、もう20人ぐらい一生アヘアヘにできそうなんですけど」
「まだ腹の中に溜まってる分があるからな。もっとでてくると思うぞ」
ジェイクが事もなげに言うと、ミケはしわくちゃの梅干しのような顔で深く嘆いた。
「何だその顔。お前、身体改造系の過激な同人VR好きじゃん。本物だぞ」
「あのねジェイクさん。大抵の過激な性癖ってのは、フィクションという名の虚飾のフィルターを通してるから素直に興奮できるんです。綺麗に『灰汁抜き』されてるから、エンタメとして美味しい楽しいって思えるんですよ?」
ミケは心底嫌悪感を露わにして、真っ黒な廃液を指差した。
「これは駄目です。
「悪意の煮凝りでもあるな」
「上手いこと言ったつもりですか、全く……」
ミケは深くため息をつき、ソファにどっかりと背中を預けた。
ジェイクは空になったマグカップを手に取り、冷たく言い放つ。
「で、手伝う気がないならさっさと帰ってくれ。流石に客に飯とかお茶菓子を出す余裕が無いんだ。こちとら2ヶ月半、神経削ってんだぞ」
塩対応なジェイクの言葉に、ミケは少しだけ口角を上げ、やれやれと首を振った。
「仕方ないですねぇ。飯を作る余裕ができるぐらいには、私も手伝いますよ。はあ……こんなつもりで遊びに来たんじゃないんですけどねぇ」
愚痴をこぼしながらも、ミケは白いフードを少しだけ後ろにずらし、腕まくりをした。
最悪の出会いから始まった少女の治療生活に、ほんの少しだけ、騒がしくも頼もしい助っ人が加わった瞬間だった。